3)花見と住人たち
注意!!
この話には擬人化要素があります。
擬人化が苦手な方はUターンしましょう。
カーテンを開け、狭い部屋の中に朝の日差しを取り込む。
階下を見下ろせば、決して広くはない庭が、一面の桜の花に覆われていた。
「……ふふ、今年もようやくこの日が来たのですね」
私は逸る気持ちを抑えながら部屋を飛び出した。
「お、主催者様のお出ましだ!!」
「おでましー!!」
1階のロビーに着くと、バスケットを抱えた環奈と、すでにサンドイッチをつまんでいる真紀が私を出迎えてくれた。
「真紀ったら、まだお花見は始まってないでしょう」
「えーだってみんなもう出てるよー?」
真紀の言葉に扉の外を見やると、桜並木の下はすでに大勢の人で溢れかえっている。
「……皆さん、そんなに待ちきれなかったのですか……」
本来なら開会宣言をするまでは建物から出ない決まりにしていたはずなのだが、皆楽しそうにしているので何も言うまい。
「ほら、私達も早く行こう。一澄が先に行って場所取ってくれてるから」
「え、一澄が場所取り……?」
意外な人選に、思わず声を上げる。一澄は今でこそ真紀や環奈に引っ張られる形で遊びに行くようになったが、そもそも彼女はこういうイベント事や人混みが得意ではない。そんな一澄が一人で場所取りをするなんて……。
「大丈夫でしょうか……急ぎましょう」
二人に道案内を頼み、秋亀荘を飛び出した。
人混みの間を縫って走る。道を逸れたところ、木々の隙間に、レジャーシートとその上で膝を抱えてうずくまる人影が見えた。
「いた」
駆け寄ってみると、やはりと言うか一澄だった。真紀が肩を叩くが早いか、一澄は物凄い勢いで起き上がり――真紀に抱きついた。
ポン!!
破裂音とともに閃光が瞬く。思わず目と耳を塞いだ。
誰かの叫び声が聞こえる。そろそろと耳から手を外し、目を開くと、
「もう!! 寂しかったんだからね!!」
真紀の肩を抱いて揺さぶりながら、一澄が訴えていた。
「私を一人で置いてくなんて!! 私がこういうとこ苦手なの知ってるでしょう!?」
横結びにした黒髪はパーマでも当てたかのように縮れていた。フワッフワになったツインテールが、一澄が飛び跳ねるのに合わせて揺れる。
「でも皆が戻ってきてくれて良かった!! もうどっか行かないでね!? 絶対だよ!?」
「うん分かった! 分かったから落ち着こ!」
真紀は一澄と同じテンションで――真紀の場合はいつも通りなのだが――返しながら、一澄の手を肩から引き剥がした。
真紀から離れた途端、一澄の動きが止まった。ツインテールが揺れて、流れるように、もとのストレートヘアに戻っていく。それから、空気が抜けたようにその場に座り込んで、そのまま後ろに倒れた。
「はあー……まだ何も始まってないのに疲れた……」
「いやいや、場所取り頑張ってくれたじゃん、お疲れ」
目を閉じて深呼吸を繰り返す一澄の頭を、環奈が撫でる。
「ゆっくり休もう。ほら、寝たままでも花見は出来るでしょ?」
一澄はゆっくり目を開けて、感嘆のため息をついた。
「……本当。綺麗ですね」
私も空を見上げる。咲き誇る桜の向こうに、抜けるような青空が見えた。
手短に挨拶を済ませ、マイクに向かって声を張る。
「それでは皆様、今日一日ごゆるりとお楽しみください」
それが開会宣言だった。広場に集まっていた人々が一斉に散っていく。その中に、早速周りに声をかけていく真紀の姿を認めて、思わずため息がこぼれる。
私の仕事は開会宣言に終わらない。この後、支援をしてくれた方々に挨拶して回りながら、迷惑行為が無いか見張らなければならないのだ。……この勢いだとあの子を締め上げるのも時間の問題かもしれない。
「頼むから、苦情が来るようなことだけはしないでくださいね……?」
小さく祈るように呟いて、歩き出す。
そこは大きな桜の木が円を描くように植わっている場所で、最も美しい桜が見られる場所だとも言われている。その真ん中に鎮座する巨大な天蓋は、そこが彼女達の特等席であることを示していた。
と、垂らされたカーテンが内側から捲られ、中から給仕係の玲奈が顔を出した。彼女は私を見つけて声を上げる。
「あら、百合乃さんではないですか。今年もお疲れ様です。……皆様、百合乃様がいらっしゃいましたよ!」
「あら、百合乃さんが?」
「毎年ご苦労さまですわね」
カーテンの向こうで言葉が交わされた後、彼女達の中で最も高貴な者の声がした。
「……お入りになって」
「感謝いたします。それでは、失礼いたします」
靴を脱いで、カーテンの中に入る。
そこは小さなティーパーティー会場。料理が並べられた大きな円型のテーブルを、彼女達が取り囲んで座っていた。皆淡い色のドレスで着飾っている。
「いつにもましてお美しいですね。桜にも劣りません」
「あら、桜の花を咲かせた張本人でしょう? 嘘でも桜のほうが美しいと胸を張って言うべきでなくて?」
「えっ!? えと、申し訳ございません」
「気にすることは無くてよ。相手が私達とはいえ、称賛は悪ではないわ。さあ、立っていては疲れるでしょう、こちらにお座りになって」
「今年もありがとうございます。こちら、つまらないものですが……」
一日に使える力には限度がある。それを越えようとするなら、それ相応の「価値」を自分の身に注げば良い。彼女たちは私達に分け与えてなお余りある「価値」の持ち主なのだ。
また、性格も好みもバラバラな私達が、こうしてほぼ全員集まることができるのは、ひとえに彼女たちの持つ『カリスマ』のおかげだった。
「それでは、私は他にも回らなくてはならないので、これにて失礼いたします」
「大変ですわね。無理はしないことよ」
「お気遣い感謝します」
最後にもう一度深々と頭を下げ、カーテンをくぐる。
……と、前方の木の裏にいる人影と目があった。相手は慌てて幹の後ろに隠れてしまうが、だいたい予想がつく。
「……陸帆さん?」
「ひゃい!?」
図星だ。
「あ……あわ……百合乃さん……まずかったです……?」
「いえ、そういうわけでは……ただ呼びかけただけですよ。あなたが有結様や良子様を追いかけているのはいつものことでしょう?」
「あ……そういうことか、良かった……」
そこでようやく安心したようで、照れ笑いを浮かべてこちらに出てきた。
「出てくるのを待ってたんですか?」
「いえ、御本人が出てくる事はまず無いので、カーテンの隙間から何とかお姿を拝もうかなと。ほら、給仕の方が出入りするので」
……と話している間にもカーテンが開き、中から玲奈が出てくる。彼女がカーテンを閉じる瞬間までその目に収めると、陸帆はポツリと呟いた。
「……百合乃さんが羨ましいです」
「え?」
「だって、挨拶のために中入れるじゃないですか」
「そうですね。……けれど、会話ができるわけではないですよ。他の方とは話したりはできますが」
「あ……そっか、そうですよね……あっでも! お姿を間近で見られるじゃないですか! やっぱり羨ましい!」
「あんまりはしゃぐと玲奈さんに怒られちゃいますよ。……ところで、佳子さんがどこにいるか分かりませんか?」
「佳子さん……? どこかで見かけたけど……どこだっけ……」
陸帆は首をひねった。
その時、遠くの方から騒ぐ声が聞こえた。
「あれ? あっちの方角って……私達が場所取った辺りじゃ……?」
陸帆が呟いて、ごくりと唾を呑み下した。
「……嫌な予感がする……」
私は飛び出した。陸帆もあとに続く。
果たして予感は的中した。
「私も混ぜてー!」
「ちょ、ちょっと! 来ないで!」
逃げ惑っているのは、建物の中央辺りに住んでいる人たちか。その中で彼女達を追いかけ回していたのは真紀だった。
頭を抱えていると、逃げていたうちの一人、凜音が私の姿を認めた。
「あ、百合乃さんじゃないですか! お願いだからこの子を……」
「捕まえた! 凜音やっほー!」
真紀が凜音に抱きついた。
真っ青になる凜音の顔、それとは対照的に、凜音の銀色の髪が毛先から赤く染まっていく。
「ちょっと、離れてよ……! 折角整えた髪がバサバサになっちゃうじゃん!」
「えー、その髪の色カッコいいのにー」
「それは! そうだけど! それとこれとは別なの!」
凜音は無理やり真紀を引き剥がす。真紀は不服そうだが大人しく凜音から離れた、が。
「……瑠海! 寧々! 待って!」
「こっち来るな!」
「ちょっと、何で指名すんのさ!」
次の標的を見つけて走り出した。
私は頭が痛くなるのを感じた。私がこの役を買って出ているのにはいくつか理由があるが、その一つが、「誰ともつるまないゆえの社交性」である。必要以上に近づかない、誰も贔屓しない、故に相手も気を許してくれる。逆に言えば、やたらと踏み込んでくる真紀のような存在は避けられやすい。しかもたちの悪いことに、真紀自身はそのことに微塵も気がついていないのだ。
「はあ……ちょっと真紀、」
腹をくくって真紀の名を読んだ、その時。
人混みの中から腕が伸びて、真紀の手首を掴んだ。
「うわ! 今遊んでるんだから離して……!?」
その手から透明な結晶が爪のように伸びて、あっという間に真紀の腕を覆った。
「はい、捕まえた。みんなを困らせちゃだめだぞ」
真紀の後ろから顔を出し、いたずらっぽく笑った彼女は。
「佳子さん! ちょうど探してたんですよ!」
「あれ、百合乃さんもいたのね。だめじゃん、手綱を離しちゃ」
手を振りながら駆け寄ると、こちらにも笑顔を向けながら空いている方の手を振り返した。
「今年もありがとうございます」
「いいのいいの、そんな堅苦しくならなくても」
頭を下げると、佳子はひらひらと手を振った。
「いえ、毎年この庭全体を花見会場に出来るのは佳子さんの権限あってこそですから」
「いやあ、私はこの土地が誰かの役に立ったり誰かを喜ばせることができるなら本望ってだけだよ。まあそれはそれとしてお土産はありがたく頂戴するね。お、美味しそう」
佳子は木の根本に腰を下ろし、私が持ってきたお土産を開封し始めた。私も隣に座り、ぐるりと見渡す。皆、おのおの好きな過ごし方をしている。仲の良い者とお喋りに興じる者、食事に夢中になるもの、一人で桜の花を眺める者……。
「このあとはどうするの? まだ挨拶先が残ってる?」
「そうですね。まだ救護テントにも伺ってないですし……」
「それは大変だね、お疲れ様。……ほい、百合乃さんもどうぞ」
佳子は箱から取り出したお菓子を一つ、私に差し出した。
「あっ、私は……いえ、いただきます」
「百合乃いいなー、佳子さーん、私にもちょうだい」
「悪い子にはあげませーん」
「えー」
真紀は未だ佳子に拘束されたままだったが、私達がお菓子を食べるのを見てむくれている。
「真紀には環奈が作ってくれたサンドイッチがあるじゃないですか。お腹が空いたなら環奈たちのところに戻りましょう」
「そうだけどー、お菓子も食べたいよー」
「お菓子もあるって環奈から聞きましたよ?」
「え!?」
その瞬間、真紀の顔色が変わった。
「お、良かったね真紀ちゃん。……もう出発するのかな?」
「はい、彼女を送り届けてから挨拶回りの続きに行きます」
「そっかそっか、じゃあ真紀ちゃんは百合乃さんに返すね」
と、真紀の腕を覆っていた結晶が大きく真っ二つに割れた。佳子は真紀の肩を掴んで私に突き出す。
「もう目を離したら駄目だからね」
「気をつけます」
私は真紀の手首を握りしめて頷いた。
無事に真紀を環奈に押し付けて、救護テントに向かう。環奈には真紀から目を離さないよう伝えてあるし、当の真紀は到着するなり「お腹空いた!」と叫んでサンドイッチに喰らいついていたので、多分しばらくは動かない……と信じたい。
声をかけていいものか思案しつつテントに近づく――と、
「お、百合乃ちゃんじゃん」
「ひゃあ!?」
あらぬタイミングで声をかけられて飛び上がる。
「……って芳香さんじゃないですか。どうしてここに」
「妖子ちゃんともども休憩中」
芳香は悪びれるふうもなくテントの横に張ったマットを手で指し示した。対してマットの上に座る妖子は少しバツが悪そうな顔をしている。
「……あ、もしかして今年も差し入れ持ってきてくれたの? ちょっと待ってね……諸君! 百合乃ちゃんが差し入れ持ってきてくれたぞ!」
芳香の呼びかけに応じてか、テントから芙由が顔を出した。私を見るなり顔が輝く。
「あら、本当に百合乃ちゃんじゃない! 今は急患いないから大丈夫ですよ、入って入って!」
「え、あの……お邪魔します!」
芙由に勧められるまま、私は救護テントに入ることになった。
「毎年救護班を引き受けてくださって感謝しています。他の人が楽しんでいる中、こうして働かなければならない役割を……」
「いいのよ、私達はやりたくてこの仕事をやってるわけですし。それに、皆が楽しめるように裏方に回っているのは貴女も同じ、そうでしょう?」
お土産を受け取りながら、芙由は整った笑顔を浮かべた。
「ま、そこまで花見に興味が無いから引き受けたってのもあるかも……人数多めにしてくれたおかげで、休憩がてら外で花が見れるほどの余裕はあるしね」
その横で包帯を片付けながら、汐がぶっきらぼうに続ける。
と、簡易ベッドに横たわる二つの人影に目が止まる。……否、一人はベッドに突っ伏して眠りこけているのだが。
「莉子!? どうかしたんですか?」
「……あはは、久々の外出で……桜がきれいで、はしゃいでたら……バテた……」
「それは……心奈さんは付き添いですか?」
「そう……先に寝ちゃったけど……ほら、救護班の顔ぶれからして、私の身に何があるか分からないじゃない」
「確かに……」
と、私はここであることに思い至った。莉子が来ている、ということは……
「待って、もしかして……皆、来てるんですか?」
「あーうん、来てる」
私は頭を抱えた。……彼女達に問題があるわけではない。ただ、あの真紀が彼女達に接近したときに起こることが恐ろしいのだ。先程の騒ぎのときに真紀が彼女達の方に向かわなかったのは奇跡だ。
そんなことを考えているのを見透かしてか、莉子が笑った。
「ああ、大丈夫よ、他の人があまり来ない隅の方に場所をとったから……万一真紀が近づいてきたとしても、詩奈が気付いてくれる」
そう言って莉子は髪の毛を引っ張ってみせる。
「ああ、詩奈もいるのですね……後でお礼を言っておかなければいけませんね」
「怪我人です! 手当お願いします!」
叫び声とともにテントの中の空気が一変する。怪我人を引率してきたと思しき朋乃香の背後に、瓜二つの顔が見える――一つは血に塗れているが。話を聞くに、どうやら走り回っていて幹に頭をぶつけたらしい。
私も邪魔にならないうちに移動することにしよう。
「では私はこれで失礼します! 莉子はゆっくり休んでくださいね!」
急いで言い残し、双子と入れ替わるようにテントを出た。
「今日中に回らなきゃいけないところは回れましたかね」
紙袋の無くなった手元を見ながら一息つく。まだ仕事は残っているが、ようやくゆっくり桜を見るだけの余裕ができた。小さく口ずさみながら歩く。
と。
「あー百合乃ーーー!」
嫌な予感を覚えつつ声のしたほうを見ると、木々の向こうから何かを抱えた真紀が駆けてくるのが見えた。
――否、あれは。
私は真紀に向かって突進した。見間違いではない。近づくほどに分かる。私達よりも幼い体躯に――電子的な光を湛えた瞳。
すれ違いざまに真紀の腕を引っ掴んで、秋亀荘に向かう。
「ちょ、百合乃……?」
「真紀! あれだけ1階の住人を連れ出したら駄目だって……ッ!」
1階の住人。現実世界での存在があまりにも希薄な彼女たちは、外の世界に出ることは愚か、一部の例外を除いては建物の外に出ることすら叶わない。出たら――消えてしまうから。
今彼女が形を留めているのは奇跡だ。彼女が消滅する前に、早く、建物の中へ――
「あの」
「何!? 急がないとあんたも追放され――」
「あの!」
服の裾を掴まれる。そこでようやく、声の主が真紀ではないことに気付く。
「あの、私は大丈夫、です。心配してくれたのはありがたいんですが、その……幼稚園の先生、なんです、私」
「幼稚園の、先生……ああ、そういう」
私は全身に力が入らなくなって、その場に座り込んだ。幸いというか何というか――一部の例外を引いたらしい。
「全く、この子が先生だったから良かったものの、他の子だったら今頃花見どころじゃありませんでしたよ」
秋亀荘に向かいながら文句を垂れる。彼女――燈奈と言うそうだ――は一日通して建物の外に居たりしない限りは消えないそうだが、もうそろそろ幼稚園の様子を見たいとのことだった。
「大丈夫です。もしも真紀さんが園児たちを連れ出そうものなら、私達先生が殺してでも止めますから」
燈奈は両手を銃の形にして真紀に向けてみせた。
「えーっ、何で殺されるの!? 折角の桜だから外で見ないと損だよ」
「だーかーらー、建物の外に出たら消えてしまうんだって何度言えば……」
「でも私達概念なんでしょ? 概念が消えるわけ無いじゃん」
「消えるの。……確かにしばらくすれば同じ子が部屋に出現するけれど、それは見た目が同じだけ……消えた子が戻ってくるわけではありません」
「……」
「……それは、私達にとっての死です」
真紀は黙り込んだまま、何か考えているようだった。
「――燈奈!」
気が付くと秋亀荘は目前だった。入り口で燈奈と同じくらいの背丈の影が手を振っている。
「楽保さん! みんなの様子は……?」
「大丈夫よ、みんな大人しくしてた」
真紀が燈奈を地面に降ろすや、彼女は目にも止まらぬ速さでロビーへと飛び込んでいった。それから楽保と共にぴょこりと頭を下げると廊下の向こうへと消えていった。
「あーあ……警戒されてますね」
歩きながら苦笑すると、真紀はふくれっ面になった。
「なんで?」
「そりゃあ、自分達の命を危機に晒すような人には近づきたくないでしょ」
ややもすれば園児達の様子を見られないかと幼稚園の方まで来てみたが、室内に避難させているのか、廊下には誰の姿も見えない。
「でも、せっかくのお花見だよ? しかもこんないい天気なのに、窓越しにしか見られないなんて悲しいじゃん」
「それもそうですね。ですが、貴方は花見に興味がなくて部屋に居る者を同じ理由で連れ出しますか?」
「う……だけど! 私が来たときはみんな窓に張り付いて桜見てたもん!」
「だからって建物の外に連れ出すのは……」
と、建物の方が俄に賑やかになった。建物の方を見ると、いつの間にか園児達が廊下にずらりと並んで手を振っている。声が重なって聞き取れないが、かすかに「百合乃さん!」と呼ぶ声が聞こえる。
怪訝に思いながら窓辺に近寄ると、開けられた窓越しに燈奈から箱を渡された。箱を開けてみると、紙を折って作られたと思しき花が沢山と、「今年も素敵な景色をありがとうございます」と記されたメッセージカードが入っていた。顔を上げると、先生達の「せーの」に合わせて園児達が声を揃えた。
「「「きれーなさくらをみせてくれて、ありがとーございます!」」」
「あはは……どういたしまして」
突然のことに戸惑っていると、燈奈が口を開いた。
「この子達にとっては、秋亀荘の廊下の窓から見える景色が『外』の全てなんです。だから、今日は皆大はしゃぎだったんですよ。景色が変わった、きれいになった、って」
気がつくと園児達が私の前に集まって来ていた。窓から身を乗り出しそうな勢いで飛び跳ねる子もいれば、燈奈の後ろに隠れて様子を伺っている子もいる。中にはこちらに興味を示さず廊下の隅で桜を見ている子や、少し離れたところで園児達を見守る楽保の方に引っ付いている子もいる。
と、先生達が顔色を変えた。園児達も慌てたように窓から離れ、先生達を囲み始める。何故かはまあ察しがつくが。
「……真紀?」
振り返らずに尋ねる。返事の代わりに足音が近づいてくる。私の横に来た真紀は、両手に桜の枝を抱えていた。
「勝手に折ったんですか……」
「百合乃ならオッケーしてくれるかなって」
……桜の枝を折るのは禁止にしておいたはずなのだが。頭を抱える私を尻目に、真紀はそれを窓から差し入れた。
「はい! もっと近くで花が見られるように、これ! プレゼント!」
案の定先生達は戸惑っているようだったが、園児達はみな目の前に現れた桜の花に釘付けになっていた。何人かは再びこちらに近寄ってきて、花をまじまじと観察している。やがて、意を決したように燈奈が窓辺に進み出た。
「これ、頂いてもよろしいんですか?」
「うん! プレゼントだからね」
「えっと、ありがとうございます……!」
恐る恐る枝の束を受け取り、深々と頭を下げると部屋の中へと引っ込んだ。園児達も燈奈に付いて部屋に入っていったが、「おねえちゃんありがとー!」「ありがとー」と口々に感謝を述べていた。
「えへへー、みんな可愛かったなあ。喜んでくれて良かったね!」
「それはそれとして勝手に枝を折るのはルール違反ですよ?」
反省の色を見せない真紀に呆れながら、広場へと足を向けた。
「……ということがあったんですよ」
「お疲れ様ー」
私がテーブルに突っ伏したままため息をつくと、燐が頭を撫でてきた。
「いやー、今年の真紀は何時にもまして元気でしたね……他の仕事を二人に投げてしまって申し訳ありません」
「いいよいいよ、準備段階でも百合乃には色々やってもらったし、これぐらいどうってことないよ。はいこれ」
手渡されるままにサンドイッチを受け取る。苺とクリームが挟まったフルーツサンドだ。
「ああそうだ、葉結、詩奈に伝えておいてください。今年も彼女達の見守りをありがとうございますって」
「了解。……本当にあいつには頭が上がらないよ。万が一真紀なんかが突撃したら花見中止もあり得るからな、詩奈のおかげでその心配をしなくて済む」
葉結は一つ息をついてサンドイッチにかぶりついた。私もサンドイッチを一口かじる。クリームの甘さが疲れを癒やすように染みていく。苺も程良く甘酸っぱくて美味しい。
窓の外に目を遣る。片付けやらごみ拾いやらをしている内にすっかり日が暮れてしまったが、道端に並べられた照明に照らされて、桜の花びらが風に舞うのが見える。明日の朝にはいつもの庭に戻ってしまうので、この景色が見られるのも今日までだ。
「綺麗ですね」
「本当にね。これ見てるとさ、ここまで頑張った甲斐があったなあって実感するよ」
「この景色を見たくて毎年花見やってる節はあるな」
そう言って葉結が笑うと、私と燐も釣られて笑った。それから、グラスに残ったジュースを飲み干して、二人の顔を見渡して言う。
「来年も開催しますか?」
「当たり前だろ」
「やらない理由が無いよね。毎年大好評だし」
「ふふ、そうですね。私もそう思います」
窓の外には桜吹雪。ひらりひらりと舞い散る花びらを眺めながら、過ぎ去った今日の桜といつか来る来年の桜に思いを馳せた。
第3話、お読みいただきありがとうございます。
お待たせしました。また一年半経ってしまいました。桜の季節に投稿しようとは決めていたのですが、現実世界の諸々に追われているうちに二度目の春が過ぎてしまいそうだったので慌てて書き上げました。桜散ってるけどセーフセーフ。三次元で花見が出来ないなら二次元でやればいいじゃない、というのは後付け。
様々な住人が一同に介する場としての「花見」の話を書くことは、結構前から決めていました。そして実際いろいろな住人を登場させました。何の擬人化でしょうクイズのヒントのつもりなのですが、登場させすぎて余計に訳分からなくなりそうですね……。答え合わせをした後はもう少し分かりやすく書けるようになる筈なので、それまでしばしお待ちを。……いつになるんだろうか。
さて、ここで残念なお知らせです。第2話公開時点では第3話の大筋が決まってたわけですが、現時点で第4話の中身が一切決まっておりません。メイン三人(第1話に登場した子たち)と新キャラを絡ませることだけはっきりしています。なので、もしかしたら今度は二年近くお待たせするかもしれません。一年半で出せるよう努力はします。
それでは。
追記:第1話〜第2話のスパンも一年半だったと勝手に思っていたのですが、投稿してから確認したら二年半でしたね。これは下手したら三年かかってしまうかもしれません。努力目標は一年半のままにしておきます。一応。