第2話「リューク国立病院の怪異(1)」
「ルーファス伏せろ!!」
カーシャの声に合わせて、ルーファスは潰れたカエルのように伏せた。
「カーシャどうにかしてよぉ〜」
地面に這いつくばるルーファスの視線の先には、魔導学院の長い廊下と、空色の物体エックスがいた。
「ふにふにぃ〜」
空を漂う羊雲のような声を発したのは、空色ドレスの変人――クリスチャン・ローゼンクロイツだった。
しかも、なぜか頭に猫耳がついている。
もうひとつおまけに、しっぽまで生えている。
その姿はまさに猫人間、略して猫人。
ローゼンクロイツの無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
次の瞬間、ローゼンクロイツのお尻から生えているしっぽが、何メートルもの長さに伸びたり縮んだり、ゴムのように、鞭のように、蛇のように、魔導学院の廊下を縦横無尽にうねった。
「ひゃっ!?」
情けない声をあげたルーファスの頭上をしっぽが掠めた。しっぽが掠めたルーファスの頭は、髪の毛がなぜか逆立ってしまっている。
「カーシャ、感電死する前に逃げようよ(……って)」
カーシャがいたはずの場所には桃色ウサギ人形と置き手紙があった。
「マジでーっ!?」
思わず声をあげるルーファス。
逃げられた。
ルーファスの位置からは手紙の内容を見ることはできないが、彼にはだいたい予想がついている。
――すまん、電流は苦手だ。
とでも書いてあるのだろう。なんせ、カーシャはなにかと苦手なモノが多い女だ。とにかく、なんでも苦手にして逃る。きっと逃げるのが趣味に違いない。
一本しかないはずのしっぽが何本にも見え、とにかくそこら中を勝手気ままに飛び交う。これこそ、ローゼンクロイツの必殺技のひとつ『しっぽふにふに』だ。
その『しっぽふにふに』の厄介な点は、しっぽに高圧電流が流れている点だ。しっぽに流れている電流の電圧は、ローゼンクロイツの気分しだいで、強くも弱くも変わる。つまり、運がよければ肩こり解消、運が悪ければ丸焦げご臨終ということだ。
騒ぎを駆けつけて、魔導学院の黒尽くめ教員が駆けつけてきた。
「騒ぎの元凶は誰だ!」
黒尽くめ教員――ファウストの視線に乱れ飛ぶしっぽと、その根元にいる空色ドレスの猫人が飛び込んできた。
「ローゼンクロイツの猫返りか!?(クク、厄介なことになったな)」
ファウストの言う『猫返り』とは、猫耳にしっぽが生えたローゼンクロイツのことを示している。この猫返りは一種の発作であり、猫返り時のローゼンクロイツは記憶がぶっ飛び、トランス状態になる。つまり、手に負えなくなる。
性格がひねくれていることを覗けば優等生のローゼンクロイツ。性格がひねくれてるのに、『優等生なのかよ!』というツッコミは置いといて、とにかく猫返りをしてるローゼンクロイツは、大問題児の破壊者と化す。
ふにふにしていたしっぽの動きが止まった。
ファウストがいち早く動く。
「来るぞルーファス、デュラハンの盾!」
「えっ!?(な、なにが?)」
目を丸くするルーファスは脳ミソをフル回転させて、現状を分析した。
まず、ファウストは高等呪文ライラによって、防護シールドを作り出した。
とか、分析して間に来ちゃったりした。
無表情な顔についた口が一瞬だけ歪み、すぐに無表情に戻る。
「ふわふわぁ〜」
――来た。
ローゼンクロイツの『ねこしゃん大行進』だ!!
空色ドレスから放出される大量のねこしゃん人形。それは止まることなく、二足歩行で魔導学院の廊下に広がる。廊下を走っちゃいけませんなんて、このねこしゃんたちはお構いなしだ。
ねこしゃんが放出された直後、いろんな場所から爆発音が聞こえてきた。
煙に巻かれながら、ルーファスはむせ返る。
「げほげほっ(ねこしゃん大行進が来るなんて……)」
『ねこしゃん大行進』とはカーシャが名付け親である猫返り時のローゼンクロイツの魔法だ。
この魔法は身体から放出される大量のネコのお人形さんたちが、二足歩行で勝手気ままに走り回り、何かにぶつかると『にゃ〜ん』と可愛らしく鳴いて、手当たり次第に大爆発を起こす無差別攻撃魔法である。
二足歩行のねこしゃん人形がランダムに走り回り爆発を起こしていく。爆発が爆発を呼ぶ最悪な状況だ。
猫返りしてしまったローゼンクロイツには、人間の言葉が通じない。そのうえ、意味不明な破壊活動を行う。ある意味、最強最悪の状態なのだ。
爆発に紛れて、一匹のねこしゃんが地面に這いつくばるルーファスの元にやってきた。
ねこしゃんと目が合ったルーファスの思考一時停止。
「ストップして!」
猫語で言えば止まってくれたかもしれない。
しかし、ルーファスは猫語を知らなかった。
そして、にゃ〜んといっぱつ大爆発!!
白煙といっしょにあたりは真っ白の世界に包まれたのだった。
日差し柔らかな正午前、一人の患者[クランケ]がリューク国立病院に担ぎ込まれた。
――ルーファスである。
爆発に巻き込まれる寸前、ルーファスは魔法壁で身を守ったが、それでも全身に細かい擦り傷を負い、軽度の火傷も数箇所、右脚の骨折。そして、爆風に巻き込まれ、頭に大きなたんこぶをひとつ作って気絶した。
魔法処置で外傷はほぼ完治したが、骨折の治療には少し時間がかかるようで、2日間の入院が決められた。
副院長の計らいで、ルーファスには個室が与えられ、現在ルーファスはスヤスヤと寝息を立てて深い眠りに落ちていた。
幸せそうな顔をして眠っているルーファスに忍び寄る黒い影。その者の全身は本当に黒かった。黒い薄手のロングコートを羽織っているのだ。
黒い影から伸ばされる青白い手。
「まだ麻酔が効いているようだな」
低い男の声を発した唇は、真っ赤な薔薇のように色鮮やかだった。
青白い手がルーファスの首筋に触れた。その瞬間、氷にでも触られたような感覚を覚えたルーファスが飛び起きた。
「ひゃ!?」
奇声をあげて上体を起こしたルーファスと男の視線が合う。
「おはよう、ルーファス君。目覚めはいかがかな?」
低い声でボソボソしゃべる男の言葉を理解するのに、ルーファスは数秒を要した。
「(……ここは、病院か)あ、おはよう、ディー」
ディーと呼ばれた男は静かに微笑み、近くにあった椅子に腰掛けた。その間もディーはルーファスから視線を外そうとしない。ちょっと妖しい視線だ。
「君の負った外傷はすべて完治させておいた。脚の治療には少し時間を有するので2日間入院してもらうが、いいかね?(できれば、もう少し入院してもらいたものだが)」
「入院ですか?(まいったなぁ、再追試があるのに)」
ルーファスは『これでもかっ!!』といった感じで包帯グルグル巻きにされている自分の脚を眺めた。脚は器具によって吊り上げられ、ベッドから身動きできない上体にされている。
このとき、ルーファスはとても嫌な予感がした。
「あのぉ、外傷は治したんだよね?(なのに、なんで脚が治ってないの?)」
「ああ、君に外傷は似合わんからね」
「…………(またかぁ)」
なにかと病院に厄介になることの多いルーファスだが、この病院に来るとなにかと入院を勧められ、なにかと長期入院をさせられる傾向がある。その原因は今、目の前にいるこの病院の副院長の仕業だとルーファスは踏んでいる。
白衣ならぬ黒衣を身にまとった魔法医ディーと言えば、この国はおろか隣国でも有名だ。黒衣をまとう医師というだけで、少し変わり者の臭いがプンプンだが、魔法医術の腕は超一流で、リューク国立病院が創立されて以来から、すっと副院長の椅子に座っている。
ちなみにリューク国立病院は、この国の4代目国王が建設した病院で、ざっとその話は300年以上前のことだったりする。つまり、魔法医ディーは長生きさんということになる。それでも、ディーの見た目は若々しく20代半ばの外見を保っているのだ。
超一流の魔法医と、包帯グルグル巻きの自分の脚を眺め、ルーファスは疑問に思う。
「この脚……治してくれないかなぁ? 明日再追試があるんだけど」
「ふむ、君の脚は実に興味深い複雑な骨折の仕方をしていてね。治療には2日を有するのだよ。これでも最善を尽くして2日だ」
感情を消した表情からは相手の思惟を読み取ることはできなかったが、ディーの瞳は妖しくルーファスを見つめていた。
なぜかこのとき、ルーファスは肉食獣に喰われる感覚に襲われた。
恐怖に身を強張らせるルーファスを見つめ気持ちを察したのか、ディーは静かに微笑んで呟いた。
「君の父上には恩義がある。君には決して手を出さんよ(そして、誰にも手を出させない)」
手を出すってどういう意味だよ!!
ルーファスは生唾をゴックンと呑み込んで、素早くディーから視線を逸らした。
「(やっぱり、この人そっち系の趣味があるんだ。怖いよぉ)あの、お仕事が詰まってるんじゃないですか? 私に構ってないで別の患者のところに行ったほうがいいと思いますよ」
「大丈夫、心配には及ばない。君のために時間を空けてきた」
甘く囁くように呟いたディー。
ルーファスの確信は強まる一方。
この副院長は女性じゃなくて、オトコに興味があるんだ!!
とルーファスは確信した。
黒衣から伸ばされた青白い手がルーファスの首筋に触れた。とても冷たく死人のような手だったが、恐怖のあまりルーファスは逃げることもできなかった。そもそもルーファスの身体にベッドに固定されている。
ベッドに固定され、個室が与えられ、実は個室のドアには面会謝絶の札が立てかけられていたりする。
ビバ・拉致監禁!!
鮮やかな薔薇色をしたディーの口がルーファスの耳元でなにかを囁いた。
「実にきめ細かい肌をしている。この首筋を見ていると、噛み付きたくなってしまう」
「(く、喰われる!)」
そのときだった。個室のドアがガサツにドカンと開けられた。
「ルーちゃん、お見舞いに来たよぉ〜ん!」
個室に飛び込んで来た人影に、ディーはすぐさま顔を向けた。
ピンク色の髪をツインにまとめた少女――自称ちょー可愛い仔悪魔B.B.シェリルだった。
ビビはディー×ルーファスの攻め受けの構図を目の当たりにして、顔を真っ赤にして後退りをして壁に背中をつけた。
「あ、あ、イヤっ、ルーちゃんのえっち!!(ルーちゃんのばかぁ、ルーちゃんにそーゆー趣味があったなんて)」
「ち、違うって、誤解だよ!」
取り乱すルーファスをさし置いて、ディーは何事もなかったようにルーファスの身体から離れ、落ち着いた口調でビビに問いかけた。
「面会謝絶の札が立てかけてあったはずだが、見えなかったのかね?」
「見たよ」
さらっとビビは言った。
「見たけど、それがどうかした? アタシには関係ないしぃ」
常識に欠けるビビに面会謝絶の札は、ただの札と変わらないらしい。
「ふむ、まあよかろう。それではルーファス君、また後で……(仔悪魔の邪魔が入ってしまったな)」
ディーはルーファスの顔を妖しく見つめ、個室を音もなく去っていった。
そのときのディーの妖しい――ビビにはイヤらしいと感じた目つきを見て、ビビはやはり不審そうにルーファスの顔を覗き込んだ。
「ルーちゃん、あの人だれ?」
「ここの副院長だよ」
「ふ〜ん、ルーちゃんとどんな関係?」
「医者と患者の関係だけど……(あっちがどう思ってるかは自信ない)」
「ふ〜ん」
鼻を鳴らすビビは少しほっぺたを膨らませて、そっぽを向いた。
「なに怒ってるの?(なにかしたかな、昼間の破廉恥な情事で軽蔑されたとか?)」
怒られているような気はするが、なにが原因でそっぽを向かれてしまったのか、ルーファスには検討がつかない。ルーファスにしてみれば、『なんで怒ってるんだろう、変なの』ってくらいにしか思っていない。
ルーファスの意図しない沈黙が流れる。
けれど、そんな沈黙も長くは続かなかった。
コンコンと規則正しい音色を奏で、空色の声が室内に流れ込んできた。
「お邪魔するよ、へっぽこくん(ふあふあ)」
面会謝絶の札は立てかけてあったはずなのだが、この人物にも意味を成さないらしい。――ローゼンクロイツである。
「お見舞いに来たよ(ふわふわ)。ほら、果物でも食べて元気になるといい(ふにふに)」
ローゼンクロイツの差し出したカゴには、フルーツ盛り合わせが入っていた。お見舞いの定番商品だ。そのフルーツ盛り合わせの中に入っているフルーツの定番と言えば、これだ!
「ラアマレ・ア・カピス発見♪」
ラアマレ・ア・カピス――通称ピンクスボムを見たビビが声を弾ませた。
ピンクボムは高級高級果物として有名であり、学生の分際で、お見舞いに持ってくる品ではない。
「ルーちゃんこれ食べていい?」
「……めっ!(ふっ)」
答えたのはルーファスではなく、ローゼンクロイツだった。
「だめだよ、これはルーファスのために持って来たんだからね(ふにふに)」
「いいじゃん別に。ねっ、ルーちゃんいいよね?(早く食べたいなぁ♪)」
「私は別にかまわないけど……」
「……めっ!(ふっ)」
無表情のままローゼンクロイツと頬っぺたを膨らませたビビが対峙する。
先攻ビビ!
「ルーちゃんがもらった物をルーちゃんがどうしようとルーちゃんの勝手でしょ。ルーちゃんがアタシにくれるって言ったんだから、これはもうルーちゃんの物じゃなくて、アタシの物よ!」
ルーちゃんルーちゃんと連呼したビビの息はすで上がっている。対するローゼンクロイツはいつもどおりの表情で、汗一つかいていない。このビビVSローゼンクロイツの構図を見る限り、ローゼンクロイツが勝っているように見えてしまう。
しかも、ローゼンクロイツの態度と来たら、こうだ!
「ところでルーファス、再追試は事故ということで延期にしてくれるそうだよ(ふあふあ)」
ビビのこと完全無視だった。
「ちょっとあなたアタシのこと無視?(この大っ嫌い!)」
一人相撲状態のビビは頭から湯気を出して怒るが、ローゼンクロイツはまったく相手にしていなかった。
「じゃ、ボクは再追試のことを伝えに来ただけだから帰るよ(ふあふあ)」
「ちょっと、まだアタシと――」
ビビの声を背に受けながら、ローゼンクロイツは背中越しに手を振って病室を出て行ってしまった。
バタンと病室のドアが閉められ、なんだかビビちゃん敗北感!!
戦う前から負けた。
けど、ビビちゃんは強い子、泣かない子。気持の切り替えだって早いんだもん。
「ラアマレ・ア・カピス食べよぉ食べよぉ♪」
自分の顔ほどもあるピンクボムを両手で抱え、ビビは上機嫌だった。気持の面ではローゼンクロイツに負けたビビだが、ピンクボムを手に入れたので、その点では勝ったと言えよう。
「ルーちゃん、包丁ないの?」
「ないよそんなの」
「えぇ〜っ、包丁ないと皮むけないじゃん!」
「そんなこと言われても、ない物はないよ」
「いいよ、あれ使うもん」
「あれ?(あれってなんだろう、大変なことにならなきゃいいけど)」
心配顔のルーファスのことなどすでにビビの脳内から追い出され、代わりにピンク色の果物がいっぱいに詰められていた。
目の前にある果物を絶対に食べる。
ビビの手の周りの空間が歪む。
安易召喚だ。
突如として現れた大鎌がビビの手に握られていた。別空間にしまってあったビビ愛用の大鎌を召喚したのだ。
大鎌を構えるビビの姿を見て、ルーファスは思った。
「ありえない……(あんなので果物がむけるわけないよ)」
ルーファスの予想はぴったし当たった。
「あれ、あれれぇ、おかしいなぁ(皮がむけないよぉ)」
巨大な鎌をぶんぶん振り回したり、あーでもない、こーでもないと、ビビは悪戦苦闘している模様だが、大鎌で果物の皮がむけるわけない。それでもビビはピンクボムとの戦いをやめない。そして、いつしかピンクボムはズタズタに切り刻まれ、見るも無残な残骸になっていくのだった。
アステア王国でのピンクボムの取引価格は1000ラウル前後である。1ラウルチョコ1000個分、うめぇぼうなら500個分だ。残骸と化した物体に手を合わせ祈りを捧げよう――さよならピンクボム、君のことは忘れない。
ピンクボムの果実部分は真っ赤な色をしているため、赤い物体が飛び散る床と、その現場に赤い何かが付着した大鎌を持つ少女。しかも、その少女の目は『敵』との過酷の戦いのため眼が血走っている。まさに惨殺現場だ!
「ビ、ビビ、なんか怖いよ(鎌持って眼がいちゃってるし)」
「ラアマレ・ア・カピス食べたかったのに、もういいよ!」
もうよかない現状が床に広がっているが、プンスカプンと怒っているビビは病室を出て行ってしまった。
残されたルーファスは、
「……掃除、誰がするんだろう?」
脚を包帯グルグル巻きにされているルーファスはベッドから降りることもできない。
部屋中に甘ったるい匂いが立ち込めていく中、ルーファスは床に散らばる残骸を眺めることしかできなかった。
「気持悪くてはきそ……」
甘い甘い匂いに包まれ、ルーファスはベッドに沈んでいった。