第85話:青写真
「日本の国土の大半は2040年までに凍土化する――。そういうことですね」
橘長官の言葉に、場が静まり返る。
沈黙を破ったのは、風間総理だった。
鷹揚に手を広げ、議場のメンバーに声をかける。
「さあ、議論しよう。そのための会議なんだから」
弾かれたように、参加者たちは口々に自分の意見を述べ始める。
「そもそもそのデータの正確性は……?」
「高齢者は一体どうすれば――!」
「北九州に首都を移したら……」
そこで始まったのは、あたかも船上会議の第二幕だった。
会議、驚愕、諦観、絶望、逃避、開き直り、そして謎の楽観。
風間首相や橘長官たちから、事前に議論の内容を聞いていたはずだ。
……けど、やはり大きすぎる問題に直面したときの人の反応は、どうしても似てくるんだろう。
議場から湧き上がる様々な疑問に、創さんとカイは一つずつ丁寧に答えていく。
ちょうど一時間くらい経った頃だろう。
静観していた風間首相が再び口を開く。
「一通り見解は出揃ったようだな。無論、信じたい、信じたくないかは別だが……」
そう言って感情論に終始していた幾人かの閣僚をちらりと見る。
「ここから先は、日本国として、どうこの危機に立ち向かうのか、だ」
そう言って、首相は橘長官に目配せすると、会議室のスクリーンに青い画像が浮かび上がる。
それは、近未来的な超高層タワーが、海上の人工島から天に向かって伸びているCG図だった。
「経済産業省・環境庁・国土交通省の最精鋭メンバーが集まって立案した、海上都市計画の青写真だ。この都市建設を、最優先の国策として推進する」
わたしは思わず息を呑んだ。
――あの船上会議から一カ月足らずで、こんなものが……。
橘長官が口を開く。
「カイさんの言う通り、日本が凍土化を逃れる見込みはほぼゼロです。地下都市も同時に建設するにせよ、1億の国民の行き場を作るためには、海上都市計画は絶対に不可欠です」
先ほどカイのシミュレーションだと、九州さえも白く染まっていた。
つまり、日本列島には逃げ場がないということだ。
齢75を超える、総務省長官が反論する。老人票をがっつり握っていることで有名な大阪出身の重鎮だ。
「そんな計画、昔からあったやろうが。結局、東京や大阪のメガフロート計画だって頓挫したわけだし」
「あれはバブルのあだ花です。今回は、規模、そしてエネルギー供給源が根本的に異なります」
橘長官が即答する。
「規模……って、どれくらいなんや」
「メタンハイドレードが分布する南海トラフ、北海道沖、日本海側の各地に、まずはプロトタイプを30都市。10年後にはその10倍程度を目標としています」
まるで日本列島を取り囲むように、地図上に赤い点が浮かび上がりだす。
総省省長官は、赤い点で囲まれた日本列島の地図を、唖然とした表情で見つめている。
「10年後には300都市って、どこからそんな財源を持って来るんだ。それこそ数百兆レベルじゃないか!」
今度は、財務省長官の声がヒステリックな声で非難する。その後ろでは財務官僚がしきりに電卓をたたいている。
「ないなら、作ればいいじゃないか」
風間首相が努めて陽気に言う。
「そ、そんな簡単にいくわけ……」
なおも抵抗する財務省に、風間首相が明言する。
「これからの日本の国家成長戦略は、3つになるだろう。すなわち、メタンハイドレートの採掘・運用、海洋生物資源開発、そして、ナノチューブを軸とする、ナノテクノロジー開発だ。このいずれも、百兆円を超えるポテンシャルがある」
”メタンハイドレート”はまだ覚えている。船上会議で話題に出ていた、日本の沿岸に大量に眠る新しいエネルギー源のことだ。
2つ目の海洋生物資源というのも何となく分かる。海上都市を作るなら、海の生き物の食料化は必要になるだろうから。
――けど3つ目は、そもそも言葉の意味すら分からない。
「ナノチューブって、何? どんな役に立つの?」
わたしにサラに、文章モードで訊ねる。
「1ナノメートルは、1メートルの10億分の1、つまり、それくらい細い管のことだよ。これが実用化できれば、電気デバイスからエネルギー開発まで、極めて幅広い応用が期待されているんだ」
うーん。10億分の1メートルと言われても、単位が小さすぎて、正直、あまりイメージが沸かない。そんなわたしにサラが補足してくれる。
「髪の毛の10万分の1くらい、つまり、DNAや水分子よりも小さいってことだよ」
わたしは思わず、蛍光灯の光に透ける自分の髪の毛を手にしてみる。
この髪の毛の10万分の1っていうんだから、たぶんすごい技術なんだろう。
必死で会話に付いていこうとするわたしをよそに、財務省の閣僚がなおも反論を続けようとする。
「そんな、夢のような技術なんか、すぐに財源には……」
そこまで言いかけたところで、風間首相が遮った。
「全員の目線と知識が合っていない状況で議論しても意味はない。30分後、改めて会議を始める。それまでに、専門チームが作成した、各分野の最新研究資料を読み込んでおいてくれ」
――助かった。このままいくと、知らない単語で頭が爆発しそうになるところだった……。
ほっとしているわたしに、突然矛先が向いてきた。
「七海教授、星君、そしてリンさん。ちょっと、別室まで来てくれないか」




