立場と戦略
山岡荘八先生の『伊達政宗』にこんなシーンがあります。伊達政宗の父である輝宗がこんな通知を領内に出します。「政宗を初陣させるにあたり、正月に軍議を開くので参集せよ。その際、動員可能兵力を着到状に書け」そして申告された合計兵力が例年より目立って多く、正宗への期待の高さを輝宗らが実感する……というものです。
いろいろとツッコミどころがあって、まあ創作の話でしょう。しかし在郷武士を動員するというのは、こう言うことであったはずです。軍役を強制するとしても、それは石高・貫高をベースに「これだけ出せ」というのがせいぜいで、編成表どおりの弓と鉄砲と槍の構成になるよう部隊を編成し、例えば槍隊だけ別に進退させられるかというと、そういうわけにいきません。寄親・寄子といった関係で有力武士に中小在郷武士をまとめさせ、一種の「軍団」を作るのが精一杯です。例えば鉄砲を大名が買って、鉄砲隊を足軽で組織することで、次のステップに進むことになります。
逆に、こうした武士たちは経営者でもあります。農繁期には出陣したくありませんし、軍役と生産のバランスは自分自身の財布の問題として意識されます。補給に大きな負担をかける大遠征は、それを号令する側の大きな政治力を必要としますし、大内義興のように負担に耐えかねて京都から撤退した遠方勢力もありました。神聖ローマ皇帝もしょっちゅうイタリア遠征をやっていて、結局維持しきれませんでしたよね。
近代的な軍隊になると、今度は実家の羽振りが士官の懐事情に影を落とし、司令部の贅沢な食事を割り勘させられて貧乏士官が困る話もありました。逆に、兵たちを食わせる責任は個々の士官から切り離されました。
「土地を占領することではなく、砲を奪うことによって勝利が決まる」というクラウゼヴィッツの主張は、「軍指揮官から見た世界」がそうであるということなのです。現代世界で、「財務しかわからない社長がメーカーをつぶした」「エンジニア社長がとんがった製品ばかり以下略」といった話はよく聞こえてきます。「軍事戦略」というのは常に、「その世界の軍人が持たされている責任と、持たされていない責任」を前提として組まれているものです。
そうしたバランスを回復するための枠組みとして、政府なり議会なりがあるわけですが、それが強力な独裁者のアンバランスな賭博的選択に対応しきれないこともあります。それがまあ第2次大戦であったのでしょう。
ドイツの弾薬在庫は1942年夏から一部の砲弾で払底し、1943年初めには小銃弾もそれに近くなりました。つまり「生産できた分をすぐに各戦線に分ける」自転車操業になったということです。泥の季節にしっかり我慢しないと夏に撃つ弾がなくなってしまうのですが、マンシュタインは1943年春にハリコフを取り返した勢いで攻勢を続けることを主張しました。陸軍大学校を出ていないロンメルが下級指揮官的な言動をするのは仕方ないのですが、参謀次長まで行ったマンシュタインでもこうなのです。実際問題として、赤裸々な弾薬事情をどの範囲の軍人にまで教えるかは民主国家でも難しい問題ですよね。