第2話「リューク国立病院の怪異(3)」
ベッドの上でルーファスはハッと目を覚ました。
辺りを見渡すと、自分の病室だった。窓の外はいい天気らしく、空が青く輝いている。
足は昨日と同じで吊り下げられ固定されている。
まるで病室から一歩も出てませんよ的な現状だった。
まさか、昨晩の出来事は全て夢だったのか?
トイレのベンジョンソンさんとの交流も夢だったの?
そうだ、あんな故障中ばっかりのトイレなんて、あまりにも出来すぎな展開だ。
やっぱりオバケなんているわけないんだ。
ほっとため息をつくルーファス。
ベッドでルーファスが寛いでいると、コンコンと規則正しい音色を奏で、空色の声が室内に流れ込んできた。
「お邪魔するよ、へっぽこくん(ふあふあ)」
ローゼンクロイツだった。
「あっ、ローゼンクロイツ。今日も来てくれたんだ」
「今日も来たらしいね(ふにふに)」
らしいってなんだよ。自分のことなのに疑問系。
ローゼンクロイツはツカツカと歩いて、椅子にちょこんと座った。今日はフルーツの盛り合わせはないらしい。
「ルーファス、これあげる(ふあふあ)」
フルーツ盛り合わせの代わりにローゼンクロイツが持ってきたのは、一冊のノートだった。
「なにこれ?」
ノートを受け取ったルーファスは、パラパラっとページを開いて中身を確認した。
中には印刷されたような綺麗な文字が書かれていた。芸術的な美しい図解や図形も描かれている。これは授業ノートだった。
「もしかして僕の代わりに?(ローゼンクロイツもいいとこあるなぁ)」
「たまにはキミに恩を売っておくのもいいと思っただけさ(ふっ)」
腹黒いぞローゼンクロイツ!
ローゼンクロイツは一瞬だけ口をニヤリとさせ、すぐに無表情に戻った。
「ところでルーファス(ふあふあ)」
「なに?(話の切り替え早いよ)」
「さっきロビーで立ち聞きしたんだけど、昨晩この病院にオバケが出たらしいよ(ふあふあ)」
「えっ!?」
目をまん丸にしてルーファスはドキッとした。
まさかベンジョンソンさん!?
「あのね、廊下を這う蜘蛛男が出たってさ(ふにふに)」
「はぁ?」
「深夜の廊下を這う蜘蛛男だよ(ふあふあ)。悲鳴も聴こえたらしいよ(ふあふあ)」
「はぁ?」
ベンジョンソンさん意外にも、この病院にはオバケが棲み憑いているのだろうか?
実は、蜘蛛男の正体は匍匐前進をしていたルーファスだったりするのだが、そんなことなど彼は思いもしなかった。
つまり、昨晩の出来事は夢ではなかったのだ。
ローゼンクロイツは椅子から立ち上がって背を見せた。
「帰るね(ふあふあ)」
「もう?」
「じゃ(ふあふあ)」
肩越しに手をひらひらと振って、ローゼンクロイツは病室を出て行った。
じゃなくって。
「ちょっと待ってローゼンクロイツ!」
「なに?(ふに)」
不思議そうな顔を作ってローゼンクロイツは振り返った。完全に作った大げさな表情だ。
「ノートはありがたいんだけど、今日の授業は?」
「なんだい、今日のノートも請求するのかい?(ふにふに) 図々しいよルーファス(ふにー)」
「そうじゃなくって、今日学校は?」
「サボったに決まってるじゃないか(ふあふあ)」
サラッと言った。
「新年度はじまったばかりなのにサボリ? 今年の進級も暫定扱いなんだろ?」
「その問題なら解決したよ(ふにふに)」
「どうやって?(学院長の差し金かな)」
「魔女と取引した(ふあふあ)」
魔女とはカーシャのことである。
去年度の出席日数が足らなかったローゼンクロイツは、マスタードラゴンの鱗をカーシャに渡すことで出席人数を改ざんしてもらったのだ。
用事も済んで今度こそローゼンクロイツは去っていった。それと入れ替わるようにノックが聴こえ、黒衣の男が入ってきた。
「ルーファス君、怪我の具合はどうかね?」
今日も妖しい目つきでルーファスを見るディーだった。
ルーファスしばし無言。
「(もしかしたら昨日よりも悪化してるなんてことは口にできないから)今日にも退院できるんじゃないかなー」
「それは私が決めることだ」
「(あっそ)だよね、でも明日には退院だよね?」
「さて、それは明日になってみないとわからんな(どのような理由で病院に引きとめようか……?)」
一刻も早く退院したい患者と、なるべく長く引き止めたい医者。早く退院したいのは患者の当然の心理で、引き止めたいのは悪徳医師であれば、治療代を多く請求するよくある方法だ。けれど、この二人の場合は動悸が通常と異なる。
今もルーファスを色目で見ているディーと、見られていることに怯えるルーファス。その辺りが二人の動悸だ。
「ルーファス君、困ったことがあったら、いつでも私に相談してくれたまえ」
と、ディーの顔が近づき、逃げようにも動けないルーファス。
「(ちょっと近づきすぎ)ええっと、それでしたら早急にナースコールを直して欲しいかなぁって」
「ナースコールがどうかしたのかい?」
「不思議なことにコールボタンの線が切れちゃって」
不思議なことを言いつつも、実はちゃんとビビがやったことを知っているルーファス。
「ふむ、どのコードが切れているのかね?」
ルーファスに覆いかぶさるようにディーは身を乗り出した。
少し回り込めばいいものを、わざとルーファスに覆いかぶさり、コールボタンを調べる。
ディーとルーファスの胸板が密着。
不可抗力でドキドキしているルーファスの心音に対して、ディーの心臓は動いていないように静かだった。
はたから見ると、ディーが患者をベッドに押し倒しているような光景の中、ノックもされずに病室のドアが勢いよく開かれた。
「ルーちゃん、お見舞いに来たよぉ〜ん!」
部屋に飛び込んできたビビを見て、瞬時にディーはルーファスから退いた。
「また君かね」
ディーの瞳はビビを蔑む眼つきで見ている。完全に邪魔者扱いだ。けれど、目では訴えてもそれを口に出すことはなかった。
ディーはビビの横を通り抜け病室を出ようとした。
「それではルーファス君、また後で……(また邪魔が入ったな)」
二人っきりの部屋で、ビビはルーファスを汚い物でも見るような目で見ている。
「ルーちゃん……不潔」
「ふっ、不潔ってなに?(なんか勘違いされてるっぽいなぁ)」
「あのヒトとどんなカンケイなの?」
「だから、ディーとは医者と患者の関係だから(向こうがどう思ってるかは別として)」
「ホントにぃ?」
「ホントだってば!」
ムキになったのが逆効果で、ビビの瞳イッパイに疑惑が湧いている。
そして、ビビはそっぽを向いて頬を膨らませた。
「ならいいけど(ルーちゃんがそっち系だったら、アタシ一生トラウマになりそう)」
「(なんで怒られてるんだろう)」
会話が途切れ、気まずい空気が流れる。
ルーファスはベッドから降りられないので、この場を逃げることもできない。方やビビは、キッカケを失っていた。
「(このまま部屋出るの気まずいし、でも話す話題がないよぉ……)」
そんなうちにも、気まずい空気は濃度を増していく。
こんなとき、誰かが病室に訪れてくれれば……なんてことも起きてくれなかった。
なにかを思い出したようにビビは手を叩いた。
「そうだ、ルーちゃん知ってる?」
作戦、無理やり話を切り出して、さっきのことは水に流してみる。気持ちも心機一転、笑顔のビビ。笑顔をビビの得意技だった。
「なに?」
「この病院にオバケが出るらしいよ」
「蜘蛛男?」
「はぁ?(それってオバケじゃなくて怪人じゃん)」
蜘蛛男ではないらしい。となると、ローゼンクロイツの話してくれた話ではないっぽい。
話に乗ってきたルーファスを見るビビのキラキラ目線。ちょっと自慢げ。
「教えて欲しい?」
「いや、別に……(怖いからそんなに聞きたくないなぁ)」
「もしかしてルーちゃん怖いの?」
「ギクッ! そ、そんなことないよ!」
「ルーちゃん焦りすぎ(ホントわかりやすいんだから)」
「焦ってなんかないよ!」
無意味に手で防御体勢をするルーファス。完全に取り乱していた。
ルーファスを困らせてやろうとビビは話を続ける。
「実はね……」
「実は……?(あんまり怖くありませんように)」
ゴクンとルーファスは咽喉を鳴らした。と同時にビビが大声を出す。
「ピョンシーが出たんだって!」
「はぁ?(なにそれ)」
「ルーちゃんピョンシー知らないの?(ダッサー、ちょーポピュラーな妖怪じゃん)」
ビビの主観なので本当にポピュラーがどうかはわからない。
なんだかルーファスの恐怖は吹っ飛んだ。聞いたことも見たこともなく、ネーミングもそんなに怖そうじゃない。
「ピョンシーなんて聞いたことないよ。詳しく教えてよ(なんか可愛いウサギの名前みたい)」
「元々人間の屍体なんだけど、そこに闇の力が宿って怪物になるんだよ。ピョンピョン飛んで移動するからピョンシーって名前になったんだって」
「ジャンプしながら移動するアンデッドってこと?」
「うんうん、原産地は東方の国だったかなぁ」
あまり怖そうな感じがしない。特にピョンピョン跳ねるところが、逆にユーモラスに感じられる。
けれど、実際に追いかけられたら怖いかもしれない。
ルーファスの脳裏にトイレのベンジョンソンさんが思い浮かぶ。見た目は犬顔のアフロなのに、追っかけられたときはそれが怖かった。
「(でもあれは夢だ。絶対に夢だ)」
ルーファスは昨晩の出来事を夢と思っているのではなく、夢だと思い込みたいようだった。
「そんなわけだからルーちゃん、今夜調べてみようよ!」
唐突なビビのセリフにルーファス驚く。
「はぁ!?」
「ルーちゃんの代わりにアタシが夜までに準備しとくね♪」
「はぁ?」
「じゃあねルーちゃん、またねー!(夜が楽しみ)」
元気よく笑顔でビビは部屋を後にしていった。一度火がついたビビは止まらないらしい。
「あの、だから、足治ってないんだけど……」
ルーファスは呟いた。だが、ビビはとっくに病室を後にしていた。
独り残された病室に思いため息が漏れた。
天井をボーっと眺めていると、しばらくしてノックが聴こえた。
「どうぞ」
と、ルーファスが合図をすると、ドアを数センチだけ開けて何者かの瞳が部屋の中を覗いた。
「ふふふっ、見舞いに来てやったぞ、へっぽこ」
ドアを大きく開いて入ってきたのはカーシャだった。
ここでルーファスはローゼンクロイツにもした質問をする。
「学校は?(カーシャまでサボリってころはないよね)」
カーシャは魔導学院の教員である。
「昼休みだ(ルーファスのところに来れば、なにか面白そうなことがありそうだと思ったが、なにもなさそうだな)」
「もう昼休みの時間なんだぁ。じゃなくて、昼休みって結構すぐ終わると思うんだけど」
「いざとなれば自習にでもすればよかろう(ぶっちゃけ、ルーファスのいない学院はつまらん)」
「(そろそろこの人クビになってもいいと思うんだけどなぁ)ちゃんと授業しないとクビになるよ」
「そのときはそのときだろう。ところでルーファス、茶!」
病人にお茶を出せ攻撃!
人使いが荒いという限度を越えて、カーシャは怪我人を怪我人と思ってないほど、自己中心的な女だった。
「お茶なら、そのポットで自分でいれてよ」
「客人に茶をいれさせるなど、どういう神経をしてるのだ(ホントつかえんやつだ)」
それはこっちのセリフだ。
ブツブツ愚痴を言いながらお茶をいれるカーシャ。その姿を見ながら、ルーファスはため息を付かずにはいられなかった。
「……はぁ(カーシャってホント人をいたわるってこと知らないよね)。ところでカーシャ何しに来たの?」
「見舞いに決まってるだろう、アホかお前は?」
「(アホじゃないし)だってさ、わざわざ昼休み来るなんて、なんかあるのなぁって思うじゃん」
「特にない」
キッパリ、アッサリ、サッパリ答え、言葉を続ける。
「しいていうなら、面白いことを探しにきた」
「はぁ?」
「なにかないか?」
そんなこと突然聞かれても困る。
「なにかって言われても……病院にオバケが出たらしいって話くらいしかないかなぁ」
「どうしてそんな面白いことを早く言わんのだ」
「話の流れってあるでしょ」
「よし決めたぞ。今夜この病院を捜索するぞ。もちろんお前も一緒だ(今年初の肝試しだ……ふふ、楽しみ)」
「は、はい?」
「では、また夜に来る」
勝手に話を進めてカーシャは部屋を出て行ってしまった。
残されたルーファスは呟く。
「だから足が治ってないから……」
どいつもこいつもルーファスが怪我人だということが、頭からスッポリ抜けているらしい。
頑張れルーファス!
負けるなルーファス!