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恋慕する月の獣 前編

今回は秋の空でのお話です。

 少女は笑った。秋の夜空を駆ける白い狼の背に乗って。


 ぬばたまの黒く長い髪を風にたなびかせ、光のもとに照らされる。白装束を身にまとい、少女には長すぎる裾をひらめかせ、白い狼とともに空を舞っていた。

 少女の華奢な手には破邪の剣が握られている。二千年もの昔に日本における大妖を封印せしめたといういわくつきの剣を玩具のように振り回し、少女は空を駆ける異形のものどもに猛威をふるった。

 紫黒しこくの瞳には、大きな目玉に四肢がついたものや、顔は猿で狸の身体を持ち、手足は虎で蛇と化した尾を振り回すぬえの群れしか映さない。頭上で燦然さんぜんと輝く星など、彼女にとってはただの照明でしかなかった。

「楽しいねぇ、楽しいねぇ。ツクヨミやい」

「イヨ、そんなに暴れると落ちてしまう」

「落ちても拾ってくれるでしょう?」

「まずは落ちない工夫を」

「あははっ、善処しまーす!!」

 元気よく答える少女の声音は甲高く、幼いものである。齢にして十四の娘は、それはそれは元気はつらつとばかりに白い狼へ返事するとともに大剣でばさりと妖を断つ。白い狼はやれやれと嘆息を吐いて、次なる獲物へ向き直った。

 舞うように剣を奮うイヨの元へ、死角を突いた妖怪が襲いかかる。ぬえだ。鵺は猿のような牙を立ててイヨの喉元を狙い定めていた。


「ぃ……よいっしょぉおお!!」


 下方からの噛みつき。それに対し、少女はくるりと身を翻させ、すぱんと小気味の好い音で鵺の躰を一刀両断の元に斬り捨てた。鵺の残骸ざんがいはばらばらと地上に落下し、しゅうしゅうと煙のように消えていく。無残にも跡形もなく消えた鵺の代わりと別の鵺がイヨへ飛び掛かる。


「まーだまだいくよぉお!!」


 今度は二体同時に飛び掛かる算段のようだ。一体は鉤爪で、一体は上方からの噛みつきで。ぶわりと風が襲い掛かって来たかと思うと、がきん、とあっという間に鋭い鉤爪が目の前にまで迫り、少女は大剣で凌ぐ。がら空きとなった背中に、月を背負った鵺がぬうっと姿を現した。

 さて、その時のぬえの鳴き声は何と形容しようか。赤子の泣くような声でもある。ちぃちぃと小鳥が囁くような声でもある。しかし、それから一転して虎のような咆哮ほうこうが辺り一帯に響いたかと思うと、少女よりも高みに昇った鵺が、少女を目掛けて急降下を仕掛けた。

 当の少女はというと、目の前の鵺に応戦することで手一杯である。白い狼も前足と牙で鵺に応戦することに忙しい。あわや、少女のうなじに鵺が噛みつく一歩手前にまで差し迫った。

 もはや鼻先がつくかどうか。鵺のがぱりと開いた口は猿の犬歯が丸見えだったが、犬歯が少女のうなじにかみつくことは無かった。

 がちん、という痛々しい音。鵺は何か金属を噛んでしまったかと大いにたじろぐ。


「……残念でしたぁ。見えなかったでしょお?」


 さらさらと流れるような黒髪の隙間から見えたものは、青銅鏡だった。きゃらきゃらと笑う少女は背後で間抜けな顔をする鵺に微笑み、うっすらと仏様の図様が施された銅鏡を片手でひっくり返す。銅鏡の縁が淡い光をまといだし、ごうごうと燃え盛る真っ赤な焔が銅鏡から滲み出す。

 ぎゅううんと見えない力が銅鏡の中枢へと集まっていく様子を見ていた少女は悠然と笑み、鵺は嫌な予感に顔をしかめる。やがて、少女は意味ありげな笑みへと形を変えて、瞳の色を変えた。


八咫鏡やたかがみッ!!」


 すると、鵺の背後を差す月光が、大きな筋の光となって鵺を貫いた。ばこん、という音がして、鵺の胴体にぽっかりと大きな穴が開く。強大な光の束に射抜かれた鵺はそのまま力なく地上へと落下していった。

 それを見た他の鵺は、もう少女の背後を狙うというような真似はしないだろう。僅かに恐怖した一体の鵺が空中でも後退する。恐怖心はやがて空気を伝って伝染し、一体、二体と後ずさりをする鵺が増えた頃。


「さーって、どんどん行くよーっ!!」


 見るものを吸い込ませるような巨大な星を背負い、少女はまた笑った。








 太陽神とは真逆の存在である、夜を統べる神のツクヨミ。

 かつては邪馬台国と言われた国を若くして治めたイヨ。



 彼女らは、

 世に蔓延(はびこ)る妖怪を狩る為に、天から派遣されてきた死者である。





◇◇◇







 びゅうびゅうと風が吹き荒び、ばたばたとイヨが着ている装束の裾がはためく。やや肌寒い空の上に残っていたものは、イヨとツクヨミだけだった。鵺の群れは姿形も残らず消えてしまい、辺りは先ほどまでの乱闘騒ぎなど嘘のように静まり返っている。

 耳が痛いほどの静寂に耐え切れず、幼いイヨは傍らで佇む白い狼に声を掛けた。

「うー、さむっ。……今日も冷えるねぇ、ツクヨミ」

「イヨが薄着だからだろう」

「だって、これしか服がないんだもん」

「……寒いならさっさと帰ろう」

「えぇー。折角ここまで来たんだから、もうちょっと遊ぼうよぉ、ツクヨミぃ」

「だめだ。姉上に怒られる」

「あぁ、アマちゃんね」

「アマちゃんじゃない。アマテラスだ」

「でもアマちゃんでも、別に怒られないけど?」

「……イヨは甘やかされているから」

「違うよぉ、甘やかされてなんかないもん!」

 ぷうっと頬を膨らまして抗議の声を上げても、ツクヨミは知らん顔だ。いつものように何を考えているか分からない顔で空を見上げていた。そのいつも通りの対応に、イヨはつまらなくなって軽口を叩く。

「……あーぁ。お腹すいちゃった。保食神うけもちのとこに行こっかなぁ」

 こう言えば、ツクヨミは決まって嫌そうな顔をする。イヨにはそれが面白くてならなかった。普段が渋い顔のツクヨミにも、ちゃんと人間のような感情が備わっているのだ。

 ツクヨミのその感情豊かな顔に、イヨはいつもほっとしたり、胸がすっとするのを知っていた。こうやって妖怪ばかりの相手をして、人間に飢えているのだということもイヨは自覚もしていた。

保食神うけもち、か……」

 しばらくツクヨミはイヨを嫌そうな顔で見つめていたが、いつものおふざけだと分かったようで、呆れたように溜息を吐く。この月の神、一見すると白い狼だが、こんな反応をされるとまるで人間みたいだとイヨは小さく笑う。

 イヨに笑われたと知ったツクヨミは、さらに拗ねた口調で口を尖らせる。

「……どうしてもゲロを食事として出されたいなら、どうぞご勝手に」

「ゲロってね……仮にも神様なんだから他に言い方あるでしょう?」

「口からご飯だすなんて、そんなものゲロと同じだ」

「だって、それが保食神うけもちのもてなし方なんじゃない」

「あんなばっちぃの、食いたくもないさ。普通は」

「でも、お姉ちゃんの命令で会いに行ったんじゃないの?」

「……あいつのせいでその姉上に会えなくなった」

「そりゃ、まぁ、……殺しちゃったらお姉ちゃんもビックリするよ」

「姉上……あぁ、姉上! 恋しゅうございます!!」

「ほんとツクヨミって何百年たってもシスコンね」

「姉上ぇえ……!!」

 さめざめと泣き崩れ出したツクヨミに、今度はイヨが呆れ返る。

「そんなこと言ったって、アマテラスは戻ってこないよ」

「何故ぇ、なぜなんだぁ……!!」

 ツクヨミとは、元は太陽神であるアマテラスと双子であり、アマテラスのやることなすことに後を追ってべったりだった。何処へ行くにも、何をするにも一緒。そのシスコンたるやいなや、天界である高天原たかまがはら中に知れ渡っている程だ。ツクヨミと書いてシスコンとも言うらしい。それがある日、見かねたアマテラスがツクヨミに保食神うけもちに挨拶をしてきなさいと言い渡したら、ツクヨミ曰く「吐瀉物としゃぶつを食わせた」ということで持っていた剣で切り殺してしまったらしい。

 怒ったアマテラスは、「悪い子なんか知りません」と、それまで住まいを共にしていたが、それを境に他所へ移って出て行ってしまった。

 それからツクヨミの悲壮ぶりは凄まじかった。当時まだ幼いイヨが母親代わりのヒミコとともに高天原へ遊びに行った際に見たあの地上の暗さに、それはそれは驚いたものだった。

 おーいおいと泣き続けるツクヨミを、星空が慰めるように煌々(こうこう)と照らしつける。アマテラスがツクヨミと居を別にしたのには他にも理由がある。イヨはそれを知っていたが、それを話せばまたこじれることが分かっていたので、あえて黙っていた。


「……つーまんない」


 一向に自分を構ってくれないツクヨミに飽き、ぽつりと呟く。だが、それさえもツクヨミのピンと立った耳には届かなかったらしい。むしろ、よりいっそう泣き声が大きくなったような気がする。イヨはまた溜息をついて、あることを思い付いた。

「ねぇねぇ、ツクヨミ」

「あぁあ姉上、どうして黙って出て行かれたのですかどうして何であのゲロ野郎のせいなのかそうなのかおのれどうしてくれようぞ五百年前なら呪ったり祟ったりしてやれたのになぁあぁあ姉上どうしてこのような非力な狼になぞにどうして何で」

保食神うけもちには、一人で会いに行ってくるね」

「……えっ」

 どうやって。と、聞こうとしたツクヨミが、傾く視界の中で間抜けに見える。ゆらりとツクヨミの背から身体を傾かせて、一瞬の間が空く。数瞬の後にイヨの身体は凄まじい勢いで落下をし始めた。

「ちょ、イヨ、あのっ、えっ?!」

 頭上でツクヨミの虚を突かれた声がして、イヨは笑う。悪戯いたずらが半分、本気が半分。どうやっても姉のアマテラスにしか目が向かないツクヨミは、こんなことをしても私をみてくれはしないのだろうか。そんな思いつきで始めた悪戯だったが、存外に効果があったらしい。

 びゅおっと耳元で風が暴れまわり、黒い髪が尾を引くように流れていった。


「ちょぉっと、行ってきまぁああす!!」

「いや、だからっ、イヨぉおお?!」


 あーあ。ツクヨミが好きな人が、私だったら良いのにな。

呟くともしれない声は、風に掻き消された。


いかがだったでしょうか。次回もお楽しみください。

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