第9話「角笛を吹き鳴らせ(3)」
暮れる空が照らす遥か先まで続く連峰。
白銀の大地を彩る朱。
まるでそれは黄昏の海のように輝いていた。
白銀のドラゴン――その毛も今は朱く染まっていた。
霊竜ヴァッファート。
膨大な知識を強力な魔力を持つグレートドラゴン。
ヴァッファートはアステア建国前から、この地方で信仰されていたドラゴンだった。
全身を柔らかな羽毛で覆われたヴァッファートは、その巨大を揺らして体の雪を払うと身を起こした。
鳥のようなつぶらな瞳で小さき3人を見下ろした。
「わしになに用だ、クラウス・アステア?」
玲瓏な女性のような声には魔力がこもっている。まるで言葉を発するだけで、呪文を唱えているようだ。
クラウスは一歩前へ出た。
「久しゅうございます、偉大なる守護者ヴァッファート」
「年に1度も顔を見せず、敬意の欠片もない愚かな王が、わしを偉大と申すのは皮肉か?」
威圧的な声音であった。
ビビはルーファスにそっと耳打ちをする。
「なんか怒ってない?」
「うん(ここで角笛壊しましたなんて言ったら殺されそうだなぁ)」
壊したのはルーファスだが、クラウスまで被害に遭いそうだ。
すぐにクラウスは訴えかける。
「決して我が国の守護者を蔑[ナイガシ]ろにするような真似は……」
言葉に詰まるクラウスからは焦りを感じられた。
国王と言ってもまだ15歳。
躍進を続ける国の繁栄を担い、勇敢にも魔物の支配地域に自ら乗り込む王であっても、古い時代から生き続ける知識と力を持った者の前では、王と言えど一人間として畏怖しざるを得ない。
ヴァッファートは首を伸ばしクラウスに近づき、呑み込めるまでの距離まで迫った。
「貴公の噂はいくつも風の便りで聞く。急死した父の意思を継ぎ、幼くして即位した貴公の重責はわからぬでもないが、わしに会いに来る時間すらも作れぬというのは、言い訳にしか聞こえぬな」
「申しわけ御座いません。余が驕[オゴ]っておりました」
深々と頭を下げるクラウスを見ながら、再びビビはルーファスにそっと耳打ちをする。
「べつにクラウスが驕ってるなんて思ったことないけど。あのドラゴン、会いに来てくれないもんだから、ちょっと拗[ス]ねてクラウスに当たってるだけじゃないの?」
その言葉が聞こえたのか、ヴァッファートはピクッと身体を振るわせ、ビビを眼中に収めた。
「そこにおるのは、アズラエル帝国の第一皇女シェリル・ベル・バラド・アズラエルだな?」
「えっ、アタシのこと知ってるの?(うっ、目つけられた)」
「出来の悪い不良娘だと風の噂で聞いておる」
「ッ!? アタシのどこが出来の悪い不良なのーっ!!」
顔を膨らませてビビは怒りを露わにした。
ヴァッファートはルーファスにも目を向けた。
「そこにおるのは、赤の一族と名高いルーファス・アルハザードだな?」
「私のこともご存じなのですか?」
「へっぽこ魔導士だと風の噂で聞いておる」
「うっ、へっぽこって……」
そして、ヴァッファートはクラウスを中心に3人を瞳の中に収めた。
「長らく顔を見せなかった貴公がわしに会いに来たということは、よほどのことがあったと見える。それも建国記念日の前夜にというのも、なにか事に絡んでおるのか?」
クラウスは息を呑んだ。
「正直に申し上げます。〈誓いの角笛〉が跡形もなく壊れてしまいました」
次の瞬間、大地が震えどこかで雪崩が起きた。それはヴァッファートの咆吼で引き起こされたことだった。
「愚か者め!」
ヴァッファートの怒号が連峰を木霊した。
一番震え上がったのはルーファスだ。
「(僕がやったなんて言い出せない……絶対殺されるよぉ)」
凍り付くルーファスを背に据えてクラウスが深々と頭を下げた。
「余の迂闊[ウカツ]さが招いたこと。すべての責任は余にございます」
ルーファスとビビが同時に声をあげる。
「「えーッ!?」」
ルーファスの『ル』の字も出てこなかった。
なにも言い出せないでいるルーファスの脇腹をビビがど突いた。
「ルーちゃん!(自分がやったって言いなよ!)」
「うっ……(言えないよ、言えるわけないよ)」
「ルーちゃん!!(いくじなし!)」
「あの……その……」
口ごもるルーファスにそっと顔を向けたクラウス。
「ルーファスは何も言わなくていい」
3人のようすを見ていたヴァッファートの眼が輝いた。
「なにやらわしに隠し事があるようだ。まさか、〈誓いの角笛〉を壊したのは、ルーファスではあるまいな?」
グサッ、グサグサグサッ!
ヴァッファートの言葉がルーファスの胸をグッサリ射貫いた。あまりの恐怖にルーファスはガクガクブルブルだ。
「いや、その……ぼ、僕がやりましたごめんなさい!!」
ルーファスは恐怖で膝が崩れると同時に、そのまま土下座した。
鋭い眼でヴァッファートはルーファスではなく、クラウスを睨み付けた。
「わしに嘘をついてまで、王である貴公が身分の違うただの男をなぜ庇[カバ]うた?」
「それは王としてではなくひとりの人間として、ルーファスは大切な友だからで御座います」
その言葉を聞いたルーファスは鼻水ダラダラで眼に涙を溜めていた。
「クラウスぅ〜(ホント良い友達を持ってぼかぁ幸せだなぁ〜)」
急にヴァッファートが微笑んだ。
「ならばわしも友として王を許し、ならびにその友の行いも同時に許そう」
その言葉にクラウスは少し不思議そうな顔をした。
「友として……で御座いますか?」
「そうだ、わしと王家は代々友として付きおうて来た。いつしかその関係も、そちら側は忘れてしもうたようだがな。〈誓いの角笛〉とは、友との誓いの証であった」
それが壊されたのだ。
しかし、ヴァッファートはそれでも友であろうと申し出たのだ。
クラウスは沈痛な表情を浮かべた。
「恥ずかしながら、〈誓いの角笛〉という名は残っていても、その名の由来は今の王宮には残っておりません。これから友として良好な関係を築いていくためにも、なぜ王家に〈誓いの角笛〉を贈与してくださったのは、そのお話をぜひにお聞かせ願いたく存じます」
「文献という形ですら今の王宮に話が残うておらんのは、暴君ルイ国王の時代にすべての資料が焼き払われたからだろう。よかろう、今ここで再び物語を綴うて進ぜよう」
ヴァッファートが語りはじめた内容は、アステア建国以前まで遡る。
――時は聖歴666年、一説には異世界に準ずる外宇宙からやって来た侵略者、大魔王カオスの時代。
多くの国が魔王軍によって落とされ、生き延びた人々は難民となり世界を放浪した。
その中のひとりに名を馳せた吟遊詩人の若い男がいた。それがのちにアステアを建国し、初代国王となったラウル・アステアだった。
あるときグラーシュ山脈の麓[フモト]まで旅をして来たラウルは、美しいと評判の白銀の霊
竜ヴァッファートの噂を聞きつけ、ぜひに会いたいと願ったそうだ。
しかし当時、大魔王カオスの呪いを受けていたヴァッファートは、グラーシュ山脈に誰も近付かせないため、すべてに死を与える猛吹雪によって閉ざした。そして、元々住んでいた生物は冷凍冬眠させていた。
ラウルは美しい歌にヴァッファートに心を開かせ、ついに念願の対面を果たしたのだったが、そこにいたのは美しさの欠片もない醜いドラゴンだった。
ヴァッファートは呪いによって全身の毛が抜け落ち、まるで毛をむしられたチキンのような姿に成り果てていたのだ。それを隠すためにヴァッファートは山を閉ざしたのだった。
心優しいラウルはヴァッファートに同情し、呪いを解く方法を探して旅に出た。
そして、数年の後にようやく秘薬を見つけ出し、ヴァッファートにそれを贈ったのだ。
秘薬よって美しさを取り戻した毛並みは、前よりも美しく輝き、ヴァッファートは心からラウルに感謝した。
その時にヴァッファートはラウルを偉大な王にすると約束し、多くの財宝と3つの秘宝、そして1つの誓いの証を授けたのだ。
3つの秘宝は今もアステアの王家に伝わる三種の神器。
1つは〈白輝[ビャッキ]のマント〉と呼ばれるヴァッファートの羽毛でつくられたマント。とても軽く、空をも飛べる魔力を秘めている。
2つ目は〈竪琴の杖〉と呼ばれる名前のとおり杖の先端に竪琴のついた杖。琴を奏でることにより、自然を操ることができる。
3つ目は〈ウラグライトの指環〉であり、今もクラウスは肌身離さず指に嵌めている。これは大変希少価値の高い結晶でつくられており、魔力を大幅に増大させてくれる。
そして、ヴァッファートは末代まで国を守護することを誓い、なにか困ったことがあったときに、自分に助けを呼べるように角笛を贈った。これこそが〈誓いの角笛〉である。
すべてはヴァッファートの感謝の印であった。
ここまで話し終え、ヴァッファートはこう付け加えた。
「故に、わしは守護者ではあるが、王の上に立つ者ではない。角笛は壊れても、感謝と友情をなくなるものではない。吟遊詩人ラウルと同じ心を持つ者であれば、わしは友として接しよう」
そんな大事な物を壊したルーファス。胃痛で死にそうだった。
「(国民から袋叩きに遭うよぉ)」
さらにクラウスは自分を羞じていた。
「(ルーファスを助けようとはいえ、レプリカで代用して誤魔化そうと考えた僕は、ラウル国王に羞じることをしてしまった)お話をお聴かせくださりありがとう御座いました。なんとしても角笛をもう一度作り直して、忘れられていた誓いを新たに立てなくてなりません。ラウル・アステアの心を忘れないためにも」
建国記念日を知らせる角笛の音をなんとしても響かせねばならない。
時間は刻々と迫っている。
ヴァッファートは遠く空の向こうに眼を向けた。
「作り直すというのなら、わしが材料となる角の在り処まで案内しよう。いくつもの山を越えた先だが、わしの背に乗れば今日中には採りに行くことが可能だろうて」
こうして3人はヴァッファートの背に乗って、グラーシュ山脈を越えた場所へ向かうことになった。
星空を飛ぶ巨大な影。
空の上で酔ったルーファスがゲロを吐きそうになるが、白銀の羽毛を汚したら汚名を残し国中の人々から何度も殺されると思い、どうにか呑み込んで事なきを得て目的地に着いた。
ヴァッファートの話によると、〈誓いの角笛〉は妖獣モレチロンの角で作られているらしい。
そのモレチロンは湿原に棲んでいるらしく、3人は近くの草原で下ろされることになった。モレチロンは臆病な性格をしているらしく、巨体を有するヴァッファートは湿原近くまでは行くことができないのだ。
モレチロンは牛の仲間らしい。水辺に棲む水牛の一種で、精霊の力を宿すことによって進化し、魔導生物学的には妖獣に分類されている。
とりあえず3人は角の生えた牛を探した。
が、どこにもそれらしく動物はいない。
湿原には多くの動植物が生息している。
カエルなどの両生類から、それを食う鳥たち、さらにカバの仲間などもいる。
角が生えている動物は草陰に隠れているシカの仲間くらいだ。
すでに日も暮れていることから、辺りは暗く見通しが利かない。
ビビが水面を指差した。
「見て、あそこにあるの眼じゃない?」
ルーファスは首を傾げた。
「どこ?(暗くて見えないよ)」
「ほら、そこそこ〜。アタシ暗いところでもよく見えるの。だから、ほら、あっちにあるのわからない?」
よ〜く見ると水中から眼と鼻腔を出して周囲のようすをうかがっている謎の動物。
ビビはルーファスの背中を押した。
「ルーちゃんゴー!」
「ええっ!」
湿原の水辺に突き飛ばされたルーファス。
次の瞬間、水しぶきを上げながらカバが水面から飛び出してきたのだ。
カバと言えば鈍くて穏和のイメージがあるが、実はかなり獰猛でテリトリーに入ったが最期、ワニや人でも容赦なく攻撃してくるのだ。
しかも、このカバはカナヅチカバという名前で、その名の通りカナヅチのような四角く硬い頭をしている。
そんな頭でルーファスに向かって猛突進してきた。
「ぎゃーっ!」
ルーファスは逃げようとしたが、足がもつれて尻餅をついて転んでしまった。
カナヅチカバが巨大な口を開いた。180度近く開いた口はルーファスなんて軽く丸呑みしそうで、しかも長く先のとがった槍のような歯が生えている。噛まれたら絶対死ねる。
地を駆けるクラウス!
「ルーファス!!」
剣を抜いて立ち向かっても一発では仕留められない。それを判断したクラウスはルーファスの体を抱きかかえた。
巨大な口が激しく閉じられた。
「うほっ!」
痛いと言うより、ちょっと情けない声があがった。
もちろんそんな声をあげるのはルーファス。束ねた長髪がカナヅチカバの口に挟まれ、引っ張られた挙句に首がガクンっとなったのだ。
「いたいー!」
何本か髪が引き千切れて、どうにか逃げることができた。
が、後ろからカナヅチカバは猛烈に追いかけてくる。しかも意外に足が早い。
いつの間にか逃亡にビビも加わり、
「なんでアタシまで逃げてるのぉ〜!!」
元はと言えばビビがルーファスをど突いたせいだ。
3人は必死で逃げ周り、ついにはスタート地点のヴァッファートの元まで戻ってきてしまった。
カナヅチカバを見たヴァッファートが咆吼をあげる。
大地が揺れ、草木も震え、動物たちも身を強ばらせた。
目の前で咆吼を浴びたカナヅチカバは、気絶して倒れてしまったほどだ。
クラウスはヴァッファートに頭を下げた。
「助けて頂きありがとう御座います」
「礼を言われるほどのことでもない。して、角は手に入ったのか?」
「それがモレチロンらしき姿も気配もまったくなく、どうしていいものかと」
「そうか……実はな、角笛をラウルに贈ったのはわしだが、その材料はラウルに採ってきてもらったのだ。モレチロンは用心深く臆病なため、そこでラウルの歌と演奏によっておびき寄せたのだ」
歌と聞いたクラウスにビビは顔を向けられた。
「え、アタシ?」
記憶に新しい親子歌合戦事件。
あの事件は他国の王妃や皇女が絡んでいることから内々にされたが、もちろんクラウスは詳細に事件の調査結果を把握している。
「ビビちゃんの歌ならきっとおびき寄せることができる!」
「力強く言われても……自信ないんだけどぉ」
でも、ビビの顔はまんざらでもない。ちょっとモジモジしている。
さっそく再び湿原に向かった3人。
獰猛なカナヅチカバに警戒を払いながら、クラウスとルーファスに守られながらビビが大地に立つ。
大きく息を吸ったビビが歌いはじめた。
優しい歌声が静かな夜に響く。
草陰に隠れていた動物たちが少しずつビビの元へ近付いてきた。その中にはカナヅチカバもいて、ルーファスはビビり、クラウスは身構えたが、襲ってくるようすはまったくない。動物たちは穏やかな雰囲気で、ビビの歌に聴き惚れているようだった。
しかし、モレチロンは姿を現さない。
湿原は広い。もしかしたら、ここにはいないのかもしれない。
あきらめてクラウスがビビに声を掛けようとしたとき、ルーファスが『あっ』と声をあげた。
「水の中から角が!」
まず見えたのは2本の小さな角、さらに下から巨大な2本の角が水面から這い出てきた。
4本の角を持つ黒い牛が水面から上がってきた。
こいつが妖獣モレチロンに違いない!
ビビは眼を丸くしながらも歌い続けた。
手の届くところまでモレチロンがやって来た。そして、そこで腰を下ろして眼を閉じて、まるで眠ったように動かなくなってしまった。
クラウスが静かに長剣を抜く。
鞘から抜かれた切っ先が月光を反射した。
刹那、鋭い切れ味でモレチロンの短い角が切り落とされた。
「あっ!」
ビビは驚いて歌うのをやめてしまった。
すぐにクラウスは落ちた角を拾い上げてビビに顔を向けた。
「どうしたの?」
「だって角を切ったらかわいそうだと思って」
「ビビちゃんヴァッファートの話を聞いてなかった? 短いほうの角は1年に1度生え替わるそうだよ。それに角には神経が走ってないから痛みは感じないはずさ」
「よかった、そうなんだ」
と、安堵したのもつかの間、ルーファスが青い顔をしている。
「か、かば……」
巨大な口を開けるカナヅチカバ。
クラウスが叫ぶ。
「撤退!」
3人は一目散にヴァッファートの元まで逃げた。