第95話:資源獲得戦争
「こちらが、2040年の地球の状況です」
創さんが氷河に覆われた大地をプロジェクターに投影する。
その説明がエジプトにまで説明が及ぶと、閣僚たちのざわめきは次第に大きくなり、やがて喧々諤々の議論が始まった。このあたりは、日本であってもエジプトであっても、ほとんど反応は変わらない。
議論が煮詰まってきたとき、比較的冷静さを保っていた女性閣僚が口を開いた。
「そもそも”凍土化”というのは、どういう定義なのでしょうか?」
自己紹介によれば、彼女は、ナディア・アフマドという名の環境省の大臣だったはずだ。
それなら、その答えを知らないはずがない。おそらく、錯綜する関係閣僚の目線を合わせることを意図した問いかけなのだろう。
その意図を汲み取ったように、創さんが説明する。
「凍土自体の定義は。”地表温度が0度になること”を言います。そして、凍土には主に一年中続く”永久凍土”と、”季節凍土”といわれる二種類があります。後者であればほんの一時期、氷が融解することもあり得ます」
「では、我が国の場合は?」
「エジプトの場合は、大部分が季節凍土となるはずです」
「では……」
そういってその女性閣僚は息を吸った。
「ナイル川は凍結するのでしょうか?」
その言葉には特別の意味が込められているようだった。
「その可能性は低いと思います。ナイル川は赤道付近のエチオピア高原を起点としていますし、凝固点降下”や水流によって、氷結点は0度を下回るはずですから」
「”凝固点降下”って何?」
とわたしはサラに訊ねる。
「簡単に言うと、真水に色々な不純物が混ざった場合、氷結する温度が0度よりも下回る仕組みってことだよ。また、水流自体が、氷結を防ぐ効果もあるしね」
ここで、初めて大統領が口を開いた。
「ご存じの通り、遥か昔のエジプト文明の時代から、ナイル川は我が国にとって、母なる大河でした。まさに、"ナイルの賜物”と言われるように。ですが、近年、それは、ある特定の国によって脅かされようとしています」
わたしは、午前中の堀田さんの言葉を思い出していた。
『ナイル川の水資源だけでも、エジプトとエチオピアをはじめとする、約10か国で争いがあるのです』
「単刀直入に訊きましょう。アフリカ連合会議において、七海教授はどこか特定の国家に肩入れをされるおつもりですか?」
大統領の視線が鋭くなる。
今までの柔らかな物腰とうって変わった、有無を言わせぬ迫力を感じる。
創さんがきっぱりと答える。
「いいえ。わたしはあくまでも中立を保つつもりです」
「では、特定の国家が、理不尽な要求を突き付けてきたらどうします?例えば、移民を受け入れる代わりに、上流にダムを建築し、水資源を独占したいといった、他国には到底受け入れがたい要求をしてきたら……」
創さんは暫し沈黙する。
「七海教授、あなたは既に世界にとっての最重要人物の一人になっている。ルカ・ローゼンバーグ氏と並んでね。そんなあなたが、もしどこかの国に肩入れした場合、危ういバランスを保っているアフリカ連合の秩序が乱れかねない。そうは思いませんか?」
質問の形式を取っているものの、これは明らかに警告だった。
名指しこそしていないものの、エチオピアのことを言っていることは間違いない。
――これが、アフリカ連合会議の前に、大統領が直接わたしたちに伝えたかったことなのだ。
御堂大使をはじめとする大使館員も固唾を飲んで成り行きを見守っている。
この正解などない問いに、どう答えるつもりなんだろう。
わたしも緊張で喉がカラカラになりながら、創さんの顔を窺う。
でも、創さんの様子は、いつもと変わらなかった。
いやむしろ、何か特別な発見をして、誰かに伝えるのが待ちきれない子どものような……。
「これは、アフリカ連合会議の本番までは公にしないで頂きたいのですが……」
そう前置きして、創さんは星に目配せした。
その後の数分間の話は、誰もが予想だにしない内容だった
夢でも見ているかのように、大統領が呻いた。
「こ、こんなことが本当に実現可能なのかね?」
ナディア大臣も興奮に満ちた表情で言う。
「これができれば、アフリカの、いや世界のバランスが一変するわ」




