5-9 伝言
360度真っ暗な空間を、僕はただ歩いていた。
かぐや姫と契約を交わした空間と似たイメージがあったが、霧に囲まれて何も見えないのに比べて、どこまでも見通すことができた。ただ、その先に何も無いだけで。
真っ暗な空間では、僕が一歩を踏み出すたびに足元に石の床が現れ、その一歩を離すと石の床は崩れて落ちていった。自分の足元以外足場は無いはずなのに、体がふらつくようなことはなく、不思議と安定していた。
どれくらい歩いただろうか、気づけば目の前に巨大な扉が現れていた。
来たときと同じ、洋風の扉で、触れようとするとひとりでに開いた。
「ようこそ。佐滋悠輝君」
声をかけてきたのは扉の向こう側にいた初老の男性で、こちらに優しく微笑みかけていた。
僕は、その笑みに吸い込まれるように、扉とその向こう側の境界を越えた。
向こう側は、洋風の書斎のような造りになっていて、壁一面が本棚になっていた。
奥にある立派な書斎机に男性は着いていて、手前にある革張りのソファには、僕より少し年上くらいの金髪の柄の悪そうな青年が座って紅茶を飲んでいた。
「ええと、ここは?」
戸惑う僕を見て、初老の男性は声を上げた。
「何も説明しないで連れてきたのかい?神楽鈴の命……あぁ、今はかぐや姫という名だったね」
チリンと鈴の音がして、僕の後ろからかぐや姫が出てきた。
さっきまで浮いていたはずなのに、今度はしっかりと地面に立っている。
「仕方なかったのじゃ。こやつが渋りよるから……」
かぐや姫はむくれたまま歩いていき、ソファに飛び乗った。
「まあ、詳細な説明もされていないようでは、当然のことかね」
詳細な説明というのは、死神についてのことだろうか。
「おや、察しがいいね。その通りだ。まあ、座りたまえよ」
そう言って初老の男性は、僕に席を勧めた。
僕がかぐや姫の隣に座ると、初老の男性は金髪の青年の隣に座った。
「君は死神と聞いて、何を想像した?」
男性は、ティーポットから3人分の紅茶をカップに注ぐと、話を切り出した。
男性の問いに、僕は答える。
「人を殺す、怪物です」
骸骨の顔に、黒いローブを羽織り、巨大な鎌で人の命を奪う心無き存在。自分もそうなるのだと思っていた。
「なるほど、一般的な答えだ」
僕はなぜだか謝ってしまった。
「君が謝る事ではない。確かに、死神は人の命を奪う存在だ。しかし、君が思っているそれとは少し意味合いが違う」
男性は、静かに話を続けた。
「人は死ぬ。しかしその瞬間、体から魂そのものは出てこないんだよ。きっと、自分の体が名残惜しいのだろう。けれど所詮は死した体に残っているだけの魂だ、いずれその体を離れ、現世をさまようことになってしまう。自分が何者かも、なぜそこにいるのかもわからない状態で現世をさまようのは、辛く悲しい事だ。だから、死神がいる」
僕の思っている死神とは、根本から異なっているということどろうか。
「死した体から魂を切り離し、あの世へと送る。それが死神の仕事だ。だから死神は人の生き死にを直接どうにかできる訳ではない。ただ、死神にはその瞬間がわかる素養がある」
人の死期がわかってしまう、あの忌まわしい力のことだろう。
「忌まわしい、か。かぐや姫君も言っていたかもしれないが、あの瞬間の場合、君が関わろうとそうでなかろうと、あの少女は死んでしまっていた」
違う。そうじゃない。
「それでも自分が殺したと言うのならそれは驕りだ。自分はあの子を殺した。だから生きていてはいけない。でも、死にたくない」
違う!
僕は、僕は……
「それに、あの瞬間だって死神がいたんだよ」
言葉が出なかった。
そうだ。今聞いたことが全て真実なら千尋の魂を切り離した死神がいるはずなのだ。
心拍数が上がり、どこか別の世界にとばされそうになっている僕を引き戻したのは、誰かがカップをソーサーに置いたカチャンという音だった。
「あの子の担当は、俺だ」
金髪の青年が言った。
「伝言がある」
金髪の青年はポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出すと、広げて読み始めた。
「お兄さんへ
ちひろ死んじゃったみたいなの。もう会えないから、このお兄さんに伝言を託すね。
ちひろは、お兄さんのこと大好きでした。お友達の好きとかじゃないんだよ?あいらぶゆーだよ。あいらぶゆー。
だからあの時は、ゆうらちゃんにちょっとやきもち妬いちゃったの。ごめんなさい。
ちひろは死んじゃったけど、あんまり悲しまないでほしいな。お兄さんやゆうらちゃんの悲しい顔見たくないもんね。
それから、お兄さんやゆうらちゃんは、ちひろの分まで生きてください。おじいちゃんやおばあちゃんになって、死んじゃったら、ちひろのところに来て、思い出話をたくさん聞かせてください。
またね!
天国のちひろより』
「本当はもっと早く伝えたかったんだが……すまない」
視界がぼやけて、青年の姿がよくわからない。
頬と手が濡れているから、それが自分の涙だと気づいた。
初めて、生きていていいんだよと言われたような気がした。
これまでもそういったことを言われてこなかった訳ではないが、千尋の言葉は、乾いた大地を潤す雨のように、僕の心に染み渡っていった。




