2)ババ抜きと友情
注意!!
この話には擬人化要素があります。
擬人化が苦手な方はUターンしましょう。
ざぁ――――。
雨が窓を叩く。
「……雨か」
一澄は喜びそうだが、私はそんなに雨が好きでは無い。
今日はどうしようか。たまった仕事でも片付けるか、と思ったが、面倒臭い物ばかりでやる気が出ない。
ピンポーン。
ちょうど良いところにチャイムが鳴った。
「はーい」
扉を開けると、そこには、
「やー、環奈、遊ぼ!!」
いつも通りの真紀と、もう1人。
「お久しぶりですね……」
「……百合乃!!」
隣の部屋に住んでいながら、中々会う機会が無い百合乃だった。
「このメンバーで集まるのは久し振りだね」
秋亀荘2階ロビー。ちょうど真下にエントランスや別館への扉がある関係で、結構広い。その広いスペースを利用して、多くの住人がひとところに集まれるようにと、テーブルや椅子が設けられている。
私が真紀に連れられてやってきたロビーの一角には、燐と伊織がいた。2人とも、百合乃と同じく、普段なかなか話す機会に恵まれない相手だ。
「どうしたの、みんな急に」
尋ねると、燐が赤い目を細めて笑った。
「退屈だからにきまってんじゃん。雨だし」
親指を立てて指し示す先には窓。その向こうは雨だ。ここの住人にも、雨を好む人は少ない。
「そうだねぇ……あれ、そういえば一澄は?」
本来は、一澄を含めた6人で集まるものなのだが。
今度は伊織が答える。
「あー、一澄ならプールに浮かんでたよ、やっぱ雨だし」
「プール、……あはは、想像に易いね」
大方雨の中に傘もささずに飛び出しているんだろうとは思っていたが、予想の斜め上を行く返答に思わず吹き出した。
ちなみにプールとは、屋上にあるプールのことだと思われる。
「あんまり幸福に満ちた顔してたからさ、呼ぶの躊躇っちゃった」
いつものように抑揚の無い声でそう言って、伊織は温泉卵をかじった。
「というわけで今日はこの5人で遊ぼー!!」
真紀が勢いよく手を叩く。
「……で? 一体何をするの?」
「えーとね……えーと…………うーん……」
私が訪ねてみると、真紀は案の定硬直した。やっぱり何も考えてなかったようだ。
「では……トランプでもやりますか?」
口を開いたのは百合乃だった。スカートのポケットからトランプの箱を取り出す。さすが百合乃、仕事が早い。
「じゃあトランプにしよっかー!!」
真紀が乗ると、燐と伊織も頷く。どうやら決まりのようだ。
「私もトランプで良いけど……一口にトランプって言っても色々あるよ? 何するの?」
「ババ抜き!! ババ抜きしよう!!」
今度は即答だった。
「ババ抜きですね、では少しお待ちください」
百合乃はジョーカーを1枚机の上に置くと、手際よくカードを切って、5つの山に分けた。
「どうぞ、好きなのを取ってください」
「はいはーい、じゃあ私はこれー!!」
「うーん……私はこれかな」
真紀が電光石火の如く手元にあった山を持っていき、燐が少し考えてから山を1つ持っていく。
「んー…………じゃあ私はこれにする」
私は直感に任せて1つの山を手にした。
「……伊織さん、どちらにします?」
ぼんやりとトランプを見つめながら温泉卵を食べる伊織の顔を百合乃が覗き込む。
「…………いや、残り物には福がある、って言うし……」
伊織はそう言って、温泉卵の最後の一欠片を口に押し込んだ。
「そうですか……では、私はこちらにしますので、あなたはこちらを」
差し出されたカードの山を、伊織は素直に受け取った。
「やったー上がりー!!」
最後の2枚組を捨て札の山の上に叩きつけて、真紀がガッツポーズをした。
「えっ嘘!? 真紀がずっとババ持ってるとばかり……!!」
私は思わず声を荒らげてしまった。
「……いや、それは真紀に失礼でしょ」
伊織が温泉卵を頬張りながらツッコミを入れる。
「…………勝者の余裕、ですね……」
残り手札を眺めながら百合乃が苦笑した。
私が一番に抜けて次に伊織が抜け、今真紀が抜けたので……残っているのは百合乃と燐である。
「う……うーん…………」
手札を睨みながらうなる燐に対して、百合乃は落ち着き払っている。
燐の残り手札1枚、百合乃の残り手札2枚。
話が当事者に聞こえないように、少し離れた席に移動して、2人を見守る。
「……やっぱり百合乃が勝つと思うんだけど」
伊織に囁くと、伊織も黙って頷く。
「百合乃は駆け引き上手そうだしね……」
「えー、それじゃ燐がかわいそーだよ」
真紀がふくれっ面をする。
「じゃあ真紀は燐に賭ける? 私と伊織は百合乃に賭ける」
「かけ……?」
真紀は賭けの概念が分かっていないのか。
「どっちが勝つか、ってこと。燐が勝ったら私達が真紀の好きなジュース奢ってあげる。百合乃が勝ったら逆ね」
「分かった、私は燐にかける」
真紀が元気よく答えたとき、燐が百合乃の手札に手を伸ばし、迷いなく1枚引いた。その絵柄を見て……嘆息する。
小さくガッツポーズを決める私達に対し、真紀は固唾をのんで見守っている。
今度は百合乃が手を伸ばす。手札の片方を摘み、燐の表情を見る。手札を持ち替え、少し引っ張って手応えを確認する。目は燐の顔に合わせたままだ。
「…………あ、やば、」
伊織が呟いた。意味は燐の目を見れば分かった。
――白い。元は赤い虹彩が白に染まりつつある。表情にこそ出ないが、
「……荒れてるね」
「これ、燐が負けたら大変なことになるんじゃ、」
そのとき、百合乃が手札を引いた。……ため息。ひとまず噴火は免れたか。
「頑張れ燐!!」
真紀が盛大に応援を始める。燐の頬が少し緩んだように見えたが、目はまだ白がかかっている。
「百合乃もホワイト燐の怖さ知ってるでしょ、ここは持ち前の包容力で何とか」
「百合乃に理性が残っていれば……の話じゃない?」
伊織が指し示す先の百合乃は。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふ」
……目が殺気立っていらっしゃる。
「あっこれは百合乃も負ける気ゼロだね」
「……どっちが負けても大変なことに……」
「燐ー頑張れー!!」
無事で済む未来が見えない。頭を抱える私たちをよそに、真紀は応援に全力を注いでいる。
燐が手を伸ばした。手札の片方に触れる。百合乃の目を見つめる。
「頑張れー!!」
見つめたまま、もう片方に触れる。
「頑張ぁ痛った!!」
私は真紀の後頭部をはたいた。
「ごめん、いい加減うるさい」
「ええ……?」
真紀が涙目でこちらを見る。まったく、涙目になりたいのはこっちの方だ。
息の詰まるような静寂。3人の視線が、2人の闘いの行方に注がれる。
燐は手札を1枚つまみ、百合乃の目をじっと見る。百合乃もまた燐の目を見つめ返す。長い睨み合いの末、燐はその手札を勢いよく引き抜き、
「っしゃああああ!!」
「あああああ!!」
燐がガッツポーズを決めるのと百合乃が机に突っ伏すのが同時だった。
「うわーい燐ーおめでとー!!」
一目散に駆け出そうとした真紀を、慌てて引き止める。
「ちょっとー、離してよ環奈ー」
「待って、まだ2人とも落ち着いてない」
そう、未だに様子がおかしいのだ。燐は椅子に座ったまま笑い転げているし、百合乃は突っ伏したまま動かない。
……と、百合乃が顔を上げた。いつも通りの笑みを湛え、手際良くカードをまとめて片付けていく。どうやら百合乃は落ち着いたようだ……が、何だか無性に違和感を覚える。息苦しさが空間を支配しているようだ。真紀も何かを感じたのか、後ずさりを始める。
と、燐の笑い声がピタリと止んだ。ゆらり、と立ち上がり、こちらを振り向く。
「……ババ抜き楽しかったねえ……」
後ろ髪の先が波打ち始める。
「ねえ、次は何して遊ぶ? 何して遊ぶ? アハハハハハハハ!!」
その目は瞳孔を残して真っ白に染まっていた。
「……え、やば。どうするのよこれ」
伊織が焦燥の目をこちらに向ける。部屋の隅で真紀が頭を抱えてうずくまっているのが視界に映る。私は燐の様子が変だった時点でこうなることは予想していた……とはいえやはり恐怖は募る。落ち着け。確か対処法があった、はず。ええと、ええと、あっ、思い出した。
「……ねえ、伊織、」
バタン!!
突然の音。心臓が跳ね上がる。私達が音源を確認する。より一足早く燐がその方角に跳躍する。その先には開いた扉。そして人影。彼女は手にしたバケツいっぱいの水を燐に浴びせかけた。
「…………ぁ……!!」
燐がつんのめって倒れる。真っ白な目を見開いたまま、起き上がろうとしない。
「……とりあえず応急処置として水をかけました。あとは乾かないうちに燐さんを部屋に閉じ込めて落ち着くのを待ちましょう。伊織さん、燐さんを部屋まで連れて行ってもらえませんか?」
「……あ、ああ、うん、分かった」
私と同じく放心していた伊織が、我に返って燐に駆け寄る。私もようやく彼女に声を掛けた。
「……いつの間に、降りてきてたんだね、一澄」
「先程ロビーを覗いたら、些か盛り上がっていたようでしたので、水が必要かと思って取りに行ったんです。……案の定でした」
そう言ってため息を1つつき、一澄は顔を上げた。燐を背負ってロビーを出かけた伊織に声をかける。
「急いで、……気づいても振り返らないでくださいね!!」
「え? ……」
伊織はロビーを飛び出して数歩の所で一瞬立ち止まり、
「……そういうことかあ!!」
叩きつけるように叫んで再び駆け出した。
それを見届けて、一澄は百合乃に向き直る。
「……あなたのことですので、分かってやっているとは思いますがね?」
百合乃が顔を上げる。
「…………何のことです?」
「私達は人の姿はしていても人じゃない。窒息させたくらいじゃ私達は死にません」
……2人分の息を呑む音がした。
私はほとんど転がるようにして真紀の元に駆け寄った。真紀の横にうずくまり、深呼吸をする。息苦しさがすうっと消えていくのを感じた。チラリと真紀の方を見ると、真紀が少し不安そうな目で見つめ返してきた。
「もしも分かっていないのなら、こんな馬鹿馬鹿しい真似はやめてください。もしも……」
「分かってるに決まってるじゃない!!」
珍しく百合乃が声を荒らげる。
パァン!!
破裂音が響き、2人揃って驚いて顔を上げた。顔を真っ赤にした一澄と、同じく顔を真っ赤にして頬をおさえた百合乃がいる。
「馬鹿!! 人間だったら死んでたんですよ!?」
一澄が振り絞るように叫ぶ。それから1つ深呼吸をして続けた。
「……己の力の恐ろしさを自覚しなさい。自分の我儘で振りかざして良いものではないんです」
百合乃はしばらく唇を噛んで俯いていたが、やがて観念したように大きく息をついて天井を仰ぎ、
「…………悪かったよ」
ぽつりと呟いた。
「……百合乃さんも燐さんも、ある物事に熱中しすぎると理性が働かなくなるようですね。燐さんは別人格であるのに対して、百合乃さんは百合乃さん自身の性格のようですが」
一澄が誰に問うとでもなく言う。
「百合乃さんは元々……そう、元々は、周りと『つるむ』ような性格……性質では無かった。そんなあなたが、人間の姿を得て、私達と上手くやっていくのに必要な社会性を得た。今回は、ババ抜きをするうちに追い詰められて、元の性質が顔を出してしまった……といった所でしょうか?」
百合乃は俯いたままおずおずと語りはじめた。
「……多分。もしくは、それよりももっと前……私のことがよく分かってなかった頃、ダメなやつだと呼ばれた頃の影響かもしれない」
「もしくはその両方……かな?」
「まあ、そんな所でしょうね」
私が挟んだ一言に一澄が軽く頷く。
「……今まで百合乃さんがゲームしても負けるようなことなかったから、気づかなかったんですね……私たちも、あなた自身でも……」
一澄は百合乃の顔に視線を合わせて問いかける。百合乃は膝の上に置いた手をじっと見つめながら小さく頷いた。
「今話した限りだと、原因は周りの環境に拠らない、私の精神的……性格上の問題みたいです。だから、私が、昂らないよう気をつける、ぐらいしか、対策は無い……と思います」
「……そうですね。根本的に解決できるのは百合乃さん自身だけです。……ですが、手助けならば私達にもできます。…………安心してください。性格に難ありなのは、あなただけではありません」
百合乃が顔を上げる。一澄はすこし恥ずかしそうに笑ってみせた。百合乃は目に涙を浮かべて一澄の顔を見ていたが、やがてゆっくりと、しかし今度は大きく頷いた。
それを微笑ましいような不思議な気持ちで見守っていた私に、突然、一澄が質問を投げかける。
「……おや、そういえば真紀は?」
「真紀は私と伊織の奢りでジュース買いに行った」
「ジュース……ですか」
一澄は一緒怪訝そうな顔をした……が、納得したのか、それとも興味が失せたのか、すぐに机に向き直った。
「百合乃の方はこれで一段落ついたとして、燐はどうしましょう……?」
「話は燐が元に戻ってからの方がいいんじゃないかな? ……何時になるか見当もつかないけどね」
「それにしても、どうして……、燐はよくトランプやっていて、負けることもよくありました……ですが、それで人格が完全に変わるなんてこと、今まで無かった……」
百合乃が頭を抱えたとき、ゆっくりと扉が開いた。その向こうにいた2人を見て、安堵と驚きと状況に対する可笑しさから、私は思わず笑いをこぼした。
「ふふ、噂をすれば……ってやつ?」
伊織と、伊織に支えられて立っている燐。燐の目は少しクリーム色混じりの赤色に染まっていた。
「……ごめん、皆に、迷惑かけた、みたい……で……」
燐は頭を下げようとするが、ふらついて前のめりに倒れかかる。
「危ない!!……燐、無理しちゃダメ……」
伊織が慌てて燐を抱きとめ、椅子に座らせる。
「……大丈夫、ここにいる皆、誰も燐のこと責めたりしないから……」
伊織の言葉に、私含め皆一斉に大きく頷く。
「にしても今回は戻るの早かったねー」
「あっそのことなんだけど」
私が軽く口にした言葉に伊織が喰らいついた。
「……見て」
伊織が指差す先には窓。気づかないうちに、その外には青空が広がっていた。
「燐を部屋まで運んでるときに、雨が止んで……窓から陽が差し込んで、その時に、燐が、少しだけ正気に戻った」
「……え? …………あっ」
一度間抜けな返事をしてから、その意味に気づいて息を呑む。
「うん……『私』としての記憶があるのもそこからで……気づいたら5階の廊下で、私は伊織の背中の上だったの」
「……だから、いつもは燐を部屋に閉じ込めて、暴れ回った拍子に『炉』に突っ込むのを待つしかなかったんだけど、今回は燐が自分から入ってくれた……ってわけ」
「なるほど、それで早かったんですね」
一澄がうなずいている横で、私はもう一つ、今の話から分かったことを口にする。
「……日光……そうか、日光か」
「環奈?」
「今までこんなこと無かったのに、急に燐の人格が完全に変化した理由……今日が雨で、直射日光が無かったからだ」
「!!!」
燐が顔を覆う。
「そうだ……何で今まで気付かなかったんだろう、少し考えればすぐに分かったはずなのに……」
「自分の性質は全て理解している。……けれど、そのうちのどれが今の私達に反映されていてどれが反映されていないか、まだ自分でも分かっていないことが多いのです。燐さんは自分を責めることはありませんよ」
ボロボロと涙をこぼす燐の頭を撫でながら、百合乃がいつもの穏やかな口調で言い聞かせる。……口元に少しだけ悲しそうな笑みを浮かべて。
「…………燐、今度雨の日に遊ぶときは、みんなでゆっくり楽しめる奴にしよう。……そうだね、例えば、大きなジオラマを組み立てるとかさ」
「うん、…………ありがと」
と、軽やかな足音がロビーに響く。見れば、真紀が1リットルペットボトルを抱えて駆けてくる所だった。
「うわ、てっきり自販機で缶ジュース2本買ってくるもんだと思ってた。あれ全部一人で飲むの」
「真紀ならやりかねないな……」
真紀はりんごジュースのペットボトルを机の真ん中にどっかと置くと、共同キッチンへと消えた。そしてたくさんのコップを抱えて戻ってきた。机の上にコップを並べる。1、2、3……4……5…………6。
そしてすべてのコップにりんごジュースを注ぐと、両手にコップを持って…………燐と百合乃に向かって突き出した。
「……え」
「真紀……?」
「りんごジュース飲んだらみんな笑顔になると思って」
真紀はそう言ってパッと笑った。釣られて私達も笑顔になる。コップを受け取った燐と百合乃も、少し困ったように笑っていた。
「あれ? まだりんごジュース飲んでないのに……」
和やかな空気の中、立役者だけが首を傾げていた。
「そうそう、折角のりんごジュース、頂かないとね」
私と一澄、伊織もそれぞれコップを手に取る。最後にコップを手にした真紀が音頭を取った。
「私達6人の友情にー!!」
「「「「「「かんぱーーい!!!」」」」」」
第2話読んでいただきありがとうございます。
そして、おまたせしました。実に2年半近く間隔を開けての第2話投稿です。チマチマ書き進めて、筆が手につかない時期もありましたが、ようやく投稿にこぎつけることができました。
……ええ、まさか私がここまで亀更新だとは思っておりませんでした。はい。
さて、今回は一気に登場人物が増えました。彼女たちの正体についても少しずつ見えてきた、といったところでしょうか。
次は前回に少しだけ話題に出したあのイベントですよ。恐らく今回より多くの住人が姿を見せてくれることでしょう。
……春に投稿できるといいですね(他人事)