第93話:情熱と意思
2029年11月21日 エジプト・カイロ
「この国では、大統領権限は強大なんです。発言には、くれぐれもご留意お願いします」
わたしと星は、困惑顔を隠さない大使館員からレクチャーを受けていた。
わたし達に、エジプト大統領直々の招待状が届いたのは、昨晩のことだった。それを受けて、今朝、カイロの日本大使館より、急遽呼び出しをくらったのだ。
わたしと星の目の前には、駐エジプト日本大使、副大使をはじめとする、大使館員の面々が席を連ねている。わたしの隣には創さんと梨沙さんが控えているとはいえ、どうしても恐縮してしまう。
「エジプトは、アフリカの玄関口と呼ばれています。それはつまり、多くの周辺国との微妙な関係の上に成り立っているということです」
堀田哲という名の、二十代後半の若い大使館員が、スクリーンを指しながら熱弁を振るう。
「リビア、スーダン、イスラエル、パレスチナといった直接国境を接してる国々だけではありません。紅海を隔てたサウジアラビアとの関係も深いしですし、ナイル川を下ればエチオピアとも水資源問題を抱えています」
確かに、紛争地域として、ニュースで聞いたことのある国も多い。
「日々、前線で働いている僕たちだって、大統領とは滅多に会えないんです。なのに、どうして来たばっかりのあなたたちが……」
いきなり不満をぶつけてきた堀田さんを、すぐに御堂大使が制する。
「それは言い過ぎだ。今回の面会は、あくまで大統領側からの要請なのだからね」
「申し訳ございません。堀田君は、医学生時代からアフリカの紛争地域の医療ボランティアに行っていたくらい熱心な男なんですが……。ときどき、表現が行き過ぎることもありまして」
御堂大使はそう言い、わたし達に向かって軽く頭を下げる。
60歳に近い彼は、髪は既に白髪に近く、顔には相応の年輪が刻まれている。小柄で物腰は穏やかだけど、今まで、主要なアフリカ諸国の大使を歴任してきただけあって、その言葉には重みがある。
「いえ、いいんです。創さんや星はともかく、わたしなんて、アフリカのことを全然分かってないんですから」
わたしは慌てて言う。
少し前なら、多少は反感を覚えたかもしれない。
でも、夢華やソジュンたちとの付き合いを経て、わたしは学んでいた。
自身の努力や献身に誇りを持てば持つほど、その裏返しとして、それを持たない人に対して、キツく当たってしまうタイプの人がいることを。
堀田さんが、まだ不満気に言う。
「アフリカには55の国と地域があるんです。そして、そのほぼ全てが近代に欧米に植民地されている。その歴史を学ばずして、国のトップに会うなんてありえないですよ……」
「ほぼ、ということは独立を維持してきた国もあるってことですか?」
そんなことも知らないのか、という風に肩をすくめ、堀田さんはスクリーン上のアフリカ地図を指す。
「近代に入って、長期的な植民地化を逃れたアフリカの国は二つだけだ。一つはリベリア、そしてももう一つがエチオピアだ。三日後に、アフリカ連合の緊急会議が開催されるね」
御堂大使が創さんに尋ねる。
「そのアフリカ連合会議に参加されることが、今回の、皆様のアフリカ訪問の直接の理由ですよね?」
アフリカ連合会議とは、アフリカの全ての国の首脳が集結する会議のことらしい。直接招待されたの創さんだけど、助手の星に加え、なぜかわたしまで参加することになっている。
創さんは頷く。
「ええ。その場において、氷河期到来による、アフリカ各国への気象への影響について説明する予定です」
「その場で、移民の受け入れも、テーマにするおつもりですか?」
御堂大使の質問に、創さんが思案気に答える。
「そこまで議論が至れれば、ですが……」
世界の約8割の地域が凍土化していく中で、赤道が中心を貫き、平均気温が高いアフリカは、世界中で最も広い居住可能エリアを有する大陸となる。当然、世界からの移民受け入れを求める声も出てくるはずだ。
「お言葉ですが……」
堀田さんが、おずおずと口を開く。
わたしや星へとは違って、創さんに対しては、うって変わった丁重な物言いをする。
地質調査で何度もアフリカを訪れ、現地機関からも信頼の厚い創さんには、明らかに敬意と憧れの念を抱いているようだ。
それでも彼は、意を決したように言う。
「それは、さすがに厳しいのではないでしょうか。確かに、経済援助をちらつかせれば、もしかしたら一部の国はなびくかもしれません。でも、アフリカの国同士で資源獲得戦争が起こっている以上、一方の国に良い顔をすれば相手方の国が黙っていないかと思います」
堀田さんは、スクリーン上のアフリカ地図を縦に走る、長大なナイル川の画像を映す。
「ナイル川の水資源だけでも、エジプトとエチオピアをはじめとする、約10ヵ国で争いがあるのです。そして、近年、上流のエチオピアが、”大エチオピア・ルネサンスダム”を建築したことで、特に、最も下流に位置するエジプトとの関係性が悪化しています」
そう言って、堀田さんは悔しそうに顔をゆがめる。
「せめて、この水問題だけでも何か貢献できないかと、灌漑技術を有する日本企業と日々打合せをしているのですが……。正直、解決の糸口さえ見えない状態です」
確かに、全土に砂漠や草原が覆うアフリカにとって、水は何より大切な資源だ。そして、移民で人口が増加すれば、水不足がさらに深刻化する。歴史的背景を抜きにしても、各国にとって、それは到底受け入れられないだろう。
創さんは思案気にしばらく宙を見つめていたが、やがて堀田さんの方をまっすぐ向いた。
「堀田さん、下のお名前は”哲”さんとおっしゃいましたよね?」
「は、はい」
「あの中村哲さんと同じ、素晴らしいお名前ですね」
そう言って、にっこりと微笑む。
堀田さんの顔が、途端にぱぁっと明るくなる。
「はい! 両親は、僕にあの中村哲さんのようになってほしいと思って、この名をつけてくれたんです!」
わたしはサラに、”中村哲さん”のことを聞いてみる。
「中村哲さんは、内戦の最中の80年代から、アフガニスタンで灌漑と医療を通じて多くの命を救ったお医者さんだよ。2019年に武装組織に殺害されてしまったけど、今なお、多くの現地の人に慕われ、尊敬され続けているんだ」
その凄まじすぎる経歴に、わたしは思わず息を呑む。
――そうか。
堀田さんが携わっていた紛争地域の医療ボランティアもまた、中村さんの歩んだ道だったんだ。それであれば、水資源問題に関心があるのも頷ける。
創さんが言う。
「中村さんは、日本人、いや私達全ての誇りでした。その溢れる情熱と強固な意志を持って、さまざまな関係者と向き合い続け、ついには到底不可能だと思われたことを実現したのです」
全ての大使館員の目に敬意の念が浮かんでいる。堀田さんなんて、軽く涙ぐんでいるくらいだ。
それほどまでに、中村哲さんは、尊敬されるべき人物だったのだろう。
「そして、ここから先の未来には、中村さんに負けないくらいの強い情熱と意思を持つ、堀田さんのような人材が必要なのです」
そう言って、創さんは、堀田さんに向かって問いかけた。
「わたし達と共に参加しませんか? アフリカ連合の首脳会議に」




