第六話
コケに覆われた石畳。
遺跡に入ってすでに三十分くらい経っているが、さすがにもう外からの光は入ってこない。周囲は完全に暗闇である。
村で買っておいた『赤石』の明かりだけを頼りに、俺たちは真っ暗な回廊を進んでいく。湿気をやたら含んだコケのせいで時折滑るので、足元に気をつけながら、そして分岐を(主に俺が)慎重に選びながら、立ち止まることなく歩いていく。
この遺跡の内部は、壁も床も天井も石と粘土が積まれているだけの造りで、所々にひび割れができている。いかにももろそうでそのうち崩れるんじゃないかと俺は少々冷や冷やしているのだが、逆に言えば壁がひび割れるくらいの期間無事を保ったんだから、むしろ安定してるんじゃないかとも考えられなくもない。
「ふむ、しかし――」
足音だけがコツコツ響いている中、ロットが独り言のように話し始めた。
「――これほどの遺跡とはな。このコケがびっしり生えた壁を見てみろ。何百年と言う年季を感じさせる。ふふふふ。もしかしたら本当に、ここに『銀石』があるかもしれないな」
「……そうだな」
とりあえずの生返事。我ながら話に対する興味のなさが如実に現れている返答だったが、問題ない。ロットはそんな細かいところにこだわらない人間なのである。逆にこだわってほしいと思っているくらいだ。
俺はロットから視線を外し、ちらっと横を見た。
ロットの逆隣。ルーは黙りこくったまま歩を進めている。
いつもならば頼みもしないのにしゃべりまくり、無駄にチームのテンションを上げるルー。そのルーがここまで静かなのは、珍しいと言えば珍しいことだが、しかしたまにはあることで、つまりさっきの『銀石』というキーワードが原因だ。
恐らくルーは今、彼女の父親について考えているんだろう。
ルーの父親。『銀石』の発見者である研究者。ルーに銃『サイキ』を渡した人物。
その人となりは、ルーから、あるいは噂話などでいくらか聞いてはいるが、しかし俺は一度も彼に会ったことはない。それというのも彼が、俺とルーが出会う以前――今から五年前――に失踪しているからだ。
そう――――失踪である。
行き先は不明。生死も不明。この五年間、連絡が何一つない。噂では、彼が『銀石』に関わる研究をしていたため犯罪組織に連れ去られたと言われている。確証はないが、しかし彼の経歴からして十中八九そうだろうと俺も思っている。
ルーが十一歳の時にいなくなってしまった父親。
ルーが賞金稼ぎをしている理由も――半分くらいは――そこにある。父親を探すことは、ルーにとって当面の生きる目的。念願、悲願。
だからこそ、彼の鍵である『銀石』という言葉に過剰に反応してしまう。……確かに、無理のないことではある。
しかしここまでルーに無言を貫かれてしまうと、チームとしてのリズムが狂ってしまう。何と言っても、この場合、必然的に俺がロットの話し相手になってしまうのだ。仕事以外のことでこれ以上疲れたくなんかない。
「……ま、ここに『銀石』があるかどうかはともかくとしてさ」
俺は心底で嘆息しつつ、ルーの隣に並びながら、
「ここで何か見つけないと金にはならないんだ。今日は気合い入れてかなきゃな」
そう言うと、ルーは少しの間俺を見上げ、
「うん。そうだね」
あどけなく笑った。そして前方に拳を突き出しながら、
「目指せ、お宝! 目指せ、賞金! 目指せ、『アクアマグロ』!」
……こいつ、マグロのことは忘れてなかったか。……と言うか、さっきの無言は実はマグロについて真剣に考えていたから、なんてオチはないだろうな?
内心で苦笑いしていると、ふいにルーが珍しくも真面目な顔を俺に向けてきて、
「それよりさ、ダルク」
「何だ?」
「ダルクってさ、その――――ワイトと仲いいの?」
…………は?
唐突な質問に、俺は少々戸惑いながら、
「いや……別に、よくもないし、悪くもないけど――――何でいきなりそんなことを?」
俺の質問返しに、ルーは拗ねるような顔つきで、
「だって昨日、ワイトの話してた時、ダルクってばやたら真剣な顔してたじゃん。まさかワイトみたいな娘がダルクのタイプなんじゃ――」
「しっ!」
いきなり、前方からロットの鋭い声。振り向くと、ロットが前を睨みながら左腕で俺たちを制している。
俺とルーも慌てて声を潜め、立ち止まった。
「何だ?」
「前の方から気配がする」
ロットが真剣な表情で前方に目を凝らしている。その視線を追っていくと、百メートルくらい先、暗闇の中、壁に光がほのかに揺れている。
……よくもまあこんな距離から気付けたもんだ。相手からの殺気があるならともかく。
見つめている先で壁が右側から照らされている。恐らくあの地点で道が右に曲がっているんだろう。そして曲がったその先に〈何か〉がいる。
俺たちは足音を立てないように静かに進み、曲がり角の直前で立ち止まった。
壁際、ロットは背中でもたれかかりながら、俺たちに無言の頷きを返した。そして背中の大剣の柄に手をかけながら、勢い良く身を翻す。
「誰だ!」
と、ロットが前を向いた瞬間、襲い掛かってくる影。ロットに向かって腕を振り下ろしてくる。
ロットは剣を抜き、その攻撃を受け止めた。
鳴り響く金属音。
俺とルーも武器に手をかけながら、その影を確認すると、
「……! お前――――ワイト!」
その影は白髪のショートヘアー、ダボダボのパーカーで、ロットにクローを突き立てている顔なじみだった。
「あなたたち……だったの」
ワイトは静かにそう言いながら、クローを引いた。
その青白い肌がこの遺跡の薄暗い照明具合と相まって、これは実は幽霊か何かじゃないのかと頭の片隅で疑いつつ、俺は自分でも分るくらい呆然とした声音で、
「ワイト、お前何でこんなところに――」
「ワイト! どうしました! 何です、今の音はっ!」
奥から、またも聞きなれた声。足音と共に暗闇から現れた二つの影は、ワイトのチーム、ウェリィとギーンだった。
駆けつけたウェリが目を丸くしながら、
「おや、まあ、あなたたち。どうしてこんなところへ?」
「それはこっちのセリフよ! あんたたちこそ、何でこんなところにいるのよ! まさか、あたし達をつけてきたんじゃ」
「そんなことはいたしません。この遺跡調査の仕事を請負ったので、その任務を遂行しているだけです。……あ、まさかロットさん。何だかんだ言ってやっぱりわたくし達のチームが気になって、同じ仕事を請負ったのですね? うふ。何ていじらしい」
「そんなわけないでしょ! ただの偶然よ。勝手なこと言わないでよ、スパゲッティ頭!」
そのセリフを聞くや否や、ウェリィはぴくっと眉間にしわを寄せ、右手に握っていたロッドを振った。バチッと言って、ルーの目の前に火花が散る。
ルーは驚き、仰け反りながら、
「わっ! な、何するのよ!」
「その言葉を言わないでくださいと、昨日も言ったでしょう? 聞き分けがなくってよ。それにそちらも遺跡調査に来たというのなら、残念ながら商売敵ということになってしまいます。わたくし達は賞金をただでそちらに譲ってあげるほどお優しくはないのです」
「それはこっちも同じことよ!」
言いながらルーは『サイキ』を取り出し、ウェリィに向けて撃った。
しかしウェリィは首を左に倒し、難なく弾を避ける。軌道を読みきっていたんだろう。彼女の後方で、パキパキッと壁が凍った。……ルーが今撃ったのは『青石』の弾か。
ウェリィは小バカにした笑顔と共に身を翻し、
「うふふふ。まだまだ甘いですわね。では、私は先に行かせて頂きます」
そう言って奥へと駆け出した。
「な、ま、待てーっ!」
叫びながら追いかけるルー。
「……撃たせないわ」
呟くように言ってから、ワイトも駆け出した。
「むっ! いかん! お宝を先にとられてしまう! 急がねば!」
ロットまで駆け出し、闇に消えていった。
後に残されたのは、俺とギーンのみ。
「……行っちゃったな」
「……行っちゃいましたね」
「どうする?」
「とにかく追いかけましょう。はぐれるのは危険です」
「そうだな。どら、行くか――――それにしても、君らもこの『遺跡調査』の仕事、請負ったんだ? この前あんだけ愚痴ってたのに」
「ええ。お姉ちゃんが聞かなくて――――あなた達も請負ったんですね? 『遺跡調査』は無駄骨な仕事だって、あれだけ言ったのに」
「ああ、ロットとルーが聞かなくてな――――それにしてもどう思う、この遺跡? 何かありそう?」
「発見されたばかりの遺跡なので、何とも言えませんね。逆に言えば、六人がかりで探せば何か一つくらい見つかるかもしれません」
「……そうだな。六人で手分けして、報酬を山分けにしたほうが賢いってもんだろう。万が一二つ見つかれば、それを分ければいいわけだし」
「そうですね。だけど三つ目まで見つかるとまた喧嘩になりそうですから、二つ目を見つけたら即解散した方が、丸く収まるんじゃないでしょうか」
「そうだな。とりあえず、あいつらに遺跡の中のものを壊されちゃヤバイし、追いかけようか」
「はい」
俺とギーンも詮無く歩き出した。
歩きながら、右手の甲で壁をとんとんと叩いてみる。鈍い音がするだけ。見かけによらず、この壁は案外頑丈に作られてるのかもしれない。
手に着いたコケを払いながら、俺はギーンの隣を黙々と歩いている。
四人とはぐれてからさらに十分くらい歩いたが、一向に追いつかない。まあ、向こうはダッシュしていてこっちはとぼとぼ歩いてるんだから、当たり前と言えば当たり前だ。しかしあいつらは一体どこまで行ったんだ?
だがとりあえず、あいつらがこの道を通ってさらに奥に向かったことは間違いない。なぜなら所々壁が焦げていたり、凍っていたり、刀傷がついていたりするからだ。パンくずを落としていくのより数倍分りやすいマーキングだ。
とにかくあいつら、大事なものは壊さないでくれよ、と祈りつつ、
「この遺跡、一体どれくらい前に作られたんだろうか?」
何ともなしに俺が言うと、ギーンは周囲を眺め回しながら、
「もっとも古いこの辺りのマッピングデータは六百年前のものです。それ以降、定期的にこの山の地図は書き換えられてますが、しかしこんな空洞のデータはまったくありませんでした。つまり、この遺跡は六百年以上前に作られた可能性が高いということですね」
「ふ〜ん。もしかして《てくのろじー》の時代?」
「いえ、その時代の建造物なら、鉄などを使ってもっと頑丈に作られているでしょう。この遺跡はただ石と粘土を積んだだけです。《てくのろじー》衰退以後に作られたと考えるのが妥当でしょう」
「《てくのろじー》の後、六百年以上前か…………。それって、『石』が発見される前だよな? ろくな動力もなかったろうに、よくもまあこんなもん作ったもんだ」
「ええ。裏を返せば、それだけの労力を注いでも守りたいものがこの遺跡にあるということです。この遺跡が発見されてから今まで、三十チームくらいの調査団がここに入ってますが、今のところそこまでの発見はありません。もしかしたら、チャンスはあるかもです」
「へー」
……なるほど。さすがギーン。下調べはバッチリ、分析も納得できるものだ。相変わらずのアナリシストっぷりだ。
俺が、
――ロットの大剣に一目置いているように、
――ルーの銃に一目置いているように、
――ウェリィの統率力、意思決定力に一目置いているように、
――ワイトの身のこなしに一目置いているように、
ギーンに一目置いているのが、この『分析力』。
何らかの情報を与えれば、そこから推測される最も的確な結果を出す。成り行き、問題点、その打開策。賞金稼ぎみたいな先の展開が予測しづらい仕事では、まこと重宝する能力だ。ウェリィもいい弟をもったもんだ、もっと労わってあげて欲しいね、と思っていると、
ドドドドドドドドッ
奥から、うなるような地響き。
「な、何だ? 地震?」
「いえ、初期微動を感じませんでした。震源が物凄く近い可能性もありますが……。しかしこの場合、もっと可能性の高い事象があります」
「何?」
「この遺跡のトラップです」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
なおも地響きが鳴り続けている。というか、音も振動もだんだん大きくなってきている。
「トラップねー。どんなトラップだと思う? 物凄く嫌な予感がするんだけど……」
「そうですね。段々音が大きくなっているところから察するに、何かがこちらに向かっているのでしょう。そのトラップがこの世の物質を用いて作られている以上、固体、液体、気体、プラズマのどれかになるわけですが。固体の場合は岩石、液体の場合は水、気体の場合は毒ガス、プラズマなら炎と言ったところでしょうか?」
と、
「――――」
奥の方から叫び声が聞こえてくる。地響きにかぶさって、誰の声なのかまではよく分からないが。
さっさと後ろに走り出そうか、それとも一応トラップが何なのか確かめておこうか迷っている内に、その声も段々近づいてくる。それに伴いその声の主も判別できて、予想通り、ロットとルーとウェリィだった。
「うわーっ!」
「あわわわわっ!」
「きゃーっ!」
「…………」
無言なのはワイト。
こっちに向かって駆けて来る四人の姿がようやく判別できるようになって、さらにその後ろに目を凝らしてみると、
「ゲッ!」
濁流だった。