第12話「ルーファスエボリューション(2)」
逃亡を図ったルーファスだったが、すぐビビが追いかけてきた。
「ルーちゃん病院!」
「病院なんて行かないよ、本当に大丈夫だから!」
逃げ続けるルーファス。
だが、本当に手強いのはビビではなくローゼンクロイツだった。
「ライトチェーン(ふあふあ)」
ローゼンクロイツの手から放たれた魔導チェーンがあっさりルーファスを拘束。
簀巻きにされたルーファスは身動きひとつ取れなくなった。
「ううっ……ひどいよローゼンクロイツ」
「ボクはひどくないよ(ふあふあ)。それよりも、ルーファスだれかに目をやられたの?(ふーっ)」
「まあ、そういうこともあったりなんかしたり」
そこへビビが割ってはいる。
「あたしのせいなの! ルーちゃんがあたしのこと庇ってくれた代わりに……」
「詳しく教えてくれる?(ふにふに)」
ローゼンクロイツの瞳が妖しく輝いた。
――こうしてビビは事件の詳細を語り、それが終わるとルーファスは酷く落ち込んだ。
「クロウリー学院長に他言無用って言われてたのに……」
溜息を落としたルーファスをローゼンクロイツが見つめた。
「あいつに何を言われようと心配しなくていいよ(ふーっ)。ルーファスに手を出すようなことがあったら、絶対に許さないからね(ふーっ)」
いつもよりもローゼンクロイツが波立っていることにビビも気づいた。
「(もしかしてローゼン怒ってる? ルーちゃんのことだから? ルーちゃんとローゼンって……)」
こんな風にローゼンクロイツを感じたのは、ビビにとってはじめてだった。
ビビがルーファスやローゼンクロイツと知り合って、まだ一ヶ月も経っていない。出会ってからからは内容の濃い日々であったが、それでも二人の知らない一面もあるのだ。
ローゼンクロイツがビビに顔を向けた。
「それでゴールデンクルスはどこにいるの?」
「えっ、え~っと、どうなったのかなあのあと?」
ビビはルーファスに顔を向けた。
「私は知らないよ、目が見えなくてよくわかんなかったし」
二人ともゴールデンクルスのその後を知らないようだ。
ローゼンクロイツは斜め下に顔を向けた。
「ボクが傍にいればそんなことにはならなかったのに……目には目を、歯には歯を(ふっ)」
そして、ボソッとつぶやいた。
ビビはその発言を耳にしてしまって寒気を感じたが、聞かなかったことにしてスルーした。
「そんなことより! ルーちゃんを病院に連れて行かなきゃ!」
「病院なんて行きたくないよ」
ルーファス拒否!
だが、ローゼンクロイツも同意する。
「そうだね、ルーファスをリューク国立病院に連れて行こう(ふにふに)」
「ヤダよ、あんな病院絶対行きたくないよ!」
ルーファス拒否!
でも、簀巻きのルーファスをビビが引きずって動かす。
「ほら、早く行くよっ!」
「ヤダってば、なんで病院なんかに、しかもリューク国立病院なんて絶対行かないよ!」
なぜリューク国立病院に行かなくていけないのか、そこにはちゃんと理由がある。そこんとこをローゼンクロイツが説明する。
「魔導学院で起きた怪我や病気は提携しているリューク国立病院が看ることになってるんだよ(ふにふに)。学割も利用できるし、あそこなら腕も確かだからね、絶対にルーファスの目はよくなるさ(ふにふに)」
「ヤダってば、リューク国立病院だけは絶対にヤダ、百歩譲ってほかの病院なら行くから、妥協してほかの病院ならいいから!」
だが、抵抗もむなしくルーファスはズルズルと引きずられた。
リューク国立病院の診察室。
ルーファスは簀巻きからグレードアップして、ベッドに縛り付けられていた。そんな状況に追い詰められても、ルーファスは逃げようとジタバタ必死だ。
なぜなら――。
「嬉しいよルーファス君。君が看て欲しいと言うから、今日の予約を全部キャンセルして予定を空けておいたよ」
甘く囁くような低い声。小さな声なのでちょっと聞き取りづらい。
ルーファスの顔を覗き込んでいるのは、蒼白い顔をした黒衣の魔導医ディーだった。
「(だからここの病院はやだったんだ)」
吐きそうなほど嫌そうな顔をルーファスをしていた。
リューク国立病院に来たくなかった理由は、このディーが絶対にルーファスを看ることになるから。
病院自体に来たくなかった理由は?
「(病院に来るとあの夜のことが……)」
深夜の病院で起きた怪異。そして、その後の顛末である洗い立てのパンツ事件。あのことがキッカケで、病院というキーワードがトラウマになっていたのだ。
だからって、一晩して視力が多少回復したとはいえ、病院行けよって話である。そのまま失明する可能性だってあったはずだ。なのに、ほっといてしまうテキトーなところが、部屋の散らかりようからもわかるルーファスクオリティだ。
身動き一つできないルーファスの顔にディーの顔が近付いてきた。
「近いって、近い近い顔が近いよ!」
「ルーファス君の唾が私の顔に掛かっているよ。ところでルーファス君、唾の中にはどの程度の細菌が含まれているか、知っているかね?」
「そんなこといいですから、顔が顔が……っ!?(口が近い!)」
ルーファスは口をつぐんだ。
目と目が合う。さらに口と口もすぐ近くだ。キス寸止め状態。
その光景を見守っていたビビはちょっとイヤそうな顔をしていた。
「(近い、近い、近いよこの二人……ここの副院長ってやっぱりそっち系!?)」
止めに入るか迷うビビ。
でもまだ未遂だ!
ただちょっと見つめ合っちゃって、口と口が触れあいそうなだけだ!
この展開にルーファスは冷や汗だ~らだら。
「(長い……長いよ、早く終わらせて顔を放して欲しいんだけど)」
ディーの瞳は少し赤みがかっている。そして、ルーファスの顔に吹きかかる息は冷たい。
3分間くらい顔が近付いたままで、やっと看終わったようでディーは顔を離した。
「ふむ。視力の測定をしてみよう」
ディーはそう言ってベッドを持ち上げた。
持ち上げた?
驚くルーファス。
「えっ、ちょっと、なに、なにする気!?」
決してもやしっ子というわけではないが、マッチョでもないディーがベッドを持ち上げて、なんとベッドを立ててしまった。
ルーファスの視線は天井から壁へ、視力検査の表に向けられた。
――と、その前に立ちはだかっていた空色の影。
ローゼンクロイツは独りで勝手に視力検査をしてルーファス放置をしていた。
「……右。上、上、下、下、左右左右」
だれも正解を答えてくれないので、検査にもなっていない。
ディーはローゼンクロイツを押して退かし、視力検査表の横に立った。
「ルーファス君、以前の視力はいくつだね?」
「え~っと(去年の健康診断で……)わかりません。とびきり良かったわけじゃないですけど、生活に困らない程度は見えてました」
「君の視力は右が1.0、左が1.2だったと記憶しているが?」
「(知ってるなら聞かなくてもいいのに。というか、なんでそんなこと知ってるの?)はぁ、そうなんですか」
おそるべしディー。
クラウス魔導学院の健康診断もこの病院が行っているので、きっとルーファスの詳細な診断書がディーの手元にあるに違いない。
白衣のポケットからディーは指示棒と取り出した。
「それでは右目から行おう。左目をつぶって、これがわかるかね?」
1.0の並びのマークが指示棒で指された。
ルーファスは左目をつぶって、それをじ~っと見つめた。
「見えません」
次々とマークが指されていく。
その度にルーファスは『見えません』と答えた。
ディーは指示棒の先端を床に向けた。
「では、次は左目だ」
言われてルーファスは右目をつぶろうとするが、頬が引きつってうまく片目だけ閉じられない。
ものすごくブッサイクな表情になってしまっている。
「う……まく、つぶれないんですけど?」
「だれか目を押さえてやってくれないかね?」
ディーはビビとローゼンクロイツに顔を向けた。
ルーファスはベッドに拘束されているので、自分の手で目を隠すこともできない。
ビビが元気よく手を挙げた。
「はいはい、は~い! アタシがやりま~す!」
さっそくビビはルーファスの目を手で覆った。
「…………」
ルーファス沈黙。
そして、ボソッと言った。
「なにも見えないんだけど?」
言われてビビはハッとした。
両手でルーファスの両目を隠してしまっていたのだ。
「ごめ~ん! 間違っちゃった、えへっ♪」
気を取り直して視力検査再開。
次々と指されるマークだが、やっぱり『見えません』の連続だった。
そして、検査が終わるとディーは深刻な顔をした。
「ふむ、両目とも0.2以下だ。ここではこれ以下の検査はできないので、ほかの場所で精密な検査をしよう。そして手術だな」
「はっ?」
っと言ったままルーファスは固まった。
ルーファスの頭の中で『手術』という言葉がエコーした。
そして、ハッと我に返った。
「絶対イヤだよ! 死んでもイヤだよ! 手術なんてありえないよ、しかも目とか危ないじゃないか!」
ルーファスの頭に過ぎるニュース。王都のとある眼科で手術を受けた患者が次々と角膜炎を発症、視力が落ちた患者や失明寸前の患者まで出てしまった。当時まだ視力が悪くなかったルーファスは、『ふふ~ん』と思うだけだったが、その恐怖が今襲い掛かってきた。
妖しげにディーは微笑んでいる。
「手術と言っても実に簡単なものだよ。もちろん私が執刀する」
「手術なんてしません!(しかもこの人が執刀したら、麻酔かけられてる間にどんなことされるか……怖っ)」
ちなみに通常、眼の手術は局部麻酔なので、あ~んなことやそ~んなことをされる心配はたぶんない。
ビビがルーファスを見つめた。
「視力が戻るなら手術したほうがいいよ!」
「人事だと思って、手術受けるの僕なんだからね!」
が~ん、ビビちゃんショック!
ルーファスのためを思っていったのに、怒鳴られた。
落ち込むビビに代わってローゼンクロイツが促す。
「手術すればいいよ(ふあふあ)」
「ローゼンクロイツも人事だと思って!」
「うん、人事」
が~ん、ルーファスショック!
投げたボールをそのまま打ち返された。
ディーがルーファスの目の前にまで近付いてきた。
「友人たちもこう言っているのだよ。今からすぐ手術をしようではないか」
「いやいやいや、気が早いですからディー先生。ちなみにその手術ってどんなものなんですか?」
「角膜をスライスして」
「はっ? 絶対にありえないし、絶対に手術なんてしませんから!!」
ルーファスはジタバタして暴れようとするが、拘束されていて身動き一つできない。
ディーはどこからともなく注射器を取り出した。
「手術中に暴れられると危険だから、全身麻酔にしよう」
笑った。ディーが妖しく笑った。全身麻酔なんてされて気を失ったら、なにかされる!
ルーファスは逃れるために必死だった。
「ヤダヤダヤダヤダーッ!」
叫んだルーファスが思わぬ力を発動させた。
魔力の暴走による爆発。
ルーファスを中心に小爆発が起き、ディーの身体が吹き飛ばされた。
「良い魔力だルーファス君」
爆発に巻き込まれながらディーは無傷。黒衣が多少焦げている。
思わぬ爆発にビビも驚いた。
「だいじょぶルーちゃん!」
そして、ローゼンクロイツは独りで視力検査!
「上上、下下、左右左右」
肝心のルーファスがベッドから解放され、さらにローゼンクロイツの魔導チェーンも破壊していた。
拘束を解いたルーファスはすぐさま逃亡。
「手術なんてイヤだーっ!」
診察室を飛び出したルーファスは病院の廊下を走った。
だが、前がよく見えずにいきなりだれかに大衝突!
ドン!!
看護婦が転倒。M字開脚でパンツ丸見えだが、今のルーファスにはぼやけて見えない。ちなみに純白のレース付きだ。
「ご、ごめんなさい!」
謝ってる相手が看護婦だってこともよくわかっていない。
すぐに後ろからはディーが追いかけてくる。
「そこの彼を捕まえろ。麻酔を使っても構わない、怪我は絶対にさせるな」
ボソボソっとした小さな声なので、周りのスタッフには届かなかった。
突然、ルーファスの頬を何かか掠めた。
まるでそれはダーツ。
ルーファスが振り返ると、ディーが注射器を投げてきた。
ビュン!
「うわっ!(注射器投げるとかありえないし!)」
さらにビュン!
ビュン、ビュン!
次から次へと投げられた注射器をかわすルーファス。
ディーは眉を細めた。
「私のダーツをかわすとは、良い瞬発力だルーファス君」
避けるのはだけは得意なルーファスだったりする。
ルーファスから外れた注射器は、そこらへんを歩いていたスタッフや患者に刺さり、次々と深い眠りに落ちていく。
「なんでこんな人が副院長なんだよ!」
ルーファスは叫んで逃げた。
王都アステアでは実力主義なところがけっこうあるので、アレな人でもいいポジションにいる場合が多い。クラウス魔導学院の教員もそんな感じだ。
とにかくルーファスは逃げた。
逃げて逃げて逃げまくるほどの被害拡大。
大量のスタッフが意識を失ったために、病院機能まで低下。
大惨事だ。
スタッフたちも必死でディーを止めようとする。
「副院長もうやめてください!」
「黙りたまえ」
ディーの投げた注射器にブスっとされて、止めに入ったスタッフも深い眠りに。
スタッフはルーファスを捕まえるグループにも分かれていた。
「大人しく捕まりなさい!」
でもなかなか捕まらないルーファス。
だって逃げるのは得意だから。
ついにイライラしてきたスタッフはルーファスに殴りかかってしまった。
そこへディーの投げた注射器がブスッと、殴りかかったスタッフも眠らされた。
必死で逃げていたルーファスだったが、ついに廊下の端にまで追いやられてしまった。これ以上逃げ場はない。
この場にビビも追いついてきた。ちなみにローゼンクロイツは病院で迷子になっている。
ルーファスに迫るディー。
「もう逃げ場はないよルーファス君」
「手術は……手術だけは……」
生唾をゴクンとルーファスは飲んだ。背中はもう壁についてしまっている。
このままルーファスは一巻の終りなのか!?
しかし、ここでルーファスはある言葉を叫んだのだ。
「メガネにしたいと思います!!」
言葉は瞬く間に廊下を駆けた。
一瞬、ディーの動きが止まった。
「め、眼鏡だと……ルーファス君が眼鏡だと……眼鏡よりも私は手術を勧める!」
ルーファスの眼鏡発言は儚く散った。
手術を勧めるというか、このままだと強制手術展開だ。
だが、一瞬ディーが動きを止めたときに、ルーファスはすでにこの場を切り抜けて逃亡していた。
そして、ルーファスは病院からの脱出を成し遂げたのだ!
「ハァーッハァーッ、死ぬかと思った」
「ルーちゃんだいじょぶ?」
「大丈夫じゃないよ、あとちょっとで手術なんてされそうになったんだから」
「あれ、ところでローゼンは?」
ビビは辺りを見回した。
この後、ローゼンクロイツは1時間かけて、病院ダンジョン自力で攻略したのだった。