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9話

 朝、目が覚めた瞬間から胸が痛いって、絶対ろくなことにならない。¥

 鎖骨の少し下あたり、胸の真ん中が、じわじわと熱を持っている。刺すような痛みじゃなくて、炭火を押しつけられてるみたいな、内側からじりじり焼かれてる感じ。


「……うぅ」


 私は胸元を押さえて、ふかふかの枕に顔をうずめる。

 魔王城の寝台は今日も容赦なく柔らかくて、私の体を深く沈ませてくる。

ふわふわの羽毛布団、光沢のあるシーツ、薄く香る甘い花の匂い。

全部が「ここは安全だよ」って囁いてくるみたいで、余計に胸の痛みが浮き上がる。


(安全なはず、なんだけどなぁ)


 天蓋のカーテン越しに、淡い朝の光が差し込んでいる。

窓を通って入ってくる風は、森の湿った匂いと、魔王城の石の冷たさと、どこからか運ばれてくる花の香りを混ぜ合わせて、鼻の奥をくすぐる。

 耳を澄ますと、遠くの廊下から、魔族たちの足音と、低い話し声がかすかに聞こえる。

 笑い声も混じってる。誰かが冗談を言って、誰かがそれに突っ込んでいる。人間とそんなに変わらない騒がしさに、少しだけ気持ちが軽くなる。


「……それにしても、痛い」


 私は小さく呻いて、胸を押さえた手に力を込める。

 昨日、一昨日と、じんわり重い感じはあった。でも今日は明らかに違う。目が覚めた瞬間から、胸の奥で何かが熱を持ってうずいていて、呼吸のたびにそこが主張してくる。


(瘴気の影響、とか……? いや、今は城の中だし、ここまで濃くないよね)


 自分の体のことなのに、よく分からない。

 聖女なのに、自分の体調すらまともに把握できないって、どうなんだろう。ちょっと情けない。

 そんな風に自己ツッコミを入れていると――。

 コン、と、控えめなノックの音がした。


「クララ、入ってもいい?」


 低くて落ち着いた声。

 この城でいちばん聞き慣れている声。


「……どうぞ」


 私が返事をすると、扉の向こうで鍵の音がして、静かに扉が開く。

 入ってきたのは、黒い外套にゆるいシャツ、長い銀の髪を後ろで束ねた男――魔王ゼルディアス。

 寝起きでぐしゃぐしゃな自分の髪型を思い出して、反射的に布団を顎まで引き上げる。


「お、おはようございます」


「おはよう」


 彼は相変わらず、あまり音を立てずに歩く。

 絨毯の上をすべるように近づいてきて、ベッドの脇に腰を下ろした。

 近くに座られるだけで、空気の密度が変わる気がする。

 ひんやりした朝の空気の中で、彼の体温だけがじんわり伝わってきて、妙に意識してしまう。


「顔色が、あまり良くない」


 彼の紅い色の瞳が、私の顔を覗き込む。

 そんなにじっと見られると恥ずかしいんだけど、逃げるのもなんだか負けた気がするので、私はまばたきしながら見返した。


「ちょっと、胸が……重いだけです。大丈夫、そこまでじゃ……」


 言い終わる前に、彼の手が伸びてきて、私の手を包み込む。

 冷たくも熱くもない、ちょうどいい体温。

 大きくて、指が長くて、でも不思議なほど優しい触れ方。

 その瞬間――。


「あれ……?」


 さっきまでじりじり痛んでいた胸の奥が、すうっと軽くなる。

 完全になくなったわけじゃないけど、炭火が、少し離れた場所に動いたみたいな感覚。


「やっぱり、熱を持ってるね」


 彼は私の手を握ったまま、私の胸元に視線を落とす。

 服の上から中が見えるわけじゃないのに、そこに何か“見えている”みたいな真剣さだ。


「痛みは?」


「さっきよりは、だいぶマシになりました。なんでだろ……」


「僕の魔力が、少し流れ込んだからかもしれない」


 彼はそう言って、ほんの少し困ったような顔をする。


「君の中で、何かが目を覚ましつつある。瘴気のせいだけじゃない。……だから、僕が触れると、少し落ち着くのかも」


「目を、覚ます……?」


 意味がよく分からなくて、私は首をかしげる。

 ゼルディアスは、言葉を選ぶみたいに一度口を閉じて、それから少しだけ笑った。


「難しい話は、今はいい。胸の痛みがひどくなったら、すぐ僕を呼んで」


「呼ぶって……そんな気軽に」


「気軽でいい。君のことなら、いつでも来る」


 さらっと言われる。心臓に悪い。


「……分かりました。大げさだなぁ、もう」


 口ではそう言いながら、私は彼の手の温かさを意識してしまう。

 握られている部分から、じんわりと安心感が広がっていく。胸の重さも、さっきより薄くなって、呼吸しやすくなってきた。


(……やっぱり、不思議)


 ゼルディアスに触れられると、いつもこんな感じになる。

 森で倒れたときも、村で限界まで浄化したあとも、彼の腕の中は不自然なくらい安心できて、怖さとか痛みとかが全部遠のいていった。

 魔王なのに……。


「朝食、少しでいいから食べよう。何も入っていないと、余計に体がきついだろう」


「……はい」


 私は布団から上半身を起こす。

 髪がぼさぼさなので、慌てて指先で梳きながら、ゼルディアスを見る。


「もしかして、今日も……一緒に、ですか?」


「もちろん」


 即答だ。

 迷いがなさすぎて、逆に私のほうが居心地悪くなる。


「そろそろ慣れてくれてもいいのに」


「慣れませんよ、魔王と毎朝一緒にご飯なんて」


「魔王だからって、一人で食べる決まりはないよ」


「そういう問題じゃないんですけど……」


 口を尖らせると、ゼルディアスは少しだけ目を細める。

 笑っているのか、呆れているのか、その中間くらいの表情。


「君が嫌じゃなければ、それでいい」


「嫌じゃ……ないです」


 小声でそう返すと、彼の指先が、握っていた手を軽く撫でた。

 それだけで、胸の奥の熱がちょっと跳ねる。


(この人、絶対自覚してやってるよね……?)


 抗議したいけど、そんなこと言ったら余計ややこしくなりそうなので、私は口をつぐんだ。


***


 朝食の場所は、いつもの食堂。

 大広間みたいな正式な場所じゃなくて、ゼルディアスと私と、近しい魔族がときどき使う、窓の多い明るい部屋だ。

 壁は黒い石なのに、窓枠に絡む蔦や、暖炉の上に飾られた古い絵画のせいで、どこか落ち着く雰囲気になっている。

 窓を開けると、森の匂いと、湿った土と、遠くの川の音が風に乗って入ってきて、鼻の中まで冷たく洗われるような感じがする。


「聖女様、こちらに」


 角の小さな魔族の侍女が、椅子を引いてくれる。

 私は軽く会釈して、椅子に腰を下ろした。

 テーブルの上には、焼きたてのパン、温かいスープ、香草の香りがする肉料理、色とりどりの果物――見ているだけでお腹が鳴りそうな朝食が並んでいる。

 さすがに魔王城、朝から気合いが入りすぎだ。


「こんなに食べられませんって」


「食べられなかった分は僕がもらう」


「それはそれでどうなんですか、ゼルディアス様に残り物を押しつける聖女って」


「君が残したものなら歓迎だよ」


 さらっととんでもないことを言う。

 やっぱりこの人、自覚犯だ。

 そんなやり取りをしていると、扉の外から、控えめなノックの音がした。


「入って」


 ゼルディアスが答えると、灰色の肌をした魔族の男――参謀のひとりが姿を現す。

 いつも冷静な目をしているけど、今日は眉間の皺がいつもより深い。


「陛下、報告がございます」


 私が座っているのを見て、一瞬だけ目を伏せる。それから、少し声のトーンを落として続けた。


「瘴気の分布について、最新の情報をまとめました。……別室で報告いたしましょうか」


「ここでいい」


 ゼルディアスはスプーンを置き、片手を軽く振る。

 次の瞬間、食卓の上の空中に、薄い光の幕が広がる。

 空中に浮かび上がったのは、この世界の地図。

 王国、森、山脈、海。その上に、赤や黒のもやが、点々と塗られている。

 前に見たときより、明らかに赤い部分が増えている。


「……増えてますね」


 思わず声が出る。

 北のほう。東のほう。いくつもの村や街の名前の上に、赤いもやが濃くかかっている。

 ところどころ黒に近い色になっていて、そこからじわじわと周囲に染み出しているように見える。


「昨日、新たに三つの村で倒れる者が出たと報告がありました」


 参謀が淡々と言う。


「王都近辺の瘴気濃度も、じわじわと高まっています。教会は“魔王の呪い”と説明しているようですが……実際には、聖女様が王都を離れてから、均衡が崩れている可能性が高いです」


 胸がきゅっと縮む。


(私が、王都からいなくなったせいで)


 頭が、その言葉を勝手に補完する。

 もちろん、全部が全部私一人のせいじゃないって分かっている。

 瘴気は世界中から湧いてくるし、魔王領にも王国にも広がっている。

 それでも、私が王都で浄化を続けていたころは、ここまでひどくなかったのも事実だ。


「聖女様に責任があると言いたいわけではありません」


 私の顔色を見たのか、参謀が慌てて付け加える。


「もともと世界全体の問題です。ただ、聖女様が浄化をやめたことによって、表面化しやすくなったのは、数字として現れています」


「数字……」


 私は浮かぶ地図を見上げる。

 ただの色の点のはずなのに、一つ一つが人の叫び声みたいに見えてくる。

 昨夜、あの村で見た、咳き込みながら倒れていた子どもたちの顔がよみがえる。


「クララ」


 ゼルディアスの声が、私の横から聞こえる。


「これは“君のせい”じゃない。世界の傷が、君一人で覆い隠せないほど深くなっただけだよ」


「でも、私が浄化を続けていたら、もう少し……」


「もう少し、何?」


 彼の声が、少しだけ低くなる。


「もう少し、君の体を削って。もう少し、君が眠れない夜を増やして。もう少し、君が一人で泣く時間を長くして」


「そ、そんなこと……」


「ある」


 きっぱりと言われて、私は言葉を飲み込む。

 ゼルディアスの横顔は、普段より硬い。


「君は限界を、いつも自分でごまかす。村で倒れたときだってそうだった。だから、これ以上、同じことをさせるつもりはない。その為の部隊も作った」


 浄化部隊はあれから少しずつ動き出している。

 呑み込みの早い者は、既に小さき範囲の瘴気程度であれば払えるようになっていた。


「でも……」


「クララ」


 名前を呼ばれて、私は思わず口をつぐむ。

 金色の瞳が、まっすぐこちらを見ている。

 怒っているというより、不安で、怖がっている目だ。


「世界の地図を見て、君が真っ先に思うのは“自分が不甲斐ない”ということなんだね」


「だって、私の力で、助かる人がいるなら」


「君が死んだら、その“助かる人”の数は、そこで終わる」


「……」


 その言葉は、喉の奥に突き刺さる。

 分かっている。分かっているけど。


「それでも、助けたいと思ってしまうのが君だ。だから――」


 ゼルディアスは、少しだけ目を伏せて、息を吐く。


「君に全部を見せるのが、正しいのかどうか、いつも迷う」


 その言葉に、胸の奥が別の意味でちくりと痛む。


(全部、見せてもらえてないんだ)


 今の一言で、なんとなく分かってしまう。

 瘴気の分布図。王国の動き。勇者ロベルがどうしているか。

 たぶん、私が知らない情報は山ほどあって、その中には“私に見せないって決められているもの”もある。

 ゼルディアスの気持ちが分からないわけじゃない。

 心配してくれているのも、本気で守ろうとしてくれているのも、十分すぎるほど伝わっている。

 だからこそ――胸の奥に、別の重さが積もっていく。


(私、まだ、守られるばっかりなんだよね)


 王国にいたころと、構図は似ている。

 勇者パーティのために、誰かのために、と自分を削っていたあの頃と。

 役割は逆になっているけど、私が「端っこ」に追いやられている感覚は、どこか重なる。

 参謀が、慎重に口を開く。


「……王国側の動きについても、ご報告しますか?」


 一瞬、空気が止まった。

 ゼルディアスの視線が、私と参謀の間を行き来する。

 私の胸は、さっきとは違う意味でドクドクしている。

 彼はゆっくりと首を振った。


「今はいい」


 その言葉が、静かに落ちる。


「城の結界の強化を最優先だ。国境沿いの防衛線も、瘴気の流れを見ながら配置を変えてくれ」


「はっ……了解しました」


 参謀は深く頭を下げて、部屋を出ていく。

 扉が閉まる音が、やけに重く響いた。


「……王国、何かしてるんですね」


 私は、テーブルの上の地図から視線を外さずに言う。

 ゼルディアスは少しだけ黙って、それからやわらかい声で返した。


「王国は、いつも何かしているよ」


「そうじゃなくて」


 私は彼のほうを向く。


「私のこと、関係ありますよね。勇者とか、教会とか。……私、そこから逃げてきたのに」


「“逃げた”んじゃない。そもそも追い出したのは向こうだし、それから守るために僕が連れ出した」


「結果的にはそうかもしれませんけど、向こうから見たら、私、完全に裏切り者ですよね」


 胸の中に、じわっと黒い水が染みてくる。

 王都の広場で浴びせられた言葉が、耳の奥で蘇る。


『役立たずの聖女』

『魔王に呪われた女』

『縁起が悪い』


 それでも、あの頃の私は、一応“王国の聖女”だった。

 今は――魔王城で、魔族に囲まれて、魔王と一緒に朝ごはんを食べている。

 王国側の人から見たら、完全に“敵陣に寝返った聖女”だ。


「裏切ってない」


 ゼルディアスの声が、はっきり響く。


「君は、誰も裏切っていない。裏切ったのは、君を利用して捨てた側だ」


「それでも……」


 私は目を伏せる。


「私が王国にいたら、あの赤い部分、もう少し薄かったかもしれないのに」


 そう呟いた瞬間、胸の真ん中の熱が、またじくりと強くなった。


「……っ」


 思わず胸元を押さえると、ゼルディアスがすぐに椅子を引いて私のそばに来る。

 彼の手が、迷いなく私の手の上に重なる。


「さっきより痛いかい?」


「うん……でも、さっきと同じ感じです。なんか、熱くて、重くて……」


 言っている間に、彼の手からじんわりと冷たいような温かいような感覚が伝わってくる。

 胸の熱が、波のように揺れて、少しずつ収まっていく。


「やっぱり、君の中で何かが動いている」


「何かって、何ですか」


「……そのうち、分かる」


「そのうち、って、便利ですよね」


 私は苦笑いをする。


「王国の人たちも、よくそう言ってました。“そのうち分かるさ”“そのうち評価されるさ”って」


「それで、分かる日が来た?」


「来ませんでした」


 即答すると、ゼルディアスが少しだけ目を丸くする。


「だから私は、ちゃんと教えてほしいです。私の体に何が起きてるかとか、世界がどうなってるかとか」


 怖くないと言ったら嘘になる。

 でも、何も知らないまま守られているほうが、今は怖い。

 ゼルディアスは、私の指を軽く握り直す。

 真剣な眼差しで、何かを決めかねているような表情。


「……分かった。できる範囲で、話すよ」


 “できる範囲で”。

 そこに含まれている保留を、私の胸の痛みが敏感に拾う。

 今にも「なんで全部じゃないの」って口に出しそうになるけど、飲み込む。

 ここでぶつけたら、きっと言い合いになってしまう。今、それをする勇気はあまりない。


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