雪の降る海
冬の海岸。
夏のような華やかさはなく、ただ誰もいない静かな砂浜がそこには広がっていた。波の音が大きく響いて、その度に私の心も洗い流されていくようだった。
君がいなくなって、もう三ヶ月経つね。
二人でよく歩いた砂浜。歩く度に二人分の足跡がついて、それがどこまでも続いていたのに、今はもう一つだって残っていなかった。
毎日毎日、君といた場所をさまよい続けてる。君がいつものように、なんともなかったように、あどけない表情で、私の前に現れてくれるんじゃないだろうかなんて、そんな馬鹿なことを考えている。
大学はもうずっと休んでる。大学へ行っても君はいないから。
雪が降ってきた。サラサラの粉雪だ。海にも雪が降るんだね。当たり前のことなのに、想像したことすらなかったよ。
海の上に降り注ぐ雪は、一体どこへ行くのだろう。
雪が降ったことすら、誰にも知られずに消えてしまうのだろうか。それはあまりにも悲しすぎると思う。
三ヶ月前に君はこの世界からいなくなってしまった。
涙は枯れるなんてよく聞くけど、本当に悲しいときは枯れることはないんだ。涙の成分は血液と同じ。私が生きている限り、涙は溢れ続ける。君が死んでいる限り、涙が止まることはないんだよ。
ポロポロポロポロ。
大粒の涙がまた頬を伝っていく。もうあの日の太陽もどこかへ行ってしまった。景色は色褪せて私を置いていく。毎日同じことを繰り返して、私だけまだ進めてないよ。あの日からずっと、私はもうみんなと同じ早さで生きれてはいないよ。
ご飯を食べることも億劫になってやめてしまった。お腹が減らないのだから仕方がない。もうこの体も私が生きることを諦めてくれたのだろうか。生命維持の警告もなにもかも分からなくなったよ。
足取りが重い。砂がまとわりつく。後ろを振り返ると、一人分の足跡しかなかった。それが悔しくて仕方なかった。
もういいよね。私、君がいない世界で頑張って生きたよ。もういいよね。つまらないよ。何もかも。君がいないなら、つまらないよ。
冬の海を見ると、君が浅瀬に立っていた。
幻だったのだろうか。幻でもよかった。なんでもよかった。君がもう一度私の前に現れてくれたのならなんでも。
たぶん、私の脳が見せた錯覚だったのだと思う。でも、この世界は私の脳が見たものが正解だ。頭がおかしくなったと笑われてもいい。壊れてしまったと棄てられてもいい。
私の方を見て、いつもの優しい笑顔で微笑むと、水平線の方へ向かってゆっくりと歩き出した。
私は最後の力を振り絞り走った。海水が服に染み込んで纏わりつく。波が来る度に私の体は少しだけ岸に引き戻される。それはまるで、私が進んでいくことを拒むようだった。
何日も食べていない私は、君に追いついた瞬間死ぬだろう。そんな気がした。でも、君のそばで死ぬことが出来るなら本望だった。君以外もう何もいらなかったから。
段々と君との距離が縮まっていく。もう手が届きそうだった。私は今、泣いているのだろうか。それとも笑っているのだろうか。君の前では、泣いたことなんてなかったのにね。
「バカ野郎! 死ぬ気かよ!」
知らない人の声が私の頭に鋭利に響いた。この声は幻なんかじゃなかった。怒鳴り声の主は私の腕を強く掴んだ。もう力も入らない私には、到底振り払うことなど出来やしなかった。強引に岸の方へ引っ張られていく。
「……待って。……待ってよ。もう少しで……」
そう言って私は君がいた方を見た。君はもうどこにもいなかった。寂しくなって周りを見渡しても、やっぱり君はどこにもいなかった。
……やっぱり幻だったのだ。分かってたのにね。期待してしまった。
無性に死にたくなった。後を追いたいというわけではない。自分の弱さを許せなくなったのだ。
「……はなっ……し……てぇ!」
最後の力を振り絞った。それでも掴まれた腕は解けない。私は見ず知らずの男性の腕を噛んだ。肉を噛みちぎる勢いだった。男は反射的に私の腕を離した。塩の味がしてしょっぱかった。
ザブン……、と水がくぼむ音が耳を覆った後、何も聞こえなくなる。日の光が弱い海の中は、仄暗く、寂しい海底がただどこまでも広がっているだけだった。
空気の音が聞こえる。いくつもの気泡が、私の体から漏れていく。また腕を掴まれて、私は空へ引きあげられた。
海水を少し飲んでしまった。体が少し溺れる。海の上で仰向けに寝転んだ私は、雪が降っていたことを思い出した。
……まだあったかい。
三ヶ月前の……君が生きていた季節の温度。
そういえば海の温度は三ヶ月のズレがあるって何かで読んだことを思い出した。それでもいつかは海の温度も変わっていく。世界は君のことを忘れていく。私もきっと、君のことを忘れてしまう。それが分かっているから、忘れないように必死になっている。でも、三ヶ月前の私と今の私じゃ君との思い出の量は変わってしまっている。
三ヶ月後になればもっと、忘れてしまっているのだろう。