第81話:惜別の宴
2029年9月1日
夜半を過ぎて、惜別の宴は始まった。
報極寺の和室にはおよそ場違いな、色とりどりの世界の食べ物と飲み物が運び込まれてくる。
夜明けとともに、エリーはイギリス、ソジュンは韓国、アレクはスペイン、ミゲーラはブラジル、夢華は中国に、政府専用便で帰国する。こうして一緒にいられるのも、あと数時間だ。
「今日だけは特別よ」
そう言って錬司さんと夏美さんが、悠くんと美紀ちゃんを連れてくる。
山野辺家の方針では、紅白歌合戦の日だけしか、12時過ぎまで起きているのを認めていないらしい。
――そういえば、わたしも小学生のころは、真夜中まで起きているだけで、なんとなく大人になった気がしてワクワクしたのを覚えている。
「今更一晩飲んだくらいで、寿命なんて変わらんよ」
そういうおじいちゃんは、医者が制止するのも聞かず、スタッフに行って、この部屋にベッドごと持ち込んでくる。隣では、おばあちゃんと医師が、すこしハラハラしたような表情で座っている。
程なくして、創さんと星も合流してきた。
「政府との調整、終わったんですか?」
「一旦はね。次の会議は、朝7時に延期してもらったから。見送りまでは一緒にいられる」
相変わらずブラックなスケジュールだ。
カイと十萌さんが入室してきたのも、ほとんど同時だった。
ようやく、スカルとの闘いの後始末が終わったようだ。
曰く、「しばらくは立ち上がれないくらいのレベルで反撃しておいた」とのことだ。
これで、全員が出揃った。
「じゃ、乾杯の合図はカイさんから」
そういって、十萌さんがグラスをカイに渡す。
「そういうの、柄じゃないんだよ」
そう愚痴りながらも、カイが、グラスを掲げる。
みんなもそれぞれに、ジュースやお酒のグラスを手に取る。
「I'm truly proud of all of you.(みんなのことを、心から誇りに思うよ)」
ハリウッド映画だけでしか聞いたことのない乾杯の合図で、それぞれのグラスが重なり合い、華やかな音を立てる。
そこから先は、ほとんど混沌だった。
ミゲーラが歌い出し、錬司さんと夏美さんが火龍の舞で使った楽器でそれに合わせる。
早々に酔っぱらったっぽい十萌さんが、エリーの手を取ってワルツを踊りだす。
悠くんと美紀ちゃんは、目にしたこともないような世界の料理を夢中で頬張っている。
ソジュンが星にアバターの仕組みについて熱く語り出したかと思うと、アレクはしきりに白酒を勧めながら夢華を口説きだす。
―――2か月前には、まさかこんな華やかな場所に自分がいるなんて、夢にも思っていなかった。
剣道とバイトだけに明け暮れていた日々の外に、こんなにも広い世界が広がっていたなんて、ちょっと信じられないくらいだ。
『ちょっと、世界を変えるバイトをしてみないか?』
2029年3月。思えば、カイのこの一言から全てが始まった。
わたしは、なぜか部屋の片隅で、一人グラスを傾けているカイに声をかける。
「今の展開って、どこまで想定してたの?」
カイの回答は意外だった。
「想定外だらけだよ」
感情を表に出さずに、いつも冷静に対処するカイの態度を見て、「まるで全てを見通している」と思ってしまう人も多い。
「例えば?」
と思わずわたしは訊く。
「世界の首脳がどう動くかについてはシミュレーションしていたつもりだし、実際ここまではほとんど想定内といっていい。でも、カミラとジェラルドのことは思いもよらなかった。そして、何より一心先生のことが……」
「一心先生のこと?」
「ああ、その全てが想像の枠外だった。その卓越したアバター操作もそうだけど、何よりも、自分の余命を賭してまで、他人のために尽くせるなんて……」
視界の先のおじいちゃんは、ベッドの上で胡坐をかき、日本酒の徳利を傾けている。その隣ではおばあちゃんが半ば呆れながら、でもその瞬間を愛おしむように見つめている。
「結局、人の心は、全く予想がつかないみたいだ」
わたしは思い切って聞いてみる。
「カイは、誰かと一緒に一生を過ごしたいって、思ったことはないの?」
わたしの視線の片隅に、エリーの姿が映る。
ストレートな問いかけに、一瞬戸惑いつつも、カイは答える。
「そんなことが許されるなんて、考えたこともない」
――許されるって、一体誰に?
わたしがそう問うよりも早く、カイは言葉を継いだ。
「そう願ったことがないと言えば、嘘になる。だが、既に”誓約”は交わされてしまったんだ」
それだけ言うと、カイは押し黙る。
わたしは、沈黙の重みの中で考える。
――誓約?
確か、亡霊との対話に出てきた言葉だ。
「それは、人には言えないことなの?」
カイが微かに頷く。
わたしはその目を真正面から見つめる。
たぶんルカさんから受けてきた教育のせいだろう。カイは、自分の感情が発露することを極端に嫌う。
だからこそ、感じ取るしかない。
その蒼色の瞳には言い表せない矛盾した感情が混じっている。
覚悟と諦念、悲哀と切望。そうした相反する感情が、その瞳の中で火花を散らしている。
「分かった。なら聞かない」
――でもこれだけは覚えておいて、とわたしは言う。
「カイがいつかわたしに助けを求めたとき、必ず駆けつける。そのとき、この世界がどうなっていようとも」
カイの瞳の中の光が激しく揺れた。
まるで、溢れ出そうとする感情の炎を、必死で氷の檻に閉じ込めようとするかように。
その波が去ったとき、カイの口から自然と言葉が零れ落ちた。
「君と星は、暗闇に射す燈火だ。初めて出逢ったときから、今までずっと。だから、ただこの世界に存在していてくれるだけでいい」




