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4話

「ところで、歩けそう?」


「え?」


 二人を包む心地の良い沈黙を破ったのは、ゼルディアスの誘い。


「少しだけでいい。廊下を歩いて、魔族たちに顔を見せてあげてほしいんだ。みんな、君のことを直に見たがってる」


「わ、わたしなんかを……?」


「なんか、じゃない」


 すぐさま否定される。


「君が笑えば、城が明るくなる。僕は、そういうのを見たい」


「……大げさです」


「本当かどうか、歩きながら確かめてみようか」


 ゼルディアスが手を差し出す。

 迷った末、その手にそっと自分の手を乗せた。

 指を絡められるわけでもなく、ただ支えるように握られる。

 それだけなのに、立ち上がったときのふらつきが、不思議なくらい少なかった。


 部屋の扉を開けると、冷たい石畳の廊下が続いていた。

 城の内側だけあって、風はほとんど入ってこない。

 代わりに、壁に沿って並ぶ魔石の灯りが、一定の間隔で廊下を照らしている。

 一歩進むごとに、靴底が石を打つ音が響く。

 その音が、どこか懐かしく感じた。


(……前にも、似たような廊下を)


 胸がざわつく。

 けれど思い出そうとすると、霧がかかったみたいに記憶が遠ざかる。


「どうした?」


「いえ……。なんだか、初めてじゃない気がして」


「……そうか」


 ゼルディアスの横顔が、一瞬だけ複雑に歪んだ。


「それは、君にとっては辛い記憶かもしれないね」


「え? それは一体……」


「とりあえず今は、良い方に考えておこうか」


 濁された答えに首をかしげていると、廊下の向こうから、ばたばたと小さな足音が聞こえてきた。


「陛下ーっ! あっ、聖女様だ!」


 駆けてきたのは、小さな魔族の子どもたちだった。

 角がちょこんと生えた子、コウモリの羽を背中に持つ子、尻尾がやたらと長い子。

 みんな目をきらきらと輝かせて、こちらを見る。


「聖女さまだ!」


「ほんとに光ってるー!」


「えっ、光ってません!?」


「光ってるよー。なんか、あったかい感じがする!」


 インプのような翼を持った子が、ぴょんと跳びはねながらわたしの足元まで駆け寄ってくる。


「こら、走りません。聖女様にぶつかったらどうするんですか」


 リーゼが慌てて追いかけてきて、子どもの頭をぺしりと軽く叩いた。


「大丈夫です。わたしは平気だから」


 条件反射のように口に出した瞬間、ゼルディアスがじろり、とこちらを見る。


「その口癖、早めにやめさせたいね」


「く、口癖……」


 子どもたちは、そんな大人たちのやりとりをよそに、わたしの裾をつついたり、手を伸ばしてきたりしている。


「ねえねえ、これ、治してくれたの、聖女さまだよね!」


 翼の子が、額の上を指さす。

 よく見ると、そこにはまだ新しい傷跡がうっすらと残っていた。


「この前、転んでおでこ切ったの。そしたら、あったかいのが来て、すぐ痛くなくなった!」


「え……?」


「君、無意識に城の中でも癒しを飛ばしていたからね」


 ゼルディアスがそう補足する。


「瘴気が近づくと反射的に浄化してしまうのと同じで、怪我や病にも反応してた。魔族たちは、みんなそれをよく覚え、感じているよ」


「聖女さま、ありがとう!」


 子どもがぎゅっと抱きついてくる。

 突然の抱擁に戸惑いながらも、そっと頭を撫でる。


「どういたしまして。……大きな怪我はしないようにね」


「うん!」


 無邪気な返事が返ってきて、思わず頬が緩んだ。

 魔族。

 敵だと教えられてきた存在。

 でも、この子たちはただの子どもだ。

 人間の子と何も変わらない。

 そんな当たり前のことに、今さら気づく。


「ほら、もう行きなさい。聖女様はまだ疲れているんだから」


 リーゼに追い立てられながらも、子どもたちは何度もこちらを振り返って手を振ってくれた。


「ね? 君のことを、こうして慕っている」


 ゼルディアスの言葉に、胸がじんと熱くなる。


「……こんなふうに必要とされるの、久しぶりです」


 ぽつりとこぼした本音に、自分で驚いた。

 けれど、ゼルディアスは驚いた様子もなく、ただ優しく頷く。


「君は、最初からずっと、必要とされていたんだよ。ただ、それに気づかない奴らの側にいたってだけで」


 勇者パーティの顔が、脳裏をかすめる。

 ロベルの冷たい瞳。

 ミーナの貼り付いた微笑み。

 目をそらしたサラとカイル。

 ぐっと、胸の奥が痛んだ。


「……戻りたいかい?」


 不意に、ゼルディアスが尋ねる。


「王都に。勇者たちのところに」


 そう訊かれて、わたしはゆっくりと首を振った。


「戻ったって、同じことの繰り返しです。わたしはきっと、また“役に立っているかどうか”だけで測られて、いらないって言われるのを怖がって……」


 言葉が詰まり、代わりに息が震える。


「だから、今は……ここにいたいです」


 それが、今のわたしの精一杯だった。

 わがままかもしれない。

 でも、口に出してしまったからには、もう後戻りはできない。

 ゼルディアスは、少しだけ目を見開き、それから――どこか安堵したように笑った。


「うん。いい答えだ」


 ゆっくりと、わたしの手の上に自身の手を重ねる。


「君がここにいたいと言うなら、僕は全力でその願いを守る」


「全力で、って……」


「文字通りの意味だよ。魔王の全力は、なかなかだよ?」


 冗談めかした口調に、思わずくすっと笑ってしまう。

 さっきまでの重たさが、少しだけ軽くなった気がした。


 その日の夜。

 用意された寝間着に着替え、再びふかふかのベッドに沈み込む。

 天井をぼんやりと見つめていると、扉が軽くノックされた。


「入っていい?」


 聞き慣れてきた声に、「どうぞ」と返す。

 ゼルディアスが静かに入ってきて、ベッドのそばの椅子に腰を下ろした。


「眠れそう?」


「……正直、あまり」


 先日の出来事が頭の中でぐるぐると回っていて、目を閉じるのが怖い。

 王都での悪夢を見そうで。


「そうだろうと思った」


 彼は小さく笑い、躊躇いがちに手を伸ばす。


「眠るまで、手を握っていてもいいかい?」


「えっ」


「嫌なら、やめる」


「い、いえ……嫌じゃ、ないです」


 むしろ、少しありがたい。

 口に出すのは恥ずかしいけれど。

 そっと差し出した手を、彼が包む。

 指先から伝わる熱が、じんわりと腕を伝い、胸の奥まで届く。

 さっきまでざわついていた心が、少しずつ静まっていくのが分かる。


「不思議……」


「ん?」


「あなたに触れられると、胸が楽になるんです。さっきも、森で倒れたときも」


「それは――」


 ゼルディアスは、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。


「そのうち、ちゃんと話すよ」


 代わりにそう告げる。


「今はただ、安心して眠って。明日になったら、今日より少しだけ楽になっているはずだから」


 静かな声が、子守歌みたいに耳に心地いい。

 目を閉じると、暗闇の中に、さっき見た廊下や窓辺の光景が浮かんだ。


(やっぱり……わたし、前にも)


 ここを、歩いたことがある気がする。

 この城のどこかで、誰かと笑い合ったことがある気がする。

 その“誰か”が、今、手を握ってくれているこの人と、どうしようもなく重なって――胸の奥が、きゅ、と切なく疼いた。


「……どうして、こんなに苦しいんでしょう」


 思わず漏らした言葉に、ゼルディアスの指先が震える。


「それはきっと」


 彼の声が、ほんの少しだけ掠れていた。


「君の魂が、前に“失ったもの”を覚えているからだ」


 前に失ったもの。

 そこまで聞いたところで、意識がふっと遠のく。

 眠りに引きずり込まれる瞬間――耳元で、誰かがそっと囁いた。


「今度こそ、君を失わない」

「……ずっと、ここにいていいんだ」


 その言葉に、胸の痛みが少しだけ溶ける。

 魔王の城の、ふかふかのベッドの上で。

 わたしはようやく、“守られる場所”で眠りについた。


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