6-11 夢を見る死神
僕が唇を離れてからひと呼吸するかしないか「うぅ……」と唸ってジェシカが目を覚ました。
ジェシカは起き上がり、唇を抑えてなにやら考え事をしているようだった。
もしかして、起きてた?
「私生きてたんですね……あっ!!リュネット!!」
ジェシカはリュネットに駆け寄ると、静かに抱きしめた。
リュネットには、弱いがまだしっかりとした息がある。気を失っているだけだろう。魔力欠乏症の可能性もあるが、しばらくすれば治るはずだ。
「悠輝、これ……」
しかし問題はそこではない。
リュネットの白い肌には、所々に拳ほどの黒い結晶がついていて、鈍く光っていた。見る限りでは、僕やジェシカが武器を生成する時に現れるそれに似ていた。
その時、城全体に轟音が響いた。
確証はないが、城が倒壊する。そう感じた。
「確かに、倒壊しそうですね」
おおよその意見は一致しているようだ。
しかしこのまま脱出しなければ、城の倒壊に巻き込まれて、絆創膏2枚では済まされないだろう。
どうしたものかと考える最中、ジェシカが自分の手に息を吐きかけた。
現れたのは2体の《師匠》だった。
「師匠で飛びます。背中の辺りに乗せてください」
ジェシカは師匠を鷲掴みにすると、背中に乗せた。
すると、ジェシカの体を全て覆える程の巨大なコウモリの翼が現れる。
ジェシカは大きく羽ばたいて上空に飛び上がると、翼だけをはためかせて空中で静止し、こちらを見下ろしている。
「私はリュネットを抱えるほどの元気がないので、リュネット抱っこして、飛び上がってきてください!」
リュネットの傍らには、師匠が転がっている。
飛び上がって、なんて言われても、普通の人は飛んだことないので、なかなか難しいと思うのだが……
まあやるしかないので、僕は師匠を拾い上げた。
しかし師匠に触れた瞬間、師匠は眩いばかりの光を放った。
反射的に目を覆ってしまった。
光が収まり、目を開けた時、目の前にいたのは10メートルはある巨大なドラゴン。
黒い鱗は全て逆立っており、それが全て逆鱗であることを彷彿とさせる。
その巨体全身を覆える程の4枚の黒い翼は、羽ばたくことで空を飛ぶのではなく、その存在自体が飛行に活用されているようだった。
天を貫く角に、全てを切り裂けそうな鋭い爪。
硬い鱗で覆われているが爬虫類に似た、その頭部は、なぜか笑っているように見えた。
睨むだけであらゆるものを殺せそうな漆黒の瞳は、見たことのある、師匠の瞳だった。
「しっ、師匠だよ…ね?」
驚いているのはジェシカだ。
かくいう僕も、リュネットを抱きかかえたまま、黒いドラゴンを見つめていた。目が点になっている、という表現が正しいだろう。
『いかにも。《師匠》である』
師匠と名乗る黒いドラゴンは、鼠色の空に響き渡る声を放った。おそらく、声帯器官を介せずにその言葉を発しているようだった。
『シュバリエの家系に仕えるようになってから、この姿になったのは何年ぶりだろうか……』
師匠は宙に飛び上がり、自分の体を眺め、その感覚を確かめているようだった。
「お前、師匠なんだよな?」
『いかにもそうだが』
「とりあえず、助けてくれないか?」
ジェシカは大分大きくなった師匠の顔の辺りまで飛んで行って、頭の上に座った。
「師匠、お願い。ね?」
『ふむ。主の命令とあらば、逆らう理由などない』
師匠は僕たちに向けてその大きな手を差し出してきた。
僕はリュネットを抱いてその手に乗ると、ゆっくりと上昇していった。
ジェシカは滑空するように掌まで来ると、リュネットに寄り添うように座った。
「……悠輝、本当にありがとうございます……」
上昇する師匠の掌の上で、崩れゆく悪魔の城を眺めていた。
城の周りには、城から逃げ出して来たであろうエクソシストが僕たちを見上げている。
「とりあえず、帰りましょうか」
僕が見た中で一番の笑顔だったように思う。
◇◇◇
やってきたのは、悪魔祓い協会本部のヘリポート。
師匠は、僕たちが降りた後、黒い爆煙と共にもとの野球ボール程のサイズに戻ってしまった。
僕とジェシカは、モンファさんやヨキさんを筆頭に待っていたエクソシストたちによって出迎えられ、四方八方から賞賛の嵐だった。しかし病状すらよくわからないリュネットは医療班によって運ばれ、精密検査を受けることになった。
大きな外傷のない僕とジェシカは、簡単な問診を受けた後、今日はもう休むようにと釘を刺されてしまった。この後文化祭の準備があるだなんて、言えるわけがない。
文化祭の準備で帰れないと妹に連絡し、協会本部で用意された慣れないベッドで、僕は横になった。
よほど疲れていたのか、魔力の使いすぎで肉体的にも限界が来ていたのか、僕はすぐに眠ってしまったようだった。
その日、僕は夢を見た。
暗い部屋で、蝋燭だけが辺りの闇を照らしている。
石灰のようなもので描かれた円の周りを、何人もの司祭が立ち並び、蝉時雨のように何かの呪文を唱えている。
円の中央では、鎖で拘束された女性がつんざくような悲鳴をあげている。
一瞬蝋燭の炎が揺らめいて、蝉時雨が止んだ。
次第に女性の悲鳴も小さくなっていき、やがて肩で呼吸をするような荒い息づかいにかわる。
そのうちに司祭の何人かが駆け寄り、鎖を解いていく。
ここで目が覚めた。
携帯を確認すると、時間は午前2時を指していた。
ジェシカはまだ寝ているだろう。
僕はベッドに腰掛けると、今日起きたことをなんとなく整理していた。
リュネットを飲み込んだ木のような悪魔。
あれは城全体とリンクしていたのだろうか。そうでなければ、悪魔の消滅と同時に城が倒壊する理由が見つからない。
それから、城から脱出したエクソシストたちがほとんど無傷だったことを考えると、城の中には悪魔があまりいなかったのではないだろうか。ジェシカの苦戦ぶりから考えるに、少なくとも大罪級の悪魔はいなかったように思う。侵攻作戦が行われるのを察知して、逃げたのだろうか。
しかしそれでは、ルシファーがリュネットを攫ってまでしたかった実験というのが、そこまで重要ではなかった。ということになる。そうでなければここにリュネットを放置していく訳がないし、リュネットを飲み込んだ悪魔が城とリンクしていたのにも説明がつかない。
考えているうちに、少し眠たくなってしまった。
それにしても、明後日の文化祭には参加できるだろうか。
できないと中村さんに怒られてしまう。
事後処理やなんかがあることを考えると、2日では解放されないかもしれない。
ともすれば、逃げるが勝ちだ。
リュネットの事もある。ジェシカにはまたしばらく会えなくなりそうだ。
でもまた会える。
誰かに邪魔されても、必ず会いに行く。
そして、僕の事を全て話せたらいいと思う。業を背負い、あるエクソシストの少女と会った死神の話を。
さっき見た夢は、雰囲気から察するに、僕とジェシカが行った悪魔祓いの儀式の原型だろう。
死神でも、エクソシストの夢を見るのだな、と思ってしまった。
でもきっとその考えが、死神とエクソシストを分ける根本的な原因になってしまったのではないかと思う。死神も、エクソシストも、与えられた仕事が違うだけで本質的には同じだというのに。
僕は今日、エクソシストという存在を今まで以上に身近に感じたために、あの夢を見たのだとすれば、エクソシストも死神の存在を身近に感じたことで死神の夢を見るのかもしれない。
僕は『文化祭に行ってきます』というメモを残して、扉渡りを使った。
「ククク。これだから人間は面白いのじゃ」
かぐやが口元を隠すように笑っている。
軽くかぐやの頭を撫でてやると、嬉しそうにして、手のほうにすり寄ってくる。
しばらくは会えなくなるだろうが、いろいろが済んだら、また会えるはずだ。
今度会ったら、聞いてみようと思う。
悪魔祓いは死神の夢を見るか、と。




