壁崩壊
バカがその気になれば壁は崩れる。
では、どうしてバカはその気になったのか。
この悲劇は、
「こっちかなー、こっちかなー」
と言ってバカが紀和を追いかけようとした所から……、
「いや、あっちだろ」
ではなく、先見が正しい道を教えた所から始まった。
「しょ、しょうですよ」
しょうだ、しょうだ。
「あ、ホントだ! ひーちゃんの臭いがする!!」
どんな嗅覚をしてるんだ。お前は犬……ほど賢くないであろうが。
「いきましょう!!」
保坂がやる気だ。しょうしょう言っているものの、辛うじて噛んではいない。
足取りは軽く、尾行する探偵のようだ。さすが、やれば出来る子。
「どーこだー、ひーちゃん! ひーちゃん、どーこだー!!」
しかしながら、助手が残念なためあまり意味を成していない。
「どーこだ、ひーちゃん!」
先見は悪乗りしている。不真面目かつご機嫌で、いつも通り状況を楽しんでいる。
愉快な仲間がいれば、退屈しなくて良いですな。
暫く迷い、迷われ、尾行する。
「おっ……可笑しいでっすよ」
お前もな。
「ううーーーん、ひーちゃんどこ!?」
流石に見つけられないとは思ってたんだけどね。
「まあ、こうなるはな」
先見は上手いこと撒かれたし、ここまでかな……とでも思っているのだろうが、
「同じ場所に戻ってきているはずなので……、はずなののに、前と同じ交差点ではなくなっている」
保坂が微妙に嬉しそう。宝院が絶望的に残念そう。
「まあまあ、明日また会えるんだし、今日はこの辺にしとこうぜ」
丸く、手堅く、そこそこにこの場を治めようとする先見だったが。
「いや、こっちでしゅっ!!」
いつになく冴えている保坂。余計なことしてくれるなよ。
「ほんと? ほんとに、ほんとー!?」
いや、嘘です。確かに向きは正しいが、向きしか正しくない。つまり、向きが正しくてもたどり着けない……
「ひゃい!!」
筈なのですが、自信満々で根拠無く肯定する。
「よーっし!!」
そうだ。
「いっくよー!!!」
バカに。
「とあっ!!」
真実など関係ない。
腹立たしいことに、それと同時に、興味深いことに、保坂は気付いていた様だ。否、面白半分の当てずっぽうを狙ってバッティングさせたのだ。保坂のくせに。
この世界からほぼ独立した、一部の情報構造のみが例外的に通常の力学法則とは独立した強い強制力をもつ相互作用をする。それは極めて特殊なもので、確率はゼロではないのだが、自然発生することはまれである。そして、保坂は、彼にとってはあまりに突拍子も無い発想を真剣に考慮し、バカの異常さを踏まえて意図的に博打を行った。
「それより良いのか」
こんなことを許して。気付いているなら止めた方が良いんじゃないの。
「構わん、ほっとけ」
本気ですか、月城さん。その方が面白そうではあるけれども。
「……了解した」
それ以上何も言うまい。紀和としてはどちらでも良かったようだ。
何はともあれ、彼らも何処かしらにある回廊へと足を踏み入れた。
「すっげー」
雑なリアクションの先見。かなり普通に驚いている。
「こっこからが勝負です!」
保坂が燃えてる。
「ひーちゃんの味がする!!」
ひーちゃんは酸っぱいけど、乳酸一杯状態だと甘く感じます。
「月城ひゃんは! いますか?」
あかねちゃんは意外にサッパリとしているが病み付きになる麻薬性があります。
「んーーー、ん!? 多分!! ピカッてした!!」
すいません、ピカッと言う味がするそうです。お詫びして訂正させて頂きます。
保坂が大興奮、ピカッとしている。
「そっかそっか、じゃあ行くぞ」
先見は何かに納得している。
バカの得意な思考をつくるマクロ変数の動きを利用して例外的相互作用を引き起こし、空間の経路の変化を読みながら進路を示す保坂。いつになく頼りがいがあるね。
「月城さん」
のためなら、やれば出来る子。小声で呟くくらいなら噛まずに言えるさ。
足取りと目線でバカを誘導。
「ひーーーちゃーーーん!!」」
轟く非凡な現象がトリガーとなって道を開く。
真剣な噛み様は言葉ではなく雰囲気でバカの手綱を握っている。
「すっげー」
相変わらず雑なリアクション。
そんなこんなで彼らはターゲットを捕らえつつありました。
「まさか本当に来てしまうとはな」
否、ターゲットに捕らえられつつありました。
「あかねちゃん!! ひーちゃんは!?」
宝院は必死だ。
「ちゅっ……つきひろしゃん!!」
保坂は不審だ。
「悪いな、月城」
先見は苦笑い。
「まあ、良いだろう」
月城は口元が笑っている。
「ひーちゃんは!!!」
宝院が更に大きな声で月城に迫っていく。
「今はむこうで働いて……」
紀和は勤勉だ。
「だめだよ!!」
まさか、宝院が真剣な顔をしている。
「紀和は我との契りを交わしたのだ……」
正論はバカには通用しない。
「ひーちゃんのお休みとっちゃ駄目!!!」
運動選手にとっては休息も練習同様に重要です。
不要な労働でリカバリーの邪魔をしては選手としての紀和には悪影響なので、
「どぁーーーーーめうぇーーーーー!!!」
もはや何を言っているのか分からないが、しかしながら、それは紀和のことを一番に考えられた、身勝手で暴力的な愛に満ちた正論だった。月城は、譲る気は一切無いものの、宝院を否定することは無かった。
と、言うよりそこで選手としての紀和を考えての発言であることを理解している所がまず凄い。バカの気持ちがわかるのか、紀和への思いから推測したのか、優秀なマネジャーだったからか。ともかく、彼女の気持ちを一心に受け取り、強大な力に自らを滅ぼさぬよう、組んず解れつ、繊細に絡み合いながら、豪快に壁を突き破った。
よく見ると一人おどおどと不安そうにしているのは保坂だ。折角さっきまで頼りがいが会ったのに、月城の前ではアタフタしている。勝負弱さが切ないね。結局いつも通りな面々と共に計画は動き出す。