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「アイネ、大丈夫か?」
「……大丈夫」
苦しそうな顔で大丈夫と言われてもルフェが安心できるはずはない。たとえ苦しい状態でも半ば勝手についてきた立場であるアイネは弱音を吐いて迷惑をかけないようにしているが、そんなことはルフェから見ればまるわかりな状態である。
「大丈夫じゃないだろ。もう休むぞ」
「……ん、ごめん」
「っと」
ふっと力が抜けたように、アイネがルフェに体を預ける。ルフェもアイネが疲労していることには気づいたが、どれだけ疲労しているかはわかっていなかった。アイネの状態、いきなり倒れるように体を預けたことでどれだけ疲れているかがようやくわかった。
「全く、言えばいいのに」
「今度からは言うわ。気を使わせるのも悪いし」
そうして二人は早めに休憩……野宿する場所を用意することになったのである。村を出て数日、その間も同じように休んでいたがそれではアイネの体力は回復しきらない。今回は早めに休むためそれ以前よりはいくらかマシになるかもしれないが、かといってずっと野宿を続けるのもつらいだろう。
なので早めに街へ行きたいところだが、まだまだ遠い。ルフェだけならばあと五日くらいでたどり着けると思われるがアイネが一緒ならばその足取りは遅く、十日……よりは早いかもしれないが、少なくとも八日はかかると思われる。その間ずっとこの調子ではアイネが倒れるのが先だろう。
「アイネ、大丈夫か」
「ん、大丈夫……だけど、休んでるわ」
そう言ってアイネは早めに休息につく。
「……はあ、無理させてるなあ」
アイネは本来村を出る必要がない。しかし村を出る自分に彼女がついてきている、ついて来させることになってしまっている。そのことに対して少し負い目を感じている様子のルフェ。そもそもからしてルフェはアイネを二年も待たせている状態だったのである。それはルフェに原因があるわけではないが、だからといってその事実が変わるわけでもない。ルフェはアイネに、アイネはルフェにそれぞれ負担をかけ、甘え、そういった部分を心苦しく思っているのである。
夕食を取ったり、簡易の寝床を準備したり、そんなことをルフェがしている間にアイネは自然と疲れから眠りについていた。ルフェは横になったアイネを寝床に運び、きちんと休ませる。野宿だがやはりそういう休む場所があるのとないのでは話が違う。
アイネは寝床があるのに、ルフェの眠る場所は作られていない。野宿をするという状況である以上、獣の類や盗賊などの自分たちが眠っている間の危険に対し注意を払う必要がある。そのためルフェは夜の監視を行っている。こういったことは本来ルフェとアイネで入れ替わりにやるものなのかもしれないが、この旅においてはルフェがそれを全部引き受けている状態である。
「……よし」
もしこのときその場にルフェとアイネ以外の何者かがいれば、それを感知できたことだろう。ルフェから発される気、空気、雰囲気の変化。彼等から少し遠くにいてもその雰囲気は感じ取れるだろう。ルフェから発される、刺すような気迫を。
その空気の中にアイネもいるが、アイネはその刺々しい気迫を感じてはいない。ルフェが発しているその気はアイネには及ばないように調整されているものだ。これもまた彼が神の下で学んだ神戯一当と呼ばれる超次元の武術によるものである。もはや人間技とは思えないほどのものだが、神の御業に近いものなのでその内容も仕方がないものと思うしかない。
何のためにそんなことをしたのか。あくまでその気迫は雰囲気的なものであり、物理的に誰かを寄せ付けないとか近づいてきた誰かを感じ取れるとかそういうものではない。この刺々しい気迫は単に虫よけのためのものである。流石に野外でなかなか虫よけの道具を使えないし、使えてもずっと使い続けるのもつらい。そういうことで旅中で使われることはないが、それもルフェのその技さえあれば必要ない。ずいぶんな神技の無駄使いである。
「さて……寝るか」
その気迫を維持したまま、ルフェは座ったまま眠りにつく。器用なことだ。
闇の帳が訪れた時間、月が出ている夜。多くの生物が眠りにつく静寂の時間だが、そんな時間に動き出す生物もいる。その生物は魔物の支配する平野を歩いていた。魔物も生物である以上その本能、肉体の限界には従わざるを得ない。ゆえに昼に平野を駆ける魔物は夜には寝ている。ゆえにその平野は夜にはいくらかの生物の姿が見られるのである。
その時間、その中に存在する獲物を探し食物を得る。その生物はそんな生物である。そしてある種の斥候、調査の役割を持った立場であった。獲物を見つければその様子を見て、自分だけで狩れるのであれば狩り、そうでなければ仲間を呼んで共に襲い狩る。
そうして獲物を探していると、いつもは見られない生物が存在していることに気づく。風上の方からかぎ取ることのできるその匂いを追い、その発生源となっている生物の確認に行く。二つの影、一つは横たわり一つは座っている。その生物が座っていることを認識できたかはともかく、動かない二つの影を見てその二つの影が獲物と出来るものか、襲えるものか確認しなければならない。
少しずつ、少しずつ、音を立てずに近づく。獲物に気づかれないように。そうして注意を払っているはずなのに、あるところまでその生物が二つの影に近づくと空気が一変する。
「……………………」
影の一つ、その影が目を開ける。その影を狙う生物はそのことに気づいていないが、あたりの空気が一変したことだけはわかっている。周囲全方向に向いていた注意。何かいるのか、近づいてきていないか、そんな探るような空気がその一つの影から全方位広範囲に発信されていたのである。そしてその領域に入った生物に対し、全方向に向けられていたことで分散されていたそれが一斉に向けられる。
いきなりそんなことになれば居心地が悪い程度では済まない。本能が危険を示す警鐘を鳴らしている。近づいてはならない、襲うことなどできない、それは自分たちよりもはるかに強大で危険なのだと。
生物はそれを理解し、すぐにその危険そのものである影から逃げるように立ち去った。
「…………行ったか」
その影、それはルフェである。
ルフェが見張りを担当しているのだが、見張りをしているという割には眠っている。しかし最初に発した気迫の維持、それとは別にまた周囲に自分たちに近づいてくるものがないか探るような気も発しているのである。もしその範囲に侵入してきた生物がいればそれに反応しルフェは目覚める。もともと完全に寝入っているわけではなく、意識のどこかに常に起きている部分を作りそれが侵入者を感じたところで意識を覚醒させる。
そのため眠りながら夜の見張りができる。だからこそルフェが見張りの担当でアイネに替わる必要性必要性がない。アイネも最初はルフェばかりに迷惑をかけられない、ということで見張りを申し出たのだがルフェがやった方が確実である点と眠りながら見張りができるので問題ないということでアイネが見張りをすることがなくなったのである。実にチートな能力だ。
そのまま侵入してきた生物が去ったのを確認し、ルフェは樹のめぐらした状態をもとに戻す。その日はそれ以後ルフェ達に近づいてくる存在はいなかった。
そして翌日。
「アイネ、大丈夫か?」
「ええ……ちょっとまだ残ってるけど大丈夫よ」
流石に少し早めに休んだせいか、少しだけ疲れが残っている感じがあるようだがかなり体力が回復した様子である。それでもまだまだ旅は続く以上、無理は禁物だ。
「ダメそうだったらちゃんと言えよ」
「わかってるわよ」
二人は道を行く。ずっと歩き詰め、退屈なままではいけないとルフェが話を持ち掛ける。しかしアイネは特に話せるような話題を持っていない。村育ちの人間で村の外に出ることもない若者であるアイネは特に話題はない。そしてルフェもまたアイネと同様、一応神のところにいた時の話を話題に出すことは出来るのだが、話せることと言えば修行の話題くらいだろう。そしてその内容はまともな感性の人間に話せば虚構の作り話と認識されるか、ドン引きされるかといった内容だ。アイネはルフェのそれが事実であることを知っているので確実にドン引きされることだろう。
話せる話題もなく、二人は無言で歩いていた。そうして歩いていると、ルフェがある音を聞く。
「……戦いの音?」
「どうしたの?」
「いや、何か争っている……人同士の争いの音が聞こえる」
「…………私は聞こえないけど、どこから?」
ルフェには聞こえてもアイネには聞こえない。ルフェの身体能力の異常さゆえのものである。
「あっち」
「……どうするの?」
「助けに行く……アイネ、ちょっと揺れるぞ」
「きゃあっ!? ちょ、ちょっといきなり何するのよ!?」
横抱き……いわゆるお姫様抱っこといわれるものでルフェがアイネを抱き上げる。そして、アイネの言葉に応えることはなく一気に加速した。
「きゃあああああああああああああああああああああああ」
声だけを残し、アイネとルフェの姿が彼方へと消えていく。どれだけ速いのか。
「見えた!」
「見えたけど! お、落とさないでよねっ!?」
高速で移動している途中で落とされれば死なないまでも大怪我は免れない。
「落とさないけど……途中で下ろすぞ?」
「ええ、ちゃんと無事に下ろしてよねっ!?」
彼らの行く先には馬車とそれを襲う盗賊の姿。そこに参戦するにはアイネがいれば足手まといとなるだろう。いてもルフェであれば戦えそうだが、ルフェが戦えるかどうかよりはアイネが危険に巻き込まれないかどうかの方が問題となるだろう。もちろんルフェはアイネを戦いの危険に巻き込むつもりはない。
「っと、この辺りで待っていてくれ」
「ええ…………危なそうなら、危ないことになる前に戻ってきて。逃げる……のはルフェ任せになるだろうけど」
「大丈夫、任せとけ」
アイネをその場にのこしルフェは盗賊たちが場所を襲っている現場に正義の味方として参戦しに行くのであった。




