第263話:Don’t think. Feel
「朱飛大師がお会いされるそうです」
門の奥から息を弾ませながら走ってきた男は、夢華に向かってそう言った。
「本来であれば、門下生以外は立ち入り禁止なのですが……」
遠慮がちに、わたしとアレクの方をちらりと見る。
「大丈夫。わたしの家族のようなものだから」
その言葉を聞いて、アレクがあからさまに浮かれた雰囲気を出す。
「そう、おっしゃるなら……」
そう言いながら、今度は、地面に転がっている門番に目をやる。
「ああ、その子、さっきにわたしに手合わせを挑んできたの。片付けといて」
さらりと夢華が言う。
「ああ、それは失礼しました」
男はそれ以上何も言わず、失神している門番を軽々と担ぐと、門の奥へと進んでいく。
――あ、そっちは気にしないんだ。
この程度のことは、日常茶飯事なのかもしれない。
わたしは、この少林寺という場所に、再び興味を持ち始めた。
あまりの観光客の多さに、正直、期待との落差を感じていたけど、もしかしたら、この門の先に、わたしを大きく変えてくれるような修行が待っているかもしれない。
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「こちらが黒の間です」
門番の男が、わたしたちを締め切った道場へと案内してくれる。
靴を脱ぎ扉を開けると、まだ日が落ちていないにもかかわらず、その部屋は暗闇に包まれていた。
蝋燭の明かりを頼りに、目を凝らしてみると、窓という窓は黒いカーテンで覆われ、日光の侵入を防いでいるようだった。
「十年ぶり、か」
不意に、道場の奥から声がする。
――人?
よく見れば、暗闇の奥に、僧衣らしき衣をまとった剃髪の男性が座禅をしている。
あれが、朱飛という人だろうか。
それにしても、全く気配というものを感じなかった。
「ええ」
それだけ言うと、夢華は”たんっ”と床を蹴った。
一気に距離を縮めると、近づきざまに、顔面へと左の蹴りを放つ。
朱飛はすっと立ち上がると、わずかに上体をそらして避ける。
それを予期していたかのように、夢華はさらに右の連脚へとつなげる。
朱飛がそれを片手でいなすと、夢華に向かって右の掌底を放つ。
僅かにステップバックして避けた夢華が、再び攻撃に転じる。
「リン、ゾーンだ」
アレクがささやく。
わたしは、すぐさまゾーンへと移行し、二人の動きに集中する。
けど――。
ただでさえ光の少ない暗闇だ。
必死で目で追おうとするものの、二人の戦いは、わたしの動体視力を遥かに超えて加速していく。
そのとき、アレクがこう言った。
「Don’t think. Feel」




