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昼休み

 いつも余り表情が変わらない紀和であったが、練習の時はどことなくいつもと違う雰囲気になる。集中しているからだろうか、真剣だからだろうか、微妙な顔つきの違いではあるが、昼休みにプールに向かうとそこには選手紀和ひさしがいた。水着の上にジャージをはおり、ストレッチをしている。

「約束じゃ、練習にはつきあったる。ありがたく思え、そして覚悟せい。二度と立ちあがれなくなるまでしごいてやろう」

 月城の眼が怪しく光る。

「それはありがたい。練習に張り合いが出る」

 返事はするが目線は変わらず、ゆっくりとした呼吸に合わせて筋肉を伸縮させ、心と体を研ぎ澄ましていく。無表情はいつものままでなのではあるが、闘志とか気合とか言う言葉が似つかわしいようなオーラを放っている。

「おっす、ひさちゃん」

 小柄ではあるがガッチリとした体つきの男が現れた。水泳部員のようだ。

「おう」

「そちらは?」

「今日からマネージャーをしてくれる月城さんだ」

「うっそ!? めっちゃ可愛いやん。どーも、先見ゆうたです」

 明るくて、陽気で、若干チャラい。

「おう」

 月城さん男らしいっす。

「てか、ひさちゃんが勧誘したん? ありえへんなあ」

 はっはっは〜、と、笑う。

「・・・・・・何か不味いことでもあったか」

 一通りストレッチを終えて、軽く体を動かし、陸上で泳ぎのストロークを確認している。しなやかで強靭な筋肉のダイナミクスは滑らかで柔らかく、全身くまなく解された柔軟な肉体は身の丈以上に大きなストロークの軌道を作り出す。

「いや、ひさちゃんじゃ誰も寄り付かんとおもってた」

 ふっふっふ〜、と、にやける。

「・・・・・・すまん」

 最後に肩、腰、膝、足首を軽く動かし、キャップとゴーグルを手に取った。

「ごめんごめん、現にひさちゃんのお陰でマネージャー入ってもろたんやからお手柄やで」

 ばしばしばし! と、叩く。普通の人なら痛がっているだろうくらいに激しく。

「ああ」

 準備ができたようで、ジャージ脱ぎ捨て水着になると、スタート台の上に飛び乗った。

「先にアップをしておく」

「はいよ」


 ゆったりとしたモーションから軽く飛び上がる。リラックスした柔らかな動きではあるが、しかし、その動きは繊細にコントロールされている。角度のある飛び込みは入水の瞬間に前方への勢いを増し、低抵抗の流線型は水中をすり抜ける。泳ぎを待ちかねたそれは浮き上がりの加速と共に激動する。数回素早く水を掻いたのちに、軽く体を遊ばせながら落ち着きを取り戻し、ゆっくりと泳ぎながらウォームアップをしていく。

 昼の練習メニューは時間も短く、決まった練習は用意されていない。各自が自主的に必要なトレーニング、あるいは、やりたいトレーニングを行っている。フォームの確認や中程度の強度で泳ぐ基礎トレーニング、短い距離のダッシュ、飛び込みやターンの練習などが中心になっている。

「そろそろ俺も泳ぐわー」

 先見も準備を終えたのか、水着になってプールに向かう。

「さっさと行け」

 初対面でも月城は容赦しない。

「怖いねー。そこが可愛いんだけど」

 ぼそぼそぼそと、何を言っているのか聴こえないくらいの小声でそう言うと、際の隣のコースに飛び込んだ。

 先見の泳ぎはパワフルで力強く、水を掻き分け、水を制し、水を乗り越えグイグイと突き進むような泳ぎ方をする。少し動きが固い気もするが、パワーがあり、体を高い位置にキープさせ、回転数の多い泳ぎはトップスピードで高いパフォーマンスを発揮するスプリンターである。地味にキックと体幹の筋肉の使い方が器用でバランス感覚が良く、スピードを上げるほどに泳ぎのフォームが研ぎ澄まされていく。しかし、リラックスさせるとあまり良くない意味で力が抜けてしまう。飛び込んで数メートルダッシュした後にペースを落とすと、泳ぎの下手さが素人目にでも分かってしまう。もっとも、彼のような選手の場合はそれくらいで丁度良いのかもしれない。

 

 徐々に人数が集まっていき、紀和がアップを終えるころには10人ほどになっていた。

「俺と一緒に練習するのは先見だけか」

 自由練習なので参加は自由です。

「ん!? あぁ、多分」

 先見はいつも適当だ。

「僕も参加していいですか?」

 隣のコースで泳いでいた、男前の好青年が加わるようです。これは、俳優かモデルになった方がいいんじゃないかってくらい劇的に格好良い。

「構わない。今日のメニューはアクティブレストに近いAT系(有酸素運動)、フォーム、ターン、飛び込みのテクニカルな練習が中心になる。きつい練習で追い込んでいる時期なのでくれぐれも疲れをためたり、故障したりしないように丁寧にメニューをこなして欲しい。放課後の練習にはスプリント系のメニューもあるのでテクニカルなチェックもしておくことが望ましい」

 皆さん元気そうではあるが、日々の練習でそれなりに疲労はしているようです。そうは見えないけど。

「しゃーー!!」

 先見はテンション高い。

「とりあえず、タイム計ってくれ」

「おう」

 月城の初仕事です。


 まってぇぇぇぇーー!!


 揺れている。

「あーたーしーもー」

 激しく上下に揺れている。

「やーーーるーーーーー!!!」

 プルンプルンと揺らしながら、スタート台で大きく踏み切り、紀和のいるコースにダイブする。むしろ、紀和にダイブする。

 何とも、立派な、ふくよかな、ぼんきゅぼんな女の子を加えて練習は始まった。


 決して派手と言うか、気合と根性で全力全開の練習ではないが、しかし、集中して泳ぎを研ぎ澄ましていく様子は鋭く張り詰めた雰囲気を作り出していく。人の何倍も練習をしている紀和は体と泳ぎのコンディションをチェックしながら、ストロークの軌道とボディポジションを中心に、丁寧に、確実に、自分の泳ぎを向上させていく。先見は細かいことはに苦手であるが、リラックスした泳ぎで体の調子を整え、浮き上がりやターン直後などに短いダッシュを織り交ぜ、トップスピードでのフォームやバランスを調整し、スピードに体がついていけるように仕上げていく。男前はタイムと脈拍をチェックしながら、黙々と一定のストローク数・トレーニング強度・タイムを揃えて泳ぎ続ける。ボインはなぜか全力全開、と、言うよりも出力調節ができないようである。ただ、いつまでたってもフルパワーでバタフライを泳ぎ続けられるのはビックリだ。

 月城は黙ってタイムだけを計っている。もっと罵倒して五月蝿くしていると思いきや、素直に仕事をしている。しかし、かといって、言われたことだけを黙々としているわけではなく、その瞳はそれぞれの泳ぎの一つ一つの動きを具に捕らえている。どこか悪巧みをしているような、機会を窺っているような、得物を捕らえるような、そんな目つきであった。

「ふん、そんなものか」

 メニューの半分ほどを終えたころに、ついに月城が切り込みはじめる。

「腹に力は入れろ、クソチビ!!」

 先見は短距離選手ではあるが、キックが弱い。抵抗の少ない綺麗なキックではあるが、短距離ではそれだけでは駄目なのである。体を高い位置にキープしつつしっかりと水中でキックを打てるように、体幹の筋肉、とりわけ腹筋、に力を入れて姿勢を作る必要がある、と考えたのであろう。

「うっす」

 指摘がそれなりに的を得ているため、どちらかと言うと、気持ちが上向いている。こう言う練習がしたかったと言わんばかりに、泳ぎは洗練され、力強く、鋭くなっていく。

「おいおい、いつキック打ってんだ。泳いでるのか溺れてるのかわかんねーぞ」

 と、言うのはいいすぎであるが、男前のバタフライはキックのタイミングがずれているためリカバリー(水をかいた腕を前に戻す動作)の姿勢が悪く、抵抗を受けている。そのためか、少々力任せになっているようにも見える。

「は、はい、すいません」

 男前はビビッている。ビビッているが、極めて冷静に泳ぎを修正して行く。やればできる子なので、虐めてあげるのがいいのだろう。

「オラオラ、もっと腕回さんかい!!」

 いやいや、そんなにグルグル回して何とかなるものではないのですが、なぜかボインには有効なようです。良く分かりませんが、ボインはちょっとアレなので規格外のようです。ともかく、それで泳ぎがよくなるんだからビックリです。

「ほ〜い、いっくよーーー!!」

 バカっぽい。馬鹿な男がもれなく引っかかりそうなくらい、バカっぽい。

「遅い!!」

 正直なところ紀和は指摘するところがない。完璧とは言わないまでも繊細にコントロールされたストロークは美しく、圧倒的な練習量に支えられた安定感はいくら疲労していても揺らがない。それでいて、自分の泳ぎを感覚的に理解し、客観的に分析し、微妙な調整を繰り返しながらさらにパフォーマンスを向上させていく。駄目だしができない分、遅いと言うしかない。これは月城的には『いいぞ、そのまま頑張れ』に近い発言である。まあ、伝わらないとは思うけれども。

「おぉ!!」

 伝わっているのかもしれない。まあ、どちらにしろ、紀和は、表情やパフォーマンスには影響は見られないが、嬉しかったのだと思う。その声には月城の言葉に応えてやろうと言った気持ちがこもっているように聞こえた。


 泳法や練習法については諸説あって、どれが正しいと言った議論に完全な決着はついていないものの、月城の指摘は大体は正しい。少しの間見ていただけにもかかわらず、それぞれの泳ぎの構造や筋肉の動きを分析し、的確に指摘している。あらかじめ紀和に多少の知識は教えられていたものの、ここまでできるのはそれなりに優秀である。練習を終えるころには、タイムを計ると同時に、フォームのチェック、ストローク数のカウント、平均タイムの計算、浮き上がりの位置の計測などをこなし、問題があればすぐさま罵倒するようになっていた。

「すっげーな」

 先見は、ほっほっほー、と驚いている。

「ふん」

 月城は『何をそれくらいで』とでも言わんばかりだ。

「きっきっ、紀和さんが見つけてきたんですか」

 男前が尋ねる。

「いや、俺が見つけられた」

「見つけられた?」

 勧誘するほうが普通は見つけるものでしょう。

「そうだ」

 そうなんです。

「凄いね凄いねー」

 ああ、ボインはバカだ。バカボインだ。月城の両手をつかんではしゃいでいる。いつもより大きく揺らしております。

「・・・・・・」

 月城が珍しく困っている。いや、まあ、誰でもとは言わないが、困ってしまう人は多いだろう。

「アタシまゆみだよ!! 宝院まゆみ。宜しくねー」

 ぼういんまゆみ。

「月城あかねだ」

「あかねちゃんかー。可愛いね、可愛いねー」

 宝院は必要以上に上機嫌だ。月城は困っている。

「あ、今日はタイム計ってもらったり、ありがとうございます。保坂みよしです。よろしくお願いします」

 ほさかろみおし。

「あー、男がそれくらいで頭下げるな。これは我の仕事じゃ、それをこなすのは当然のことだ」

 その程度のことで感謝されるような脳なしではないわ、と言わんばかり。

「格好良いこと言うね。言うね、言うねー」

 宝院は月城に抱きつき、すりすりし、モミモミし、だきだきし、ふわふわし、バオバブしている。月城は嫌悪感をかもしだすが気付いてはもらえない。どうやらバカは苦手のようだ。

「おうおう、混ざりてーな」

 ひっひっひー、と、冗談を言う。先見の表情はカラッといやらしい。

「良い体してますね」

 保坂は冗談・・・・・・を言っているような、いないような。

「そうだな」

 おい、紀和、お前!

「体つきはアスリートだ。鍛え方が足りないが、練習を積めば良い選手になる可能性は高い。女子選手の少ないこの部では選手になってもらうのも悪い選択ではないな。本人にその気があれば一度選手として練習に参加してもらって良いかもしれない」

 良かった、やっぱり、あんたは紀和だ。

「ああ、あかねちゃん欲しーい。一家に一人必要だよ。欲しいね、欲しいねー」

 練習後に濡れたままの体でくんずほぐれつしているので男の子は若干目のやり場に困っている。気にしていないのは紀和くらいだ。それと、どうでも良いことではあるが、保坂が凝視している。


 練習を終えると、紀和はサプリメントなどでBCAAやアルギニンなどのアミノ酸、ブドウ糖、鉄分などを必要量補給していた。

「さあ、行くぞ。次の仕事がある」

 月城は早々と紀和を連れ出そうとしている。

「午後の授業も抜けるのか」

 学生なんだし、少しくらい勉強しろよ。

「そうだ」

 即答です。

「あー、あかねちゃんなにやってるのー。ひーちゃんはアタシのなんだよ、ア・タ・シのーー。いくらあかねちゃんでもひーちゃんはあげないよ」

 ほっぺたを膨らまし、プンプンしている。

「バカをいうな、紀和は我のものだ」

 そうだそうだ、やーい、バーカバーカ。

「えー、そんなのずるいよ。大体ひーちゃんはひーちゃんのものだよ。アタシのでもあるけど。ずるいよ、ずるいよー」

 もう少し真面なことは言えないのですか。

「俺は誰のものでもない……と、言いたいところではあるが、マネージャーをしてもらう代わりに協力することになっている。これは俺と月城の契約だ」

 紀和はサンドイッチをガッツリ頬張りながらも、かろうじて言葉を発した。

「えー、そんなー。あ、でも、そう言うことなら仕方ないのかな。かな、かなー。

 仕方がない、とりあえず、ひーちゃん貸してあげる。貸してあげるだけだからね」

 可愛そうなひーちゃん。

「……ああ、貸してもらうよ」

 それで良いから、納得してくれ。月城はそう思ったに違いない。

「ライバル出現だな、まゆみ」

 ひっひっひー、と、笑う。いや、先見、その発言は危険だと思うよ。

「ううううぅぅーー。そうかな、そうかも、そうだよね。あかねちゃん、可愛いもんね。頭良いし、ひーちゃんとはお似合いだよね。でもねでもね、まゆみはね、まゆみはね、まゆみはね、ひーちゃんがまゆみので、まゆみがひーちゃんで、それでね、ぐすん」

 バカみたいに大泣きしながらひーちゃんに駆け寄ります。

「俺は宝院が何をそこまで問題にしているのか分かりかねるが、恐らく大丈夫だと思うぞ」

 と、言ったのだと思われる。紀和はスポーツドリンクをゴクゴク飲みながらそのような言葉を発したように思われる。どこからどうやって発音しているのか分かりかねるよ。

「ホントに、ホントにー」

 バカには聞き取れるようだ。

「恐らくな」

「恐らくじゃ駄目ー」

「……絶対大丈夫だ」

 根拠はないけどね。紀和が絶対とか言う頭の悪い発言をするのは珍しい。

「ああ、あんまり気になさらないで下さいね、その、いつものことですから」

 消極的に、デレっとしながら、ぼそぼそと保坂が言う。男前なんだから堂々としていれば良いのに。

「気にしておらん」

 面倒なのが次から次へと。月城はそう思ったに違いない。

「あの、はい、すいませんでした」

 ぺこぺこしている。地味にうざい。月城はそう思ったに違いない。

「あれまあ……」

 頑張れ先見、比較的まともなのはお前だけだ! あくまで比較的ではあるが。


 一通り騒ぎが治まると、それぞれの教室に帰っていく。

「ひーちゃん、まったねー」

 宝院が大声で飛び跳ねる。

「ああ」

 紀和はまだ口に何かを含んでいる。

「絶対だよー」

 遠くからあまり大きな声を出されると恥ずかしい。と、普通の人なら思ったであろう。

「そうだな。今の俺にとって練習はもっとも優先されるものだ。必ず参加しよう」

 紀和の声はモグモグしていても届くようだ。

「さっさと行くぞ」

 月城が紀和を急かす。

「つきひろっ……、月城さんって可愛いですよね」

 保坂はデレデレしている。120パーセントデレデレである。

「ああ、分かったから行くぞ保坂。まゆみもいつまで飛び跳ねてんだ」

 頑張れ先見。

「ひーちゃんが見えなくなるまで」

 お願い、せめてこれくらいは。いや、止めてください。 

「なんていうか、あの、ハッキリ物を言う感じがいいんだよね」

 お前はもっとハッキリしろ。

「俺が言うのもなんだが授業に遅れるなよ。昼の練習ができなくなる」

 紀和よ、お前はまだ何か食べる気なのか。授業に遅れるようなら部活は禁止になるらしいです。

「ああ、分かってる。こっちは何とかするから。そっちは大丈夫なんだな? 頼むぞ」

 それいけ先見。

「了解した」

 そう言って、紀和と月城は学校を後にした。

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