第269話:磁場と渡り鳥
「なぜ渡り鳥が、目印も何もない海を正確に飛び、数万キロ先の巣に戻れるかを知っているか?」
唐突に朱飛が尋ねてくる。
わたしが答えられずにいると、アレクが代わりに口を開く。
「地球が発する磁気を感じ取り、それをナビゲーションに利用している――と言われているが……」
「そうだ。では、なぜ、人は磁気を感じられないのだ?」
「それは……」
アレクが黙考し始めたので代わりにわたしが口を開く。
「だって、鳥と人とは、そもそも感覚器官が違うから……」
「ああ。だが、彼らもまた、昔はそんな力など持ち合わせていなかったはずだ。けれど、地球が寒冷化し、冬に暖かい巣を求めて飛ぶことが必要とされたからこそ、その能力を獲得したといえる。反対に、一度獲得した能力であっても、使わなければ失われてく」
アレクが呟く。
「人間が直立歩行を覚えることで、必要なくなった尻尾が退化したように……か」
「そうだ。尻尾は失われているが、器官としての”尾骨”は、いまだに人間の体に存在している」
朱飛は軽く息を吸い、こう尋ねた。
「それでは、”気”はどうか?30万年まえ、現生人類が発祥したと言われるアフリカのサバンナで、あるいはその後の狩猟時代で、気を感じる必要はなかったのだろうか?」
「つ、つまり、昔はみんな、気を感じることができたってことですか?」
わたしが聞き返す。
朱飛は、それには答えず、軽く目を細めた。
次の瞬間。
不意に朱飛から、どす黒い害意のようなものが、わたしに向けて発せらる。
――やばい、攻撃される!
わたしは、瞬時に座禅を解き、後ろに跳ねた。
しかし、次の瞬間には、その感覚は消え失せていた。
「なぜ、後ろに跳んだ?」
「だって、わたしを攻撃しようと……」
朱飛がふっと笑う。
「それが、相手の気を感じ取るということだ。こうしたことは、狩猟時代には当たり前のように行われていたはずだ。でなければ、狩られるだけだからな」
「つまり、人は、”気”を感じとる感覚器官を有していたが、それが使われなくなっただけ――ということか?」
「そうだ。視覚や聴覚に囚われすぎて、その器官は退化している。だからこそ、この部屋では、暗闇で視覚や聴覚を遮断している」
――この真っ暗な部屋には、ちゃんとした意味があったんだ。
「だが、それだけでは不十分だ。一定量の”気”に晒され、意識し続けなければ、器官としての機能は活性化しない。龍脈が集まる少林寺で長年修行したならともかく、君たちの覚醒は、尋常でないほど早い。恐らく、マスターレベルの師匠がついていたのだろう」
わたしはアレクと見つめあう。
――鎌倉でのおじいちゃんとの修行は、決して無駄じゃなかった。
口下手なおじいちゃんは全く説明してくれなかったけど、山籠もりを通して、あるいは火龍の舞を通して、その身をもって、気の感じ方を伝えてくれていたのだ。
朱かが重々しく言う。
「さあ、次の段階に移ろう」




