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宅配便  作者: 変汁
1/3

残業を終えて帰宅すると私の部屋の前に牛の着ぐるみを来たとても大きな男が立っていた。


両手には鍋らしき物を抱えている。そのせいでか、インターホンは押せないらしい。


私は一瞬、足が竦んだ。何故なら今日の私は出前なんて頼んだ覚えもないし、そもそもそんな暇さえなかったのだ。


ただ部屋を間違えているだけかもしれないと思いもした。

だが、あまりにもその着ぐるみを着た男が大男だった為、襲われでもしたら逃げようもない。


ましてや今は深夜と言っていい時間帯だ。悲鳴を上げたどころで隣人達が飛び出してきて助けてくれるなんて、先ずあり得ないだろう。


そもそも隣人にどんな人間が住んでいるのかさえ知らないのだ。男なのか女なのかも不明な状況で助けなんて期待出来ない。


私は引き返し、カプセルホテルにでも泊まろうかと思ったが、そう出来ない理由が部屋の中にある事を思い出した。


明日、朝一で出さなければならない書類が目の前の自分の部屋の中に置きっぱなしにしてあるのだ。


仕方ないと私は思い、大男が立つ自分の部屋へと向かう事にした。近づくにつれ大男は身体に似合わずとても小さな声で私の部屋のドアに向かって何やら言い続けていた。


この状況だけで既に怪しさ100%だった。だが残業でつかれているせいかその小声も深夜という時間帯を考慮して周りに迷惑がかからないよう配慮しているのかもしれないと私は思った。


私は大男から数メートルの距離まで行くと、声を掛けた。


「何か御用でしょうか」


私が言うと牛の着ぐるみを着た大男はこちらに向き直った。


「木槌さん?でらっしゃいますか?」


「あ、はぁ。そうですが…」


私は大男を見上げるような形でそう返事を返した。


「夜分に誠に申し訳ございません」


と大男はいい、頭を下げる。そして上げると両手に持っていた鍋らしき物を私に突き出した。


「本来であれば、もう少し早くにお届けに参らなければならなかったのですが、何分、年末という事も重なりお約束の時間から大幅に遅れてしまい心からお詫びいたします」


大男は再び頭を下げた。


「あの、すいません。私は何も頼んでいませんが?他の部屋とお間違えになられていませんか?」


「いえ。間違えてはおりません。私もそのようなミスがあるかもしれないと思い何度も確認致しました。何しろ年末の忙しい時期ですので」


大男は何が面白いのか、クスッと笑った。


「ですからミスはございません。木槌沙織様」


見知らぬ人にいきなりフルネームを言われたら気持ち悪くてその人間を疑うものだけど、この牛の着ぐるみを来た大男は宅配業者だ。知っていて当然だろう。


だとしても何かを頼んだ記憶はなかった。それでも私は、ひょっとしたら酔っ払った時にでも頼んだかもしれないと思った。


前に1度、そのような事をした事があったからだ。


だから自信を持って頼んではいないとは言い切れなかった。が、それでも箱に入れてなく鍋のままというのが理解出来なかった。


配達物なら、箱に入っているものだし、出前ならわかるが、それは絶対にない。それに大男は約束の時間から遅れたのは年末のせいだとも言っていた。


それはつまり、前もって私が年末に鍋を届けるよう発注をしていた事となる。やはり頼んだ記憶はなかったが、私はとりあえず受け取れば大男は去り部屋に入れるかもと考え、それを受け取る事にした。


「そうでしたね。私、すっかり忘れていました。ごめんなさい」


「そうでしょう。そうですね。こちらが間違える訳は万に一つありませんので」


大男はいい、鍋を私に突き出した。私はそれを受け取った。


「あの、私、代金はクレジットで頼んでましたか?それとも代引きでしょうか?」


「代金は既に振り込まれております。ですので受け取りのサインだけ頂ければ、オッケーです」


大男はいい、私にマジックを手渡した。


マジック?と思ったが丑年の今年も終わろうとしているせいか、そのようなイベントをこの宅配会社は行っているのかも知れない。


冷静に考えればそんな事はあり得ないのだけど、私は連日の残業で疲れ切っていたし、早く部屋に戻りゆっくりしたかった。だから大男の望むよう私は従う事にした。


「私の身体のどの部分でも良いのでぶち模様を描いて塗り潰して下さい。それがサインとなります」


「名前は?」


「必要ございません。私が配達する鍋の数は決まっておりますので、ぶち模様の数と鍋の数が合えば配達が終わった事がわかりますので」


ん?と言う事は配る鍋は全て同じ内容という事だろうか。でなければ数があっていても内容が違えば配る家も違う事になる。


そうなら本人の受け取りサインは絶対に必要となる筈だ。だがそれをこの大男はぶち模様で良いと言った。

まるで丑年を名残り惜しむようなイベントだなと私は思い言われた通りにした。大男はその間、顔を上に向け黙っていた。


「終わりました」


「ありがとうございます」


大男は頭を下げた。去り際に良いお年をお迎えくださいといい、エレベーターのある方へ向かって歩いて行った。


私は急いで部屋の鍵を開けた。大男から目を離さずドアを開けた。エレベーターが止まった音がして、大男が乗り込もうとする姿を見てホッとした。バックを肩にかけたままドアを足で押さえながら鍋を持ち上げた。


瞬間、駆けるような足音がした。ハッとして顔を上げると目の前に牛の着ぐるみを着た大男が立っていた。私は一瞬で身体が硬直し動けなかった。


大男はエレベーターに乗ると見せかけただけだったのだ。私は乗ったと思い違いをし、部屋に入る前にも関わらず油断してしまった。


そもそもこんな物頼んだのなら、覚えている筈だ。幾ら酔っ払っていようが、何かを注文すれば履歴というものが残るし、今の時代、普通に買い物に行くよりネット注文の方が多いくらいなのだ。


そんな時代で記憶にない注文なんてあり得ない。私は自分の馬鹿さ加減に辟易した。

そして私はこの大男に捕まり殺されてしまうのだろう。そう思ったら全身から力が抜け尻餅をついた。


反動で手に持っていた鍋を離してしまった。瞬間、大男がそれを素早く掴んだ。


「危ない危ない。これがひっくり返ったら、火傷くらいじゃ済まなかったですよ」


「え?」


「すみません。伝え忘れていました」


「な、何をよ?」


「あつあつの内にお食べになって下さいませ」


「はい?」


「ビーフシチューをですよ」


「ビーフシチュー?」


「そうです。この鍋にはあつあつのビーフシチューが入っておりますから」


「そう、なんだ」


「ですから冷めない内にお願い致します」


「まさか、それを言う為だけに戻って来たわけ?」


「ええ。当然です」


「そんなのいらないからっ!ったく、襲われるかと思ってびっくりしたじゃない!」


「すみません」大男は頭を下げた。肩を落としながらエレベーターの方に向かって行った。


乗り込む姿を見て私は今度こそ急いで部屋に入って行った。

直ぐにキッチンに行って鍋の蓋を開ける。


湯気が立ち、ビーフシチューの良い香りが鼻を突く。空腹を誘うが私は誰が作ったものかもわからない物なんか食べたくはないとキッチンにビーフシチューをぶちまけた。


勿体ない気持ちも僅かにあったが、気持ち悪さの方が強かった。ホッとして、鍋を捨てる為、コンビニの袋を取り出した。


中に入れようとした時に、鍋の底に何かしらが書かれていた。それを見た私は鍋を落とした。割れる音と悲鳴が混ざり、部屋中に響いた…


牛の着ぐるみを着た大男は木槌沙織のマンションの下で、部屋のドアを見上げていた。耳に手を当てイヤホンに集中する。何かが割れる音と悲鳴を聞き、ニヤリとした。


だが完全に喜んだ訳ではない。何故なら木槌沙織はビーフシチューを捨てたからだ。出来れば完食して欲しかった。


その後で、あのメッセージを読んで欲しかった。僅かな後悔と共にイヤホンを外した大男は、着ぐるみの袖を上げ、マジマジと自分の腕を眺めた。


腕の肉を削り落とした箇所がジクジクと痛む。それは数カ所にも及び、巻かれた包帯には大量の血が滲んでいた。


大男は次はビーフカレーが良いかな?それとも焼き鳥か?と考えながら自分の手足を眺めた。ほくそ笑みながらその場から静かに離れていく。


あ、焼き鳥はダメだとふくらはぎを見ながら思った。だって今年はまだ丑年だから。牛に関する何かでないと…


大男は自分のお腹をさすりながら改めてやる事が出来たことに悦びを覚えた。そのような悦に浸る笑みを浮かべながら、ここだね。うん。やっぱり次はお腹だなと呟いた。


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