第12話「ルーファスエボリューション(1)」
壮大な音を奏でる目覚まし時計。
散らかって山積みになった物が今にも崩れそうだ。
そんな中でスヤスヤと寝息を立てているルーファス。
突然、部屋のドアが開いた。
「起きろルーファス!」
リファリスが部屋に飛び込んできたと同時に物の山が崩れた。
それでもルーファスは起きない。
目覚まし時計を握り締めたリファリス――次の瞬間!
「うるさい!!」
目覚まし時計が投げられた!
もちろん標的はルーファスだ。
顔面ヒット!!
「ぼぎゃっ!」
奇声をあげて飛び起きたルーファス。
痛そうな顔をしながらルーファスは目をこすった。
「(なんか頭がクラクラして目が霞む)リファリス姉さん……起こしてくれるのはありがたいんだけど、もっとやさしく起こしてくれないかな?」
「こっちだって起こしたくて起こしてるわけじゃないんだ。わっちはね、あと3時間は寝たいんだ。それなのにいつもいつも、バカうるさい目覚まし時計の音で起こされて……たっく」
「そんなこと言うなら、ウチに泊まらなきゃいいだろ。姉さんいつまでウチにいる気?」
「いつまでいたっていいだろ。わっちの勝手だろ」
「…………(居候なのに態度がデカイ)」
建国記念祭のために帰ってきたリファリスだったが、祭りが終わっても未だに居座っている。
「(僕の悠々自適な一人暮らしが完全に壊されてる。かと言って面と向かって出てけとは言えないわけで)」
ルーファスは溜息を漏らした。
そう言えばリファリスが来てから、余計に家が汚くなったような気がする。
あと先にトイレへ入られたり、お風呂に入られたり、見たいテレビが見られなかったり、どんどんルーファスの生活が脅かされている。
「なんとかしなきゃ」
と、ルーファスは思わず口に出してつぶやいてしまった。
「なにをだい?」
「えっ、な、なんでもないよ! 顔洗ってくるね!」
慌ててルーファスは部屋を飛びだそうとしたのだが、足下にあった洋服の山に足を引っかけて大きく転倒してしまった。
「イッター! 手ついたときにひねった……」
「ったく、ドジなんだから。ほら、早く顔洗ってシャキっとしてきな」
「わかってるよぉ」
めんどくさそうにルーファスは言って、ヨロヨロ歩きながら洗面所に向かった。
洗面所で顔を洗い、目の前の鏡を見たルーファス。
「あれ?」
鏡に映った自分の顔をぼやけている。
もう一度、顔を洗ってから鏡を見てみた。
「あれ?」
まだぼやけている。
「おかしいなぁ」
目を擦ってみてがかわりない。
「アーーーーーーッ!!」
突然叫んだルーファス!
「どうしたルーファス!?」
リファリスが駆けつけてきた。
どういうわけかルーファスの目が泳いでいる。
「べ、べつにたいしたことなんだ」
「いきなり家の中で叫び声なんてあげて、ビックリするだろ。で、どうしたんだい?」
「それが……ちょっと視力が下がっちゃって、あははー」
「パソコンのやりすぎだろ」
「そうだね気を付けるよ」
「ったく人騒がせな弟だよ」
リファリスが去っていく。
その姿が完全に見えなくなってから、ルーファスはツバを呑み込んだ。
「(ちょっと下がったどころじゃないよ。一晩寝ればよくなるよ思ったに、ぜんぜんボヤけてるよ)」
口止めされているので、ルーファスはリファリスに本当にことを言えず誤魔化したのだ。
それは昨日、魔導学院で起こった事件だ。
相手の放った閃光魔法により、視力を失いなにも見えなくなったルーファスだったが、病院での診察を断り、一晩寝れば大丈夫と自宅に帰ってすぐに寝たのだ。なにも見えなかった昨日に比べれば、だいぶ見えるようになっているが、目の前の鏡に映った自分の顔がぼやけている。
「(みんなにも気づかれないようにしなきゃ。そうしないと病院に連れて行かれる)」
病院行けよ。
こうして視力が下がったルーファスの1日がはじまるのだった。
事件の翌日にはもう授業があるクラウス魔導学院。
事件の大きさを隠蔽する理由もあるが、本当のところは単なるスパルタだったりする。テロという外部からの事件は滅多にあることではないが、内部での大事故などはそこそこあることなので、そういう慣れもあって立ち直りが早いという理由もある。
学院の廊下を歩くルーファス。
向こうからツインテールの女の子がやって来た。
「おはようビビ」
「…………」
「黙っちゃってどうかした?(機嫌悪いのかなぁ)」
相手の顔がなんとなく見えたところでルーファスはハッとした。
「(ビビじゃない!)」
見事な見間違えだった。
ツインテールというところまでは同じだが、体重はルーファスの2倍くらいありそうで、ビビとは似ても似つかない女の子だった。
慌ててルーファスは誤魔化そうとした。
「あ~っ、ビビ、おはようビビ!」
遠くに手を振って、まるでそこにビビがいるかのように振る舞って、ルーファスは駆け出した。
ちなみにルーファスが手を振った方向にはだれもなかった。完全に変な人だと思われただろう。もしくは見えないモノが見えてる人。
誤魔化しきれなかったが、どうにかルーファスは危機を乗り切った。
教室に入ったルーファスは、周りに適当な挨拶しながら、自分の席に座ろうとした。
が、その席には先客があった。
ここでルーファスは辺りを見回して気がついた。
「(自分の教室じゃない!)」
慌ててルーファスは教室を飛び出し、今度こそ自分の教室に入った。
周りの生徒を目を凝らして見る。クラスメートたちに間違いない。
ほっとしながらルーファスは席に着いた。
すると、ツインテールの女の子が駆け寄ってきた。
思わずルーファスは身構えた。
「(本物のビビ?)」
さっきに失敗が思い出される。
「ルーちゃんおっはよ~ん♪」
この声は紛れもなくビビだ。
「よかった……おはようビビ」
「よかったってなにが?」
「いや、べつにこっちの話」
「気になるよぉ」
プイッとした唇を尖らせた表情でビビが顔を近づけてきた。ここまで近付くとちゃんとビビの顔を見える。
「べつにたいした話じゃないよ。ちょっとさっきビビと間違って別の子に挨拶しちゃっただけだよ」
「(が~ん、アタシと別の娘[コ]を間違えるなんてショック)あはは~っ、そうなんだー」
ビビちゃん苦笑い。
そんなこともありつつ、この後もいつもどおり過ごしていたルーファスだったが、1時間目からトラブルが発生してしまった。
「(字が……読めない)」
黒板に書かれた文字がよく見えないのだ。
ルーファスは隣の席に座っている生徒のノートをチラ見した。
「(こっちも見えない)」
他人のノートを写そうとしたが、こっちのほうがもっと見えなかった。
そして、けっきょくノートを取れずに1時間目が終わってしまった。
休み時間、席に座ってじっとしているルーファスは、青い顔をして焦っていた。
「(ヤバイ、実技が苦手だから筆記でフォローしなきゃいけないのに、ノートが取れないなんて致命的じゃないか)」
「ねぇ、ルーちゃんだいじょぶ?」
「(もしも筆記が赤点なんてことになったら……)」
「ねぇってば」
話しかけているのはビビだが、ぜんぜんルーファスの耳には届いていなかった。
「(退学とか留年とかになったら……父さんになんて言われるか。今でも首の皮1枚って感じなのに、完全に絶縁になって国から出て行けとか言われたどうしよう)」
「ルーちゃん聞いてるぅ?」
「はぁ……困ったなぁ」
「ねぇ、どうかしたの?」
「どうかしたもなにも……わっ、いつの間にいたの!?」
ビックリしてルーファスはイスから落ちそうになった。
「だいじょぶルーちゃん?」
「だ、だだ大丈夫だよ! あははー」
「なに慌ててるの?」
「べ、べつに!」
「今日のルーちゃんなんか変だよぉ」
クリクリしたまん丸な瞳でビビが覗き込んでくる。
慌てたルーファスは話を逸らそうとした。
「えっと、次の授業はっと……(見えない)」
教室に張り出されている時間割表が見ない。
「次は錬金術の授業だよっ。移動教室だから早く行かなきゃ遅れるよ?」
「そう、そうだった。うん、早く行こう」
教科書を持って席から立ったルーファスだったが、その袖をビビがグイっと引っ張った。
「ルーちゃんそれ錬金術の教科書じゃなくて、魔導史の教科書だけどぉ?」
「えっ!?」
普段からこーゆーミスの多いルーファスだが、今日は視力が落ちたせいでミス連発だ。
ビビは心配そうな顔をしている。
「やっぱり変だよルーちゃん。なんかいつもよりドジっていうか、マヌケっていうか」
「(普段からそう思われてるのが軽くショックなんだけど)そんなことないよ、いつもどおりだよ(いつもどおりって言い方すると、いつもドジでマヌケってことを肯定することになっちゃうけど)」
「そうだね、いつものルーちゃんだよねっ♪(本当は心配だけど、ルーちゃんがそういうなら)」
「(うわっ、ショック。いつものって、ドジでマヌケってことじゃないか)そうそう、ビビの思い過ごしだよ。ほら、早く移動しなきゃ」
二人が教室を移動し終わると、ちょうとチャイムが鳴った。
すでに教室には錬金術教師のパラケルススがいて、すぐに授業がはじめられた。いつもパラケルススは時間に几帳面なので、少しでも教室に入るのが遅れるとアウトなのだ。
今日の授業は薬品の調合が行われた。
黒板に書かれたレシピを元に、ひとりひとり薬品を調合する。
さっそくルーファスは黒板とにらめっこをしていた。
「(この培養液の中にこれを7ロッシ入れて、こっちは8ミロッシ入れるのか)」
液体の入ったフラスコに、2つの粉を入れてルーファスはよくかき混ぜた。
だんだんとフラスコが熱を持ってきて、なにやら煙が発生してきた。
「あれ……あちっ、あちちっ!」
急激に熱くなったフラスコを持っていられず、思わず手を放してしまった。
ルーファスの手からフラスコが床に落ちる。
ドッカ~ン!
バリーンとは割れずに、轟音を立てて起こってしまった小爆発。
辺りが煙に包まれた。
すぐさまパラケルススが近付いてきて、持っていた杖に煙を吸引させた。
「大丈夫かねルーファス?」
「げほげほっ……だ、だいじょうぶです。本当にごめんなさい」
「怪我がないならなによりじゃ」
パラケルススは柔和な顔をしているが、ルーファスの顔は文字通り真っ青。薬品で顔が青く染まってしまっていた。
周りからドッと笑いが漏れる。
いつものことにルーファスは肩を落として溜息を漏らした。
調合の失敗の理由は読み間違えだった。薬品の量を間違って読んでしまったのだ。
「顔洗ってきます」
と、言ってルーファスは教室を出て行った。
その背中を心配そうに見つめていたビビ。
「ルーちゃん」
ルーファスの後ろが姿は、なんだかいつも以上に肩を落としているように感じられた。
放課後になり、ルーファスの元へビビがやって来た。
「今日のルーちゃん、なんだかやっぱりいつものルーちゃんじゃなかったよ」
「そんなことないよ」
「あるって。あっ、ローゼン! ねぇねぇ、ローゼンもそう思うよねっ?」
ビビはふわふわっと歩いていたローゼンクロイツに声をかけた。
「なに?(にゃ)」
「ローゼンも今日のルーちゃん変だと思わない?」
「ルーファスはいつも変だよ(ふにふに)」
バッサリ斬られた。
ルーファスはちょっぴりイヤな顔をする。
「君に言われたくないよ」
たしかに。
ビビは納得してないないようだ。そんな顔をしている。
「う~ん、絶対今日のルーちゃんいつもよりもドジでマヌケだと思うんだよぇ」
「ルーファスはいつもドジでマヌケでへっぽこだよ(ふにふに)」
またもローゼンがバッサリ斬ってきた。
ひどくルーファスショック!
「……そこまで言わなくても(自覚あるだけに胸がイタイ)」
まだビビは納得していないようすでルーファスを見ている。なにか理由をつけないと、いつまでもこうしていそうだ。
ルーファスが視力を失ったあとのとき、ビビも近くにいた。けれど、ローゼンクロイツはいなかった。事件の詳細は他言無用とクロウリーに圧力をかけられている。
ルーファスは詳細を省いて説明することにした。
「じつは視力が落ちちゃったみたいで、なんかここからローゼンの顔もぼやぁっとしちゃってるんだよね」
一瞬、ビビは息を止めて驚いた顔をして、一気に大きな声を出す。
「だからちゃんと病院行ってって言ったのに!!」
「寝れば治るかなぁって。実際、きのうよりは見えるようになってるし、そのうち治るんじゃないの?」
「ルーちゃんのばか! なんでちゃんと病院行ってくれないの!」
「大丈夫だって、そんなに心配してくれなくても」
軽く笑って見せたルーファス。ビビは怒りと心配が混じった不安な表情をしている。
そして、ローゼンクロイツは恐ろしいまでに真面目表情をしていた。
「なにかあったのルーファス?(ふーっ)」
口調は空に浮かぶ雲のようだったが、そのエメラルドグリーンの瞳の奥で五芒星が妖しく輝いている。沸々と魔力が発動しているのだ。
目で見ることはできないが、ローゼンクロイツの変化をルーファスは肌で感じた。
「べ、べつにたいしたことないよ!(なんかわかんないけど、なんだこのローゼンクロイツのプレッシャー)」
「もう一度聞くよルーファス(ふにふに)。なにかあったの?(ふーっ)」
「え~っと、ちょっとした事故で視力が落ちちゃったみたいで……」
「だからねルーファス(ふにふに)。ボクが聞きたいのは、どうしてそうなったのか聞きたいんだよ(ふーっ)」
ルーファスはたじろぎ答えない。
そこにビビが割り込んできた。
「ルーちゃんはきのう目の前で魔法を放たれて――」
「待ったビビ!!」
慌ててルーファスはビビの口を塞いだ。
このときビビはひどく辛そうな表情をしていた。
「(ルーちゃん……やっぱりあたしのこと庇って……。ルーちゃんの視力が落ちたのはあたしのせいなんだ、あたしのこと庇ったりするから。なのに、そのことを言わないなんて、あたしのこと庇ってくれてるんだ)」
あのとき、ゴールデンクルスに飛び掛かったビビを止めようとルーファスがしなければ、ビビが視力を落としていたかもしれない。
だが、ルーファスはビビを庇っているわけではなかった。
「(本当のことローゼンクロイツに知られたら困るし、クロウリー学院長のクの字が出ただけでローゼンクロイツ機嫌悪くなるしなぁ。それに視力が落ちたなんて言ったら、こうなるのはわかってたんだよ、病院行けっていわれるの。やだなぁ、病院だけは行くたくないなぁ)」
ただの病院嫌い!
ビビは落ち込んでいた。
「(あたしのせいで、あたしのせいでルーちゃんは……)」
でもルーファスは――。
「(病院行きたくない、行きたくないなぁ)」
そして、ローゼンクロイツは――。
「きのうのテロが関係あるの?(ふにふに)」
「ドキッ!」
っとルーファスはした。
さらにそこにビビが涙ぐんでルーファスの胸ぐらを付かんで訴える。
「ルーちゃんお願いだから病院行ってよ!」
ルーファスはローゼンクロイツとビビに板挟み。
困ったルーファスは――。
「そう言えば用事があったんだ!!」
逃げた。
困ったときはとりあえず逃げる。
ルーファスの十八番だった。