第268話:暗闇修行
2030年1月8日 中国・嵩山少林寺
――え、これが修行なの?
過酷な山籠もりや試合で、心身ともに痛めつけられる――そんな覚悟をしていたのに、初日に指示されたのは、暗闇での座禅だけだった。
けど、やってみるとすぐ、それがある意味、山籠もりよりも厳しいことに気付かされる。
何せ、蝋燭の光以外の光が一切遮断された道場の中で、何時間もひたすら座禅し続けるのだ。
始めはフロー状態を保てていても、やがてすぐに思考が暴走してくる。
過去のトラウマや、モロッコでの星との別れなど、さまざまな思念が心を支配し始める。
「揺らぐな。まずは脳波、次いで気の状態を一定に保ち続けるんだ」
朱飛が鋭く注意する。
三式島や鎌倉であれだけ修行したから、脳波についてはまだイメージが湧く。
けれど、「気」と言われても、そもそもそれが何かさえ分からない。
何十度となく注意され、やがて時間の感覚さえも消えそうになってきたとき。
朱飛はこう言った。
「気は、森羅万象が放つエネルギーのようなものだ。そして、それは内から生まれることもあれば、外から取り入れることもある。大切なのは、それを循環させることだ」
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2030年1月15日
翌日も、その翌々日も、わたしたちがやり続けたのは、暗闇での座禅だった。
志虎が運び込んでくれる最低限の食事をとる以外は、ほとんどぶっ続けで暗闇に座り続けている。
なぜ、こんなことをやっているのかなどの疑問も、始めの数日で消えてしまう。
一週間ほど経ったとき、不思議な変化が見られるようになった。
目の前に微動だにせず座禅する朱飛の体を、薄い光の膜が覆っているように見え始めたのだ。
――え、これって?
暫くの後。
その光らしきものが、道場の床からも、まるで井戸水かのように湧き出し始めたのだ。
朱飛が何かを呟く。
すると、地面を覆っていた光は、波のように形を変え、わたしとアレクを包み込んでいく。
体がほんのりと暖かくなる。
私はアレクの方を見る。
彼にはそれは見えていないようだった。
けれど、何かが体に入りこんでいく感覚は、感じているようだった。
「ようやく、見え始めたようだな」
朱飛が口を開く。
「ここが、操気術の入り口だ」




