7話
――あたたかい。
柔らかい何かに沈み込んでいる感覚と、ふわふわした眠気。
遠くで、人の声がする。
『……ラ……。……クララ……』
(……呼ばれてる)
重たく閉じていた瞼を、ゆっくり持ち上げた。
視界に、見慣れた天蓋が映る。
刺繍の入った薄布が、ゆらゆらと揺れている。
(あ……部屋だ)
魔王城に来てから与えられた、客間――いや、「もう客間じゃないから」とゼルディアスに言われた“専用の部屋”。
天井。
壁。
窓から差し込む、夕方とも夜明けともつかない淡い光。
そして――。
「……よかった。目、覚めた」
すぐ横から、かすれた声が降ってきた。
顔を向けると、椅子に腰掛けたゼルディアスがいた。
いつもの整った顔が、少しだけやつれているように見えた。。
「ゼルディアス様……?」
声を出した途端、自分の喉がからからなのに気づく。
ゼルディアスはすぐに立ち上がり、枕元に置かれていたグラスを取った。
「起き上がれる?」
「……はい、多分」
上体を起こそうとしたら、全身ががくがく震えた。
力が入らない。
それを見て、彼は無言でベッドの縁に腰を下ろし、背中を支えてくれる。
「ゆっくり」
「ありがとうございます……」
水を少し飲むと、乾いた喉にじんわり染みた。
ひと息ついてから、改めてゼルディアスの顔を見る。
いつもより、顔色が悪い。
目の下にはうっすらと影が出来ていて、髪も少し乱れている。
「ゼルディアス様、もしかして寝てませんか?」
「寝る前に、君がまた死にかけた」
「……その、“また”って言うほど死にかけていないような……」
「また、だよ」
きっぱり。
「森で倒れたのが一回。今回が二回目。正確には、勇者と共にいるときにはもっと前科があるんだろうけど」
「うっ」
痛いところを突かれた。
ゼルディアスは、しばらく無言でこちらを見ていたが――。
「……怒ってる」
ぽつりと宣言した。
「え?」
「僕は今、とても怒ってる」
静かな声だった。
怒鳴り声よりずっと、怖い。
「ま、待ってください。あの、その……」
言い訳を探して口をパクパクさせていると、彼が手を挙げる。
「言い訳の前に、確認」
「はい……」
「質問一つ目。――どうして、相談しなかったの?」
真正面からの問い。
胸の奥を、ぐさりと刺された気分だ。
「……言ったら、止められるのが分かってたから、です」
しどろもどろになりながらも、正直に答える。
嘘をつける空気じゃない。
「そうか、では二つ目。君は自分の体がどれくらい限界なのか、理解してた?」
「……その、だいたい、は」
「“だいたい”?」
ゼルディアスの目が細くなる。
「世界の瘴気の流れを読みながら、距離と密度から浄化に必要な出力を計算して、君自身の体力と照らし合わせて――その上で、“ギリギリいける”って判断した?」
「……はい」
「その“ギリギリ”を今まで何回越えて倒れた?」
「…………」
口をつぐむと、ゼルディアスは深く息を吐いた。
「クララ」
「はい……」
「君は、頭が良い。勘もいいし、計算も早い。だからこそ、そうやって“ギリギリいける”ラインを攻め続ける癖がある」
「癖って」
「悪癖」
ぴしゃり。
「“助けられる可能性があるなら、自分が削れても構わない”って考え方は、英雄譚の主人公ならきれいに聞こえるかもしれないけど、現実ではただの自傷行為だよ」
「自傷って……」
「事実だよ、本当に」
さっきから事実の連打が厳しい。
「僕が君を迎えに言ったあの日の時点で、君の魂はもうずいぶん擦り減ってた。王国にいた頃から、無茶を繰り返してたんだろうね」
ゼルディアスの視線が、わたしの胸のあたりに落ちる。
その奥で揺れる光を、彼は見ているのだろう。
「僕は、君をここに連れてきたとき、自分に約束したんだ」
彼の声が、すこし低くなる。
「“二度と、同じ死に方はさせない”って」
――同じ。
その言葉に引っかかって、思わず顔を上げた。
「……“同じ”って、どういう意味ですか」
前から気になっていた。
たまにゼルディアスが口にする、“また”とか“今度こそ”とかいう言葉。
まるで、わたしの結末を知っているみたいな。
「その話は、もう少し君が体力を戻してから」
「ずるい」
「今これ以上ショックを与えたら、本当に寝込むから」
「それ、わたしがメンタル弱いみたいな言い方じゃないですか」
「体の話」
……論点をずらされた気がする。
ゼルディアスは視線を少し落とし、握りしめていた自分の手を開いた。
その掌には、ほの暗い輝きが漂っている。
「クララ。君は、今回、本気で死にかけた」
「はは……いつものことです――」
「今回は、“いつも”じゃない」
言葉が鋭く遮られた。
「村全体を一気に浄化したせいで、君の魂の器に亀裂が入っていた。あのまま放っておいたら、多分二度と目を覚まさなかった」
「……」
「だから、僕は少しだけ手を出した」
ゼルディアスの掌の上で、黒い光が揺れる。
「君の器を繋ぎ止めるために、僕の核の一部を使った。……代わりに」
彼は、じっとこちらを見る。
「君の聖女としての出力に、制限をかけた」
「……はい?」
耳を疑った。
「制限って、その……」
「今の君が全力で浄化しようとしても、以前の七割くらいまでしか出力できないようにしてある」
「七割……」
七割。
数字を聞いただけではよく分からないが、浄化の感覚で言えば、今回助けた村をもう一度浄化できるかと言われれば厳しいだろう。
「そんなことをしたら、もっと多くの人が――」
「死ぬって?」
「……」
「その“もっと多くの人”の中に、君自身は含まれてない」
ゼルディアスの声は穏やかだが、言っていることは容赦ない。
「君が自分を数に入れないから、僕が強制的に入れた。世界の計算式に、“クララ一人分”を足しただけだよ」
「わたし一人なんて、世界から見たら誤差で」
「その“誤差”に命を救われた人たちが、今、魔王城にたくさんいる」
ニコの笑顔。
城の食堂で聞いた「聖女様のおかげだ」という声。
思い出して、口をつぐむ。
「……それに、七割って中途半端だろう」
ゼルディアスが、少しだけ苦笑した。
「本気を出せば世界を救えるかもしれないけど、その前に君が壊れる。その一歩手前で止まるくらいが、今の君にはちょうどいい」
「でも、それじゃ……」
「“自分一人で世界を何とかする”っていう選択肢を、物理的につぶしたんだよ」
そう言ってゼルディアスは私の手を取る。
「世界を救いたいなら、他の人間や魔族と協力するしかない。君は、そういうふうにしか動けない体になった」
「だいぶ勝手な修理をされましたね、私の体」
「返品不可」
「返品する気ないですよ」
思わず即答してしまい、ゼルディアスが一瞬ぽかんとする。
……しまった。
「あ、その……今のは、その、えっと」
「――クララ」
ふいに、名前を呼ばれる。
「はい」
「今のは、まだ“ここにいる”ってことでいいのかな?」
「えっ」
「そういう風に聞こえたから」
「……あの、その、えっと」
言葉に詰まっていると、ゼルディアスが肩の力を少し抜いた。
「とにかく」
彼は、真面目な顔に戻る。
「僕は君を勝手に繋ぎ止めて、勝手に制限をかけた。謝るなら、そこだと思っている」
そう言って、ほんの少し頭を下げてきた。
「ただ、君に無茶をして死んでほしくなかったんだ。ありがとう、とか言ってくれるなら、もっと嬉しい」
「……っ」
反則だ。
そんな顔で、そんなことを言うのは。
「……ありがとうございます」
絞り出すように言うと、ゼルディアスの目が柔らかくなる。
「でも、わたし、怒ってもいます」
「うん。そうだと思う」
「わたしの意思は、置き去りじゃないですか。世界を少しでも楽にしたいって、わたしのわがままだったかもしれないけど」
「そのわがままを、君の命と引き換えにするのは、僕のわがままが許さない」
彼の言葉は、まっすぐだった。
「だから、交渉しよう」
「交渉……?」
「君は世界を救いたい。僕は君を守りたい」
「はい」
「だから、なるべく君の手を借りない方法で世界の浄化を進める道を考えた」
「私が浄化をしないってことですか」
「まぁ、大体はそういうことだね」
さらっと肯定された。
「君が表に出れば出るほど、人間側の政治が君を利用しようとする。教会も、王家も、勇者も。――すでに、“魔王に堕ちた聖女”って物語を作られている」
胸の奥が、ずきりと痛む。
「わたし、裏切り者になってるんですよね」
「僕からしたら、向こうが“裏切った側”だけど」
「ゼルディアス様から見れば、そうかもしれませんけど、人間の世界から見たら」
「人間の世界をまとめて爆破してもいい?」
「ダメですよ!?」
反射的に突っ込んでしまった。
ゼルディアスは、肩をすくめる。
「冗談だよ。半分くらいは」
「半分も本気なんですか」
「君を悪者にする物語が、僕は嫌いなんだ」
さらっと甘いことを言う。
さっきからこの人、感情の爆弾を次々投げてきている。
「だから、しばらく、君は人間の世界からは距離を置こう」
「距離を、置く」
「君の名前も、力も、存在も、“魔王のもの”として扱われているうちは、表に出るたび争いの火種になる」
「でも、わたしが動かなかったら、救えない人が――」
「いる。だからこそ、“一人で動くな”って言ってる」
ゼルディアスは、指を折って列挙する。
「例えば、魔王軍の浄化部隊を組織する。君が隊長になって、実際に浄化するのは部隊の魔術師たち。君は制御と補助を担当する」
「そんな器用なこと、できるでしょうか」
「君ならできる。というか、君しかできない」
「プレッシャーがすごい」
「あと、瘴気の流れを読む技術を、魔族にも教えてほしい」
「それは……教会で秘匿されてた技ですけど」
「教会は君を捨てた。協会からの縛りとか……ある?」
「ないですけど」
「なら問題ない」
魔王の理屈はだいたい雑だ。
「とにかく、“君の手足になる人たち”を増やす。君が直接全員を救うんじゃなくて、“救う方法を配る側”に回る」
「……配る側に」
「そうすれば、クララが危険を冒す必要もなくなる」
イメージが少し湧いてきた。
わたし一人が村々を回るんじゃなくて、代わりに動いてくれる人たちを育てて送り出す。
その方が、確かに救える範囲は広いかもしれない。
(それに――)
なにより。
一人で倒れなくて済む。
そう考えた瞬間、自分でも驚くくらい、胸の奥がほっとした。
(……ああ、わたし、本当は)
もうあんな思いはしたくないって、思ってるんだ。
それを自分で認めるのが、少し怖かっただけで。
「……分かりました」
ゆっくりと、頷く。
「ゼルディアス様の案、前向きに検討します」
「契約書の文言みたいだね」
「人生の重要な選択ですから。軽率なお返事は出来ません」
「じゃあ、こうしよう」
ゼルディアスが、少しだけ声を和らげる。
「しばらくは、城の中での仕事を増やす。魔族たちの怪我や病気の診察、瘴気の研究、浄化魔術の講義。――頃合いを見て、君の体を元に戻す」
「戻るんでしょうか」
「戻す。僕が」
即答。
「それでも、“どうしても救いに行かなきゃいけない人”がいたら、その時は僕に相談すること」
「……はい」
「約束できる?」
じっと見つめられる。
逃げ道を塞がれている感じがするけれど、逃げる気ももうあまりない。
「約束します」
「うん」
ゼルディアスの肩が、ようやく少しだけ緩んだ。
「じゃあ、この話は一旦ここまで」
「一旦?」
「残りは、君が完全に回復してから、もっとたくさん喧嘩しよう」
「喧嘩前提なんですね」
「君は絶対また“どうしても今動かないといけない人が”って言い出すから」
「……否定できないのが悔しいです」
わたしが悔しがっていると、コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします」
リーゼが、完璧なタイミングで顔を出す。
「クララ様、ご気分はいかがですか」
「さっき目が覚めたところです」
「そうでございますか。よかった……」
リーゼは、明らかにほっとした顔をした。
その目の下にも、うっすらとクマがある。
「リーゼも寝てません?」
「クララ様がいらぬ冒険に出られたせいで、城中が大騒ぎだったのです」
「ごめんなさい」
素直に頭を下げると、リーゼはため息をついた。
「陛下が戻ってこられたときのご様子ときたら……玉座の間の空気が凍りつきました」
「おいリーゼ、余計な情報を」
「事実でございます」
侍女と魔王の間に、見えない火花が散っている。
「ともあれ、クララ様がご無事で何よりです」
リーゼは、ふんわり笑った。
「それと、村からの伝言を預かっております」
「伝言?」
「はい。南東の村の代表の方から」
リーゼは、封蝋のされた手紙を差し出してきた。
人間の筆跡で書かれた宛名には、こうある。
『聖女クララ様へ』
封を開けると、中にはぎっしりと文字が並んでいた。
感謝の言葉。
助かった人々の名前。
子どもたちが描いたらしい、拙い絵も何枚か挟まっている。
光る棒みたいなものと、丸い顔の人間、そして何かよくわからない動物が一緒に描かれている絵には、「ありがとう クララさま」と大きく書かれていた。
「……」
胸が、じんわりと温かくなる。
「村の方々は、陛下のことも恐れながらも、“聖女様を抱きかかえていらした魔王様の顔が、ひどく悲しそうだった”と申しておりました」
「リーゼ」
「事実でございます」
ゼルディアスが視線を逸らすのを横目で見ながら、わたしは手紙を胸に抱きしめた。
(――やっぱり)
わたしは、誰かに感謝されるのが、嬉しい。
その事実から、もう目を背けなくていい。
それを自分勝手だと責めるのも、少しやめよう。
(その代わり、ちゃんと相談する)
心の中で、そう決める。
ゼルディアスに。
リーゼに。
魔王城のみんなに。
わたしはもう、一人じゃない。
だから、“一人で死ぬ”選択肢は、もういらない。
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