第11話「古き魔晶の闇(2)」
《緊急防御コードが発令されました。学院全体を結界で覆い、ただちにすべての扉をロックします。危ないですので扉などに近付かないようにお願いします》
「えぇ〜〜〜っ!?」
ルーファスがトイレの個室で叫んだ。
たった今用を足して、トイレの水を流そうとしていたその最中だった。
水を流すことを後回しにして、さらに下着を穿くのも忘れ、とにかくドアを開けようとした。
ガン!
ドアにタックルしたが開かない。
「と、閉じ込められたぁ!」
水も流さず、下半身丸だしでパニック状態のルーファス。
「トイレに閉じ込められるなんてヤダよぉ!」
ゴンゴンゴンゴン!
何度もドアを叩くが開かない。
「臭いし怖いしだれか助けてぇ〜〜〜!」
クサいのアンタのせいだ。
とりあえず水を流して落ち着けルーファス。
「……トイレでなぞの変死体発見……なんて絶対ヤダよぉ〜!」
ゴンゴンゴンゴン!
叩いても叩いてもドアは開かない。カギの閉まったドアは叩いても開かない。
ここでルーファスはあることに気づいた。
そう、カギの閉まったドアはカギを開けなくては開かない。
ガチャ♪
ドアのカギを開けたらあっさりドアは開いた。
ルーファスの早とちりにだった。
ロックされたすべての扉の中には、すべてと言ってもトイレの個室のドアまでは含まれていなかったのだ。
「はぁ、良かった」
こうしてルーファスはどうにか個室からの脱出を成し遂げたのだった。
しかし、ある重大なことをルーファスは忘れている。
トイレの水を流していないのだ!!
パニック状態とその後の安堵ですっかり忘れてしまったらしい。
近い将来、『ウ○コ流してないヤツは誰だ!?』と、犯人捜しのウワサが広まるのは間違いない。
安心しきっているルーファスに危機が訪れる!
「開かない!!」
予想どおりの展開だった。
個室のドアは開いても、トイレの出入り口はロックされていたのだ。
「今度こそ本当に閉じ込められた!?(こんな臭くて怖くてジメジメしてて、なんか出そうなとこに閉じ込められたくないよぉ)」
だからクサいのは自業自得だ。
とりあえず代わりの出口を探すルーファス。
だが、その捜索もすぐに打ち切られた。
「なんで……ドアが……閉まってるの?」
個室のドアが閉まっている。
とりあえずここは友好的にノックだ。
トントン♪
――返事がない。
トントントン♪
――返事がない。
青ざめたルーファスは一目散に後退った。
「(冷静に考えよう。ドアの閉まってる個室ということは、中にだれかがいるのは間違いない。だったらなんで返事がないんだろう。まさか踏ん張りすぎて気絶してる!?)」
そうだとしたら一刻も早く助け出さなくては!
しかし、ルーファスはその場から動けなかった。
「でも……(もしかして違う可能性だって)」
その瞬間!
ウグググググウウゥウゥゥゥ〜〜〜ッ。
世にも恐ろしい亡霊のような呻き声が響き渡った。
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!!」
ルーファス絶叫!
もっともルーファスが考えないようにしていたことが頭を過ぎった。
トイレのベンジョンソンさん!!
いつかの恐怖が蘇ってきた。
アフロヘヤーで犬顔の黒人でボクサー風の幽霊。その名もトイレのベンジョンソンさん。彼への対処法はトイレットペーパーを10ラウルで購入すること。
すぐさまルーファスは小銭を探そうとしたが、サイフがない!?
「なんで……ご飯食べたときはあったよね? あれ、なんでないの!?」
慌てるルーファス。
しかし、ここでルーファスはハッとするのだ。
「(トイレのベンジョンソンさんって紙がないときに現れるなんだよね?)」
だとしたら別の幽霊または妖怪か?
ルーファスは学校の怪談を恐る恐る思い出した。
「まさかハヤシヤペー&パー!?」
トイレに出没するというユニットの妖怪だ。なにかトイレで恥ずかしいことをすると、ピンクの衣装を着た夫婦が召喚され、その場をカメラで激写されるというウワサだ。
そうだ、きっとルーファスがトイレを流し忘れたからだ!!
でもまだまだトイレには怪談がある。
ぶっちゃけ、確認してみないと個室から何かが出てくるかわからない。
だがルーファスは確認したくない!!
「だれか助けてよぉ!」
ゴンゴンゴン!
出入り口のドアを力一杯叩くが手が痛くなるだけ。
ううぅぅぅ〜〜〜。
また呻き声だ。
ただ、さっきよりも人間っぽい。
しかし安心はできない。
トイレのベンジョンソンさんもハヤシヤペー&パーも見た目は人間っぽい。
こうなったら後先なんて考えていられない。
ルーファスは魔法を唱えようとした。
「エアプレッシャー!」
圧縮された空気を放出させる呪文。
ぽふっ♪
情けない空気の塊がドアに当たった。
精神が乱れているとマナを操れずに魔法が安定しないのだ。
もしも魔法がちゃんと発動していたとしても、ロックの掛かったドアは魔法障壁で守られているので開かなかったが。
「ううっ……だれか……いるのか……」
開かずの個室から聞こえてきた男の声。
ルーファスは思った。
「(ここで返事をしたら魂を持って逝かれる!)」
対応したがために亡霊につけ込まれるパターンはよくある。
シーンと静まり返ったトイレ。
またなにやら声が聞こえて来た。
「だれかいるなら……助けてくれ……ここに……閉じ込められた」
それっぽい言葉で誘い出すというパターンもよくある。ルーファスはシカトを決め込んだ。
そしてまたしばらくすると声が聞こえてきた。
「だれかいるなら返事をしろ!!」
一喝するような声。
その声を聴いてルーファスは震え上がった。その反応は脊髄反射的なものだった。ルーファスのよく知る人物だ。
「……もしかして……ファウスト先生ですか?」
「ルーファウス!!」
「は、はい!!」
「いるならば、なぜ早く返事をしないのだ!」
「ご、ごめんなさい」
クセのあるしゃべり方をするファウストの声は、聞き違える方が難しい。
すぐにルーファスは閉まっているドアの前に立った。
「あのぉ、どうしたんですかファウスト先生?」
「説明はあとでしてやる。今は私をここから出すのだ」
「出すって、自分じゃ出れないんですか?」
「拘束されているのだ」
「(拘束って穏やかじゃないなぁ)でもどうやって助けたら?」
「とにかくドアを開けろ、この際壊しても構わん」
ドアが開かないということは、内鍵が掛かっているのだろう。
よじ登ればドアの上に隙間がある。ルーファスによじ登れればの話だが。
壊すとしたら、先ほどルーファスがやろうとしたように、魔法による衝撃などを使う方法。ただし、あまりやり過ぎると、ドアが吹っ飛んだときの衝撃で、中にいるファウストにも危害が及ぶ可能性がある。
「やっぱりできませ〜ん!」
ルーファスは考えた末に弱音を吐いた。
「ルーファウス!!」
響き渡る一喝。
震え上がるルーファス。
「ご、ごめんなさい、やれるだけやってみます!」
ルーファスの周りの大気が渦を巻いた。
「エアプレッシャー!」
空気の塊がルーファスの手から放たれ、ドアを見事に吹っ飛ばした!
吹っ飛んだドアはファウストの真横の壁に当たった。
「……ルーファス、私を殺す気か?」
「だって先生が言ったじゃないですか、ドア壊せって!」
「……まあ良かろう(ルーファスに優を求める方が莫迦だ)。次はこの拘束をどうにかしろ」
どうにかしろと言ったファウストの状態は、手錠のようなものでトイレのパイプに繋がれている。首にはスカーフのように布が巻かれているが、これは口を絞められていた物がズレたものだろう。
「ご自分じゃどうにかできないんでしょうかー?」
「拘束されているが見てわからんのか?」
「わかりますけど、そのくらいならご自分でどうにかできるんじゃ?」
「できるくらいならお前にドアを壊させるものか。この手錠はマナを練ってつくられたもので、物理的に拘束するとともに、魔力を封じる2重に厄介な代物だ。この手錠を解除することまでお前には望んでいない。この鉄パイプを壊してくれるだけでいい、それだけいい」
「金属を切るとか私には無理なんですけど?」
「…………(本当にルーファスは役に立たんな。このまま下手に頼んで悪化することも考えられる)わかった、ならば助けを呼んでこい」
「それも無理なんですけど」
「なにぃ?」
ファウストは緊急防御コードが発動されたことを知らないらしい。
「じつはですね、なんか変なアナウンスが流れて、結界がどうとか、すべての扉をロックするとかなんとか」
ぼや〜っとしたルーファスの説明だった。
それでもファウストは理解したようだ。
「まさか緊急防御コードが発動されたのか……あの存在は講師でも長年いる者しか知らん筈だが。いや問題は発動の要因は何かということだ。最悪の事態は敵襲、それも王都が総力を上げて戦うほどの相手が攻め入ってきたという可能性だ」
「ええっ!? 戦争ですか、こんな平和な国で!?」
「この国が平和を気取っていても、攻め入ってくる敵には関係のないことだ」
「大変じゃないですか!」
実際は敵が攻めてきたのではなく、ルビーローズたちによる学院関係者の監禁工作だ。間違った推測に向かうと思いきや、ファウストは別の推測をしていた。
「その通りだ。間違えであって欲しいものだが、私がここに閉じ込められたのが偶然ではないとしたら……外部から敵が攻めてきたのではなく、すでに内部に敵がいたことになる。そして私が狙われた理由はなにか?」
事件とファウストの関連性。
「邪魔だったんじゃないですか?」
「その通りだ。見張りがいないことから人質ということではないらしい。そうなると、私がいては不都合なことがある。しかし心当たりが……いや、まさか……まさかと思うが、たしか次の授業はお前のクラスだったな?」
「だからなんですか?」
「この国の最重要人物がお前のクラスにはいるではないか」
「クラウス!!」
ルーファスとファウストは敵の目的に早くも近付いた。
目的が学院内にいるクラウスとなれば、さらにファウストは次の考えに辿り着く。
「なれば防御システムはクラウスを救出する者を拒むためか。この学院の防御システムは鉄壁と聞いている。軍隊が攻めてきてもクラウスは救出できんだろうな。この推測が当たっていれば、少なくとも戦争ではなかったようだ」
「でもクラウスの身は危ないんですよね!」
「それはクラウスが敵にとってどのような立場にあるかによる。利用目的があるとすればクラウスは殺されることはないだろう。はじめからクラウスの命が目的であれば……」
「そんな!!」
「だが、防御システムがクラウスの救出を拒むものであるならば、クラウスに利用目的がるということだろうな」
「あぁ〜もぁ〜っ、とにかくクラウスを助けに行きます!!」
と言ってみたものの、ルーファスもトイレに監禁されているような状況だ。
どこかに出口はないのか?
出入り口はロックされてる。窓も同じくロックされている。――ハズだった。
ガチャッとドアを開けてトイレに入ってきた謎の人物。
ふあふあ〜っと空色の影がルーファスの横を通り抜け、何事のないように個室に入っていった。
…………。
呆気にとられるルーファスとファウスト。
しばらくしてジャーという音がしてローゼンクロイツが個室から出てきた。
そして、何事もなかったようにトイレから出て行こうとする。
「ちょっと待って!」
思わずそのまま行かせそうになったが、寸前でルーファスが呼び止めた。
ごくごく普通に振り返ったローゼンクロイツ。
「トイレなら開いてるよ(ふあふあ)」
「そうじゃなくて、どうやって入ってきたの!?」
「ドアを開けて(ふあふあ)」
「だからそうじゃなくて、全部のドアがロックされてるハズというか、少なくともそこのドアは開かなかったんだけど」
「開かないドアなんてこの世にないよ(ふあふあ)。開かないならそれは壁だよ(ふにふに)」
「…………」
斜め目線から諭されそうになっている。
ズレた会話を二人にさせておくわけにもいかないので、ファウストが口を挟んできた。
「ローゼンクロイツ、お前なら私を助けられるはずだ。ここに来てパイプを壊すか、魔法錠を解除してくれないか?」
「いいよ(ふに)」
ツカツカっと歩いたローゼンクロイツは伝家の宝刀を抜いた。
ガズン!
排水パイプを蹴りやがった!
しかも、壊しやがった!
魔法とか関係なしに蹴りで鉄パイプを壊したローゼンクロイツであった。
ジャーッと噴き出す水でびしょ濡れになりながらファウストは――。
「(恐ろしい才能だ……ローゼンクロイツ)」
とにかくファウストは救出されたわけだ。
さらにトイレのドアも開いている。
そのドアから何事もなかったように出て行くローゼンクロイツ。
――今度は止め忘れた。
あまりにもローゼンクロイツが何気なさ過ぎるのだ。
ハッとしたルーファス。
「と、とにかくクラウスを探しましょう!」
「多くの生徒は教室になどに閉じ込められ、自由に動けない状況だろう。動ける我々は二手に分かれた方が効率が良い」
「えっ?(ひ、ひとり……不安だ)」
「では行くぞ」
ファウストは駆け足でトイレを出て行ってしまった。今日はジャラジャラ音を鳴らしていない。魔導具は拘束時に奪われてしまったらしい。
慌ててルーファスもトイレを飛び出した。
独りじゃ不安なルーファスは、ファウストと同じ方向に行こうかと一歩踏み出したが、クラウスのことを思うと別に道を進んだ。
その生徒数からもわかるように、学院の敷地は広い。人を探すには絶望的に広い。ただ手がかりがゼロというわけではない。
召喚実習室で授業があったということを考えれば、その方向に向かうのが最善だろう。まだそこにクラウスがいるという期待もルーファスは抱いていた。
だとしたらファウストはなぜ別の方向に向かったのか?
そこまで頭が回らなかったのか?
とにかくルーファスは召喚実習に向かって駆け出した。
トイレから召喚実習室へは、中庭を抜けると早く着ける。
すると中庭の噴水近くで、前方からクラウスが歩いてくるのが見えた。紅い服を着た女といっしょだ。ルーファスはこの女がルビーローズだということを知らない。
クラウスは爽やかな笑顔でルーファスを出迎えた。
「やあルーファス。お腹の具合は良くなったかい?」
「えっ……クラウス、クラウスこと無事だったの?」
「無事ってなんのことだい?(ルーファス、僕に構わず行くんだ!)」
「だってファウスト先生の話だと、クラウスが狙われているとかなんとか……で、そっちの人は?」
クラウスが爽やかに笑っているせいで、まさかこの女が事件の張本人とは思いもしなかったのだ。
ルビーローズはクラウスに余計なことをしゃべらせたくなかった。
「(あの男もう見つかったのね。情報が広がるのは不味い、隙を見てこの男も拘束しなければ)わたくしは新しく赴任してきた教師です」
「どうもはじめましてルーファス・アルハザードです」
「(国防大臣の息子ね)ラ・モットと申します」
「どうもどうも、これからよろしくお願いします。――じゃなくて、そんなことより学院中のドアがロックされちゃって大変なんだけど!!」
「そのことなら……」
ルビーローズが理由をつけようとしたところに、ちょうど校内放送が流れた。
《防御システムの誤作動がありました。復旧までにはしばらく時間が掛かりそうですので、生徒のみなさんは教師の指示に従って騒がずに待機していてください》
情報の操作。
事件などが起きたとき、ひとは情報が得られないことによりパニックを起こす。嘘の情報でもよいので、何かしらの理由があればいったんは騒ぎの大きさを小さくすることができる。
ルビーローズは微笑んだ。
「今の方法の通りです」
クラウスも否定を口にすることはできなかった。
だが、クラウスは手をこまねいてはいなかったのだ。
クラウスとルビーローズの背後の空中、そこに噴水の水を使った文字が描かれる。
『ルーファスこの女はテロリストだ、クラスメートが人質になってる!』
水文字によってクラウスは秘密裏に伝えた。
「テロリストだって!?」
だがルーファスが口に出してしまって水の泡。
本当にどーしょーもないルーファスだ。
すぐにルビーローズが動いた。
「スパイダーネット!」
拘束魔法の1つ。蜘蛛の巣状の魔法の糸がルーファスを捕らえようとする。
へっぽこなルーファスにも得意なことがある。
逃げること!
紙一重でスパイダーネットをかわしたルーファス。
だが全身で飛び退いた拍子に腹から床に落ちて強打。
「うっ……(肋骨打った)」
痛みで休んでいるヒマはない、次のスパイダーネットが飛んできた。
今度は逃げ切れない。
苦渋を浮かべクラウスが動く。
「ファイア!」
クラウスの手から放出された炎によって焼かれるスパイダーネット。
空かさずクラウスが叫ぶ。
「逃げろルーファス!」
すぐにルーファスは立ち上がって逃げた。クラウスを助けるという目的を忘れ、ルーファスは逃げたのだ。
ルビーローズは深追いをしなかった。
「閉じ込められていない関係者が少なからずいることは作戦に織り込み済みよ」
下手に追撃して真の目的をおろそかにはしない。手中にはクラウスがいる。
「次はないわよクラウス?」
人質がいるという再度の警告。
警告で済んだということは、クラスメートはまだ無事だということだった。
しかし、少しも安堵できない状況が続いていることは変わりなかった。