第83話:決断
2029年9月1日
羽田空港の自家用機エリアから、一機、また一機と政府専用機が飛び立っていく。
エリーも、夢華も、アレクも、ソジュンも、ミゲーラも、それぞれの国で国賓レベルの重要人物となっているらしい。
「それくらい、彼女たち自身の脳波データには価値があるのよ。これから、各国で人工頭脳とアバターの開発競争が始まるでしょうね」
傍らで十萌さんが言う。
十萌さんと星とともに、最後の一機を見送ったわたしは、言いようのない喪失感に囚われていた。
――たった一カ月半のことなのに。
7月21日、三式島に降り立ってからわずかそれだけの期間なのに、それまでの人生が霞んでしまうくらい、濃密な時間だったから。
「……さて、と」
そう言って、十萌さんはわたしと星の方を向く。
「二人は、これからどうする?」
「どうするって……?」
「これから世界は否応なく大きく動き出すわ。その中で、自分がどうありたいのか……ということよ」
十萌さんは真剣な目で訊ねる。
「これからは高度に政治的な領域に入ってくる。普通の人ならまず知ることのない、世界の嫌な面もいっぱい見なければいけないし、正直、身の安全も保障はしきれない。あなたたちはまだ19歳なんだし、ここで一旦身を引くというのも一つの選択肢よ」
カミラとの闘いは、今振り返っても鳥肌が立つ。
三式島の戦いで命を落としていた可能性だって、十分にあったのだ。
それでも、星はきっぱりと答える。
「僕は、引き続き関わります。放っておけば多くの人が不幸になることが分かっていて、投げ出すことはできないから」
そして少し微笑む。
「あと、あのお人よしの七海創を、一人にするのはちょっと心配ですしね」
「脳波実験に参加した他のみんなは、これからどうなるんですか?」
即答できないわたしは、十萌さんに問う。
「夢華も、アレクも、ミゲーラも、当面は各国の脳波研究につきっきりになるでしょうね。ソジュンはまだ未成年だから、大学には通わせてもらえるでしょうけど……」
「だ、大学? 13歳って、まだ中学一年生なんじゃ……」
「韓国は飛び級制度があるからね。ソジュンは歴代最年少の12歳で、大学入学しているんだよ」
星が教えてくれる。
「エリーは大丈夫でしょうか?」
最も気になっていたのは彼女のことだった。なんせ、信じていた執事に裏切られた上に、貴族間の抗争にも巻き込まれ始めている。本人は表には出さなかったけど、内心は相当動揺しているはずだ。
「かつて、エリーのお母様は、周囲の反対を押し切って、新興財閥のトップだったお父様と結婚をしたの。貴族界とビジネス界では、規範自体が異なるから、もともと軋轢も多かった」
十萌さんが神妙な顔で続ける。
「でも間違いなく、ご両親はエリーを愛している。なんて言ったって、本人の希望を汲んで、あんなにも長く日本に滞在させていたくらいだしね。だから、周囲からは彼女が次期当主になると目されていたの。彼女自身は頑なに拒んでいたにもかかわらず、ね」
――確かにエリーは、わたしにさえ、貴族であることを隠し続けていた。
「けど、だからこそ、今17歳の彼女が、来年成人してその資格が強まるに、敵対勢力があんなに極端な手段に出たのだと思うわ。2歳年下の弟を利用してまでね」
「え……イギリスって、18歳でもう成人になるんですか?」
「世界では18歳の方が多数派よ。中にはプエルトリコのように、14歳なんて国もあるくらい」
――そうんなんだ。
ソジュンのことといい、何だか急に、自分が年齢よりも子供じみている気がしてきた。
「そして、ジェラルドの誘いを断ったということは、彼女自身が、アイロニクス側に立つと半ば宣言したようなものよ。だから、軋轢は更に拡大するでしょうね。英国の階層意識は根強いから」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「100年前ならいざしらず、現在の米国と英国は経済的な結びつきは強固よ。私たちがあらゆる手段を用いて、彼女をバックアップするから、そこは安心して」
十萌さんは、わたしの両の掌をぎゅっと握った。
「そして、その力は、日本にも及んでいるわ。研究者として私としては、正直、リンちゃんの協力は喉から手が出るほど欲しいわ。でも、リンちゃんの人生は、あなた自身のものよ。だから、自分の意思で選んでほしいの」
――わたしは、一体どうしたいのだろう。
改めて自分に問い直す。
正直、ほんの数カ月前までは、一生日本で平穏に暮らせればいいと思っていた。
でも、今まで見えていた世界は、氷山のほんの一角に過ぎなかった。
そして、今、世界全体の生存が脅かされている。
そのことを知ってなお、心穏やかに過ごせるのだろうか。ましてや、自分自身にできることがあると知ってるのに。
夢華の言葉がわたしの心に蘇った。
『人は、自分の意志で行ったことにしか、責任は取れない。これから先は、あなたの意思よ』
わたしは、深く呼吸をする。
そして、自らの意思ではっきりと伝えた。
「わたしは、みんなと共に、この世界を救いたい。例え、この人生を賭してでも」




