第2話「リューク国立病院の怪異(4)」
夜になって、ルーファスがぐっすり眠っていると、誰かの呼ぶ声がした。
「ルーちゃん起きて、起きてってばぁ」
「……あと……5分……1分でいいから……ふにゃふにゃ」
「ルーちゃんってば、寝ぼけてないで起きてよぉ」
「ああ……もぉ……もう少し……ビビ!?」
ビックリしてルーファスは目を覚ました。
「なんでビビがいるの?」
「忘れちゃったのぉ?」
少しビビは顔を膨らませた。
そーいえば、肝試しだか、オバケ退治だか、花火大会だか、なんかの約束をしたようなしてないような気がする。
「ホントにやるんだ(ってことはカーシャも来るのかな)」
「バッチリ準備万端だよ♪」
ビビはお出かけ用のショルダーバッグと、脇には松葉杖を抱えていた。
松葉杖を持ってきたことから、相手が病人だという認識はあるらしいが、その認識がありながらオバケ探しで引きずり回すのはヒドイ。仔悪魔っていうか、悪魔の所業だ。
なのに満面の笑みを浮かべているビビを見ると、なんか騙されてしまう。
「早く行こうよルーちゃん(ドキドキワクワク)」
「ここまで来たら行くけどさー、その前に足を外してくれないかな?」
ルーファスの右足は吊り下げられ固定されている。心なしか昨日よりも頑丈に固定されているような気がする。
それをビビちゃんが無理やり破壊。
「出来たよ、早く行こ」
ベッドの脇には、グチャグチャになっている布やら、引き裂かれたヒモやら、強い力で曲げられたアルミパイプが……。治療代から差し引かれるに違いない。
松葉杖を受け取りルーファスはベッドから降りた。
「行くのはいいけど、どこに行くの?」
「テキトーに行けばいいんじゃないのぉ?」
アバウトだ。
「この病院結構広いよ」
「じゃあ……トイレとか霊安室とか行く?」
「どっちもイヤだ(特にトイレは行きたくない)」
「ワガママだなぁ」
そういう問題なのか?
ピョンシーが本当にいると仮定して(ビビのモーソーの産物でないと仮定して)、ビビの話によるとピョンシーの元は人間の屍体らしい。ということは、霊安室がもっとも有力かもしれない。
しかし、ビビは!!
「末期患者を探せばいんだよね!」
「はぁ!?」
「だって屍体は鮮度が重要なんだよ(魂を狩るなら元気な人の方が美味しいけど)」
いくら鮮度が重要でも、末期患者はまだ死んでいない。
「人がいつ死ぬかなんてわからないし、人が死ぬの待つなんて失礼だよ」
「これでもアタシ魂を糧にしてるちょーカワイイ悪魔なんだけど。末期患者の死期くらいなら視えるかな(もっと修行すればいろんな人の死期が視えるらしいけど、メンドクサイんだよねー)」
そんなわけで、強引なビビに引きずられて病院の外に来た。
廊下はひんやりと静かだ。
耳をそばだてるビビ。
「……誰か来る!」
「えっ、どっち?」
足音が聞こえないルーファスは左右を見渡した。
すると、走っているような足音がだんだん近づいてくるのがわかった。
ルーファスフリーズ。
「ま、まさか……」
もうダッシュで近づいてくるアフロヘアーのシルエット。
トイレのベンジョンソンさんだ!!
って、なんでいるの!
ビビは呆然と走ってくるベンジョンソンさんは眺めている。
「なにアレ?」
「トイレのベンジョンソンだよ!」
「意味不明だよ(なにトイレのベンジョンソンサンって)」
逃げようとしないビビの手を引っ張り、ルーファスは必死こいて逃げ出した。
松葉杖を放り出して、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん逃げる。
引っ張られるビビはきょとんとしている。
「なんで逃げなきゃいけないの?」
「なんでって、追っかけて来てる人見た?!」
追いかけてくるのは、犬顔のボクサー。もちろん頭はアフロヘアーだ。
どう見ても怪しい!!
「でも、別に逃げなくてもぉ」
立ち止まったビビに合わせてルーファスも止まった。
「だって怖いでしょ、早く逃げ――ッ!?」
ルーファスとビビは目を丸くして口を大きく開いた。
次の瞬間、顔を蹴られてぶっ飛ぶベンジョンソンさん!!
グフッ!
冷たい廊下にベンジョンソンさんは沈んだ。
そして、10カウントが過ぎた。
カンカンカン、ゴングが鳴り響き勝者――カーシャ!!
「はぁ! なんでカーシャがいるのさ!」
驚くルーファスの視線の先で、カーシャは静かに微笑んでいた。
「いては悪いか?」
「そういうわけじゃないけどさ、なんでベンジョンソンさんをのしてるの……」
「こいつはベンジョンソンさんではない。ただの変質者だ」
「そうなの?(でも話に出てくる格好と同じだけど)」
「うむ、ボクサーマニアの入院患者だそうだ」
トイレのベンジョンソンさんでもなければ、マニアなのでボクサーでもない。ただの変質者だ。
怖がって損した。
しかし、本当に怖かったのはこの変質者だろう。
ボコボコに殴られたか蹴られたかして、この変質者の顔はボコボコで原型をとどめていなかった。誰がやったのかはあえて言わない。なんか赤い靴を履いてる人がいるけど、突っ込んではいけない。
カーシャは虫の息の変質者の足を持ち上げた。
「では妾はこやつを治安所に連行する(ふふ、懸賞金もらえるといいな)」
変質者を引きずって、ついでに赤い線を引きながら、カーシャは闇の中に姿を消した。
いったいカーシャは何しに来たんだ?
てゆーか、オバケを捜索しに来たんじゃないのか?
「てゆーか、治安所より病院が先でしょ」
と、ルーファスは呟いた。
ちなみにここは病院だった。病院で大怪我をした変質者。カーシャに出遭ったのが運のつきだったのだろう。
偽ベンジョンソンさんが現れたことにより、当初の目的が遠ざかってしまった。ここから軌道修正して、当初の目的を思い出そう。
そうだ、ピョンシーを探しているのだ。
が、ここで問題発覚!
ルーファスが口にする。
「松葉杖落とした」
落し物としては、通常ではありえない落し物だ。偽ベンジョンソンさんから逃げる際、どこかに放ってしまったのだ。
ビビは自分より背の高いルーファスを、下から丸い目で覗いた。
「元来た道にあるんじゃないのぉ?」
「そうだね」
それほど長い距離を逃げたわけでもなく、すぐに近くにあるはずだ。おそらく、ルーファスの病室を出てすぐの場所だ。
ルーファスはぴょんぴょん、もちろんビビは普通に歩いて廊下を引き返す。
すると、ルーファスの部屋が近くなってきたところで、ビビが足を止め、ルーファスも慌てて足を止めた。
ビビは口の前で人差し指を立て、『しーっ』とルーファスに合図を送った。
そして、ルーファスの部屋のドアが開くと同時に、ビビはルーファスを引っ張って曲がり角に身を隠した。
何者かがルーファスの部屋から出てきた。
足音が遠ざかっていくのを確認して、ビビは曲がり角から顔を出した。
廊下の先を歩く長身の黒い影。ジャンプで移動していないのでピョンシーではないらしい。
しかし、あの影はどう見ても人間じゃない。
長く細い腕から伸びる手の先が廊下にまで届いているのだ。
「追いかけよ」
ビビが小声で言い、ルーファスは首を横に振った。
「ヤダよ」
「いいから行くのぉ」
ビビに強引に引っ張られ、ルーファスはぴょんぴょん跳ねながら影を追いかける。
松葉杖捜索はなかったことのように忘れられている。
謎の影は用心深いようで、何度も立ち止まっては辺りを調べている。その都度、勘のいいビビが隠れ、ルーファスは冷や汗を掻きながら一緒に隠れる。
しばらくしてナースセンターの明かりが見えてきた。その明かりで、ルーファスたちは謎の影の正体を知るのだった。
謎の影の正体は、松葉杖を持ったディーだった。
松葉杖を抱えるのではなく、先を下に向けて持っていたために、腕の長い怪物に見えたのだ。
「(期待して損しちゃった)」
ビビがガッカリする横で、ルーファスはほっとしていた。
「(よかったオバケじゃなくて)」
ナースセンターに松葉杖を預けたディーが再び歩き出す。ビビはそれを追おうとして、ルーファスに引き止められた。
「まだ追うの?」
「だってこんな夜中に病院を徘徊してるなんて怪しいじゃん」
「ただの夜勤でしょ?」
「ううん、絶対怪しい(はじめて会ったときから思ってたんだよね)」
アッチ趣味疑惑とかいろんな意味で。
とめても聞きそうにないので、ルーファスは仕方なくビビについていくことにした。
再び尾行開始。
ディーはいったいどこに向かっているのか?
しばらく歩いた後、ディーはとある病室に入っていった。
急患が出たのだろうか?
と、考えるのが普通だが、ルーファスはとある噂話を思い出していた。
リューク国立病院七不思議の一つ――副院長の怪。
病院創設以来からずっと副院長だったりする魔法医ディー。最低でも300歳以上なのに、見た目は20代半ばなのだ。
まあ、そんな存在はルーファスの身近に普通にいたりする。魔導学院の教師であるカーシャだ。
かつて古の時代、アステア王国が建国されるよりも遥か以前。このウーラティア地方を支配しようとした1人の魔女がいた。と古い文献に記されている。どうやらそれが〈氷の魔女王〉と呼ばれていた時代のカーシャらしい。
つまりルーファスの周りには、ものすっごいお年寄りが普通にいるのだ。
ただし、カーシャは人間ではない。そうなると、やっぱりディーも人間ではなさそうだ。
そして、ディーにまつわる黒いウワサ。
「実はディーって吸血鬼で夜な夜な患者の生き血を啜ってるとかって……」
「うっそーマジで?」
「噂だよ噂。ほら、でもさディーって日中も病院にいるから、たぶん吸血鬼じゃないと思うけど」
吸血鬼が太陽を苦手としているというのは定説だ。
腕組みをしてビビは『う〜ん』と唸った。
「ピョンシーってヴァンパイアの亜種だって聞いたことあるよー(ピョンシーに噛まれると、ピョンシーになっちゃうんだっけ?)」
「だーかーらー、ディーが吸血鬼だって決まったわけじゃないから(本当に吸血鬼ならとっくに僕が餌食になってるよ)」
そんな話をしているうちにディーが病室を出てきた。すぐさま二人は物陰に隠れる。
ビビは小声でルーファスに耳打ちをする。
「きっと誰かの血を吸ったんだよ(アタシが思うに男)」
早々と歩き去っていくディーを再び尾行。
病室から離れ、病院の奥へ奥へと進む。夜の静かな世界から、より濃い闇の世界へ。
ディーが足を止めたのは霊安室の前だった。
ピョンシーの隠し場所!?
霊安室に入っていくディーを追うのは躊躇われる。さすがに霊安室まで追って入ったら、普通にバレてしまう。
でも、ビビは気になって身体をウズウズくねらせている。
「気になるよ、中に入って調べてみよ」
「ダメだよ」
「なにもなかったら『こんばんわぁ♪』って言っておわりじゃん」
「なにかあったら『こんばんわぁ♪』じゃすまないよ(場合によったら命にかかわるかも)」
「行くよ、ルーちゃん!」
「はぁ!」
ルーファスが止める前にビビが霊安室に飛び込んでしまった。
背を向けてゴソゴソしていたディーが鋭い眼つきで振り向いた。その口元は真っ赤に染まっている。
慌ててディーは口元を拭い、引き出しになっている屍体を安置する函を壁に押し込めた。
「キミたち、見たかね?」
冷たい口調でディーは言った。
ルーファスはこわばった顔で首を横にブルブル振った。
横に立っているビビはビシッとバシッとシャキッと、『犯人はお前だ!』的なポーズでディーを指さした。
「ピョンシーを隠してもムダだかんね!!」
「…………」
ディーはきょんとしてしまった。
その隙をついてビビがディーの隠した函を開けようとした。
ディーは必死になってビビを止めようとする。
「やめろ、開けるんじゃない!」
「この中にピョンシーが!」
「ピョンシーなんか入ってない!」
「ウソばっかり!!」
そして、ついにビビは引き出しを力いっぱい開けた!
ルーファスが見守る!
ディーが顔を歪める!
ビビが目を丸くする!
なんと、函の中に入っていたのは缶ジュース。函いっぱいにジュースの缶が並べられていた。
ビビは1本手にとって缶を調べた。
「トマトジュース?」
「悪いか?」
ディーは少し怒った様子でビビからトマトジュースを取り上げ、函の中にしまって引き出しを閉めた。
「トマトジュースが好きでなにが悪い?」
ディーはそう言うが、問題はそこじゃなくて、ルーファスがツッコミ。
「どうしてこんな場所にしまってるのさ?(よりに寄って屍体の近くなんて)」
「この場所で冷やして置けば誰にも飲まれる心配がないだろう(それにこの場所が病院で一番落ち着く)」
そんなに人に盗られたくないのか!
オチのついたところで、ルーファスはどっと疲れた。
「私帰るね」
ぴょんぴょんと跳ねながらルーファスは去っていく。
「待ってよルーちゃん!」
ビビもルーファスを追って去っていった。
残されたディーはトマトジュースを1缶開けてグビッと咽喉に流した。
「うん、美味い」
翌日、ついにルーファス退院の日。
なんだかんだでディーの策略により、朝一の退院が夕方まで伸ばされた。
ディーが見送りとかに来る前に、ルーファスはさっさと病室を逃げ出した。
廊下を足早に歩く途中で、向かいから空色のローゼンクロイツが歩いてきた。
「奇遇だねルーファス(ふあふあ)」
「何しに来たの?」
「キミに会いに(ふあふあ)」
それなら、そんなに奇遇ってわけでもない。
ローゼンクロイツは自分の手提げバッグからノートを取り出した。
「はい、これ今日のノートだよ(ふあふあ)」
「ありがとう」
でも、昨日分だけ抜けている。
「ところで、ルーファス知ってるかい?(ふにふに)」
「なに?」
「またオバケが出たらしいよ」
「……ああ〜」
なんかいろいろ心当たりがあったりする。
「ロビーで話してるオッチャンの話を立ち聞きしたんだけどね(ふあふあ)。ピョンピョン廊下を跳ねるオバケが目撃されたらしいよ(ふにふに)」
「あはは〜、そうなんだぁ(まさかそれって……)」
「その特徴が、頭から長い触手をなびかせてるとか」
「あはは〜、そうなんだぁ」
ローゼンクロイツの視線は、ルーファスが後ろで縛ってる長い髪をチラ見している。
そう、ここまで来たら誰もがお分かりだろう。昨日ビビが話した病院に出没したと言うピョンシーも、今日ローゼンクロイツが話した話も、ぜ〜んぶ正体はルーファスだったのだ。
ちなみに改めて言うが、昨日の蜘蛛男もルーファスが正体だった。
病院を出たところで、早足で黒衣を靡かせディーが追ってきた。
ルーファスは気付かないフリをして逃げようとしたが、横にいたローゼンクロイツがディーと目があったために、必然的もルーファスも足を止めることになってしまった。
ディーは紙の袋をルーファスに手渡した。
「ルーファス君、忘れ物だよ」
「忘れ物?(忘れ物なんかないと思うけど)」
学院から病院に直行したルーファスは、特に荷物も持っていないで担ぎ込まれた。
紙袋を受け取ったルーファスは顔を真っ赤にして袋を抱きかかえた。
ルーファスが目を泳がせる前で、ディーは妖しく微笑んでいる。
無表情でローゼンクロイツは尋ねる。
「どうしたんだいルーファス?(ふにふに)」
「な、なんでもないよ!」
顔を真っ赤にしてルーファス爆走。
ドン!
ルーファス誰かとぶつかる!
「いった〜い!」
尻餅をついて倒れたのはビビだった。
「ルーちゃんばかぁ!」
「ビビが私にぶつかってきたんでしょ」
「せっかく迎えに来てあげたのにぃ」
立ち上がろうとしたビビが地面に手をつくと、その手になにか柔らかい布の感触が……?
それはルーファスの紙袋の中身だった。ぶつかったときに飛び出したのだ。
そして、それを見たビビの顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。
「る、ルーちゃんのエッチ!!」
ビビちゃんパ〜ンチ炸裂!!
その手には思わず握ってしまった謎の布。
ぶっ飛んだルーファスにビビはその布を投げつけた。
「もぉルーちゃんのこと知らない!」
仰向けになっているルーファスの顔面に乗った謎の布の正体は――
ルーファスのパンツだった。
ルーファス17の秋だった……。
第2話_リューク国立病院の怪異 おしまい
カーシャさん日記
「トイレのベンジョンソンさん」997/09/19(エント)
ガッカリだ。
オバケの正体はただのボクサーマニアの変質者だった。
妾は奴をボコボコにして、治安所に突き出してやった。
犯罪者を突き出せば、少しくらい金が貰えるかと思ったが、金も出なければ感謝状も出ないらしい。
それどころか、病院に忍び込んだことを注意された。
腹が立ったので今日の授業で抜き打ちテストをやった。
それから、病院を退院したルーファスが明日から登校してくるらしい。
楽しみだ、ふふふっ。