第17話「目覚めのキスは新たな予感(1)」
クラウス魔導学院に潜む影。
ササッと物陰に隠れて今日もストーキング。
学院で有名なストーカーといえば、ローゼンクロイツの追っかけアインだ。2代目として有名なのがユーリ。そして、このごろウワサになっているのがセツだ。
「嗚呼、ルーファス様。甘味処の割引券を手に入れたのでお誘いしたいのに……(小悪魔がちょろちょろと邪魔ですわ!)」
物陰に隠れていたセツの遠い視線の先で、ちょろちょろとルーファスの周りを小走りしているビビ。
「ねぇ、ルーちゃんルーちゃん、割引券もらったから食べに行こうよ。ジャジャーン!」
効果音を高らかに上げながらビビは甘味処の割引券を出した。
よ~く目を凝らしてセツはビビの手元を見つめた。
「あれは同じ割引券!」
しまった、先を越された。
「いいね、ちょうど小腹も空いてたし」
と、ルーファスはセツの気も知らないで答えている。
悔しそうにセツは袖口を噛みしめた。
「キィー! おんどりゃあ、血の雨を降らせたる!」
ゴリラの形相で鉄扇を構えたセツ。
そこへとある男が声をかけてきた。
「探したぞ」
ゴリラが振り返った。
あ、違った。ゴリラの形相のままセツが振り返った。
思わずビビって後退った大の男は、武術大会で知り合ったハガネスだ。
ハッと気づいたセツは苦笑い。
「おほほほ、ハガネスさんではありませんか?」
「あ、ああ……」
完全にハガネスはドン引きしている。
セツは取り繕うと必死になって、辺りを見回し適当な話の種を探した。そこで目に入ったのが、ハガネスが片手に持っていたトロフィーだ。
「それは?」
白銀に輝くトロフィー。
「こないだの大会のトロフィーだ」
先日の武闘大会の優勝者に捧げられるはずだったトロフィーだ。
「どうしてそれをあなたが?」
「大会は騒ぎで中止になったが、あの騒ぎを収めた功績ということでアステア王の使者がこれをもって来たんだが、俺にはこんな物をもらう資格なんてないから断ろうと思ったが、おまえのことが頭に浮かんでな」
ハガネスはトロフィーをセツに差し出した。
「そうですか……」
セツはトロフィーをつかんだが、手元に引き寄せようとはしなかった。その表情は暗い。
「どうしたんだ?」
「い、いえ、ありがとうございました。これでやっと故郷に帰ることができます」
力強くトロフィーを受け取ったセツは、その顔を見られないように空かさず頭を深々と下げ、逃げるようにこの場から立ち去った。
セツの背中を眺めながら首を傾げるハガネス。
「わからん、悪いことしたか?」
悪気がなくても、物事が悪い方向に向かってしまうこともある。
まさかハガネスがトロフィーをセツに渡したことで、王都アステアを巻き込む大事件になるとはッ!
言い過ぎました。
ルーファス周辺で巻き起こるドタバタ劇になるとはッ!
笑顔爆発でビビが店内から出てきた。
「美味しかったぁ!」
その後ろから、空っぽのおサイフを逆さに振りながら、ルーファスも店内から出てきた。
「割引券につられて逆に高くついたなぁ」
それが店側の戦略だ。
しょんぼりと肩を落とすルーファスの顔をビビが下から覗き込んだ。
「どうしたのルーちゃん、元気ないのぉ?」
「(ビビが片っ端から食べまくるからだよ)」
とは口に出しては言えなかった。
「そうだ!」
と、ビビがなにかをジャジャーンと取り出した。
笑顔のビビ。
表情の曇るルーファス。
ビビの手に握られた10パーセントオフの紙切れ。
「駅前に新しいケーキ屋さんができたんだって!」
「却下」
「えーっ、即答!?」
「だってもうお金ないよ」
「無駄遣いばっかりするからだよぉ」
「(……ひとにおごらせておいて)」
ビビと出会って以来、なにかといつもおごらされているルーファス。そういえばユーリにもよくたかられている。二人ともルーファスに召喚された当初、無一文だったため、その後もズルズルとルーファスにおごらせる構図ができたのだ。
「ルーちゃん仕送りで生活してるんだから、もっとお金は大切に使わないとダメだよ」
「そういうビビはどうなのさ?」
「う……」
言葉に詰まるビビ。
現在ビビも似たような生活だ。
「私は親に仕送りしてもらってるけど、ビビはパラケルスス先生にお小遣いせびってるらしいじゃないか」
「違うよ、くれるからもらってるだけだもん。おじいちゃんも孫ができたみたいでうれしいって」
「学生寮だって裏技使ってタダで使ってるんだし、ところで学費とはどうしてるの?」
「さぁ?」
「そこ『さぁ?』で済む問題じゃないでしょ」
二人は話しながら街を歩き、ルーファスはビビの顔から目を離し、前方に顔を戻したときった。
立ちはだかるセツ。
「大事な話があります――ルーファス様」
周りを歩いていた一般人たちも足を止めてしまうほどの、気合いのこもった真剣な眼差しでセツはルーファスを見つめた。
まだ話も聞いていないのに、ルーファスはどっと汗をかいた。
「な、なんでしょうか?」
思わず敬語だ。
「わたくしといっしょにワコクに来てください」
ガーン。
ショックを受けたのはルーファスではなく、その横にいたビビだった。
そんなビビのようすをセツはチラッと見て、すぐにルーファスへ視線を戻した。
「ルーファス様との結婚をあきらめておりません。ぜひ、ルーファス様にはわたくしの両親に会ってもらいたいのです」
「ちょ、ちょ、ちょっとぉ!」
慌ててビビがルーファスを押し退けて前へ飛び出してきた。
キリッとセツがビビを睨む。
「部外者は邪魔です」
「部外者じゃないもん!」
ほとんど脊髄反射的にビビが言い返した。
「だったら何者だというのですか?」
「ともだち代表!」
「婚約者なら話になりますが、ただの友達なら黙っていてください」
「セったんだって婚約者じゃないクセに!」
「わたくしは少なくとも元婚約者です!」
なんだかルーファスを置いて二人が白熱している。
セツの後ろにはモヤモヤと角の生えた鬼神が見えるような気がするし、ビビの後ろには大きな鎌を持ったドクロさんが見えるような気がする。
ちなみにドクロさんは一般人に取り憑くとかなりヤバイっていうか、死んじゃうが、ビビの実家の守護神なのでビビには無害だ。
ビビがズンと一歩前へ!
「いつどこで?」
「ルーファス様と接吻を交わし、掟が無効になるまでの間です!」
あのときのルーファスとセツのキスシーンがビビの脳裏に浮かんだ。
馬乗りのセツに押し倒さているルーファス。ふたりの唇が……。
カーッとビビの顔が沸騰した。
セツがルーファスに近づいてくる。
ビビがルーファスの前に立ちはだかり両手を大きく広げた。
「だったらルーちゃんの今の婚約者はアタシだもん!」
「ええええーっ!?」
叫んだのはルーファス。裏返った叫び声で歩行者たちが立ち止まって振り向いた。
ハッしてビビは我に返った。
「(うっかり変なこと口走っちゃった、ヤバイどうしよう!)」
慌ててそのままルーファスに耳打ちをする。
「ああでも言わないとセッたんが納得しないと思って。ルーちゃんとアタシただのともだちもんね、ね!」
不自然な強調だったが、ルーファスはそーゆーとこには気づかず納得した。
「つまり作戦ってことだね。よし、それで行こう」
つくり笑いを浮かべながらルーファスがビビより前に出た。
「じつはそうなんだ。ビビと婚約したんだ、さっき」
さっきとか思いっきり取って付けたような設定だ。
見え透いたウソにセツが引っかかるわけがない。
「証拠はありますか?」
「し、しょう……こ?(そんなこと言われても)」
困った顔でルーファスは後ろを振り向きビビと顔を見合わせた。
ズンズンとセツが迫ってくる。
「婚約したというのなら、接吻くらいもうしたのでしょう? ここで見せてくれませんか?(そんなことふたりにできるわけない)」
真っ赤な顔をしてビビは両手で口元を押さえた。
「で、できないよ!」
「ぼ、僕だってそんなこと!」
ルーファスの頭からは湯気が出た。
気づくとルーファスの眼前にセツの顔が迫っていた。
「わたくしはできます。これでまた掟が有効になります」
なんとセツはルーファスの唇を奪おうとしたのだ。
「ちょっと待ったぁ!」
二人の間に入ったビビちゃんのグーパンチがルーファスの顔面に炸裂!
「ぐはっ!」
ぶっ飛ぶルーファス。キスは回避できたがこれは痛い。
そして、ゴリラ現わる。
「なにしとんじゃボケカスがッ!」
ゴリラに怒声を浴びせられたビビはちょっと足を後ろに引いたが、その足を一歩前に出して負けまいと身を乗り出した。
「ちょっと勢い余ってパンチしちゃっただけで、これを見せたかっただけだもん!」
今ルーファスを殴ったばかりのビビの鉄拳。その指に輝く巨大な宝石。
「これがルーちゃんにもらった婚約指輪!」
がーん!
セツショック!
「そ、そんなまさか……(ウソや、ウソに違いない! ルーファス様がビビに婚約指輪を贈るなんてありえへん!)」
素のセツはワコクの西方の方言が出る。
しかし、この婚約指輪はどうしたのだろうか?
立ち直ったセツは疑いの細い眼でビビの指でキラメク婚約指輪をガン見した。
「…………(う~ん)」
ビビの頬を滑る冷や汗。
「も、もうじっくり見たからオッケーだよねっ!」
ササッとビビは手を引っ込めようとしたが、ガシッとセツにつかまれた。
「あやしい……」
つぶやいたセツはなにを思ったのか、舌をペロッと出した。
焦るビビ。
「えっ、なにしようとしてるの!」
必死に腕を引っ張り逃げようとする。が、ゴリラ並みの腕力で離してくれない。
そして、セツはペロッと指輪の宝石を舐めたのだ。
「甘い」
と、一言。
瞬時にそしらぬ顔でビビはそっぽを向いた。
冷笑を浮かべ勝ち誇った顔をするセツ。
「アメちゃんです。ただのお菓子のアメちゃんではありませんか!」
指輪の形をしたアメだったのだ。
ネタバレしてもビビはブッとぼける。
「お、おかしでもいいじゃん。気持ちさえこもってれば婚約指輪にはかわりないもん!」
「そもそもルーファス様から贈られたものなのですか、ルーファス様?」
ここでビビに尋ねても普通にウソをつかれそうだ。ルーファスに顔を向けたの正解と言える。
「え、その……あげたような、あげなかったような……どっちかっていうとあげてない寄りのような気がしないでもするようなしないようなするような……」
しどろもどろだ。
強気に攻められるとルーファスは弱い。いつもそうだ。
ルーファスを見つめていたセツの視界にビビが割り込んできた。
「勝手にルーちゃんを連れて行かないでくれる?」
強気の口調。そして、ビビの手にはいつの間にか大鎌が握られていた。完全に実力行使に出るつもりなのだ。
セツは怯まない。
「友達代表の部外者は黙っていてください」
「ともだちのなにが悪いわけ? カンケーないし、ともだちだって家族だって、いきつけの喫茶店の店員だって、ルーちゃんのこと思ってるひといっぱいいるんだよ、ここには。だから勝手に遠い場所なんかに連れて行かないでって言ってるの。それにルーちゃんだってイヤがってるじゃん」
ルーファスの気持ち……。
哀しげな瞳でセツはルーファスを見つめた。
「本当に嫌なのですか? 心の底から本当に……」
「…………」
ルーファスは難しい顔をして黙っている。顔を伏せたりしてセツから視線を外さないが、言葉は出て来ない。
ほっぺたを膨らませたビビが叫んだ。
「ルーちゃんはっきり言ってやって!」
「そ、その……(セツと結婚なんてできないよ。答えは決まってるんだけど、そんな真剣な顔で僕を見てるセツに言いづらい)」
ダメ人間。
なあなあで済まされる局面ではない。セツは真剣なのだ。
ビビは怒っていた――ルーファスにだ。
「サイテーだよルーちゃん。なんではっきり言えないの? ぐずぐず煮え切らないルーちゃんイライラする」
「イライラするって言われても」
溜め息をもらしながらつぶやき、ルーファスはビビからセツに顔を向けた。
瞳を潤ませているセツ。
ルーファスが動いた!
逃げた!
セツの顔を見た瞬間、一目散に逃げた!
うわあ、ルーファスサイテー。
顔を大きく振ってルーファスに向けたセツの瞳から一粒が散った。
「それでも構いません!」
突然、セツの袖口から巨大なマジックハンドが飛び出した。魔導ではなく機械だ。
びっくり仰天メカにルーファスが捕まった。マジックハンドに持ち上げられ、拘束されてしまったのだ。
目の前で起きた捕物劇にビビは瞳をまん丸にしてその場から動けない。
周りのギャラリーも呆然としている。
叫び声が木霊する。
「ぎゃーっ、助けてーっ!」
逃げられないルーファス。
そのままセツは愛の逃亡劇を開始した。
ルーファスを拉致しながら、素早くこの場から逃げ去ったセツ。
残されたビビはハッと我に返った。
「逃げられたーっ!」
すぐにビビはふたりのあとを追ったのだった。