銀色の鱗
「すごい!やっぱりすごい眺めだなあ、シェリル」
今日もいつも通りエデンにやって来た俺は、とうとう桜の木のてっぺんまでシェリルと一緒に飛んだ。頂上近い幹の分かれ目の麓に二人で腰をおろして、エデンが一望できる絶景を眺めた
「タキもずいぶんと空を飛ぶ感覚がつかめてきたんじゃない? どう、もう気持ち悪くなったりしない?」
「大丈夫、慣れてきた。シェリルに助けてもらえるしさ」
「機嫌はなおった? タキ」
さっきまで、俺はチェスゲームでシェリルにこてんぱんにやられ続けていた。
俺だって結構強い方だと自負していたのに、シェリルには全く歯が立たなかったのだ。
「俺は別に機嫌を損ねてなんて……。しかしシェリルはすごいな。俺は全敗しちゃったよ」
「ああいう、頭脳ゲームは得意なのよ。でもタキも中々やるわよ、それに私は不利になった時はズルもしたから」
「なにしたんだい?」
「ちょっとね、頭の中をのぞいちゃった。だからタキが次にどんな手を打つか予想がついたのよ。」
俺は昨日のロイの言葉を思い出した。
「ねぇ、シェリル。シェリルは人の心が読めるのかい?」
「なに、タキ。誰かにそんな事言われたの?」
「いや、エデンにスタッフがいるだろう。掃除とかしてるっていう……。その中の一人に聞いたんだけどさ、君が人の心が読めるって言うんだけど……」
「ああ、クリーナーのスタッフ達ね」
シェリルは不機嫌そうになって答えた。
「言っておくけど、タキ、彼等の言っている事は、まともに受けない方がいいわよ。全くの一過性で、何も分かっていないのだから……。それに人の心を読むって言うのではなくて、感応すれば――、なんていうのかな、チューニングさえ合えば、言葉を使わないコミュニケーションが出来るようになるわよ」
そう言ってシェリルはそっぽを向いてしまった。俺は何か彼女の気に障る事でも言ってしまったらしい。
「しかし、シェリルは何でもできるし、ホントすごいよな」
シェリルの機嫌を直したくて俺は言った。
「私だって、初めは教えてもらったのよ。そう、ジョシュアが教えてくれたから――」
俺はラジ博士の言葉を思い出してシェリルに尋ねた。
「それは、第三世代というトリの天使?」
「そう。知ってるの?」
「――博士に聞いた……」
「ジョシュアは優しくて、なんでも教えてくれたわ。もう、いないけど……」
「病気で亡くなったそうだね。」
「病気? そうね、生まれつきの――。彼の体はこの世界を受け入れることができなかった。塵となって消えてしまった……」
そう言ってシェリルは何かを思い出すように遠くを見つめた。エデンにはちょうど良い風が流れていて、桜の花びらが美しく舞っていた。
「私達だって、出来るわよ。ねえ、タキ、言葉でなくて心で話をしてみる?私と手を合わせてみて」
シェリルは俺を見つめると、彼女の掌を掲げた。
桜の木の上で、ゆっくりと俺は差し伸べられたシェリルの手に自分の掌を合わせた。
俺の心にシェリルの心が入り込んでくる。『あぁ……』俺はゆっくりと目を閉じるとシェリルに連れられるまま身を任せ、桜の木の上から飛んだ。そこはエデンあり、エデンとは全く違う世界。まるで時間のない空間のようだった。沢山の花びらが舞って、光も色も違って見えた。俺とシェリルは感応し、二人の境界線は不確かになっていった。俺の頭の中に、直接シェリルの声が聞こえてきた。『タキ、待っていたの。あなたを待っていたのよ』
聞こえる、シェリルの声が、声の響きが俺の頭の中に、心の中に――。俺はシェリルに心の中で答えた。シェリルには俺の声が聞こえているのだろうか。すると再びシェリルの声が心の中に入ってきた。俺にはその言葉がはっきりと聞こえた。
『好き、あなたが好き……』
「ええっ!」
俺は驚いて目を開けた。夢の中から突然引き戻されたように呆然としてしまった。気がつくとシェリルが息もかかる程に俺の側にいた。彼女の顔が俺の真横にあった。自分の心臓がやたら高鳴っている事に気づいた。彼女は俺の顔をしばらく見つめると微笑みを洩らし、優しい声で囁いた。
「聞こえた? タキ……。」
「…………」俺は胸が詰まって、すぐに言葉が出なかった。
「なんて聞こえたの?」シェリルが俺に聞いた。
「――俺を……、待っていたって…、そして……」
「そして?」
「俺の事を……、好きだって……。でもシェリル、一体それはどういう意味で……」
「それは……」
シェリルの顔が近づいてくる。俺は焦ってバランスを崩し、俺の体は桜の木のてっぺんからすべり落ちた。シェリルが俺を捕まえようと手を伸ばし叫んだ。
「タキ、掴まって!!」
「ああっ!」
必死になって掴まった瞬間、しがみついた俺の手がシェリルの白いワンピースを引き裂いた。シェリルもバランスを崩して俺と一緒に桜の木の上から落ちる。瞬間、シェリルの白い羽根が現れ、俺たちはなんとか地面直前で止まった。
「大丈夫、タキ?」
「ああ。シェリルこそ大丈夫?」
慌ててシェリルを見つめると、彼女のワンピースが背中から裂けている。
「ごめん、君の服が――」
裂けたワンピースの境目から、シェリルの背中が見える。俺の目に、彼女の脇腹から背にかけて、銀色に光る一面に鱗が飛び込んできた。。
「シェリル……、それは……」
シェリルもはっとして、まるで怯えてでもいるように青ざめて俺を見つめた。一瞬の沈黙。しばらく見つめ合っていたが、やがてシェリルの顔に、不敵な冷たい微笑みが浮かんだ。
「気持ち悪い? 蛇のように見える? それともトカゲかしら?」
俺は心臓に刃を突き刺されたような痛みを感じて、必死になって彼女に答えた。
「そんな事無い。君はきれいだ。君のすべてがきれいだ。だって俺には、そうとしか見えないよ……」
俺の言葉にはじかれたようにシェリルは一瞬息をのんだ、次の瞬間、彼女は俺にすがるようにしがみつき叫んだ。
「恐い、私は恐い。ねえ、タキ、私死んじゃうの……。私は死んじゃうの!」
突然の言葉に、俺はただ驚いてしまった。でも震えながら叫ぶ彼女を少しでも安心させたくて、俺は彼女をそっと抱きしめた。シェリルはうつむきながら、かすれる声でとぎれとぎれに話しだした。
「――同じなのかも……、私もジョシュアと同じなのかも知れないの……。彼の体は徐々に鱗に覆われて、最期には全身が石化していった……。ある朝起きたら彼はどこにもいなくて、この桜の木の下で、砂にうずもれたジョシュアの羽根だけが横たわっているのを見つけたの……。彼は砂と化して崩れ落ちてしまったのよ。そして風に吹かれて、塵となって、空気の中へ消えていった――」
シェリルの肩が小さく震えていた。彼女の小さな振動が俺自身にも伝わってくる。
「シェリル、それはどういう事なんだ? 君にもなにか生まれつきの病気が……」
「違うわ。私は今までとは違うって博士は言ったわ。でも……」
まるで熱にでもうなされるように彼女は言葉を続けた。
「怖い、私は恐いのよ、タキ。ねえ、果たしてジョシュアは本当にいたのかしら。あれは私の夢だったんじゃないかって……。いえ、あれは私自身なんじゃないかって……、塵と化して消えていったのは私なんじゃないかって……。」
シェリルの言葉が俺の心にこだまする。俺は彼女を遮って叫んだ。
「そんな事無い。シェリル、君は生きてる! 俺が知ってる。君は消えたりしない。俺がそんな事はさせない!」
俺はシェリルの金色の瞳をまっすぐに見つめ、必死になって彼女に叫ぶ。
「ほんとに、何言ってるんだよ、シェリル! 大丈夫だよ。いいかい、それは悪い夢だ、君はただ悪い夢を見ただけなんだ。大丈夫、すぐに目覚める――」
そして俺は両手で彼女の頬を覆って、そっとその唇にキスをした。
「ほら、もう目が覚めた――」
シェリルの見開いた瞳から涙がこぼれた。俺は彼女を抱きしめて深い、深いキスをした。
「シェリル……」
彼女を抱く腕に力がこもった。シェリルのささやきが耳元で聞こえた……。
「タキ、お願い、私を受け入れて……」