第十五話
階段を一つ降りてレンガ造りの地下廊を進み、目の前に現れたのは木製の扉。取っ手を回すとあっけなく開いた。
扉の奥、眼前に広がったのは三方を本棚に囲まれた書斎のような部屋。壁に一ヶ所だけついている灯りに照らされている。そしてその向こう、椅子からゆっくりと立ち上がった影があった。その人物を良く見ると、それは
アンディさんだった。
Tシャツにハーフパンツ、茶髪にバンダナというさっき見た格好のままのアンディさんが、俺に向かって笑いかけている。
「くはは。まさかお前がここまで来るとはよ」
茶化したような声音。俺は警戒しながら、
「……どういうことです?」
「どうもこうもねえだろ。くははは。これが現実だ。俺が、あの遺跡からお宝を盗み出した黒幕ってことだ」
……つまりアンディさんは、賞金稼ぎとして遺跡調査を請負うと見せておいて、裏で『カザミドリ』としてその宝を横取りしようと企ててたってことなのか? 確かにそれなら、ああもタイミングよく盗賊があの遺跡に入ったことに説明がつく。アンディさんがその隠し扉を確認し、プロの調査隊が入る前に盗賊を呼んだ、ということなのか。それならば賞金稼ぎとしての面目を保ちつつ、裏で『カザミドリ』の職務も遂行できる。
確かに、筋が通っている――――筋が、通っている?
「しかし、これも仕事だ。お前には死んでもらわなきゃな」
言いながら、アンディさんは腰の鞘からサーベルを抜いた。そして俺に向かってその剣先を向ける。
「まさかランキング上位である俺に勝てるなんて思ってねえよな? くはは。無駄な抵抗は止めて、潔く死んでくれ」
俺に対し右肩を向けた、まるで左腕を庇うような半身の状態でサーベルを構えている。そして一歩二歩と、間合いを詰めてくる。
「くはは。知ってるぜえ、お前の弱点。右目の視力が極端に悪いんだろ? 右側からの攻撃に対して、どうしてもタイムラグが出来ちまうんだろ? くはは。難儀なもんだな。
――なあ、『闇蛇』?」
その言葉と同時に、剣先が俺の顔面目掛けて飛んでくる。明らかに俺の右目を狙った攻撃。俺は首を倒し、それをかわす。
耳元で風が唸る。相当なスピードだ。予想以上の攻撃に、バランスが崩れる。俺は慌ててアンディさんと距離をとった。
……確かに、『闇蛇』のウィークポイントに関してはそれが正解だ。あいつは左目は普通なのに、右目だけが異常に遠視なのだ。だから、文字を読む際は眼鏡を着用している。それは正しい。正解ではある、が――
――俺が『闇蛇』?
何だ、この壮大な勘違いは?
俺も『闇蛇』も『黒石』の武器を扱っていはいるが、相似点はそれだけだ。あいつは刀で、俺はナイフ。武器は全然違う。能力も全然違う。何だ、この間違いは?
考えてみれば、アンディさんに関しても不自然な点がある。
まず遺跡調査をした初日、隠し扉を発見した直後に俺達を解雇した。もし夜に盗賊を遺跡に招く予定だったと言うなら、俺達をその日一日は監視しておくべきだったんじゃないか? 俺達を自由にするのは、最良の選択ではなかったんじゃないか?
加えてそのタイミングの悪さについては、あの時アンディさん自身が俺達に説明したんだ。あれは、俺達にアンディさんを疑う材料を与えただけじゃないのか? これも最良とは言えないんじゃないか?
…………そうか。ラキが言っていたのは、そういうことだったのか。
『現実は、すべてを疑った後に疑うもの』
矛盾点が存在するなら、現実を疑ってしまうのはまだ早い。あり得ない現実を信じてしまうのは、まだ早い。
敵は距離を詰め、俺に向かってサーベルを突き出してきた。またも右目を狙っている。俺はタイミングを合わせ、これをかわす。相変わらず相当な突きのスピードだが、右目が不自由ではない俺は、これをかわしきる。間一髪、肩をかすっただけだ。
俺はそのまま前に踏み込む。そして敵が庇うようにしている左手を、『黒石』のナイフで切りつけた。……そこが怪しかった。
パリンッ
ガラスが割れるような音がした。リーチが足りず、俺のナイフは敵の手首の上を通っただけのはずだが……。
再度距離をとりながら、一体何が割れたのか確認しようと足元を見る。そこに広がっていた破片は、橙色――橙色の『石』。発動すると幻覚を見せる霧を放つ、『橙石』の破片。
「なぜ?」などと考える間もなく、その破片から目線を上げる。目の前、橙色の薄いモヤの中、さっきまでアンディさんが立っていた場所にはまったくの別人が立っていた。
長髪を後ろで縛り、軍服に身を包んだ男。彼は――三日前、ラキに渡された写真に写っていた人物。
そいつは驚いた顔で、
「お、お前、なぜ見破――」
しかし俺はその言葉の途中で、敵の胴を目掛けてラキから貰い受けた武器、『黒石』のナイフ『ゼロ』を振る。
だが、敵の胴は分断されることはなかった。敵は鮮やかに後ろに飛び、これをかわしていた。動揺していたはずだが、やはり『カザミドリ』の幹部。その程度の隙では致命傷は与えられない。しかし――
「な? ……あ、あ」
着地した敵はうめくように言いながら、自分の肩を押さえている。その肩の下に、さっきまであったものがなくなっていた。胴は分かれなかったが、敵の左腕は完全に分断されていた。かわしきれてなかったんだ。
敵はよろめきながらも、俺を睨みつける。そして
「……く、おのれ!」
叫びながら、そいつ――『カザミドリ』第十三支部長、マーレット=レーガー――は、後ろ向きに駆け出し、扉を蹴り開けて走り去った。俺も慌ててその後を追う。
――走りながら、ようやく理解した。
ラキとアンディさんはグルだ。
この『カザミドリ』の根城を潰すために、二人は協力した。そして、実質の行動者として、俺をここに送り込んだんだ。アンディさんがラキと知り合いなのも、つまり二人は仕事仲間ということだろう。
賞金稼ぎが殺し屋と手を結ぶなんて、本来はあり得ないこと。心証が悪くなるし、危険な事柄に巻き込まれることが多くなる。場合によっては危険人物とみなされ、解雇されることもある。普通の賞金稼ぎは――例えランキング上位だとしても――出来るだけ避けるもの。しかし、アンディさんはあえて踏み込んでいる。
ようやく分かった。アンディさんの恐るべき面。あの人はそういう人だったんだ。
一分ほど走った果て、鉄の扉を開けると、そこは外への出口。眼下は渓流だった。
朝から降り続いている雨のせいで、流れは思いの外早い。とても人間が泳げるような流れではない。まして片腕では……。
辺りを見回してみるが、人影はどこにも見えない。人が隠れられるような場所も見当たらなかった。ということは、敵の行方は――必然的にそうなるだろう。
きちんと確認すべきではあるだろうが、俺は本職ではない。手抜きと言われても構わない。そこまでの義理はない。
結局レーガーが俺のことを『闇蛇』と誤解した理由は分からずじまいだったが、大体の察しはつく。大方、覗き窓か何かから俺が『ゼロ』を使った様子を見ていたんだろう。もしくは、さっきの大男から報告を受けていたか。まあ、今となってはどうでもいいことだ。
俺は、そのままそこを離れた。
ちなみに、この川の下流でレーガーの遺体が発見され、溺死ではあるが間接的には『黒石』の刃による傷が大元の原因であり、その切り口の形状が『闇蛇』のものと違うことから、その犯人が『闇鳥』と呼ばれるようになるのは、これのさらに一ヵ月後のことである。