第8話「アイツの姉貴はセクシー美女(2)」
ガイア聖教と言えば今や世界中にその根を下ろし、その総本山はサーベ大陸のおよそ中心にある聖都アークである。
アステア王国はもととも聖都アークの開拓地であり、ガイア聖教がもっとも布教している宗教である。
しかし、時代の流れか、それともアステアが先鋭的な国だからか、戒律の軟化が著しく進んでいる会派も多くある。
聖カッサンドラ修道院はもともと女性のための修道院であったが、最近では男性も受け入れており、男女が共同で生活をしているという稀な修道院となっている。
共同生活と言ってももちろん男女の部屋は分かれているし、さらに男性の数もまだまだ少ない。そして、この修道院には希有な存在も住んでいる。
修道院の廊下をルーファスとリファリスが歩いていると、前から空色の影がふあふあと近付いてきた。
気づいたリファリスが軽く手をあげた。
「よぉ、ローゼンクロイツ。相変わらず女の子の格好だな」
声をかけられたローゼンクロイツは無表情のまま、
「……だれ?(ふにゃ)」
ボソッと言った。
だれもがお気づきだろうが、リファリスとローゼンクロイツは顔見知りだ。それどころか、ルーファスと幼なじみのローゼンクロイツは、もちろんリファリスとも幼なじみだ。
「わっちのこと忘れたなんて言わせないよ。いっしょにお風呂だって入ったことあるし、家族以外でわっちのヌード見たことあるのあんただけなんだからね(ガキのころの話だけど)」
「……そうなの?(ふに)」
眼を丸くしてローゼンクロイツは驚いた。でもすぐに無表情に戻る。どこまで本気なのかわからない。
そして、ローゼンクロイツは口を丸く開けた。
「あっ、思い出した(ふにゃ)。近所のお姉さん(ふにふに)」
「近所じゃなくて、ルーファスのお姉さんだよ!」
「ボクの知っているルーファスの姉は別の人だよ(ふあふあ)」
「だーかーらー!(相変わらずだなローゼンクロイツは)」
リファリスが頭を抱えていると、廊下の向こうから修道女がやって来て、驚いた顔をして口を開いた。
「お姉ちゃん!」
小柄な少女が笑顔で駆け寄ってきた。それを指差すローゼンクロイツ。
「あれがルーファスの姉だよ(ふにふに)」
ローゼンクロイツの言っていることは間違えではない。
やって来た修道女にルーファスはあいさつをする。
「ローザ姉さんこんにちは」
「ルーファスこんにちは。お姉ちゃんも久しぶり、いつ帰ってきたの?」
「今日の朝……かな?」
ちなみにもう夕方だ。間の時間になにをしていたか言うまでもない。
ルーファスは三人姉弟だったりしたのだ。
長女のリファリス、次女のローザ、そして長男で3番目の子供のルーファス。
リファリスとローザは姉妹なので顔が似ているが、そっくりというほどでもない。リファリスを『軟』に例えるなら、ローザは『柔』だろう。
しかし、姉妹にルーファスを加えると違和感がある。
リファリスの髪色は赤系の中でもカーマイン。
ローザの髪色は同じ赤系でローズ。
ルーファスの髪色だけが、赤から遠い灰色がかったアイボリーなのだ。
辺りを見渡しながら慌てたようすの修道女がこちらにやってくる。その修道女はルーファスたちを見つけて目を丸くした。その顔つき、ローザにそっくりだ。
「まあ、リファリス久しぶりね!」
見た目の年齢は姉妹といっても通用するが、
「久しぶりママ」
と、リファリスは笑顔で答えた。
そう、新たに現れた修道女はルーファスたちの母親だったのだ。
母親の髪の毛は綺麗な亜麻色。姉妹ともルーファスとも違う色系統だ。
髪の色はマナにも影響されるため、遺伝ですべて決まるわけではないのだが……。
ルーファスたちの母ディーナは、子供たち、そしてローゼンクロイツの姿を見てながら、昔を懐かしむようだった。
「リファリス、ローザ、ルーファス、ローゼンちゃん、私の子供が4人も揃うなんて嬉しいわ。今日は久しぶりにみんなでお食事しましょう。腕によりを掛けて料理しちゃうわよ!」
捨て子だったローゼンクロイツを育てたのもディーナだった。ディーナにとってローゼンクロイツも我が子と同然なのだ。
ローゼンクロイツは本当に申し訳なさそうな顔をしてディーナを見つめた。
「申しわけありませんディーナ夫人。建国記念祭の準備で立て込んでいて、今日も用事があるのです(ふにふに)。せっかくお食事のお誘いですが、また今度の機会にお誘い願えればと存じます(ふにふに)」
まさかの言葉遣い!
あのローゼンクロイツが、他人に対して敬語でしゃべっている!
むしろそういうしゃべり方もできるのかっ!
と、ツッコミたい。
丁重に深々と頭を下げてローゼンクロイツは立ち去った。おそらく普段のローゼンクロイツしか知らない者が見たら、そりゃもう驚きの光景だったに違いない。
リファリスは細い眼をしてディーナを見ていた。
「ところでママ?」
「なぁにリファリス?」
「わっちのいないうちに、料理できるようになったの?(そんなまさか、料理センスゼロのママがたった1年そこらで料理できるようになるはずが)」
「ええ、できないわよ♪」
かわいく言われた。
すかさずリファリスのツッコミが炸裂。
「さっき腕によりをかけるって!!」
「腕によりをかけてローザに料理をしてもらいましょう♪」
めっちゃ笑顔。めっちゃ他人任せ。めっちゃかわいく言っても騙されません!
バトンタッチされたローザは唇に指を当てて考えた。
「う〜ん、まずは買い物に行って、下ごしらえが……」
リファリスが割って入る。
「やっぱどっか食べに行こう。もうおなか空いちゃって、昨日の夜から飲んでて食べるの忘れちゃったんだよね。ルーファスもそれでいいだろ、な?」
「うん、私はそれでいいよ」
ディーナもそれに同意する。
「じゃあ外食で決定ね。ローザもそれでいいでしょ?」
「はい、お母様」
「パパも誘いましょう。きっと喜んできてくれるわ」
笑顔のディーナに反してルーファスの顔色は悪く、リファリスにいたってはあからさまに嫌な顔をしている。
だが、あえて二人ともなにも言わず母に合わせることにした。
こうしてルーファス一家は外食へ出掛けることになった。
無理矢理正装させられた二人。
着慣れないスーツ姿にモジモジするルーファスと、似合ってはいるが本人が気に食わないドレス姿のリファリス。
スタイル抜群のリファリスはドレス姿で歩くだけで男の目を惹く。横を歩くローザはまだ幼さが残っているが、ドレスを着るとお姫様のようだ。男たちがこの姉妹を放っておくわけがなかったが、男が近寄ってくるたびにガンを飛ばしてリファリスが追い払っていた。
母のディーナはルーファスと腕組みをして歩いている。腕組みをさせられているルーファスは気恥ずかしそうだ。二人で歩いていると、母が童顔のためかカップルに見えなくもない。ルーファスがもう少し上だったら完全にそう見えるところだ。
リファリスの足が止まった。
「やっぱ居酒屋とかにしない?」
正装をさせられたということは、それなりの店に行くということだ。それがリファリスは嫌で嫌で溜まらなかった。もしも相手が母親じゃなかったら、殴ってでも自分の意見を通すところだが、そういうわけにもいかない。
「それが駄目ならせめてトリプルスターでどう?」
リファリスは代案を出した。
トリプルスターとは王都アステアで有名な酒場である。ショーダンスが有名で、ショーチケットはプレミアがついている。女性でも入りやすい店内だが、家族で行くのは場違いだ。
そういうしているうちにレストランの前に来てしまった。
三つ星レストランとして名高いショコラクィスィボー。もともとは洋菓子店だったのだが、食いしん坊だった主人がいつからかケーキのみならずパンも売るようになり、やがては創業50以上が経ち洋食屋になっていたという一風変わった店だ。アンジェルガイドによる三つ星を獲得したアステアの店第一号でもある。
ちなみにアンジェルガイドとは、ホテル・レストランガイドの決定版である。飛空挺製造会社アンジェラの創設者が、航空旅行で気軽に多くの人々が旅行する時代が到来することを予感し、自社の製品の宣伝をかねて旅行者たちに役立つ情報を発信するためにフリーペーパーを配布したのがはじまりである。のちに書籍化して、今では世界各地の情報が地域ごとにまとめられ、ガイドブックとして販売されている。
店内に入るとすぐに支配人が出迎えてくれた。
「ようこそお出で頂きましたアルハザード夫人」
どうやらディーナの顔を覚えているらしい。
「予約してないのだけれど、席は空いているかしら?」
ショコラクィスィボーは予約なしでは入れない店だ。が、ディーナの表情は至って平然としている。
支配人は困った顔ではなく、少し不思議そうな顔をしたが、
「すぐに席をご用意します、5名様でよろしいでしょうか?」
ディーナは首を振った。
「パパは用事で来られないみたいなの、だから4名でいいわ」
そう答えると、また支配人は不思議そう顔をしたが、待たせることなくすぐさま席をディーナ・アルハザード夫人たちのために空けた。
リファリスがルーファス耳打ちをする。
「やっぱラーメン食べたいんだけど?」
「ここまで来ちゃったんだから仕方ないよ(僕だってカップラーメンのほうがいいよ)」
リファリスの腹がぐぅ〜っと鳴った。
「焼き肉のほうがいいな。あと酒」
グズグズ言いながらも、仕方なく席についたリファリス。思いっきり脚を開いて座った。
ルーファスも席に座ってから落ち着きがない。幼いころはよく高級な雰囲気の店に連れて行かれたが、幼かったので意味もわからずそこで飲み食いしていただけで、今のようなプレッシャーを感じることはなかった。物心ついてからも、事ある事に連れて来られたことがあるが、それでもこーゆー雰囲気は苦手だ。
ルーファスはテーブルの下に首を突っ込んで、こっそり内ポケットから胃薬を取り出した。マリアお手製の水なしでも飲める下痢止めを呑み込んだ。
「(……マ、マズイ)」
思わず吐きそうになるほどゲロマズだった。しかも錠剤が大きいため、噛むか口で溶かさなくてはいけない試練。
隣に座っているローザが心配そうにテーブルの下を覗き込んだ。
「どうしたのルーファスだいじょうぶ?(顔色が青いけど)」
「うん、ぜんぜん大丈夫だよ」
ルーファスがバッと顔を上げた瞬間、リファリスが眼を丸くした。
「ルーファス……あんた……その顔(いったいなにが!?)」
「えっ、なに?(僕の顔?)」
なにがなんだかわからないルーファス。
ディーナは微笑みながらルーファスの顔を見ている。
「あらあら〜、どうしたのぉルーファス。お顔が真っ青よ、まるでサカナガエルみたい」
サカナガエルとは、真っ青なボディに魚のような顔をしたカエルの名前である。これに例えるときは、だいたい相手をけなすブサイクという意味だ。が、たぶんほわわ〜んと言ってのけたディーナに悪気はない。
ローザが化粧ポーチから手鏡を出してルーファスに見せた。
そこに映った自分の姿を見て、ルーファスは驚愕のあまりさらに青くなってしまった。
本当の意味で顔が青いのだ。まるで青いペンキを顔面にぶっかけられたように青い。しかも器用なことに手などはまったく普通で、顔だけが青くなってしまったのだ。
焦るルーファス。さらに腹痛が襲う。
「うっ……おなかが……(もげる)」
すると、なんとルーファスの顔色が黄色に変わったのだ。
黄色い顔で脂汗を掻きながらルーファスは悶え死にそうになった。
トイレに行かなくては、今すぐトイレに行かなくては死んでしまう。
すると、なんと今度はルーファスの顔色が赤に変わった。おそらく限界を示している色だ。
歯を食いしばりながら立ち上がったルーファスが駆ける。
トイレに向かって駆け出してすぐにそれは起きた。
店に入ってきた2人組の客。
青ざめるルーファス。
白髪にメッシュのように入った赤髪。老人とは思えぬ覇気を纏い、眉間にしわを寄せながら太い眉毛の下で光る眼でルーファスを睨み付けている。
唾を飲み込む音が店の端まで響いた。
震える脚で体が支えられずルーファスが後退った。
そして、口にした言葉。
「と、父さん……」
ルーベル・アルハザード。現アステア王国の国防大臣にして、ルーファスの父親だった。
いっしょにいるのはどこかのお偉いさんだろう。近くにはSPの姿もある。
あのとき支配人が不思議そうな顔をしたのはこれだろう。ルーベルの予約が入っていたに違いない。
ルーファスを一瞥しただけでルーベルはお偉いさんと談笑しながら横を通り過ぎた。見なかったことにされたらしい。
だが、ルーファスの横を通り過ぎたルーベルは、テーブルに座っている3人を見つけ、その中の一人を憎悪のこもった瞳で睨み付けた。
リファリスがテーブルを両手で叩きながら立ち上がった。
「帰る」
すぐにローザがリファリスの袖を引っ張った。
「お姉ちゃん」
小声で制されてゆっくりと席に着くリファリス。
ピリピリした空気が漂う中、ディーナが見事に空気を読まない!
「パパもこのお店だったの?」
「あとにしなさい」
静かに、いぶし銀のような声でルーベルはディーナを制し、何事もなかったようにお偉いさんとテーブルに着いた。
しかも、運が悪いことに隣の席。
はじめっからシカトを通す気らしいルーベルは、席を変えてもらう気などないらしい。
そっちがその気ならリファリスもどっしりと構える。
母の前ではローザも姉のために席を変えて欲しいとは言えず、怒る姉のプレッシャーを横で感じることしかできない。
ルーファスも真っ青の顔のまま、トイレに行くことも忘れて席に戻ってきてしまった。
この中で平然としているのはディーナだけだ。肝が据わっているのか、抜けているのかどっちかだろう。
この状況で波風立たずに終わるとは思えない。
まだ前菜すら運ばれてきていないのだ。
食事会はまだはじまっていない。
これからルーファス一家最悪の晩餐が幕を開けようとしていたのだ。