番外編「アイーダ海の白い悪魔(1)」
南アトラス大陸に隣接する南ノース洋は、今や武装船団ヴィーングの縄張りと化していた。
ヴィーングとはイースランドを起源とする民族の総称で、主に今の時代はヴィーング民族の『海賊』を指す言葉として用いられている。
聖歴8世紀――時代は第1次大海賊時代だったりする。
この時代有数の港町アディアは今日も賑わっていた。
商船や漁船の乗組員、ランバード海軍が酒場で昼間から酒を飲んでいた。
ランバードとは聖戦で活躍した七英雄の末裔が治める国であり、南アトラスの四強に数えられる国である。つまり、なんかスッゴイ国なのだ。
ランバード、ヴィーング、シオゥル、メミスが四強に数えられる。
この中で国なのがランバードとメミス。
ヴィーングたちは武装船団の総称であり、団結性があるわけではない。
シオゥル帝国は250年ほど前に滅びたハズの国なのだが、数年前から不死煌帝を名乗る者によって復興した死者の国であり、一般的な国としての機能は果たしていない。
メミスは中立を保っているため、残りの三戦力が大陸で絶えず戦乱を繰り広げ、交易港であるアディアはその縮図だ。
酒場に熊のような図体をした男たちが入ってきた。酒を飲んでいた海軍たちの目つきがかわる。
巨大な斧などの武器を携帯し、毛皮の服を着た野蛮な香りのする男たち。身体が臭い。
海軍の隊員たちが立ち上がって、野蛮な男たちの前に立ちふさがった。
「おまえらのような者が来るような場所じゃない(風貌からしてヴィーングかもしれないな。てゆか、臭いな)」
海軍の隊員のひとりが言った。
野蛮な男たちは顔を見合わせて、黄色い歯を見せながら笑いあった。
そして、巨大な拳を高く振り上げて、隊員の顔面をパーンチ!
殴り飛ばされた隊員はドーン!
それを合図にドンチャン騒ぎがはじまってしまった。
酒瓶が宙を飛び交い、鈍器に使われる木のイス、青ざめる店主の顔。
店内が荒れる中、ただひとり静かに酒を飲み続け客がいた。
白いフード付きのローブを頭から被り、傍らの席にはこの客の私物なのか、アイパッチをしたピンクのウサギのぬいぐるみが置かれている。
ただのぬいぐるみだと思っていたウサギが口を開いた。
「海軍がヴィーングに押されてるにゃー(海軍も人手不足で弱っちいのしかいないにゃ)」
ウサギなのに『にゃー』なのは制作者の仕様だ。
かまわず白いフードの人物は酒を飲み続けていた。
が、しかし、どこからともなく飛んできたワインの瓶が……白いフードにクリティカルヒット!
ガツン!
と、一発側頭部を殴られ、フードの下のこめかみに青筋が浮いた。
真横にいたウサギがフードの中を覗いて青ざめた。
「お、怒っちゃ……ここで暴れたらダメだにゃー!」
白影がすーっと席を立った。
北風が店内に吹き、床に白い霜が走った。
うつむくフードの奥から低い女の声が響く。
「……てめぇら」
騒がしい店内だったが、その声はなぜかこの場にいた全員の耳に響いた。
白いフードが取られ、長く美しい金髪が現れた。そして、金髪よりも輝いている白く美しい女の顔。
金髪女に向かってウサギが叫んだ。
「この町に出入りできなくなるにゃ、やめるにゃカーシャ!」
だが、その言葉も金髪女の耳には届かず、金髪女ことカーシャは怒号を飛ばした。
「アタイに瓶を当てた奴はどのボケじゃ! 名乗りでないならこの場にいる全員連帯責任で血祭りにあげたるわ!」
乱暴な言葉遣いに驚いたというより、その満ちあふれる殺気で辺りは凍り付いた。
精神的な寒さではなく、明らかな気温低下。
カーシャの切れ長の瞳が次々と男たちが見て回った。
逆境と多くの戦乱を生き延びてきたヴィーングたちは、相手が若い娘だと知って鼻で笑った。
「小娘がっ、俺らにケンカを売ってただで済むと思ってんのか?(なかなかいい女だ、可愛がってやるとするか)」
これにたいしてピンクのウサギがボソッと呟く。
「カーシャはただの若作りだにゃ(何千年生きてるのかわからないババアだにゃ)」
ギロっとカーシャはウサギを睨み、そのままウサギの首を握って放り投げた。
投げられたウサギはヴィーングに叩かれ、床に激突。痙攣したまま動かなくなった。
さよならウサギさん!
勇敢にもカーシャはヴィーングに向かって歩き、途中なんか汚れたぬいぐるみを踏んづけたような気がするが、気にしな〜い♪
長く伸びたヒゲの囲まれた口を舐め、ヴィーングはカーシャの胸元を舐めるように見ていた。
「牛みてえな乳してやがるな。なんなら俺がミルクを吸い出してやろうか?」
と、言ってヴィーングたちは一斉に笑い出した。
そして、ローブの下からでもわかるカーシャの爆乳に男が触れようとした瞬間、骨を砕く音がして男は手首を捻りあげられていた。
「アタイに気安く触ろうとするんじゃないよ!」
カーシャは相手の手首を砕きながら、止めと言わんばかりに膝蹴りを放った。
膝は男の大事なところを抉るように潰し、男は口からカニのみたいに泡を吐いて失神した。
ぎょっと眼を剥いたのはヴィーングたちだけではない。店内にいた男たち全員が辛そうな顔をしながら股間を押さえていた。
カーシャは冷笑を浮かべて男たちを眺めた。
「次はどいつのタマを潰してやろうか?」
挑発的な態度にヴィーングたちの血が煮えたぎり、野獣と化したヴィーングたちが束になってカーシャに襲いかかってきた。
北風が吹いた。
カーシャに襲いかかろうとしていたヴィーングたちが吹っ飛んだ。何が起きたのか、それを理解するのに数秒を要した。
ホウキを構えるカーシャの姿。その姿はカーシャであって、先ほどのカーシャではなかった。
白銀の長い髪をなびかせ、魔導を帯びた蒼い瞳。白い肌はより白く輝いていた。
そのカーシャの姿を見て、誰かが畏怖を込めながら呟く。
「『アイーダ海の白い悪魔』」
その通り名を近海の町々で知らぬ者はいない。
海賊の船を次々と沈める白い悪魔の伝説。
カーシャは冷笑を浮かべた。
「みんな凍ってしまえばいいわ」
それが男たちの耳にした最期の言葉だった。
アディアの酒場にいた客が、全員凍りづけにされて見つかってから数十分後、カーシャはアイーダ海の上空をホウキに乗って飛行していた。
「店丸ごと凍らすことなかったにゃー(手加減を知らないにゃ)」
その声はカーシャの首の後ろ辺りからした。フードまるでポケットのようにして、その中にあのウサギが入っていた。
「使い魔のクセして、アタイに意見する気?」
「滅相もないにゃ、おいらはカーシャの従順な下僕だにゃ」
このウサギの正体はカーシャの作り出した人工魔導生物であり、名前はマーブル・チヨコ・レイト3世という。ちなみに1世と2世はいない。
カーシャは銀色の髪をなびかせ、なにかを探すように上空を旋回していた。
「いないわね」
「広い海で特定の船を見つけるなんて難しいにゃ」
「うっさい、連帯責任を負わせるまで地獄の果てまで追撃したるわ」
実は酒場からただひとり凍りづけにされずに逃亡したヴィーングがいたのだ。そいつを追ってカーシャは海に出た。
ここまでカーシャが追撃に執念を燃やす理由は、金髪女の正体が『アイーダ海の白い悪魔』だと世間に広まると、金髪の姿で町を出入りできなくなる理由があるからだ。
という理由より、ぶっちゃけ個人的な恨みだと思う。
カーシャの蒼眼がキラリーンと輝いた。その瞳に映ったのはガレー船の帆だった。帆に描かれた図柄は、酒場にいたヴィーングが腕に入れていた刺青と同じ。
「間違いないわ」
船のサイズはこの時代にしては平均的、十数人乗りの小型船で、カヌーを大きくしたような形をしている。
ホウキを急降下させて、カーシャは船の真横に併走した。
銀髪のカーシャを見たヴィーングたちが凍り付く。ひと目で『アイーダ海の白い悪魔
だと知れたのだ。
すぐにヴィーングたちは武器を構えた。だが、まだ仕掛けてこない。
しばらくして、ぐぅんと人相の悪い船長が顔をひとつ前に出した。
「『アイーダ海の白い悪魔』だな? おまえさんがこの船になんのようだ?」
「そこに隠れてる男をまずアタイに渡しな」
酒場から逃げた男は人影に隠れていたが、すぐにカーシャと目が合ってしまった。
船長はうんとは言わなかった。
「おれたちゃ、同士を売るようなマネは絶対にしねぇ」
「あっそ、なら連帯責任は免れないわよ……覚悟はいい?」
カーシャの周りに集まり出す蒼いマナフレア。魔導の力が発動されようとしていた。
航海を続けていた船が突然止まった。
強い北風に煽られ帆はなびいているにも関わらず、なぜか船が止まってしまったのだ。
ヴィーングのひとりが身を乗り出して船の底を見ると、なんと海が凍り付いてしまっていた。
殺らなきゃ殺られる。そんな空気が張り詰め、血走った眼でヴィーングたちがカーシャに矢を放った。
一瞬にして凍り付く船板。ヴィーングたちの足が止まった。いや、止められた。
凍り付いたのは船板だけではない。ヴィーングたちの足までもが凍り付き、船板に張り付いてしまったのだ。
カーシャは冷笑を浮かべる。
「何日くらいで死ねるかしら?」
足を凍らされ、その場から動くことも逃げることもできない。広い海の上、ただ死が訪れるの待つのみ。
自由に動く上半身を動かして、ヴィーングは斧を投げつけてきた。
カーシャのその斧を取るでもなく、躱すでもなく、ただ手のひらを突き出した。
すると、斧はカーシャに当たる寸前、蒼く凍り付いて粉々に砕け散ってしまった。
「まだアタイに牙を向けるなんて良い度胸してるじゃない?」
微笑を浮かべたカーシャは船に降り、持っていたホウキを風車のように回した。
強い北風が吹き、空気の中の水分が氷結する。
ヴィーングたちは氷の中に閉じこめられ、恐怖に歪める顔を冷凍保存することにしなってしまった。
満足そうにうなずくカーシャは、積んであった積み荷を物色することにした。
木箱がいくつか並べられ、ひとつ開けてみるとワインが詰め込まれていた。
他の木箱にはチーズなどの食品の他、レッドハーブ、ブルーハーブ、薬草などの類もあった。
「あまり金目の物はなさそうだから、薬草を少しもらっておこうかしらね。マーちゃん、使えそうな薬草を袋に詰めておいて」
「人使いが荒いにゃ」
「アンタ人じゃないでしょ」
「言葉のあやだにゃ」
マーブルは小さな身体を一生懸命動かしながら、大きな木箱を開けて中の薬草を集めはじめた。
カーシャは最後に残っていた木箱を開けることにした。これには頑丈な南京錠がかけられていた。
白いカーシャの手が南京錠に触れると、一瞬して南京錠は凍り砕け散った。
木箱のフタを開けたカーシャは眼を丸くして、凍ったように身動きを止めてしまった。
なんと木箱の中には子供がいたのだ。それも手足を縛られ、口にも布をかまされている。身なりの良いドレスを着たブロンドの少女だった。
鋭い目つきで少女はカーシャを睨んでいる。
数秒カーシャは動きを止めた後、見なかったことにした。
子供をめんどくさいから好きじゃない。
バタンと木箱のフタを閉めてマーブルを見る。
「そろそろ行くわよ」
「その箱の中身はなんだったにゃ?」
「別になにも入ってなかったわよ」
と、カーシャがウソをついた瞬間、木箱がガタガタと大きく揺れた。
なまぬる〜い眼でマーブルはカーシャを見ている。
「本当はなにが入ってるにゃ?」
「なにも入ってないわよ」
サラッと白々しいウソ。
当然、マーブルはそんなウソを信じるハズがなかった。
マーブルは自ら木箱を開けた中身を見た。やっぱり中には縛られた少女が入っていた。
「にゃ、子供が入ってるにゃ!」
驚くマーブルにたいしてカーシャは惚けとおす。
「子供? なにそれ、どこにいるの?」
「ついに老眼が……ぐえっ!」
マーブルの身体が鋭く蹴り飛ばされた。もちろん蹴っ飛ばしたのはカーシャ。
帆に激突して、そのまま床にも激突したマーブルは、そのまま身動きひとつしなくなった。
さよならマーブル!
そして、すぐに蘇るマーブル!
やっぱりカーシャの下僕だけあって、いろいろと打たれ強いのだ。
マーブルはヨロヨロしながら、再び身を乗り出して木箱の中を覗いた。やっぱり少女は入ったままだ。
「やっぱり子供は入ってるにゃ……にゃっ!?」
奇声をあげるマーブル。
何者かに背中を押されて木箱に押し込まれ、フタをバタンと閉められた。何者って回りくどい言い方をしているが、もちろんカーシャだ。
フタの閉まった木箱がガタゴト揺れて、中では壮絶な何かが繰り上げられているようだ。そして、聞こえてくるマーブルの声。
「人質に取られたにゃ、助けてにゃーっ!」
どうやらマーブルは人質に取られたらしい。
しかし、カーシャはサラッと。
「そんなホコリ臭い人形ならくれてやるわ。さよならお嬢ちゃん」
「ヒドイにゃ、おいらがどうなってもいいのかにゃ!」
「アンタに命を吹き込んであげたのはアタイよ。その命、どう使おうとアタイの勝手でしょ」
「ペットは責任を持って飼わなきゃいけないにゃ!!」
激しく木箱が揺れた。
「俺を自由にしてくれたら宝石でも何でもくれてやる!」
その声はマーブルでもカーシャでもなかった。
となると……?
なにか心変わりでもあったのか、カーシャは木箱のフタを開けた。
口を縛っていた布が外れ、少女の瞳はまっすぐカーシャを見据えていた。
「早く俺を自由にしてくれ!」
綺麗な顔をした少女が俺――オカマかっ!
カーシャは不適に微笑んだ。
「アンタに興味がわいたわ」
タマがあるかないか!?
そこではなかった。
「アンタ何者なの?」
「言いたくない」
少女はそっぽを向いて口を閉ざしてしまった。
そっちがその手ならカーシャはこっちの手を使うまでだ。
「あっそ、さよならお嬢ちゃん」
背を向けたカーシャを見て少女は焦る。
「待て、縄をほどいてくれたら教える!」
「イヤよ、そっちが身元を明かすのが先よ」
「……縄を解くのが先だ」
「そうだ、この船のヴィーングどもはみんな動けないから。運良く他の船に発見されたら幸運だわね」
そう言って再び背を向けたカーシャを見て少女が折れた。
「……皇女だ」
「はっ?」
「ランバード王国の第一皇女フェリシア・ランバードだ」
「……おもしろそうな話になって来たじゃない?」
眼をキラキラに輝かせるカーシャ。
南アトラス大陸の大国ランバードの第一皇女が、なんとヴィーングの武装船の中で拘束されていたのだ。
大きな事件の臭いがプンプンだった。