第7話「不良娘はピンクボム(3)」
ふかふかの白い雲の上にルーファスとビビは落ちた。
思わずビビは、
「天国?」
と、つぶやいてしまった。
たしか高い屋根の上から落ちたはずだ。
なのに行き交う人々が同じ目線くらいのところを歩いている。
しかも、すぐに近くには見慣れた顔。
「バンジージャンプはヒモをつけてやるものだよ(ふあふあ)」
ローゼンクロイツだった。
どうやらローゼンクロイツに助けられたらしい。
二人を乗せた雲は霞み消え、尻餅をついて地面に落とされてしまったが、もう地面との距離は30ティート(36センチ)もなかった。
でもちょっと痛い。
「いった〜い!」
ほっぺを膨らませてビビちゃんは可愛らしさで抗議。
が、そんなことなどローゼンクロイツが意に介すはずもなく、いつもどおりに自己中心スルートーク。
「スカイダイビングもパラシュートをつけてやるものだよ(ふあふあ)」
会話があまり噛み合わないのはいつものこと。わざとやっているともウワサもあるが。
ルーファスはビビとローゼンクロイツを交互に見ている。関係性を見いだして解釈しようと一生懸命に違いない。
「ええっと、もしかしてこの子も僕の知り合いだったりする?」
すぐさまビビが二人に説明する。
「ルーちゃん記憶喪失になっちゃったみたいなの。それでこのとぼけた変態がローゼンクロイツ、これでも男の子なんだよ?(でも本当に男の子なのかな、今でも信じられない)」
「ええっ男なの!?(どう見ても女の子だし!)」
ルーファスショック!
ルーファスでなくとも、だいだいの人はショックを受ける内容だ。これまでローゼンクロイツに告白して撃沈した男は数知れず。ちなみに女の子のファンも多いらしい。
友人、それも幼なじみが記憶喪失と聞いても、いつもどおりあまり表情を崩さないローゼンクロイツに、ビビはちょっとばかり不信感を持った。
「ルーちゃんが記憶喪失って聞いて驚いたり心配しないの?」
「記憶を失っても彼の魂は不滅さ(ふにふに)」
「そういう思想の話をしてるんじゃなくて、アタシたちのこと忘れて、思い出もなくなっちゃうんだよ?(そんなの悲しいじゃん)」
「……そうなの!?(ふに!)」
目を丸くして驚いた表情をするローゼンクロイツ。
そして、すぐに口元だけでニヒルに笑ったかと思うと無表情になる。
なんだかビビは納得できなかったが、
「とにかくありがと、アタシとルーちゃんのこと助けてくれて。ローゼンクロイツが偶然ここにいなかったら、今頃アタシたちぺしゃんこだったし」
「……トマト(ふっ)」
ボソッとつぶやいたローゼンクロイツ。
すかさずビビちゃん言い返す。
「グロイこと言わないでよ!」
「この世界に偶然なんてものはないよ(ふっ)。すべては必然さ(ふにふに)」
ってことはルーファスとビビのことを助けに来てくれたのか?
「ボクとルーファスは運命で結ばれてるからね(ふあふあ)。偶然ここに居合わせたんだよ(ふにふに)」
どっちだよ!
さらにローゼンクロイツは続ける。
「偶然と必然は表裏一体なんだ(ふにふに)。つまりどちらも同じものということだね(ふにふに)」
結局なんでローゼンクロイツがここにいたのは不明。
クルッと180度回転して背を向けるローゼンクロイツ。
「じゃ、ボクは教会の役人に呼ばれてるから(ふあふあ)」
それがここにいた理由らしい。
肩越しにヒラヒラ〜っと手を振って、立ち去ろうとしたローゼンクロイツの前に、ギターに乗ったモルガンが現れた。
「屋根から落ちたときはヒヤッとしたけど、だいじょぶだったみたいね」
だが、かるーく横を通り過ぎるローゼンクロイツ。
「ちょっと待ちな!」
モルガンはローゼンクロイツを呼び止めた。
理由は?
「アンタ、そこの男と運命で結ばれてるとか言ってただろ?」
いつの間に聞いていたのだろうか、耳がいい。
振り返るローゼンクロイツ。
「ボクとルーファスは切って切れない運命で結ばれているよ(ふあふあ)」
それを聞いたモルガンは、なぜかルーファスをビシッと指差した。
「アンタ二股だったのかい!!」
なんか話がこじれてる。
しかも、それを認めてしまうルーファス。
「そ、そうだったのか、僕は二股だったのか!!」
洗脳だ。記憶がないことを良いことに、どんどんルーファスが洗脳されていく。
しかも、ローゼンクロイツまで驚いた顔をしている。
「……ル、ルーファス、二股なんてひどい!(ふーっ!)」
この場の空気に流されてビビまでもが、
「やっぱりルーちゃんとローゼンクロイツってそういう関係だったのーっ!?」
この中に誰か冷静なヤツはいないのか?
ただ、学院内でもルーファスとローゼンクロイツの、薔薇色のウワサがかねてからあったりする。友達の友達が二人で手を繋いでいるのを見たとか、二人が公園のベンチでイチャイチャしてるのを見たとか。まあ、そのウワサの出所をたどると、一人の魔女に行き着くことはいうまでもない。
モルガンはルーファスの襟首をつかんで持ち上げニヤリとした。
「よくもアタシの娘を傷もんにしてくれたね!」
殺される。絶対に殺してやるって眼でルーファスを見ている。しかも、怒った表情じゃなくて、薄ら笑いなのがよけいにマジっぽい。
ルーファスとモルガンの間にビビが割って入り、両手を広げて二人を押し離した。
「ママってば! アタシ、ルーちゃんになにもされてないから!」
「そうなのかい? それはそれで度胸ない男だねぇ。そんなチキンにはアタシの娘はやれないね。そっちの娘[コ]とはもう寝たのかい?」
ルーファスは顔を向けられたが記憶喪失だし、なんだか魂が抜けたような表情でそこに突っ立ている。
次に顔を向けられたローゼンクロイツは首を横に振った。
「……最近は(ふぅ)」
なにその思わせぶりなセリフ!
意味深なローゼンクロイツの発言でビビちゃんショック!
「最近はってことは……やっぱりルーちゃんとローゼンクロイツって……」
最後まで口に出せなかった。
だが、疑惑は確信へ。
ビビフィルターを通したルーファスとローゼンクロイツのめくるめく愛。
あ〜んなことや、そ〜んなことをしちゃってる映像が脳裏を過ぎる。
顔を真っ赤にしたビビが駆け出す。
「わぁ〜ん、ルーちゃんのばかぁ〜〜〜っ!」
いよいよ展開が混沌を極めてきたぞ!
そして、ローゼンクロイツが口を開いた。
「小さいころはよくいっしょに寝ていたね(ふあふあ)。お風呂もいっしょに入っていたよ(ふあふあ)」
子供のころの思い出話?
だが、ここにもうビビの姿はない。
しかも、モルガンもビビを追いかけていない。
さらにいえば、ルーファスはモルガンに眼殺[ガンサツ]された時点で気絶していた。
つまりローゼンクロイツの話を誰も聞いていなかったことになる。
なんという運命のイタズラ!
さらにスパイス登場!
予備の箒の乗って現れたカーシャ。
立ったまま気絶しているルーファスを見つけて、カーシャは強烈な平手打ちをお見舞いした。
バシーン!
そしてルーファスはさらに気絶した。
さらに平手打ちの衝撃で倒れ、石畳に後頭部をぶつけた。
ゴン!
その衝撃で眼を覚ますルーファス。
そして、発した衝撃の一言!
「おばちゃんだぁれ?」
たどたどしい言葉でしゃべったルーファス。
そんな普段と違うルーファスの変化を軽くスルーして叫ぶカーシャ。
「妾に向かってオバチャンとは良い度胸しておるな!(ついにルーファスも反抗期を迎えたとでもいうのか!)」
胸ぐらをカーシャにつかまれブンブン振られるルーファスは涙目。
「おばちゃんこわいよぉ、このおばちゃんこわいよぉ」
「オバチャンオバチャン抜かしおって! この白く瑞々しいもち肌は十代の人間のギャルにも劣っておらんのだぞ!!」
「うわぁ〜んおばちゃんがいじめるよぉ」
さすがのカーシャもちょっぴりおかしいなぁと気づきはじめた。
「まさか強く叩きすぎたか?」
最初の一発か、あるいは床にゴンのせいだろう。
記憶喪失だったルーファスが、さらに幼児退行までしてしまったのだ。
一方そのころ。
足を引きずり続け走っていたビビは、もうゴール直前だった。
沿道の脇にはのぼりが掲げられている。
『第3回アステアコスプレマラソン大会』
いつの間にかビビはマラソン大会に乱入してしまっていたのだ。
ビビは走り続けた。どんなに辛く苦しくても、そこにゴールの光がある限り――。
その幼気な姿に胸を打たれ、沿道の人々がビビに声援を送る。
「がんばれ!」
「ピンクの子がんばれ!」
「ゴールしたらオレとデートしようぜ!」
「今日のパンツ何色? げへげへ」
だからビビは走り続けた。
見ず知らずの人々が応援してくれている。
しかし、ビビの足はもう悲鳴を上げていた。
もう足を引きずりながら歩くのが精一杯。いや、歩くことさえ困難な状況の中で、ビビは戦い続けたのだ。
彼女はいったいなにと戦っているのか?
ゴールはすぐそこだ!
ビビのためにゴールのテープが貼り直される。
あと少し、もう手を伸ばせば届きそうだ。
ビビの手がゴールテープに伸びる。
指先がテープに触れた瞬間、ビビの身体がスローモーションのように前のめりになった。
そして、そのままビビは転倒した。
沿道の人々が口を開けたまま息を呑む。
静まり返ったこの場所に、季節外れの桜吹雪が舞い落ちた。
空を見上げると、天空を舞う巨大な翼竜の影。
白銀の長い毛を蓄えた霊竜ヴァッファート。極寒の地グラーシュ山脈の主にして、アステア王国の守護神。
桜吹雪だと思われた物は、ヴァッファートが運んできた粉雪だった。
人々が国家であるヴァッファートの歌を口ずさみはじめた。
この歌には魔力が宿っており、輝く希望の光が心の底から湧いてくる。
ゴールテープを切って倒れていたビビが、両手を地についてしっかりと立ち上がる。
足の痛みはどこかに消えていた。すべては歌の力。
「みんな……ありがとう……」
涙ぐむビビ。
改めてビビは歌の力を知った。
「(やっぱりアタシ歌が好き。今までアタシは歌うことですべてを放り出そうとしてた。でも今は……誰かに伝えるために歌いたい)」
マラソンを完走したビビは拍手で迎えられた。
アステアマラソン大会では、速さを競うだけでなく、芸術賞などの特別賞が数多く設けられている。その中の1つ、感動で賞にビビが輝いた。
戸惑いながらもビビは壇上に背中を押されて担ぎ出された。
このマラソンを主催するトビリアーノ国立美術館の館長から、受賞のトロフィーと記念品が贈呈される。
「痛みに耐えてよくがんばった。感動した!」
館長の言葉で授賞式は盛り上がり、トロフィーを掲げるビビに記念品のピンクボム――別名ラアマレ・アカピスが贈られた。
じゅるりとビビは唇を拭った。
ピンクボムはビビの大好物のフルーツだ。
超高級大玉ピンクボムの大きさはビビの顔ほどもある。こんな大きなピンクボムを丸々1個、独り占めして食べるのがビビの幼いころの夢だった。
幼いころママから言われた言葉がビビの脳裏に蘇る。
――ラアマレ・ア・カピスは大人の食べ物だから、子供は1日8分の一切れしか食べちゃダメよ。
その言い付けに縛られ、今日の今日までビビの夢は叶うことがなかった。
でも、ここは王宮でもなければ、ビビがいた魔界でもない。
自分の力で手に入れたピンクボムを丸々食べても、文句を言う者など――。
「シェリルーッ!!」
怒号と共に空飛ぶギターに乗ってぶっ飛んでくるモルガン。
ピンクボムを抱きかかえ守ろうとするビビ。
「このラアマレ・ア・カピスは誰にも渡さないんだから!」
そして、ビビは思わぬ行動に出た。
ピンクボムを上空に投げたかと思うと、時空保管庫から大鎌を召喚して、その刃でピンクボムをカッティングしたのだ!
八つ切りにされたピンクボムが一切れずつ落ちてくる。
ビビはキャッチした一切れを怒濤の勢いでむしゃぶりつく!
まるでスイカの早食いだ。
美少女ビビの形振り構わぬ行動に歓声があがる。
ビビは一切れを完食すると、その皮を投げ捨てて、次に落ちてきた一切れをキャッチして食らいつく!
「もぐ(絶対に)……もぐ(絶対に)……もぐもぐもぐ(ひとりで食べてやるんだから!)」
次々と落ちてくるカットフルーツを平らげるビビ!
そして、モルガンがビビの目の前にやって来たと同時に、ピンクボムは完食された。
「うっぷ……(食べ過ぎた)」
ビビの足がグラつく。
モルガンが眼を丸くした。
「まさか……今のは……ラアマレ・ア・カピス!(なんてこった)」
動揺するモルガンの前で、ビビは顔を真っ赤にしてユラユラと酔っぱらいのように踊った。
いや、本当に酔っぱらっているのだ。
「ひっく……もっとラアマレ・ア・カピスもってこーい!」
だから一切れしか食べちゃダメって言われていたのに。
「あははははは、あははは♪」
笑いながらビビは大鎌を振り回した。
その瞳は金色から燃えるような赤に変わっていた。