四十路のクリスマス 後編
前回の続きで冬の夜空です。
「そんじゃ、久我。頼むわ!」
「おうよ! それでは、皆さまお手元のグラスをお持ちくださぁい」
「あ、これお前の分」
「お、おぅ。さんきゅ」
「それじゃ、ま。独り身による聖なる夜と、クリスマスベイビーに!!」
「かんぱーい!!」
「おうゴラァ、クリスマスベイビーって言うな!!」
「だってそうだろぉ?」
「ちっ、……かんぱーい!!」
がちゃんと騒々しい音を立てるは三つのグラスジョッキ。あまりに強くぶつけすぎたのか中に入っているビールが波立った。しゅわしゅわと耳触りの良い音を聞きながら、ごくごくと飲み干していく。皆が一同に一気飲みをしたらしい。グラスジョッキが離れて一息を吐くタイミングは三人同時だった。
「そんで? 社会人生活はどうよ?」
「……まぁ」
「いいよなぁ。決まった収入があるってよぉ」
「久我はそればっかりだな。おれなんて延々と機械修理で腰がいてぇ」
「年だよな」
「年だな」
「ばっか、お前らも近いうちにくるからな! 絶対に!!」
「オレ腰痛とか頭痛とかなったことないしー」
「あー、でも俺はデスクワークで眼が痛くなるし足が痺れやすいな」
「ほらな、ほらなぁ? 大体おれらぐらいのおっさんは普通なるんだよ」
「あー、ビールがゴゾーロップに沁み渡るぅーっ!!」
「お前は一回でもいいから話を聞けって、久我ぁ!!」
「わっはっはー」
いい年こいたおっさんら三人が子どものように騒ぐ様は、傍から見ていても滑稽だっただろう。だが、俺もこいつらも、中身はあの頃のままであるということが嬉しかった。
久我が持ち寄ったカセットデッキでクリスマスソングを鳴らし、安藤がまるまると豚のように肥えた腹に水性マジックで顔を書いて腹踊りを披露する。うねうねと動く腹を酒の勢いで久我と肩を組んで笑い飛ばし、今度は久我が勝手に持ってきたギターで即興の音楽で安藤の腹ネタをいじり、俺が下手くそな鼻唄で合いの手を入れる。
「かーっ、お前まだその鼻唄下手くそかよ! 進歩しねぇなぁ!」
「あぁ?! てめぇの無様な腹踊りよかぁマシだろ! なぁ、久我?!」
「えー。安藤が三十点な」
「なんでおれだけなんだよ!!」
「顔がむかつく」
「はぁあ?!」
「ぶわっはっは! ざまぁねぇなぁ!! えぇ?!」
「お前もだいぶジジくさいから五点な」
「だーっはっはっは! 一桁点数とかだっせぇ!!」
幸いにもクリスマス・イブの社宅に「やかましい」と怒鳴り込む住人は少なかったらしい。後半は互いにビールの掛け合いをしたり、中学時代に好きだった子の話で茶化したり、盛大にフられた過去を持つ安藤に励ましがてらコンビニの安物プリンを「おら、太れ太れ。気分とついでに血糖値もあげとけ」と口の中へ捩じ込む。安藤も「だれがこんなもんで腹が膨れるかよ」と嘆きながらきっちりと二カップほどを空にした。
「よっしゃあ、お前らコレやんぞぉお!」
「まくら……? って、ぶふぅ!!」
「おらおら、安藤も余所見してっとそのどでけぇ的に集中放火させんぞぉ!」
「のぞむところだぁ、ばかやろぉお!!」
それから持参した枕でまくら投げ合戦が始まり、後半にいたっては全員が眉を吊り上げて真剣に遊んでいた。年甲斐もなくはしゃぐおっさんたちは加減なんてものをしない。半分酔ってもいたから枕が当たればその衝撃で誰かが慌ててトイレに駆け込み、二人が当たればトイレおこもり権利争奪戦へと変貌する。
「な、なぁ、もう、終わりにしねぇ?」
「……おぅ」
やがて一通りはしゃいで胃の中を吐き終えた俺たちは、終戦を迎えることとなった。互いに肩で息継ぎをし、物が散乱した部屋の中に大の字で転がるおっさんたち。いくつになっても変わらない自分たちに、笑いが込み上げてきた。
あぁ、楽しい。楽しいなぁ。そう思った自分にはた、と気が付き、声には出さずに驚く。長い会社勤めで笑わなくなった俺にも、まだ笑うことが出来て、ちゃんと楽しいと感じる心はまだあったのか、と今更ながらに思ってしまった。
「あ。そうそう」
顔面に枕の痣を作った久我が思いついたように立ち上がり、足でガラクタを蹴りながらキッチンへと向かっていく。そうして戻ってきた奴の手には、おっさんには不似合いな可愛らしいホールケーキが握られていた。
真っ白な生クリームに包まれ、可愛らしいホイップクリームがふんだんにあしらわれたホールケーキは野郎三人で食うには些か小さいように思われたが、眼を惹いたのはケーキに添えられたプレートの文字だった。
「四十路の誕生日、おめっとさん」
板チョコの白いプレートにチョコレートペンで書かれた『たっくん、おめでとう』と小柄な文字。プレートの隣でちんまりとしたサンタがトナカイと仲良く並んだ砂糖菓子。それと、一本が十年であろう蝋燭が四つほど。安藤が「ばっか、ムードねぇだろ。これじゃあよ」と急いで部屋の電気を消して、カセットテープを裏面に変える。
途端に、室内で大音量のバースデーソングが鳴り響いた。
「実は卒業した後で誕生日会やろうぜって言ってたんだけどさ」
「お前もおれも久我も忙しくてなぁ」
「もう随分と時間が経っちゃったけど、まぁ四十路ってキリいいかなぁってな」
「だからさ」
久我がぺきっと何かが割れる音を出して俺に近付く。頭の片隅で『あ、さっきの音、CDケースが割れたな』だなんて現実的なことを考えつつも、他の部分では真っ白になっていた。たらっと鼻から水が垂れて、鼻の奥がつんとしてから視界が涙で一気に滲んだ。途端に汚いおっさんの悲鳴が上がるが、抗議するために出した声は震えていて、みっともなかった。
「うっわ。おっさんが泣いてる姿とか誰得よ?」
「きったねぇなぁ。だからまだ嫁さんとか見つからねぇんだっての」
「う、るせぇっ、それとっ、これとは、……別だろ!!」
こいつらと離れてどのくらい年月が経ったと思ってるんだよ。こうやって遊びに来てくれるだけで嬉しいのに。それを、こいつらは、誕生日なんてロクでもねぇことを、ずっと気に留めておいてくれたんだ。ほかの誰のためでもない。俺のためだけに。
ずずずっと服の袖で鼻水を啜り、ぐいっと涙を拭う。それでも溢れて止まない涙に久我と安藤が笑ってくれた。
「改めて、誕生日おめでとう。佐藤」
外ではしんしんと雪が降り積もり、今朝に溶けた灰色の雪を真白に塗りかえていく。
今年はきっとホワイトクリスマスになるだろう。
俺は久々に、生きていて良かったなと心から思った。
いかがだったでしょうか。あなたのお気に入りの空になれば、幸いです。