第5話「凍える記憶(1)」
クラウス魔導学院に入学して初めての遠足。
担任のセイメイ先生の事前情報によると、山の中にある温泉に行くらしい。
「なんて、ウソじゃないか!」
ルーファスは極寒の雪山で叫んだ。
雪景色の綺麗な温泉なんて期待できない。温泉なんてあっても、絶対温泉じゃなくて氷になってる。
入学初の楽しい遠足だと、ワクワクしてた自分が悪かったと、ルーファスは反省した。
他の生徒たちもそうだ。ただの温泉ツアーだと騙されてここに連れてこられたのだ。
なのでみんな普段着。つまり防寒対策ゼロ。
暦の上では秋だが、気温的な問題をいうと秋めいてくるのは秋分を過ぎてから、なのでまだまだ薄着の者も多い。
なのに極寒!
普通に凍死する。
ルーファスはガタガタ震えながら、近くに立っている友人AとBを見た。
「なんで君たちちゃんと防寒対策してんの?」
高そうな毛皮を着込んだクラウスと、普通の毛皮を着ているローゼンクロイツ。
クラウスは後ろめたさで苦笑いを浮かべた。
「ウチの学院では恒例なんだ、入学早々の雪山登山が」
「なんで教えてくれなかったのさ?」
ルーファスは恨めしそうにクラウスを睨んでいる。
「極秘の野外実習だから」
それをなぜクラウスが知っているのか?
国王の特権だった。
しかも、ここは『クラウス魔導学院』だ。知っていて当然。
ではローゼンクロイツはなぜ?
「あいつがコッソリ教えてくれた(ふにふに)」
その『あいつ』をルーファスは察した。
「ああ、学院長ね」
学院長がローゼンクロイツを愛してるのは周知の事実だ。
ローゼンクロイツ本人はスゴク嫌がっているが、学院の学費や普段の生活費、ローゼンクロイツが世話になってる聖カッサンドラ修道院も、元を辿れば学院長が資金を出しているらしい。
白い息と一緒にローゼンクロイツはため息を吐いた。
「あいつの言うこと聞くのイヤだけど、ボク寒いの苦手だから(ふー)」
3人が雑談していると集合の笛が鳴った。
「みなさーん、早くお集まりなさぁ〜い!」
少し高めの男性の声だ。どこかナヨナヨしている。
東方の烏帽子[エボシ]を被った色白の東洋人。名をセイメイと言って、東方から来た魔術士(自称陰陽師)らしい。アステア王国では珍しいタイプの魔導を使う。
ゴージャスな毛皮を首に巻いたセイメイはナヨナヨしながら、ルージュを塗った唇の前で人差し指を立てた。
「はい、みなさぁ〜ん、お静かにぃ」
クラスの生徒たちが集合の合図で集まってきたが、それに伴ってザワザワしはじめた。
「みなさぁ〜ん、お静かにぃ」
笑顔でセイメイは呼びかけた。
しかし、生徒たちは友達どうしで話をやめない。というか、寒いので話してないとやってられないのだ。が、そんなことセイメイの知ったこっちゃない。
セイメイの米神に青筋が浮いた。
「アタシの声は聴こえませんかぁ? 静かに……静かにして頂戴……」
それでも生徒たちは静かにならなかった。
「オマエらうっさいんじゃボケナスがっ!(死ねクソガキ!)」
人が変わったようにセイメイが咆えた。
ピタッと生徒たちが凍りついた。
セイメイ先生は2重人格のオカマで有名だった。
ボロを出してしまったセイメイは必死に作り笑いを浮かべた。
「おほほほほほ……(美しいアタシのイメージが、イメージが……)」
雅に笑って誤魔化すセイメイ。けれど、口元は痙攣して引きつっていた。
クラスが静かになったところで、今回の雪山登山の趣旨を説明する。
「はい、それでは今回の『遠足』の趣旨をお話しまぁ〜す。クラス対抗で山頂を目指します。より多くの生徒が山頂にたどり着いたほうが勝ちよ。もちろん、負けたクラスは恐怖のバツゲームが待ってるわよぉん」
より多くの生徒というキーワードのせいで、誰もサボれない状況に陥った。サボったらクラスメートにリンチされるのは確実だ。いつの時代も裏切り者への制裁は厳しい。
加えて負けたらバツゲーム。
すでにバツゲーム的な寒さなのに、本当のバツゲームは考えただけでも恐ろしい。きっとスケールアップした地獄が待っている。
セイメイは生徒ひとり1人に黄色い卵を配りはじめた。
「棄権者や命の危険を感じた人は、この卵を割るようにしてくださいぁ〜い。ただし、脱落者や棄権者には、キツーイ補習が待ってるわよ♪」
身体が凍ってないクラウスが代表で手をあげた。
「質問です。卵を割るとなにが起こるのでしょうか?」
「はい、いい質問ですねぇ。卵を割ると救助隊が現場に向かいます。それ以上は、ヒ・ミ・ツ(はぁと)」
人差し指を唇の前に立てたセイメイ。男なのに色白で美形のせいか、妙に艶っぽい。
次にセイメイはマップと整備品を配りはじめた。
「山頂までのマップと、使い捨てカイロを4枚ずつ配りまぁ〜す。カイロは太陽神アウロと、炎の精霊サラマンダーの術を施した当魔導学院の特別製、身体の芯までポッカポッカよ」
マップとカイロを配り終えたところで、セイメイは重要なことをつけ加えた。
「カイロは1枚30分で切れるようにワザとしてあります」
この発言に生徒一同は、より一層凍りついた。
命を繋ぐカイロが30分で切れると?
今はまだ山脈の入り口だが、登るにつれてもっと寒さは増してくる。
死の宣告タイムリミット2時間!
「なお、山頂には2時間では決してたどり着けない予定よ。だーかーらー、他人のカイロを奪うことを前提にしています」
セイメイの眼がキラリーンと光る。
「これはサバイバルなのよ、弱肉強食なのよぉぉぉぉん!!」
こうして地獄の熱くて寒いサバイバルがはじまったのだった。
午前10時ちょうどにサバイバル開始!
1学年は6クラスあり、クラスごとにスタート地点が違う。
なるべく公平にスタート地点は設定されているが、相手は自然の山なので必ずしもというわけにはいかない。中でもセイメイクラスは、なかなかの難コース。どうやらセイメイがくじ引きで引き当てたらしい。
占術なども得意と自称するセイメイだが、自称はあくまで自称なのだ。
ぶっちゃけクジ運が悪い!
セイメイクラスの中では、すでにいろいろなグループが出来ていた。基本的に仲の良い者同士が手を組み、いろいろな作戦で山頂を目指す。
まだまだ入学して間もない時期であることから、なかなかグループを組むのに時間がかかっているようだ。けれど、こんな雪山を独りで挑むのは無謀だと、誰もがわかっていることなので、なるべくみんな人とグループを組もうとしている。
しっかりと作戦を練ってから出発するグループや、とにかく特攻を決め込んだグループ。溢れたものたちを寄せ集めた、数で勝負のグループなどなど。
ルーファスはクラウスとローゼンクロイツと手を組んだ。3人とも魔導幼稚園からの腐れ縁だ。
クラウスとローゼンクロイツは昔から成績優秀で、魔導学院の1年生ではトップクラスの実力を持っている。この2人と組めば怖いものなしだ。
問題はルーファスだった。
「このカイロ市販のより暖まるねぇー」
2人の心強い仲間がいることで、かな〜り余裕だった。カイロでポッカポッカなのも、気分を良くしてくれる。
クラウスは自分のカイロをルーファスに差し出した。
「僕のカイロをあげよう」
「えっ本当に、ありがとう助かるなぁ」
「冬になるとこのカイロは学院の購買で売り出されるんだ。購買で売られているのは3時間用と6時間用がある」
「全国発売すればいいのに」
「実はこのカイロ1セット売るごとに赤字なんだ。学院の生徒のために、割引して売ってるんだよ。だから商売となると難しい」
クラウスはローゼンクロイツにもカイロを手渡した。
……あれ、2枚目?
「2人に渡したのは6時間用だから」
と、何気にクラウスは言った。
のぼせたルーファスの頭でも理解できた。
「持参したの?」
「大臣がどうしても持って行けとうるさいものだから仕方なく」
国王の特権だ。
カイロを受け取った手前、ズルイとは口が裂けてもいえない。
出発地点の山の入り口は、平坦な道で雪も数センチしか積もっていなかったが、だんだんと雪に足が埋まり、傾斜が急になりはじめていた。
このサバイバルの舞台はグラーシュ山脈。
アステア王国の北に位置する極寒の山岳地帯。この山脈の周りは比較的温暖な気候なのだが、なぜかグラーシュ山脈一帯だけが異常に寒い。その気温は平均で零下20度以下で、最低気温は零下50度〜60度に達する。
ガイアの北極と南極に匹敵する寒さだ。つまりバナナで釘が打てる世界。
こんな氷の大地にも生物はちゃんと住んでいる。
どこの自然界でも同じだが、生物はその場所に適用する能力を持っている。そのわかりやすい例が擬態と言って、生物は周りの風景に溶け込む模様や形をしている。雪原などでは白い毛並みの動物が多い。
3人が歩く前方の崖をぴょんぴょん登る物体を発見。
白く長い毛と先の分かれた枝のような角。グラーシュシロシカだ。
「カメラ持ってくればよかったなぁ」
ルーファスが呟くとクラウスがカメラを取り出した。
「あるぞカメラ?」
「はぁ?」
冗談で言ったつもりなのに、本当にカメラ持参なんて思ってなかった。
「大臣が記念に残るから、どうしてもって持たせてくれたんだ(グラーシュ山脈には固有種しかいないらしいからな)」
そう、グラーシュ山脈は世界でも珍しい生物が多く生んでいる。周りの地域に比べ、この山脈一帯だけ寒い。そのためにまるで隔離された孤島のように、周りの地域と生物の進化が極端に異なっているのだ。
だからってカメラ持参なんて、野外実習を舐めきっている。
と、言いたいところだが、今回は湯めぐりの旅と騙されて連れてこられたので、ただの遠足気分でカメラ持参の生徒たちも多かった。
ただし!!
クラウスの場合はグラーシュ山脈に来ることを前提で、地獄のサバイバルがあることを知っていて、それでもカメラを持ってきたのだ。
やっぱりクラウス魔導学院の野外実習を舐め腐っている。
カメラを構えたクラウスがルーファスに指示を出す。
「ルーファスそこに立て、シロシカが後ろになるように……少し右だ、いや、左」
クラウスに促されるままルーファスはカメラの前で位置を決める。
「はい、ポーズ!」
カシャッとシャッターが切られた。遥かなる山脈とシロシカをバックに、記念に残る1枚が撮られた。
クラウスはローゼンクロイツにもカメラを向けた。
「ローゼンクロイツも撮るか?」
「……ヤダ(ふにふに)」
ローゼンクロイツは片手を前に突き出し、ストップの意思表示をした。
「写真に撮られると魂が抜かれるんだよ(ふあふあ)」
仕方なくクラウスはカメラを下げた。
「そんな迷信を信じているのか?」
「……信じてない(ふにふに)」
「(信じてないのか……)だったら1枚くらいいいだろ?」
「……ヤダ(ふにふに)。写真に撮られると魂が抜かれるんだよ(ふあふあ)」
「信じてないのだろ?」
「……ヤダ(ふにふに)。写真に撮られると魂が抜かれるんだよ(ふあふあ)」
無駄な押し問答が続く気配がしたので、クラウスはため息をついてカメラをしまった。
3人は山頂に向かって歩き出した。
時おりマップを確認しながら慎重に前へ進む。コース取りを間違えれば大幅な時間ロスになるし、最悪遭難。
ぶっちゃけ、こんな雪山でマップだけ持っていても意味がない。目印も特にないので、焚き火の道具にしかならない。
だが、事前情報を得ていたクラウスはコンパスを持参していた。
「もうすぐ他のクラスと鉢合わせするかもしれないな」
コンパスでマップを確認するクラウスの横で、ローゼンクロイツがボソッと。
「コンパス持参なんて……ズルイね(ふにふに)」
「事前情報を得ていたのだから、それを最大限活用するべきだろ?」
クラウスは温泉ワクワク遠足ではなく、雪山サバイバルだと知っていた。
それでもローゼンクロイツは突っかかる。
「でもねクラウス、こういう訓練はみんな同じ条件じゃないとつまらないと思うよ(ふにふに)」
「君だって冬物のコート着ているじゃないか? そんなにいうんだったら脱げよ」
「……ヤダ(ふーっ)」
やっぱり寒いのはイヤなのだ。
クラウスは少し考え込み、手に握っていたコンパスを雪の中に投げた。
「これで文句ないだろ?」
コンパスはもうどこにあるのかわからない。
ルーファスは未練を口にする。
「あーあ、別に捨てることなかったのに……」
が、コンパスを捨てた方向から何者かの声が聞こえる。
「このコンパスはオレたち兄弟がもらったぜ!」
「悪く思うなよ!」
雪の中から突如飛び出した人影!
赤と青の魔導衣を来た二人組み――オル&ロス兄弟参上!