第八話 「沈む日々」
悠太の生活は次第に崩れ始めていた。
かつては、誰よりも自信に満ち溢れていた彼だったが、今では些細な声に翻弄され、感情的な言動も増えている。声を聞くたびに疑念が膨らみ、冷静さを保つのが難しくなっていた。
ある日、顧客との打ち合わせが行われた。悠太は資料を広げ、熱心に説明をしていたが、ふと相手の「声」が飛び込んできた。
「この提案、どこが目玉なのか、全くわからないな・・・。説明も下手だし。」
その瞬間、悠太の心は大きく揺れた。憤りを覚えたがそれを言うことはできない。そして、それがさらに動揺につながった。
「特に、こちらの戦略に注力することが、より一層売上効果を最大にできると考え・・・」
と、相手の疑問点を補うように説明を補足するが、
「うちは、突発的な売上よりも、まずは商品認知を広げて、定番商品への位置づけに持っていきたいですよね。」
と、相手の軽い口調がさらに彼を追い詰めた。
「そうですね。確かに前回のお打ち合わせでもそのような方針だと伺っておりました。」
悠太は必死に自分を保とうとしたが、
相手の「何度出してきても」「ちょっと頼むのは難しいな」という相手の「声」に、返す言葉が見つからなかった。
十分な提案ができず、悠太は疲労感に襲われながらオフィスに戻った。
周囲の同僚たちも、目を合わすと悠太に対する批判の「声」ばかりが聞こえ、目を合わすことすらできない。
そんな悠太に、理沙も声を掛けられずにいた。
その夜、家に帰ると、美咲が心配そうに出迎えた。
「今日も疲れた顔してるね、大丈夫?」
美咲の優しさに触れるたび、悠太の心はさらに重くなった。
悠太の態度に、美咲の顔が曇る。彼女も何も言えず、ただ黙って夕食の準備を続けた。
何もかもが上手くいかない自分への苛立ちと、目を合わす恐怖から自分の殻に閉じこもるように、会話の少ない日が増えていった。
翌日、事件が起こった。
午後のチームミーティングで、悠太が資料の説明を行っていた。途中、鈴木がふと資料を確認していると、「この部分のデータ、少し間違っていると思います」と、軽く指摘してきた。
と、「こんなミス、一度確認すればすぐに気付けるんじゃないか。」と鈴木の「声」を聞く。
その「声」で悠太の中の何かが弾けた。
「何がミスだって?君が提出したデータこそ不十分じゃないか!」
悠太は、無意識のうちに声を荒げていた。
悠太の声に、会議室は一瞬静まり返った。鈴木は驚いた顔をし、他の同僚たちも何も言えずにいた。
悠太自身も、自分がなぜこんなに感情的になってしまったのか理解できなかった。
確かに、悠太は打合せの中で些細な口論になる場面が多くなっていた。
そしてはそのほとんどは、悠太の勘違いによるものだったが、それが繰り返される度に、悠太の信頼は落ちていったのだった。
その夜、坂本に呼び出された。
「最近、案件を抱えすぎているようだから、あのプロジェクトは田中くんに任せることにするよ。」
そう告げられた。また、坂本は、最近の悠太の変化について周囲のメンバーが少しやりづらさを感じていると遠回しに指摘し、
「斎藤。今の君は少し休んだ方がいいのかもしれない。異動願を出してはどうだ?」
日々の業務の中で、挽回したいと考えていた悠太に、坂本の言葉は最後通告のようなものだった。
自分が取り返しのつかないところに来てしまったことを悟った。
「はい。少し考えさせてください。」
悠太は、家に戻っても美咲にそのことを話すことはできなかった。美咲の言葉と「声」が何を言ってくるかが恐ろしかったのだ。無言のまま部屋にこもり、孤独と無力感に押しつぶされながらベッドに入るが、眠りにはつけなかった。