一話
凛珠は鼓動を感じ取る。
波として、叫びとして、魂として。
動物、植物、そして星の響きも。
種の分岐、絶滅や新生は伝わってくるが、
全ての生きとし生けるものの鼓動を感じているわけではない。
数多の魂の叫びを担う事は神の務め、いや神でも手を焼くだろう。
喜び、憎しみ、悲しみ。争い、信仰、祈り。
希望、絶望。
そのような類は単なる日常。
これまでも、この先も。
先頃、微かな異の波を捉えた。過去に刻まれていない震え。
温く、厳めしい。訴えのような、安息を求むような。
特殊な様相であった。新たな種の誕生か、と放ってみた。
またある日、同様の波を捉えた。今度は僅かに大きく感じた。
新たな種が早々に大仕掛けに何事を起こしたとも考えにくい。
世の風聞は変わらず下らない内容ばかりだ。
新種が善悪に関わらず何かを行ったとすれば、たちまちに大騒ぎだろう。
凛珠は無機質な薄灰色の天井に視点を霞ませながら置いていた。
心地良さも悪さも混在するような鼓動。
心地悪さは無知故の悪さなのか、邪悪としての悪さなのか。
ではこの心地良さはなんだろうか。得体も知れぬものから受ける一方的な活力。
凛珠はそれに触れてみる決意を固めた。今日までこのように思ったことは一度もない。
幾度か訪れる新たな波の居心地はあまり良いものではなかった。
私を揺さぶるな……
鼓動を感じる力を所持しているが、自分の生の道には必要ないと、これまで存在してきた。
変化に伴い波は立つ。だが、いずれ波は止まる。
外から受ける波は概ね時間が解消する。
内の波はどうだろうか。
鼓動に関し、凛珠は自分しか感知していないと考えている。
他の誰かは当てにはできないだろう。
今回は待つほど内に余白はなさそうだ。
――私が。
凛珠は逆探知を試みた。
今まで鼓動はありのままに受けとめてきた。
この星の運命に干渉するつもりもない。
ただの傍観者。特別な鑑賞券を持ち合わせていただけ。
それだけ。
だったはずなのに。
凛珠は無機質な薄灰色の天井に視点を霞ませながら置いていた。集中と共に。
口は阿の口。口と鼻、どちらで呼吸をしているのだろうか。
耳では聞こえるはずのない鼓動を聞き分けようとしている。外界の音は何も聞こえていない。
左手は胸の上に、その上に重ねるように右手を置いている。
探知していく。それは手繰り寄せるようにではなく、点を探り当てるように。
真っ黒に塗りつぶされたキャンバスから、始点を見つけ出すような感覚。
海岸の砂の中から、決定的な一粒を拾い上げる感覚。
幾度か体感した鼓動はあまりにも儚いものであった。しかし、残影は体に浸みこんでいる。血の中に、細胞の中に。
――近い……
巡り合った。
確信めいたものは無かった。
両手で掬い上げた真っ黒な砂の中に、ある。直観と直感。
指の間をゆっくりと広げ、絹糸のように砂を零していく。
まだ、いる。
――この町、なのか。
そう思うや否や、脳内に景色が飛び込んできた。切り取って貼り付けられたように。
――岩見の洞か。
岩見の洞。
凛珠の街の外れに小さな小山がある。遠くから見れば木々の緑が美しいと感じる程度の丘のように見えるが、近寄ればそれなりに高さも感じ、山ともいえなくもない。そんな名も知らぬ小山。
その小山を越えればまた違う町もあり、ただの隔たりのような存在。
道は整備されているが、よりなだらかな場所を活用しているので、小山を迂回するような道となっている。
その迂回路とは逆側の方面、手が加えられていない区域に洞がある。
洞の手前には土着の者が訪れるような小さな神社がある。
神社に参拝した記憶はかろうじてあるのだが、洞まで行った記憶は凛珠には無かった。
洞の名は記憶の泥の中に埋まってはいたが。
瞬きの後、いつもの天井を見つけた。同時に鳥の囀りが聞こえた。
目と喉の潤いが奪われていた。
視界の端が明るい。カーテンの下から漏れている光が部屋の足元を照らしていた。
上半身を起こし、直角に体をずらし、ベッドに座るかたちになる。
目の潤いを戻すため、瞬きはいつもの何倍もしている。
喉の潤いを戻すため、ベッドボードに乗せてあった常温のペットボトルの水を一口飲む。
喉に全て吸われてもなお、もの足りなく、半分までの水を飲み足した。
最低限ではあるが、ヒトの正常な身体の状態に戻ったので小さく深呼吸をし脳も整えた。
――行こう。
時計には一目もくれず、支度を始めた。




