1話
「聖女、お前は今日をもって、俺のパーティから追放とする。あぁ、もちろん婚約も解消だ」
その言葉が、青空の下で冷たく響く。
ざわ、と王都広場の空気が震えた。
わたしは今、王都中央の大広場に立っている。
足元は白い石畳、ぐるりと取り囲むように、何百人もの人が詰めかけ、壇上を見上げていた。
みんなが見ている先――壇上の真ん中にいるのは、勇者ロベルと、その隣に並ぶわたし。さっきまで、ここは凱旋の場のはずだった。
魔王軍の幹部を一体倒し、王都に戻った勇者パーティの勝利を、国中の人々が讃えることになっている。
そう聞かされて、式にふさわしい正装まで着せられて、侍女に髪までやたらと巻かれて。
……その結果が、これ。
「……え」
声が自分のものじゃないみたいに軽く漏れる。
わたしの隣で、黄金の髪を風に揺らしたロベルが、嫌になるくらい完璧な横顔で笑っている。
その笑みは、わたしに向けられたものじゃない。
広場を埋め尽くす民衆に向けた、英雄の笑み。
「ここにいる王都の皆も知っているだろう。俺はこれまで、この“聖女クララ・ヘレーネ”と共に戦ってきた」
わざとらしく、肩に腕を回される。
笑顔を貼り付けたまま、痛む肩を庇うように押し返すけれど、ロベルは気づかないふりをする。
むしろ、腕を食い込ませる角度を変えてくる。とても痛い。
「だが――彼女の力は、もう危険な段階にまで達している」
ざわ、という波紋が会場全体にまた広がる。
群衆の視線が、痛いほど刺さる。
さっきまで「聖女さまだ」「お美しい」と囁いていたのに、「危険」という言葉ひとつで、こんなに簡単に色を変える。
「危険って、どういう……」
問いかけようとすると、ロベルの腕にぐっと力がこもる。
細い肩を、まるで見せ物の人形みたいに掴まれる。
「静かにしていろ、クララ」
小さな声で耳元にささやかれる。
その声音には覚えのある甘さはひとかけらもなくて、自分だけに聞こえる冷たい棘だけが乗っている。
胸の奥で、冷水を流し込まれたみたいな感覚が走る。
でも、わたしは笑う。
聖女は笑っていなきゃいけない。
泣いたり怒ったりする権利は、随分前にどこかに置き忘れてきた。
「皆の前で話しておこう。彼女の浄化の力は、ここ最近、暴走の兆候を見せている」
暴走の兆候?
覚えのない言葉が聞こえ、思わずロベルの横顔を見る。
けれど彼は、わたしなんて視界に入れていない。
遠くの、王都の塔の上を見ているふりをして、その実、自分に向けられる歓声だけを楽しんでいる目。
「瘴気に直接触れすぎたせいかもしれない。俺が近くにいるからこそ分かるが――彼女の力は、このままでは暴走しかねない」
広場がざわめく。
「暴走……」
「やっぱり聖女って、人ならざる存在なんじゃ」
「こわ……」
耳に入ってほしくないささやきほど、はっきりと聞こえる。
違う、と喉の奥まで出かかる。
暴走なんて、一度もしたことがない上に、する気配すらない。わたしにできることは、あらゆるところで人類を蝕む瘴気を浄化するだけ。
誰の目にも見えない、黒いもやみたいなものを、光に溶かすだけ。
そう説明しても、どれだけ声にしても、誰も信じなかった。
魔物を斬るのは勇者で、派手な光を放つのはロベルの剣。
わたしの浄化は、戦いの裏で、ひっそりと、痕跡も残さず終わる。
功績はいつも、勇者のもの。
私自身はそれを構わないと思っていた。
英雄はひとりでいい。
わたしは、影で支える役で十分。
……そう、本気で思っていたのに。
「よって、俺は決断した。世界のため、そして王国のために」
ロベルがわたしの手を離し、一歩前に出る。
陽光を受けて、銀色の鎧がきらきらと眩しい。
その背中を見慣れているはずなのに、今はやけに遠く感じる。
「聖女クララ・ヘレーネを、本日をもってパーティから追放する」
一瞬、時間が止まる。
群衆の息が止まる気配を肌で感じる。
次の瞬間、歓声とも悲鳴ともつかない叫びが、広場を揺らす。
「えっ」
声にならない声が、喉で引っかかる。
わたしの足が、石畳に貼りついたみたいに動かない。
「加えて――俺との婚約も、ここで解消する。俺は、世界を守る勇者として、不安要素を抱えたままでは戦えない」
追放。婚約解消。
言葉が頭の中でぐるぐる回る。
さっきまで、王城の侍女たちがキャアキャア騒いでいた。
『勇者様と聖女様、なんてお似合いなのかしら』
『今日の式のあと、正式に結婚の日取りが決まるかも』
そんな、他人事みたいな浮かれた声を聞きながら、わたしは曖昧に微笑んでうなずいていた。
わたしは、勇者の婚約者。選ばれた聖女。
そうやって、与えられた役割を、ちゃんとこなしてきたつもりだったのに。
「ちょ、ちょっと待って」
思わず一歩、前に進む。
ロベルが振り返る。
広場の視線も、一斉にわたしに刺さる。
「わたし、そんな話――聞いて……」
「クララ」
名前を呼ばれた瞬間、背筋がぞくりとする。
いつもは柔らかい声。
優しい言葉で包んでくれる音色。
でも今は違う。
……まるで、足元に転がった石を見下ろすみたいな目と冷たい声。
「ここにいるのは王と民、そして教会の者たちだ。みっともない真似はするな」
低く抑えた声が、わたしだけに届く。
広場の人たちには聞こえないように。
それでも、胸の内側に直接突き刺さる。
「でも、わたし――」
「お前の浄化が、最近おかしいのは俺が一番よく分かっている」
ロベルが、今度は皆に聞こえる声で言う。
「瘴気に触れるときのお前の瞳の色に体温の急激な変化。俺は、ずっと横で見てきた。世界を壊しかねない、そんな君の危うさを」
……そんな事わたしは知らなかった。
いつも「任せろ」「大丈夫だ」としか言われなかった。
危険だなんて、一言も。
「浄化の力が暴走すれば、瘴気と同じだ。世界を書き換え、平衡を崩す。俺は勇者として、それを許せない」
世界を書き換える、なんて大げさな話だろう。
わたしのやっていることは、ただ、汚れを拭き取っているだけ。
人が息をしやすくなるように。
魔物が弱くなるように。
……そんな説明を、何度も試みてきた。
でも、誰も興味を持たなかった。
結果が出ているなら、それでいい。
どうやっているかなんて、些末なこと。
そして今、ようやく向けられた私への評価は危険、暴走、世界を壊す存在。
胸の内側が、きゅう、と小さく縮む。
「ロベル、わたしは――」
勇者と聖女、そして未来を共に歩む約束をして。
これまでずっと、“仲間”として戦ってきた相手。
だから、せめて理由を聞きたい。
どうして、そんな言い方をするのか。
その思いで口を開く。
「クララ、お前には自覚がないだろう」
ロベルの声がわたしの言葉をかき消すように被せられる。
「魔王軍との最前線で、俺が何度お前の異変を見たか。浄化しすぎたせいか知らないが、お前はいつもふらついていた。俺がいなければ、とっくに野垂れ死んでいたはずだ」
……それは、事実だ。
浄化は確かに、体に負担をかける。
わたしは、それでも必要だと思って浄化し続けてきた。
誰かが死ぬより、わたしがちょっと疲れる方が世界のためだから。
「それを“自分は役に立っている”と勘違いして、限界を越えてまで力を使おうとする。そんな危ない存在を、俺はこれ以上側に置いておけない」
勘違い。
危ない存在。
ぐらり、と世界が傾ぐ。
視線を横にずらす。そこには、わたしたちの仲間たちが並んでいる。
青いローブを着た魔法使いのサラ。
屈強な鎧を着込んだ戦士のカイル。
白い法衣の僧侶ミーナ。
三人とも、目をそらしている。
「サラ」
かすれた声で名前を呼ぶ。
彼女はびくりと肩を震わせる。
けれど、こちらを見ない。
視線は足元の石畳に落ちたまま。
「みんなもそう思っていたの……?」
問いかける。
サラでなくてもいい。誰でもいい。
ただ、一言。「違う」と言ってほしい、「あんたのせいじゃない」と笑ってほしい。
でも、返ってくるのは沈黙だけ。
カイルは歯を食いしばり、拳を握りしめている。
ミーナは、薄く笑っている。
「……勇者様の判断は、正しいと思いますわ」
ミーナの声が、やけに響いて聞こえる。
「浄化って、目に見えませんもの。いつ暴走するかも分からない力を、近くに置いておくなんて、怖いじゃありませんか」
「ミーナ……」
「代わりの聖女も、ちゃんと見つかっているんですし」
さらりとした口調で、とんでもないことを言う。
「代わり……?」
その言葉と同時に、壇上の後ろから、柔らかな鈴の音が聞こえる。
振り返ると、純白のドレスを着た少女が一人、花びらみたいな裾を揺らして現れる。
金色の髪をふわりと巻き上げ、頬には薄く紅を差している。
年の頃は、わたしと同じくらいだろうか。
その少女が、教会の神官たちに囲まれて、ロベルの隣へと歩いてくる。
「おお、新しい聖女様か」
「かわいらしい……」
ざわざわと、群衆のざわめきの色が変わる。
好奇心と期待。
そして、わたしを見る視線には、明らかな値踏みが混ざり始める。
「紹介しよう」
ロベルがその少女の肩に軽く手を置く。
「教会が新たに選び、神託を受けた聖女だ。これからは彼女と共に、俺は戦う」
……ああ、そうか。
わたしの胸の中に、妙に乾いた笑いが生まれる。
代わりはいくらでもいる。
功績も聖女も、婚約者も。
「聖女」という役は、ただの札みたいなもの。
それ自体は、最初から分かっていた。
けれど。せめて――。
せめて、「お前じゃないと駄目だ」と、一度くらい言ってほしかった。
「国王陛下」
ロベルが王の方に向き直る。
王座を模した椅子に座る王――ディルハルト陛下が、薄く笑う。
「勇者ロベルの判断、いかかでしょうか」
「……勇者の言葉に、間違いはないだろう」
重々しい声が広場に響く。
「王国は、勇者の決断を支持する。聖女クララ・ヘレーネの追放と婚約解消を、ここに認めよう」
ぱちぱち、とまばらな拍手から、やがて大きな波へと変わっていく。
それが、わたしの人生に幕を引く音だと理解した瞬間、胃の奥がきゅっと痛む。
視線の端で、ひとりの老人がゆっくりと立ち上がるのが見える。
白金の装飾を施した法衣、巨大な杖。
教皇アーグス。
王国教会の頂点に立つ男。
彼が、静かに、ただわたしを見ている。
その目は笑っても泣いてもいない。
感情を感じさせない、深い水底みたいな灰色。
ぞわ、と背中を冷たいものが撫でていく。
……この人、ずっと、わたしを「どうするか」考えていたんだ。
言葉にならない直感が、喉の奥までせり上がる。
でも、それを認めたくなくて、笑う。
わたしは聖女。
王と教会と勇者に仕える、便利な道具。
そうやって信じていれば、少なくとも居場所はあった。
それすら、今、奪われようとしている。
「決まりだ」
ロベルが振り向く。
その瞳に、迷いは一片もない。
「聖女クララ、お前には最後の務めを与える」
「……最後の、務め」
喉がひどく乾いている。
唇が張りついて、何度も舌で濡らす。
「王都近郊の黒の森に、魔物が湧いている。瘴気が濃すぎて、兵も近寄れない。せめて最後くらい、世界の役に立ってみろ」
ロベルが、何でもないことのように告げる。
「お前を森へ連れて行き、囮として放つ。魔物と瘴気を引きつけろ。その間に俺たちが殲滅する。……役目を終えれば、そのまま森の奥へ消えてくれて構わない」
「囮……って」
あまりにさらりと言われたので、理解するのに数秒かかる。
つまり……死ねってことだ。
「勇者様のお考えは、実に合理的ですわ」
ミーナが微笑む。
「暴走するかもしれない力を、最も危険な場所で使い切ってもらう。世界のためにも、彼女自身のためにも、それが一番ですもの」
「そうだな」
ロベルが頷く。
「聖女、お前の歩いてきた道のりを、俺は無駄にしたくない。その力、最後くらい有意義に燃やせ」
なんて優しげな言い方。
中身は、火にくべる薪の扱いと変わらない。
群衆がひそひそとささやき合う。
「やっぱり、聖女ってどこかおかしかったんだ」
「魔王の瘴気に当てられたんじゃ」
「危ない存在は、勇者様がちゃんと処分してくださるわ!」
耳に入ってくる一言一言が、皮膚に刺さる小さな針みたい。
その中に、かすかに別の声も混じっている気がする。
「でも、あの人が治してくれたんだよ」
「あの時、息が楽になったのは聖女さまのおかげなのに」
そういう声は、小さすぎて、すぐに歓声にかき消される。
わたしは、うつむきかけた顔を無理やり上げる。
「……わたし、本当に、そんなに危険なの」
ロベルを見上げる。
「瘴気を浄化していたのは、あなたたちを守るためだった。世界を楽にするためだった。それが、どうして」
「それが危ないって言っているんだ」
ロベルの目が、一瞬だけ揺らぐ。
「お前の力は、俺には理解できない。理解できないものは、いずれ俺達に、この王国に牙を向くかもしれない。俺は勇者だ。世界にとって危険なものは、排除しなくちゃならない」
勇者。
世界。
彼の守る世界に、自分が含まれていないことに、今さら気づく。
わたしは、世界の中の人間じゃなくて、世界を守るための「道具」のひとつ。
壊れかけた道具は、捨てられる。
それだけの話だった。
「分かったわ」
口が勝手に動く。
声だけは、震えない。
今ここで泣いたら、それこそ感情的で危険な聖女だと笑われる。
だったら、最後くらい、聖女らしく。
「最後の務め、果たします」
誰かが、はっと息を呑む気配がした。
サラかもしれない。
でも、もう見ない。
「だから、せめて――ちゃんと見ていて」
自分でも驚くほど、強い声が出る。
「わたしが何をしてきたか。何をして、終わるのか。全部、ちゃんと見ていて」
それだけ言って、ロベルから視線を外す。
王も、教皇も、群衆も、どうでもいい。
ただ、二度と戻らないと分かっているこの場所を、ゆっくりと見渡す。
白い塔。
広場の噴水。
子どもの頃、憧れていた王都の景色。
思っていたより、何もかも小さい。
かつて夢見た、物語の舞台。
今は、終わりを告げる箱庭みたいに見えた。
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