5-8 あなただけでも
振り下ろされた巨大な鎌は、僕の腕に当たるとグニャリと曲がってしまい、おそらくはもう使えない状態になってしまった。
「妾とお主は一心同体。その妾がお主を傷つけるなぞ、できるはずがないじゃろう。しかしお主……くくく。滑稽じゃな」
かぐや姫の言っている事には、すぐに気がついた。
巨大な鎌は、僕の《腕》に当たったのだ。つまり僕はかぐや姫からの攻撃を、防御していたのだ。
かぐや姫は、目を細め、険しい目つきになると、僕の胸ぐらを掴んで言った。
「良いか。本当に死ぬつもりもないクセに死にたいなどとほざくでないぞ!あの娘が死にたくて死んだと思うのか?違うじゃろう!現世にはな、生きていたくても生きていられない奴らだってごまんとおることを忘れるな!」
もしかしたら何か、言い返したかったのかもしれない。ただその瞬間は、声が喉につっかえたようになってしまって、返事すらできなかった。
「……とまあ、それらしい事を言ってみたが、どうじゃ。少しは心を入れ替えたかの」
僕は答えられない。
「ふむ。人というのは、何か決心をするときに見た目から変える者がおるそうじゃな。……お主だけでは可哀想だから、妾も何か見た目を変えてやろう」
そう言って、かぐや姫は袂から黒い小刀を取り出すと、その長い黒髪をバッサリ切ってしまった。
はらはらと床に落ちた黒髪は、黒い炎に包まれて消えて無くなった。
「あとは、こうして……こうじゃ」
着物をはだけさせ肩を出すかぐや姫。白く健康的な肌が現れ、色気のない首もとをこちらに見せつけてくる。
「どうじゃ。色っぽいじゃろ?そうじゃろ?今にも襲いかかってしまいそうじゃろ?」
そうでもないな。
僕はかぐや姫を無視して立ち上がると、窓ガラス越しに夜の空を仰ぐ。幾つもの星が瞬いている。
「むむう。もっとなんか無いのか?さもないと、帯も取ってしまうぞ?妾は脱いだらすんごいのじゃぞ?すんごいのじゃぞ?」
そうか。すんごいのか。
帯に手をかけてああでもないこうでもないとやっているかぐや姫を無視して、僕はエレベーターに乗った。
「な?!無視じゃと?!妾は脱いだらすんごいのじゃぞ?!すんごいのじゃ……」
エレベーターのドアは無慈悲にも閉まってしまった。
自分の病室のある階のボタンを押すと、車いすも乗ることができるように広く作られたエレベーターが、ゆっくりと降下を始める。
かぐや姫があまりにおどけて見せるから、なんだかバカらしくなってしまった。
生きたくても生きられない奴ら、か。
「……そんな事、知ってるよ」
僕は、エレベーターの壁を強く殴りつけた。
◇◇◇
程なくして、僕は退院した。
何も変わらないと思っていた僕を取り巻く世界は、壊れてしまった砂の城を無理矢理元に戻したように、大きく変わってしまっていた。
まず、千尋ちゃんの両親は引っ越してしまっていた。
千尋ちゃんの両親は、僕の入院中にも1度だけ顔を見に来てくれたことがある。
「千尋に貰ったものをしっかりと抱きしめて、新しい場所でこの子と生きていきます」と言って、千尋ちゃんのお母さんは自分のお腹をさすった。
僕はとある理由からそれを直視できなかったが、内心ホッとしていた。「なぜお前が生きているんだ」と存在を否定されるような気がしていたからだ。むしろ、それが必然だというのに。
ただ、千尋ちゃんの両親はそれをしなかった。「あなただけでも生きていてくれて良かった」と、静かに手を握ってくれた。
僕が、千尋ちゃんを殺したのに。
それから変わった事と言えば、僕の家族に関わるところが多いだろう。
妹は、やけに落ち着いている。
落ち着いている、というのは少し違うかもしれないが、きっと事情を知らない他人からすればそう見えるに違いない。何かに興味を示すことは全くなく、いつも、どこか遠くを眺めている。
まるで、心のない人形のようだった。
両親の仕事が忙しくなり始めたのもこの頃だった。
家庭環境の面から考えると最悪の時期なのだが、まあ仕方ないだろう。
しかし、1番変わったのは僕自身だと思う。
人はいつか死ぬ。誰だって分かっているはずなのに、改めて実感してしまうとそれが怖くて仕方がなかった。
それに、僕はそれに当てはまらない。
僕の周りの人間は、いつか、必ず、僕を残して、いなくなってしまう。
それなら、悲しくない方がいい。
関わらなければ、そう思う事も無くなるのだから。
◇◇◇
人と人との繋がりは、お互いが、お互いに対して興味、関心を持つことで成り立っているのだと思うときがある。
僕の場合、僕からの興味、関心は皆無だ。
そうすると、僕の周りの人間関係は必然的に崩れて無くなっていく。
だから僕には、友達がいない。
学校の帰り道、オレンジ色の太陽が、僕の影を長くする。
通学鞄につけられた熊のキーホルダーが、ジッパーの金具に当たってカチャカチャと音をたてる。しかしそれ以上に、鈴の音が頭の中に響きまくっている。
学校を出てからずっと、かぐや姫が僕に話しかけてくる。
僕の隣をふわふわと浮いた状態でついてきていて、正直邪魔だった。
「そろそろ妾の事も見てくれていいのじゃぞ?」
……
「放置か?そういうプレイなのか?」
……
「妾だって怒る時は怒るのじゃぞ?」
……
「……す、少しでいいから……妾の話を……ぐすん」
泣くなよ、うるさいな。
「お、やっと妾の話を聞く気になったのじゃな?!」
なんだ、嘘なきか。
「違う!違うのじゃ!わーらーわーのー話をー聞くのじゃーぁーー!」
叫ぶかぐや姫。
僕以外に聞こえていないとはいえ、さすがに耳が痛いな。キンキンする。
わかったから、話聞くから。
「うむ。それでよいのじゃ。そうと決まれば、まずはあそこに入れ」
かぐや姫の指差す方向を見ると、さっきまでは無かったはずの洋風の両開き扉が出現していた。
待て、僕は話を聞くと言っただけで、あんないかにも怪しげな場所に行くなんて言ってないぞ。
「まぁまぁ。いいからいいから」
そう言って僕を押していくかぐや姫。
抵抗しようとしたが、なぜか、体が思うように動かない。
扉に近づくと、扉はひとりでに開き、その向こう側が見て取れる。
向こう側は、真っ暗な空間。例えて言うなら、《深淵》
僕は、扉の向こうに消えた。




