第2話「リューク国立病院の怪異(2)」
その日の深夜。
トイレでルーファスは目を覚ました。
「(……漏れそう)」
ダムが決壊する寸前だった。
冷や汗をかいて顔を青くするルーファスは、すぐさまナースコールをした。
――繋がらない。
ボタンを連打するが、やっぱり繋がらない。
焦るルーファス。
ボタンから伸びたコードを引っ張ってみた。すると、なんとコードが切断されているじゃありませんか!
切断面は鋭利な刃物でスパッと切ったように鮮やかだ。
「……あっ」
と、呟くルーファス。
「(ビビのせいか)」
大正解!
今日の昼間、どっかの誰かさんが大鎌を振りまして、フルーツを細切れの虐殺したせいだった。あのときに、運悪くコールボタンから伸びたコードを切ってしまったのだ。
ルーファス的大ピンチ!
脚を無意味に包帯でグルグル巻きにされたルーファスは、ベッドから降りることができない。イコール、トイレに行けない。
これはピンチだ!
17歳になってお漏らしなんてできない。
「誰か助けてーっ!」
とりあえず叫んでみた。
しかし、声は個室に響いただけ。
こうなったら治療器具を壊してでもトイレに行くしかない。
その前にとりあえず吊り下げられた右足を動かしてみる。
まったく動かない。
なぜか頑丈に固定され、ビクともしないのだ。
「これって……プチ監禁!?」
ルーファスの脳裏に浮かぶ黒い医師。
吊り下げられた脚に手を伸ばそうとするも、身体が硬くて腹筋もないルーファスには届かない。
やっぱり強引に破壊するしかなさそうだ。
破壊といっても、そんなたいした物ではなく、脚を吊ってる紐を切れはどうにかなりそうだ。
風の魔法を得意とするルーファスは、指先から小さなカマイタチを放った。
スパッと紐切ったことで、吊られていた脚がドスンと落ちる。
「うっ……(痛い)」
骨折した足に衝撃が加わった。
ジーンと来る痛みに耐えること数秒。
フリーズしていたルーファスがやっと起動した。
ベッドから這い降りて、片足でぴょんぴょん跳ねながら病室を出た。
深夜の病院は薄暗く、静かでひんやりとしている。
廊下を照らす薄暗いライトが心もとない。
「夜の病院って怖いなぁ」
怖いのを紛らしてわざと口に出して言ってみた。
が、やっぱり怖いものは怖い。
幽霊は1年中いるが、運が悪いことに今のシーズンは夏。と行きたいところだが秋だったりする。
それでも心霊スポットは1年中心霊スポットである。
心霊スポットの定番のひとつと言えば病院。
病気や事故で無念を抱き死んだ者たちの霊が……。
「……絶対いない」
ルーファス真っ向否定。
ここで公定してしまったら、怖くてトイレに行けない。
負けるなルーファス!
勇気を振り絞ってトイレに向かうルーファス。
が、その足はなかなか進まない。
なぜならば、トイレにはオバケが出るから!
やっぱりオバケが怖いルーファス。
いつの時代も怖い話は子供たちの間でブームになるものである。ルーファスが魔導学園に通っていた頃も、そんな話がブームになったことがあった。
その中にはトイレにまつわる怖い話がいくつかあった。
トイレの中から手が出てきて引きずりこまれるとか、トイレが詰まって逆噴射するある意味怖い話だとか、とにかくいろいろな話があった。
そんなトイレにまつわる怖い話の中で、マスコットキャラ的な幽霊が『トイレのベンジョンソン』だ。各地方によって伝わり方はいろいろだが、見た目はだいだい統一している。
ベンジョンソンさんの主な特徴は、アフロへアーで犬みたいな顔をしていると言う点だ。一説には犬憑きの人間の霊だとも言われるが確証はない。
トイレに出没するベンジョンソンさんはどんなことをするかというと、トイレットペーパーの切れた人に紙を渡してくれるのだ。だだし、1ロールにつき、財布から勝手に10ラウルがなくなる。
そして、もし10ラウルを持っていなかったら……。
ブルブルとルーファスは身体を振るわせた。
ヤバイ、トイレに行きたくなくなってきちゃった。
むしろ行けない。
行きたくない。
逝くもんか。
しかし、股間のダムは決壊寸前だ。このまま放流するわけにはいかない。
よし!
っとルーファスは拳を握って気合を入れた。
「大丈夫、トイレにいるのは妖精さんだけだ、オバケなんていないよね」
きっとトイレにはフローラルな妖精さんがいるだけだ。
ルーファスはぴょんぴょん跳ねながらトイレに向かった。
自分が跳ねる足音が静かな廊下に木霊する。それが怖くてたまらない。もしも、自分以外の足音が……と考えると身の毛もよだつ思いだ。
そこでルーファスは両耳を手で塞いだ。これで変な足音が迫ってきても聴こえない。
「迫ってきたとき聴こえなきゃ意味ないじゃん」
セルフツッコミ。
もしも何者かが迫ってきたのに気付かなければ、逃げることもできないではないか。
結局、耳は塞いでも塞がなくても怖い。
怖いものは怖い。
こうなったらこれしかない。
「(なにか楽しいことを……)」
普段あまり使わない頭で楽しいことを一生懸命考える。
考える。
……考える。
…………なにも浮かばない。
なんて想像力が乏しいんだとルーファスへこむ。
ブルーな気分になって落ち込んだら、余計に今の状況が怖くなってきた。
とか思ってるうちに、ついにトイレの前まで来てしまった。
深夜でもトイレの電気は煌々と輝いていた。これならぜんぜん怖くないかもしれない。
なんだかルーファスは勇気が湧いてきた。
すんなりトイレに入ったルーファスは思わず目を剥く。
なんと不幸なことに男性用トイレ全てに故障中の張り紙あった。
しかも、個室の方も1箇所を覗いて、ドアに故障中の張り紙が張ってあるじゃありませんか。
唯一使用可能な個室は某3番目の個室。
そう、トイレのベンジョンソンさんが出るという個室だ!
「困った(おなか痛くなってきた)」
恐怖と緊張のあまり腹痛を起こすルーファス。
ぎゅるるるぅぅぅ。
お腹が泣く。
ルーファスに選択の余地はなかった。
個室に飛び込み、念のためトイレットペーパーを調べる。
「……うそでしょ?」
紙がない。
神がない。
オーマイゴッド!!
危ないところだった。このまま知らずに用を足していたら、トイレのベンジョンソンさんを召喚するところだった。
昔からルーファスは召喚と相性が悪い。
一刻も早くトイレを出……れない!
閉めた覚えのない鍵が閉まってる。
ドゴドガドガドゴ!
必死になってドアを殴る蹴る。
「うッ!(蹴るんじゃなかった)」
骨折してる足で思わず蹴ってしまった。ドジだ。
ゴン!
と、ルーファスはもう一発ドアを殴りつけた。
「なんで紙がなくて、閉じ込められなきゃいけないのさ!」
「紙イリマスカー?」
蒼ざめた顔でルーファスは辺りを見回す。
「ギャァアアッ!?」
叫んだルーファスの視線はドアの上にある隙間に向けられていた。なんとそこに黒い手に握られたトイレットペーパーが!?
しまった……やちゃった。
召喚しちまった。
トイレのベンジョンソンさん召喚!
先ほどまで閉まっていたドアが自然に開き、アフロヘアーの人影ぐぁっ!
ルーファスは声をあげるでもなく、真正面を凝視してしまっていた。
ボクサーの格好をした黒人男性。しかも犬顔をしたアフロ。
ヤヴァイ、ぜんぜん怖くない。
ベンジョンソンさんはトイレットペーパーをルーファスに差し出している。
「受ケ取ッテクダサイ」
カタコトの言語が胡散臭さ満点だ。
しかし、なんかの魔力なのか、ルーファスはトイレットペーパーを受け取ってしまった。
「あ、どーも。ありがとうございます」
「10ラウル貰イマス」
「はぁ?」
財布なんて持ってないし、10ラウルなんて持ってない。
「10ラウルクダサイ」
「あ、だから、ええっと……(10ラウル渡さないと、どうなるんだ?)」
ルーファスはトイレットペーパーを返そうとしたが、受け取ってくれない。
「返します」
「10ラウル」
「返すってば」
「10ラウル」
「だから返すって言ってるでしょ!」
「10ラウル!」
ついにベンジョンソンさんがルーファスに襲い掛かってきた。
しかもベンジョンソンさんってばヤル気満々。
いつの間にかベンジョンソンさんの拳には赤いグローブが嵌められ、シュッシュッと振られる拳からはなぜか赤い液体が飛び散る。
まさかその赤い液体って……。
ルーファス爆逃!
片足でピョンピョン跳ねながら逃げる。
その後ろをダッシュしてくるベンジョンソンさん。
深夜の病院での奇怪な追いかけっこ。
長い廊下をひたすら逃げる。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
「……おかしい」
逃げても逃げても突き当たりがない。
リューク国立病院はアステア王国一の敷地面積がある。が、そーゆー問題以前の問題が起きているらしい。
「……同じ道じゃ……?」
そう、さっきから同じ廊下をリピートしているのだ。
こんなことでは体力が続かず、いつか力尽きてしまう。
そういえば、こんな怪談をルーファスは思い出した。
無限廊下の話だ。
永遠に続く廊下に閉じ込められた者が翌日死体となって発見された。不思議なことに、その被害者はたった1日しか行方不明になっていないはずなのに、何日も廊下を歩き続けたように痩せこけて力尽きていたのだという。
怖ッ!
廊下に閉じ込められたうえに、後ろからはベンジョンソンさんが追ってくる。
片足ピョンピョンは想像以上につらい。
「もう……ダメだ……」
バタっとうつ伏せでルーファスは力尽きた。
「(きっとあのグローブでボコボコに殴られるんだ)」
死を覚悟したルーファスに迫るベンジョンソンさん。その影はもうルーファスの真後ろに立っていた。
「10ラウル」
「……だからないって言ってるのに」
ぐったりと伸ばされたルーファスの手になにかが触れた。
指先に触れた冷たく硬い感触。
それを握り締めたルーファスは、顔の近くで手を開いた。
「ああっ!」
ルーファスの掌に握られていたのは、なんと10ラウル硬貨!
「やったーっ10ラウルだ!」
誰が落としたのか知らないが、落としてくれてありがとう。
ベンジョンソンさんに10ラウルを渡すと、グッドと親指を立てて笑って去っていった。
眩しすぎる笑顔だった。
「……いったなんだったんだアレ?」
トイレのベンジョンソンさん。そもそもオバケなのかもわからない。よくわからない存在だ。
腹痛はいつの間にかどっかに消えてしまったが、急な尿意がぶり返してきた。
だけど、もうトイレになんて行きたくない。
けれど、トイレに行かないと漏らしてしまいそうだ。
どうするルーファス!
そんなとき、廊下に響いた謎の足音。
ルーファスが床に這いつくばったまま、遠くの暗がりに目を凝らした。
T字路を横に抜ける影。
出たーっ!
「(絶対幽霊だ)」
と、ルーファスは思い込んだ。
謎の影が消えた方向は、ルーファスの病室がある方向だ。つまり返り道。
怖くて帰れないし!
かといって、トイレの方向に引き返すのもイヤだ。
そうだ、もしかしたら目の錯覚だったかもしれない。
一晩に2回も超自然物体に出遭うはずがない。
オバケなんていないのだ!
と、気合を入れてルーファスは匍匐前進をはじめた。
一生懸命部屋に戻る途中、ルーファスは気配を感じて後ろを振り返った。
誰もいなかった。
気のせいかもしれないけど、怖いので匍匐前進のスピードアップ!
オマエの方が怖いよってな動きでガザガサっとルーファスは急いだ。
自分の部屋はもう目の前だ。
今日は電気をつけて眠ろう。
むしろ、朝まで起きてよう。
やっと部屋の前についてルーファスが立ち上がろうとした瞬間、向こう側からドアが開いた。
「ギヤァァァァァッ!!」
悲鳴をあげてルーファスは立ったまま気を失った。
ルーファスの股間に染み渡るあったかいぬくもりが……。
嗚呼、放尿。
ルーファス17の秋だった……。