第291話:トッポギ
「もしこのままチップに頼り続けるようなら、いずれ脳神経が焼き切れるわよ」
メディカルルームに入った十萌さんが真剣な表情で、ユンに警告する。
通訳がその言葉を韓国語で伝えると、ユンは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。
「あの……どうやら”脳内チップ”という言葉を知らないようです」
通訳が戸惑いがちに言う。
マジックミラー越しに見る限り、確かに彼女は嘘は言っていないように見えた。
十萌さんも戸惑いの表情を浮かべる。
「え、もしかして、それも知らないで脳手術を受けたわけ?」
『手術』という言葉を聞いた瞬間、ユンの表情に緊張が走った。
まるでそれが禁忌の言葉であるかのように口を噤み、それ以降、何を聞いても答えなくなった。
暫くして、医務室から出てきた十萌さんは、首を振りながらわたしとソジュンに言った。
「お手上げね。恐らく、手術のことは口留めされている。高度な技術が必要な手術だから、絶対に背後に黒幕がいるはずなんだけど……」
決勝戦が中断されてから、既に2時間が経過している。
十萌さんの咄嗟の判断で、午後に行われるはずだった別のトーナメントを急遽前倒しで行い、決勝戦は明日に延期することで、ファンたちの混乱も一旦は収まった様子だ。
ただ、ネットでは、ユンが倒れる衝撃のシーンが繰り返しショート動画として流され、拡散されていた。いずれ、正式な声明を出さなければ、世界のファンは納得しないだろう。
ぐぅぅぅぅぅ。
そんな緊迫した空気を溶かすかのように、突如隣のソジュンのお腹が鳴った。
「ご、ごめん」
気まずそうにソジュンが言う。
無理もない。
ここまで、極限の集中力で、密度の濃い戦いを繰り広げてきたのだ。
きっとお腹の減りも速いのだろう。
わたしはふと思い立って、ソジュンにこう提案した。
「トッポギ、食べに行かない?」
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幸い、昨日のおばちゃんは、同じ場所で屋台を開いていた。
「おや、昨日の日本の女の子じゃないか?」
わたしがソジュンと一緒に席に座ると、すぐに気づいてくれた。
トッポギを2人前頼むと、すぐに器いっぱいに注いでくれた。
よっぽどお腹がすいていたんだろう。
ソジュンは掻き込むようにトッポギを口に流し込む。
「ちょ、あんた、火傷するよ」
おばちゃんが、笑いながら言う。
「う、美味っ!」
ソジュンが熱さに顔をしかめながらも、目を見開いて言う。
「嬉しいねぇ。昔ながらの味のトッポギを、二日連続して、こんなにも美味しそうに食べてくれるお客さんが来るなんて」
ソジュンが不思議そうに尋ねる。
「え? 昨日もここに来たの?」
「うん。あの、ユン・シヒョン一緒にね」
ソジュンの箸から、ポロリとトッポギが落ちた。
「このトッポギをもう一度食べさせてあげたいの。彼女に」




