星の降る海
喫茶店を出ると、雪が積もっていた。景色は真っ白に染まる。人間が何年もかけて必死で作った景観は、たった数時間の天気の気分で全てを無に還される。新雪が積もるこの瞬間だけは子供のときからずっと好きだった。
この世界の価値観全てを否定してもらえた気持ちになれるから。
私はこの世界が嫌いだった。強くないと生き残れない、弱いものは淘汰され犠牲にならざるを得ないルールが苦手だった。君の優しさは、弱さから生まれたものだって知ってたから。
弱い君にいつも私は救われていたから。
「ごめんね。泣いちゃって」
「泣いてもいいよって言ったのは俺だよ。だから、そんなこと謝らなくていい」
「ありがとう……」
「うん、どういたしまして」
足元を確かめながら、ゆっくりと歩いていく。二人分の足跡が残っていく。数時間後には消える足跡でも、今はそれだけでよかった。
「須藤さんはまた怒るかもしれないけど、俺はやっぱり死なないでいてくれたら嬉しいよ」
「……怒らないよ」
「彼氏の死が須藤さんの死ぬ理由になるのなら、俺との出会いが須藤さんの生きる理由にはならないかな?」
「……分からないよ、そんなの」
「そっか」
「でも、そうなってほしいとは思ったよ」
「うん、今はその答えだけでいい。もう俺も誰にも死んでほしくないから。死なないでいてくれてありがとうね」
「生きてるだけだよ。なにもしてない」
「今、一緒に歩いてるじゃん。さっきは一緒にお茶もした。この前は冬空の下で遊泳もした。たくさんもらってるよ。須藤さんは、自分で気づいてないだけで、人に優しく出来てるよ」
優しく……出来てるのかな。君に影響されて真似をし続けてたから、もしかして移ったのかな。
君は私の優しさの中でずっと一緒にいてくれるのかな。
「……教えてもらったんだよ。人に優しくする方法を。彼氏からたくさん教えてもらったんだ」
「じゃあ、それ今度から俺にも教えてよ」
「……いいよ」
萩野谷はもう、十分優しいけどね。
いつの間にか雪は止んでいた。
「ねぇ、海を見に行こうよ」
海に着く頃には、重たい雲もどこかへ行ってしまった。日は沈んで辺り一面はたくさんの星に照らされている。
澄んだ空気のお陰で遠くの星がよく見える。雪の積もった砂浜を歩いていく。砂漠に雪が降ったらこんな感じなのだろうか。
「あ、オリオン座」
「星座分かるんだね。私全然分かんないよ」
「簡単だよ。まず、あの強く輝いてる3つの星があるじゃん? それでそれらを囲むように4つの星があって、それを繋げたのがオリオン座」
「ふーん……」
「俺さ、思うんだ。人の出会いって星座みたいだなって。全然違う場所と時間で生まれた星たちは、本来は一人ぼっちなのに、他の星と繋がることで、意味が生まれる。人の関係もそうであってほしい。繋がることで、意味が生まれてほしい」
「……そう言われてみれば、似てるかもしれないね。友達になったり、先輩後輩になったり、恋人になったり、家族になったりするもんね」
「……だから、俺たちが出会ったことにも意味があると思うんだよ」
「そうだね、そうだったらいいね」
この関係に名前はまだない。これから決まっていく。関係が続けば、それはきっと素敵な意味を持つのだろう。
「……ちょっと寒いね」
海から吹き付ける風は直接私たちに吹き付ける。私は思わず身を屈めてる。手袋もつけていない手が悴む。私はそっと、息を吐きかけ温める。
「俺も寒いから」
そう言うと萩野谷は自分の首元に巻いていたロングマフラーの片側を私の首に回してくれた。一本のマフラーで繋がる形になった。いくら高校生相手だとしても、なんだか照れくさい。でも、温かかった。
「あったかい……」
「あっ!」
「な、なに?」
何かを思い出したように突然横で声をあげるものだから、びっくりしてしまった。
萩野谷は、ニコっと微笑んで
「今、俺ら星座みたいに繋がってるね」
と言った。
「そうだね」
私の顔はたぶん、赤くなっていたと思う。
海の向こうには君はいない。どこを探しても君はいない。
生きていくことに意味はないけど、死ぬことにだって意味はないよ。
ドラマチックな死に方なんて、この世界にはないよ。
生きていけば、こうして私はまた生きることを望まれる。死ぬことを望まれるときもあるけど、それはまた追々。
今は、ただ生きていこうと思ってるよ。
君が生きたかった世界を、愛せるようになるその日まで。