episode:3
少しだけ残酷な描写が出てくるのでご注意下さい。
―あの日からずっと雨が降っている。
あの日々を思い出しては何度も泣いた。
あの日から私の時間は止まったまま。もう動く事は無い。
私はもうとっくに壊れていたのかもしれない。
きらきらと輝く思い出たちを眺め、呟く。
『もういいよ。さようなら。』
どれだけ泣いて喚いても、もう何も無い。
物語の最後はいつだって簡潔で、簡単に終わる。―
―
誰もが皆私を見る。まるで化け物でも見る様な目で。
どうして?傷つけたのは君だよ?
傷つけられたのは私。それなのに私に向けられる目に映るのは恐怖だけ。
なんで君が泣くの?なんで皆避けるの?
私は被害者なのに…。
どうして…?ねぇ、どうして?
全身に痛みが走る。
「痛いよ…痛いよ…。」
―
「ああああああ!!」
耳をつんざく様な悲鳴で目が覚める。
目に映ったのはただ白いだけの空間。
(夢、か。)
酷い汗をかいている。
「うっ…。」
鋭い痛みが私を襲う。
「明音!?」
母が心配そうに寄って来た。
「お母さん…痛いよぉ…。」
私はまた、泣いていた。大丈夫だなんて言う元気はどこにも無かった。
母はよりいっそう心配そうな表情をした。
私がここで寝たきりになったのは一週間くらい前。下校中だった。
私は家が近いため、歩いて下校していた。
そこへクラスメイトが二人程、自転車に乗って通りすがろうとした。
喋ることに夢中だったその人たちは私に気付かずぶつかった。
その拍子に私はよろけ、そして…
―最悪の事態が起こった。
鳴り響くクラクション。脳が必死に警告を鳴らすが体はぴくりとも動かない。
誰かの悲鳴が聞こえたと同時に全身にとてつもない痛みが走った。
私はその場に倒れこみ、状況が理解出来ないまま苦しんだ。
周りが騒いでいる。途切れそうな意識のまま私は車に轢かれたのだと理解する。
クラスメイト、車の運転手、野次馬。そういった人たちの目には恐怖しか無かった。
血塗れになって悶える私を化け物として見るかの様な、そんな目をしていた。
(どうして…?可哀想なのは私だよ?)
なんでそんな目で見るの…?
―
「普段目立たない人は目立つ人に潰される。」
私はぽつりと呟いた。
あの日私にぶつかった人にはまだ謝られていない。
それどころかまるで自身が事故の瞬間を目撃してしまった被害者かの様な振る舞いをしていた。
何度も見る白昼夢。
あの日から私は、誰にも見られない事が怖くなり、誰かに私を見てもらいたくて、嘘を吐く様になった。
私は可哀想な人。心配されるべきだ。
そう自己暗示をしている内に、いつしか私すらも嘘なのか本当なのか分からなくなっていった。
「明音。」
母は優しく私の名を呼んだ。
「転校、しようか。」
その言葉に私は頷いた。私はもう、あの学校を見たくもなかった。
―
「桜木明音です。」
体もすっかり良くなった私は今、新しい学校にいた。
クラスの人たちの反応はあまり良いとは言えない。
私の中に不安が広がる。
「―っ!?」
唐突にクラスの中の誰かが悲鳴を上げた。
「空ちゃん大丈夫!?」
クラスメイトの一人が倒れた様だ。周りにいた人たちが心配そうにその人の元へと駆け寄る。
(いいな…。)
心配されている。その事がとても羨ましく思えた。
彼女は保健室へ連れていかれ、しばらくして帰って来た。
彼女は私の隣の席に座った。
「…大丈夫?」
彼女は私の言葉を聞くと明るい笑みを浮かべて言った。
「あはは…変なとこ見せちゃったよね。全然、平気だよ。」
そう言って笑う彼女の瞳の中にはどこか陰がある。私にはそう見えた。
同士だ。直感的にそう感じ、私は彼女に親近感と興味が湧いた。
「えぇっと…桜木さん、だよね?」
彼女の言葉に私は頷く。
「下の名前…何だっけ?えぇっと…あきね?」
彼女は戸惑った様な顔をして私の名前を間違えた。
「あかね。」
「そうだったね。ごめんごめん。明音って呼んでも良い?」
「…別に。」
私の言葉を聞いた彼女は嬉しそうに笑って言った。
「私は音羽空っていうの。宜しくね!」
そう言って笑う彼女の笑顔はとても眩しくて、陰なんて無かった。
「音羽さん…宜しく。」
私は何だか懐かしい気分になった。
私もかつて、普通に笑い、普通に生活をしていた。
そう、私にも『普通の日常』があったんだ。
「日常って、こんなにもあっさりと壊れちゃうんだ。」
まぁそんな事、どうでも良いか。
―
―私ハ可哀想ナ存在ダ。
クラスメイトのせいで事故に遭い、それなのに謝られない。
車に轢かれてもなお、意識が途切れず悶える私を周りの人々は化け物でも見る様な目で見てきた。
血塗れで苦しむ私を。
彼女もきっと、何かを抱えているのだろう。彼女と私はきっと同じ様な存在。
それなのに、ねえ?何で彼女ばかり心配されるの?彼女と私は同じ筈だよ?
(…私は今、どんな気持ち?)
そんな疑問が心に浮かぶ。
自分自身、何を言いたいのか分からない。
ただ、やたらと苛々していた。
私だって彼女みたいに心配されたい。心配されたいんだ。
ポタリと足元に何かが滴り落ちて我に返る。
同時にカシャンと何かが手から滑り落ちた。
足元を見ると血のついたカッター。左手首は赤く滲んでいた。
「薬飲まなきゃ。」
ぽつりと放たれた声は冷たく、まるで私の声ではない様に聞こえた。
―
「桜木さん…?手首、どうしたの?」
翌日、教室に入ると一人の少年が慌てた様子で私の方へと駆け寄って来た。
「えっ…あぁ、いや…。」
いきなりで戸惑っている私に彼は妙に真剣な眼差しを向けて言った。
「誰かにやられたの?」
「いや、そんな事は…」
あまりの迫力に気圧されて、いつもに増して小声になる。
「これは…私の不注意だから…。」
私の言葉を聞いて彼は少しだけ安心した様な顔をした。
「良かっ…って全然良くないよ!手首、痛そうだね。」
彼は心配そうに私を見た。
―私ハ今、心配サレテイル。
「別に、痛くは無い。」
今にも笑みがこぼれそうで、私はそれを必死に抑えた。
心配されている事がただ、嬉しかった。
「ありがとう。」
冷たく無愛想な声でお礼を言う。
その声はまるで自分の声では無い様な感情の無い、冷たい声。
ちゃんとお礼を言いたいのに、上手く伝わらない事にもどかしさを覚える。
せっかく心配してくれた彼も今の態度で嫌になったかな。
不意に彼が私の手に触れた。
彼は私の手首にぐるりと包帯を巻いた。
「…。」
私は驚いて彼を見る。
「傷口を剥き出しにしてたら菌が入っちゃうよ。」
彼は私の方を見て微笑んだ。
その笑顔を見て私は泣きそうになる。
「…何で包帯なんか持ってるの?」
口をついて出てきたのは素直じゃない言葉。
心の中はどれだけ騒いでいても顔に出す事が出来ない。
私は笑い返す事が出来なかった。それなのに彼は笑って言った。
「うーん…何でだろうね。なんか鞄に入ってた。前に怪我した時に使ったんだったかな。」
凍っていた私の心が彼の笑顔で溶かされていく。そんな気がした。
ああもっと心配されたい。…優しくされたい。
私の中の欲望は膨らんでいった。
―
その日の夜、私はカッターで足を切りつけた。
彼はまた、心配してくれるだろうか。もしそうだとしたら明日は何と言おうか。
『昔の事故の後遺症』
そういう事にしよう。
また声をかけてもらいたい。あの優しい言葉が聞きたい。心配されたい。
それ一心でひたすら切りつける。
痛みなんて感じなかった。
―
翌日、私はまともに歩く事が出来ず足を引きずりながらなんとか教室に辿り着いた。
昨日は気がついたら足が血塗れになっていた。
足は酷く痛み、あの時の事故を思い出させる。
今すぐにでも捨て去りたいあの忌々しい記憶が甦る前に私は思考を変える。
(昨日は大変だったな。気がつかない内に足の傷が開いちゃっててさ。止血に苦労したっけ。)
頭の中でそんな事を考えながら教室に入ると途端に足が動かなくなりしゃがみこむ。
包帯は血で滲んでいる。足が上手く動かなくて立つ事が出来ない。
遅れて足に激痛が走る。
「っ!!」
あぁそうだ。昨日ずっと…
「桜木さんっ…!!」
昨日の人が私の所に来る。
「明音!?」
音羽さんの声も聞こえた。
(………?)
私は昨日何をしていた?私は至って普通、いつも通りに生活をしていた筈だ。いや、むしろ珍しくいつもの症状が出なかったくらいだ。
「桜木さん、どうしたの?その足。」
「大丈夫…じゃないよね…。」
二人は真っ青な顔で私を見ていた。足を見ると包帯は真っ赤に染まっていた。
あぁ、またこれか。
「昔事故に遭って、多分傷口が開いたんだと思う。」
私が言うと音羽さんは心配そうに「痛くない?」と聞いてきた。
痛くない、とは言えないくらい足は痛かった。私が素直に「痛い。」と言うと二人は更に心配そうな顔をした。
「保健室、行こう。」
二人に支えられ、保健室へ向かう。
「歩ける?」
「ゆっくり行こうか。」
二人は優しく接してくれる。たったそれだけで私の心が満たされていくのを感じた。
(あぁ、やっぱり彼は来てくれた。)
「ありがとう。」
私は彼が来てくれた事がただただ嬉しかった。
彼なら私を心配してくれる。
―
―冷たくて凍っていった心は徐々に溶けていく。…それは間違った方向へと歪んでいったけど。
「それでいいの?」
どこからか声が聞こえたような気がした。
「これでいいの。」
私は言う。
「私は今、『シアワセ』だから」、と。
―
それから私は夜な夜な手や足を切ったり、自分の頭を殴る事さえあった。
傷口が開いて歩けなくなったり、頭を殴った事によりふらふらしたり、時には倒れる事もあった。
周りからは病弱と言われ、沢山の人が私を支えてくれる様になった。
ただ、やっぱり一番に来てくれるのは彼…確か名前は北野くんだったかな。
北野くんは優しかった。何もないこんな私にも優しくしてくれた。きっと彼は誰にだって優しいんだ。
それなのにどうして…音羽さんばかり見ているの?
何食わぬ顔で音羽さんが席に着く。音羽さんは私の隣の席だ。
私は音羽さんに聞いた。
「音羽さんって…さぁ。」
「ん?」
彼女は小首を傾げて私を見た。彼女とは親しい仲にあるつもりだ。だからこそ単刀直入に聞く。
「北野くんの事、好きなの?」
いきなりの質問で彼女は驚いた様な顔をした。
「えっ?どうして?」
彼女は困った様な表情を見せた。
「なんとなく。気になって。」
彼女には私がどう見えているのか分からない。何故そんな事を聞いたのか私自身分からなかった。
ただ、彼女の返答はとても素直なものだった。
「まぁ…好き、かな。」
その言葉を聞いて私は何を思ったのか分からない。
ただ、無意識の内に言葉を放っていた。
「そう…応援、する。」
彼女は満面の笑みで返した。「ありがとう。」と。
―
それから彼女は北野くんと付き合い始めた。
文化祭の日に告白をしたらしい。
「おめでとう!」
私は笑顔で祝った筈なのに、もう一方で私の中の何かが壊れた。
いや、もう既に壊れていた?
頭をかきむしり、手首をカッターで切ったところでもう何も意味しない。
頭の中で誰かが叫ぶ。
―時間ガナイヨ
頭はズキズキ痛み、手も足も、全身が痛い。
私は携帯電話を掴み、文字を打つ。
『北野くん、今どこにいる?』
返事は思ったよりもすぐに来た。
『今は駅にいるよ。どうしたの?』
足は勝手に動いていた。駅へと向かって。
駅に着くと北野くんの後ろ姿が見えた。彼は私に気がついていない様だ。
「北野くん…私、は。」
足を止め、ぼーっとその後ろ姿を眺める。
放心状態に近い状態だった。
「キミとの未来しか描けない。」
どこかで聞いたその言葉を口にしてみる。
あははと笑ってみるものの上手く笑えない。
もうそれは終わった。
『ボクはキミとの未来しか描けない。』
改めて感じる。もう何も無い、と。
もう何もかも終わったの。『理想だった君』はもういない。
まぁそんな事は、さ。
「どうでもいいね。」
彼の背中を強く押す。
「―!!」
耳をつんざく赤く鋭い断末魔。
その声の主が誰かも分からないまま駅を出る。
―ゴメンね。
瞳を閉じるとあの人の、とても綺麗な笑顔が浮かぶ。
―キミガ最期ノ犠牲者ダ。
空は美しいほど真っ赤に染まっていた。