第6話「未知との遭遇(2)」
世の中、見なかったことにする、もしくはなにもなかったことにするのが1番である。
というわけで、ルーファスとビビがやって来たのは、カーシャの自宅だった。
「お前から尋ねて来るとは久しぶりだな(……しかもビビ同伴……もしや、いつの間にかルーファスとビビは親密な関係に……なんてな、ふふ)」
そう言いながらカーシャは空のカップを2つテーブルに置いた。セルフサービスだから自分で勝手に紅茶でもコーヒーでも淹れろよ、という暗黙の意思表示である。
ルーファスはビビの分のカップも持ってキッチンに向かった。
一方ビビは、驚いた顔をしながら部屋中を隈なく観察していた。
ピンクのテーブル、ピンクの椅子、ピンクの家具と小物、大量に飾ってあるぬいぐるみもピンクだ。目が痛いだけでなく、なぜか心も痛くなる光景だ。
カーシャは自分のことをなにか言いたそう見つめるビビに気づいた。
「なんだ?(なんだその珍獣でも見るような眼つきは)」
「カーシャってピンク好きなの?(……ちょっと意外)」
「悪いか?(喧嘩なら買うぞ)」
「ぜんぜん、アタシもピンク好きだし。ほら、アタシの髪の毛もピンクでしょ?」
ビビの髪の毛はピンクのツインテールである。
カーシャは目を伏せて黙り込み、しばらくしてボソッと呟いた。
「……最悪だ(こんな小娘と趣味が被るなど、生き恥以外のなにものでもない)」
「ひっどーい、最悪ってなにそれ!」
「いつかお前の髪を緑に染めてくれるわ(毒気が抜けてクリーンになれるぞ、ふふ)」
「ピンクはカーシャだけのものじゃないんだからね!」
小さな言い争いが大きな争いに発展する前に、2人の間に湯気の薫るカップを持ったルーファスが割って入った。
「はい、コーヒーと紅茶、好きなほう取ってね」
ウサギ柄とネコ柄のカップがテーブルに置かれると、2本の手が伸びてカップを2つ持っていった。紅茶をビビ、コーヒーをカーシャ、ルーファスの分がない!
「あのぉ、私の分がないんだけど?」
「そんなの自分で淹れればよいだろう」
バッサリ切り捨てたカーシャさん。
「(だから今、淹れた来たのに……カーシャが取るんだもん)」
その言葉をルーファスは心だけにとどめた。
またキッチンに向かおうとしたルーファスの背中をカーシャが呼び止めた。
「で、なんの用があって来たのだ?(意味もなく人の家に尋ねに来るはずがない。妾は意味なくルーファスの家に行くがな)」
ルーファスが振り返った。
「いや別に、せっかくの休日だし散歩ついでに遊びに来たって言うか」
「ビビと一緒にか?(まさかデートか!)」
「それどういう意味?」
「(妾の考えすぎか、デートで人のうちに遊びに行く戯けはいない……いや、ルーファスは無神経というか、うといからやるかもしれんな)別に意味はない」
「そう(……なんであんなこと聞いたんだろう?)」
首を傾げながらルーファスはキッチンに消えた。
ビビは近くにあったリモコンを手にとって、いつの間にか勝手にテレビを見ていた。
「なんかおもしろいテレビやってないかぁ」
次々とチャンネルが回され、画面にアニメが映された。それを見てビビは目を丸くした。
「プリティミューの再放送じゃん!」
プリティミューとは、ゴスロリ姿の主人公が世界の平和を守るため、悪の軍団ジョーカーと戦うアニメである。
チャンネルが突然変わった。
「人のうちで勝手にテレビを見るな」
カーシャだった。ビビからリモコンを奪って、適当なチャンネルに変えてしまった。
ビビはすぐにリモコンを取り戻そうと腕を伸ばした。
「テレビくらい見たっていいじゃん」
「テレビのチャンネル権は家の主にあるものだ」
「なにその権利」
「いいから勝手にテレビを見るなと言うておるだろう」
「ケチ!」
リモコンを奪い合って争いがはじまってしまった。今リモコンを持っているのはカーシャだ。
腕を上いっぱいに伸ばして高く上げられたリモコンに、飛びつこうとビビがジャンプする。
そんな光景を見ながらいつの間に戻って来たルーファスは思う。
「(テレビ本体でチャンネル回せばいいのに)」
2人の争いを止めに入らないのはルーファスの仕様だ。
ついにビビがリモコンを奪還した――と思ったらカーシャが奪い返す。チャンネルが次々と回される。
とある画面が映し出された瞬間、ついにルーファスが口を挟んだ。
「ストップ! 今の映像は……(見てはいけないものを見てしまったような)」
一斉にビビとカーシャの顔がルーファスに向けられた。
リモコンを握っていたカーシャが、ルーファスがストップをかけたチャンネルまで戻した。すると映し出された映像はニュース番組のようだった。
『王都アステアに突如現れた生物はその進路を徐々に……ぎゃ〜っ!』
リポーターの男が謎の触手に巻き付かれてフレームアウトした。
なんか見たことのある触手だったが、ルーファスは見なかったことにした。
「やっぱりテレビは消したほうがいいよ、うん」
ルーファスがテレビ本体に手を伸ばそうとすると、その手首をカーシャによって掴まれた。
「待て、なんだ今のタコの足のような物は?(アステアと言っていたが、なにが起きているのだ?)」
プロ根性を見せるカメラマンは、その場から逃げることなくその映像を映し続けた。
町中で暴れまわる謎の生物。タコのような足で周りの家々を破壊するその姿。足の長さを含まない体長だけでも、2階建ての家に匹敵する高さだった。
のんびりと紅茶を飲みながらビビがひと言。
「なんか大きく育ってるねぇ」
最初に見たときよりも、だいぶ大きくなっているようだ。しかも、騒ぎが甚大になっていた。
自分が召喚しました――なんて口が裂けても言えない。
ルーファスは空になったカップを飲み続けた。
疑惑の眼差しでカーシャはビビを見た。
「あの怪物のことを知っているのか?」
「うん♪ ルーちゃんが召喚したの」
カーシャの視線を向けられる前にルーファスは逃亡しようとしていた。
「急用を思い出したから帰るね」
帰ろうとするルーファスの首根っこをカーシャが掴んだ。
「ちょっと待て、詳しい話を聞かせてもらおうではないか、ふふふ(面白いことになってきたぞ)」
慌ててルーファスが弁解をはじめる。
「ちょ、待ってよ。僕じゃないんだ、あの、その、ビビがさ、いけないんだよ。僕の召喚の邪魔するから」
「アタシなにも知らないも〜ん、きゃは☆」
見事にしらばっくれた。こういうところが仔悪魔だ。見た目に可愛さに騙されるな!
なんだか強引に話が進められ、気付けばルーファスはホウキの後部座席に乗せられていた。
ホウキを運転するカーシャにしがみついて、必死に振り落とされまいとするルーファス。
「カーシャもっとゆっくり!」
「悠長なことを言うな、現場が立ち入り禁止なる前に急ぐぞ!」
2人を乗せたホウキは王都アステア上空を低空飛行して、イカタッコン星人が視界に入るところまでやって来ていた。
ちなみにビビはホウキが2人乗りだったの置いていかれた。
ホウキはイカタッコン星人の上空をクルクル旋回した。
地上では治安部隊がイカタッコン星人をなだめようと、あれやこれやとテンテコ舞のようだ。
治安部隊がさっさと攻撃に出れないのは理由がある。それはイカタッコン星人にある一定の知性が見受けられたからだ。つまり、安易にイカタッコン星人に攻撃を加えてしまうと、文化圏を越えた国際問題に発展する場合があるのだ。
カーシャがホウキを地上に向けて運転しはじめた。
「よしルーファス、捕獲するぞ!」
「はぁ!?」
「うまく事が運べば賞金がもらえるかもしれん(そろそろ新しい魔導レンジに買い換えようと思っていたところだ)」
急降下するホウキに触手が襲い掛かってきた。
見事な運転でカーシャは触手の間を抜けた――が、ルーファスが振り落とされた。
「ぎゃ〜っ!」
地面に向かって死のダイブ!
黒衣の影が地面を駆けルーファスの落下地点に立った。
謎の男が見事にルーファスをキャッチ!
「無事かねルーファス君?」
ルーファスをキャッチしたのはリューク国立病院の副院長――黒衣の魔導医ディーだった。今日はサングラスをかけている。
「どうしてディーがここに?(僕のこと抱きかかえながら、何気にお尻さわってくるし)」
「陽の下は苦手なのだが、負傷者が多数出たと聞いては来ないわけにはいかぬだろう」
ディーは触手の攻撃を軽やかにかわしながら、治安部隊が防御網を張る内側まで逃げ込んだ。
安全圏まで入ったというのに、ディーはルーファスを下ろそうとしなかった。
「あのさディー、下ろしてくれない?」
「駄目だ」
「なんで?」
「あんな高いところから落ちたのだ。軽い脳震盪を起こしているかも知れぬ、今すぐ病院で精密検査をしてもらうよ」
「やだ」
ルーファスは逃げるようにディーの身体から無理やり下りた。
なにかと理由をつけて入院させようとするのはいつものことだ。しかもルーファスに色目まで使ってくる変態だ!
ディーと距離を置くルーファスの背後から、カーシャがヌッと顔を出した。
「なぜディーがここにいるのだ?」
「うわっ!(カーシャ!)」
驚いたルーファスが叫びながら飛び退いた。
嫌な顔もせずディーはまた同じことを答える。
「陽の下は苦手なのだが、負傷者が多数出たと聞いては来ないわけにはいかぬだろう」
と、言ってる間も、触手に引っぱたかれて男が空を飛んでいた。
イカタッコン星人はまるでハエ叩きのように触手を動かして、次々と治安部隊を空に飛ばしていく。
もう誰もイカタッコン星人を止めることはできないのか!
長い触手が逃げ遅れた近所の若妻に襲い掛かる!
男たちは散々ぶっ飛ばしたというのに、若妻はなぜか触手を巻かれて上空に釣り上げられた。
ヌメヌメでグチョングチョンの触手が若妻の太腿を這う。
カーシャがその光景を見てひと言。
「エロダコめ」
この瞬間、イカタッコン星人改めエロダコになった。
カーシャがルーファスに命令を下す。
「あの女を助けて恩を売って来い」
「助けるなんて無理だよ」
ここにディーが割って入った。
「そうだ、ルーファス君を戦いに赴かせるなど私が許さんよ(だが、怪我をさせて病院に連れて行くのもいいな)」
妄想をするディーの唇がいやらしく微笑んだ。エロイ人だ!
そんな話をしているうちにも、若妻は触手の魔の手にあ〜んなことやこ〜んなことをされ、助けようとする治安部隊がハエのように叩かれていく。
やはりここはルーファスが行くしかないのか?
しかし、へっぽこ魔導士ルーファスになにができるのだろうか?
だがカーシャにとって、なにができるできないは関係ない。とにかくルーファスに行けと、ただそれだけだった。
カーシャがルーファスの身体を持ち上げ、人間ミサイル発射ッ!!
「ぎゃ〜っ!」
投げられたルーファスがエロダコに一直線。その軌道に迷いはないが、ルーファスの心には迷いだらけ。なんの作戦もなしに敵に突っ込むなんて無謀すぎる。
「助けて!」
それがルーファスの最期の叫びだった。
触手が見事ルーファスを打ち返した、ホームラン!
キラーン☆彡
ルーファスはお星様になった。
と、思いきや地上に落下。
すぐにカーシャが駆け寄った。
「大丈夫かルーファス? まだいけるな?」
返事はなかったが、カーシャは再びルーファスを持ち上げ、人間ミサイル発射!
気絶したままのルーファスは声も上げずに再びエロダコの元へ。
ルーファスは空中で目を覚ました。
目をパチパチさせながら、ルーファスは状況を把握しようとした。
眼の前まで迫る牛のような爆乳。成す術もなくルーファスは人妻に抱きつき、顔を爆乳に埋めていた。
次の瞬間、ルーファスの鼻から赤い噴水が放出された。
「ぐわーっ!」
鼻血ブー!
生温い鼻血をぶっ掛けられた触手が、人妻を解放して逃げていく。
またしてもルーファスの鼻血が触手を追い返したのだ。
人妻を偶然にも救出したルーファス。だが、触手から解放された人妻が地面に落下したとき、ルーファスはその下敷きになってしまっていた。しかも、ルーファスは気絶していた。
やっぱりルーファスはイケてない。
ルーファスが目を覚ますと、緊急用の医療道具で輸血されていた。
しかも、頭が乗せられているのはディーの膝の上だった。
思わずルーファスは飛び起きた。
「うわっ!」
「暴れないでくれたまえルーファス君、輸血中だ」
「輸血とかいいから、早くこの針抜いて!(気絶してる間に変なことされてないかなぁ、心配だ)」
「ルーファス君の頼みとあれば仕方ない」
本当に仕方なさそうにディーは輸血の針を抜き、その抜いた傷口を突然舐めた。思わず反射的にルーファスは腕を振った。
「やめてよ! それやらないでっていつも言ってるじゃん!」
舐められたルーファスの腕から傷が痕も残さず消えていた。ディーの唾液には治癒効果があるのだ。だが、ルーファスしてみれば、精神的に傷付く。
ルーファスは冷や汗を袖で拭いて、辺りを見回した。
病院のスタッフたちが怪我人たちをその場で手当てしている。慌しくはあるが、大騒ぎというほどではない。壊した家々を残してエロダコは姿を消していた。
「エロダコはどうなったの?」
ルーファスはディーに尋ねた。
「都の中心に向かっていると思われたが、急に進路を変えてシモーヌ川に向かったそうだ」
「カーシャは?」
「あの生物を追って行ったようだな」
ディーがなにか気配を感じて後ろを振り向いた。
こっちに誰かが走ってくる。
「やっと見つけたぁ!」
ツインテールをジタバタさせながら走ってきたのは、置いてけぼりをくらったビビだった。
「アタシのこと置いてくなんてヒドイよぉ(アタシが止める間もなくホウキに乗って行っちゃうんだもん)」
少し怒ったようすでビビは頬を膨らませた。
ルーファスは困った顔をして眉をハの字にした。
「いや、あの私がさ置いていったわけじゃなくて、カーシャが無理やり……ね?」
しどろもどろで弁解するルーファスだが、プンプンのビビは頬を膨らませたままだ。
「追いかけて来るの大変だったんだからぁ。アタシまだここの道とかあんまし覚えてないし、迷子になりそうになったんだからね!」
「だから私が悪いんじゃなくてカーシャがさ……(むしろ僕は被害者だ)」
「アタシが迷子になって変なオジサンに連れ去れてかれたら、どう責任取ってくれるのぉ?」
「いや、それは平気だと思うよ」
「どーゆー意味?」
「ビビだったら変なオジサンくらいコテンパンに出来ると思うから」
「ルーちゃんのばか!」
ビビのグーパンチがルーファスの頬にヒットした。
地面に倒れて死の境を彷徨うルーファス。きっとオジサンもこんな風にコテンパンにできる。ルーファスは身をもって実証したのだ。
気絶しかけたルーファスは身の危険を感じてすぐに立ち上がった。ディーの影がすぐそこまで迫っていたのだ。
ルーファスは手の平を胸の前に突き出してストップをかけた。
「大丈夫だから」
眼の前にはディーがいた。
「いや病院でレントゲンを取ったほうがいいだろう、頬骨が損傷しているかもしれん」
どうしてもルーファスを病院に連れて行きたいらしい。
しつこいディーをどうにかするには、これしかない!
ルーファスは逃げた。
「さよならディー!」
とりあえず別れの挨拶はしたが目線は前。ディーの姿は完全にフレームの外だ。
「待ってよルーちゃん!(またアタシのこと置いてく気?)」
すぐにビビはルーファスを追って走り出した。