第254話:変面
北京ダッグを運んできた料理人の後から入ってきた一人の男――。
その”顔”を見て、わたしは危うく20年モノの紹興酒を吹き出しそうになる。
――鬼?
朱と金で彩られた袖の長い伝統衣装をまとったその男は、鬼神を思わせる深紅の仮面をかぶっていた。
眉は墨で大胆に跳ね上がり、金箔で縁取られた目は大きく吊り上がり、口元には鋭い牙が覗いている。
わたしとアレクが、思わずその姿を凝視していると、今度は、宝冠をかぶり、白化粧を施した長髪の男が、巨大な太鼓を運び込んできた。
男の太鼓をリズムを刻み始める。
どこからか笛の音も聞こえる。
すると、深紅の仮面の男は、袖から扇を取り出し、音楽に合わせ軽快に踊り始めた。
男の袖が翻り、ほんの一瞬、顔を覆った刹那。
その仮面は、優美な仙女の顔に変わっていた。
淡い桃色の地に、繊細な銀の刺繍が桜の花弁のように散っている。眉は柳の葉のように細くしなやかで、目元は柔らかな曲線で縁取られている。
――え?何が起きたの?
扇子が空を切る。
男の仮面が、今度は老将軍のそれへと変わる。濃紺の地に、銀白の髭が堂々と描かれ、額には深い皺が刻まれている。
「これは……変面か!」
アレクが興奮した表情で言う。
変面?
わたしが問い返すと、アレクが言う。
「中国の四川発祥のオペラだよ。神業のごときスピードで、リズムに合わせ次々と仮面が変わっていくのが、変面の特徴なんだ」
その言葉の通り、リズムがどんどん早くなり、そのたびに仮面が千変万化する。
扇や袖で仮面が一瞬隠れた瞬間、次の仮面が現れるので、意識を集中しても、変化の瞬間を捉えることは難しい。
男は、踊りながらテーブルの上に置かれた燭台を手に取ると、北京ダックに向かって、ふっと息を吹きかける。大炎が巻き上がり、チリチリとダックを焦がす。
やがて、リズムが最高潮に達し、太鼓と笛が、最後の一音を奏でた瞬間。
最後の一枚の仮面が剝ぎ取られ、素顔が顕わになる――。
ぶっっっ!!!
今度こそ、わたしは紹興酒を吹き出してしまった。
隣のアレクも、雲南省の高級ワインを危うくこぼしそうになる。
仮面の層の一番下から現れたのは、生身の顔ではなく、青白い光を放つアンドロイドの顔だった。
ゆったりした服を纏っていたので、全く気付かなかった。
人間そっくり、いや人間にしては神業的な動きをしていたこの男は、実は、誰かが操作していたアバターだったということだろうか。
わたしは、夢華の方を見る。
部屋が薄暗かったので気付かなかったけど、その視線はアバターを一心に見つめ、額には一筋の汗が伝っている。
――まさか。




