第250話:エベレスト超え
「全く、何やってんだよ。夜の砂漠を、何も持たずに彷徨うなんて。冬だからまだよかったけど、夏なら砂嵐に襲われる危険性だってあったんだからな」
スマホの画面の向こうで、梨沙さんが呆れ顔で言う。
その隣には、心配顔の十萌さんも映っている。
わたしは、ひたすら謝り倒した。
流石に二十歳にもなって、何の準備もせずに飛び出して、結局迷子で捜索されるなんて恥ずかしすぎる。
「まあ、こうして無事に帰ってきたからいいんじゃないかな?」
アレクが、鷹揚になだめてくれる。
ミゲーラをわたしの肩をポンと叩く。
約1時間前。
明らかに落ち込んでいるわたしを慰めようと、部屋に立ち寄ったアレクとミゲーラが、その不在に気付いて、緊急で十萌さんに連絡を取ってくれたらしい。
「でも、どうやってあんなにも早く、現地エージェントを送れたんですか?」
アレクの通報から、1時間以内にわたしを発見できるなんて……。
「ま、日本国の在外インテリジェンスネットワークも、捨てたもんじゃないってことだ」
率直な性格の梨沙さんが、こうした曖昧な言い方をする場合は、たいていなんらかの機密が関わっている。これ以上は、聞かない方がよさそうだ。
「まあ、戻ってこれてよかったわ」
十萌さんがほっとした顔でいう。
京都の神道の名門の跡取りである彼女は、代々政治家を輩出している梨沙さんの実家とも、深いつながりがあるらしい。
「ついでに、そちらの状況を教えてくれる?」
十萌さんに促され、わたしは、シルバの『星の大地計画』について、二人に打ち明ける。
砂漠にあんなに大きい施設を作っている以上、既に、梨沙さんや十萌さんの耳にも、ある程度の情報は入ってきていたようだった。
だけど、その星が、このモロッコの宇宙開発基地で働くというニュースはさすがに驚いた様子だった。
十萌さんが少し残念そうに言う。
「星くんには、これからも私たちの実験に協力してほしかったんだけど……。でも、本人がそこまで強く望むなら、止められないわね。あの年の子は、今が一番成長する時期だから」
――まるで、お姉さんのようなコメントに、少しだけ気持ちが和む。
「確かにあの才能は日本にとどめておきたい気もするが……まあ、賭けは分散したほうがいいしな」
「賭け……って?」
「今、日本国政府は、ローゼンバーグ家の計画に賭けている。だが、ヨーロッパ諸国を後ろ盾とし、世界の宇宙産業に強い影響を持つシルバ陣営の中枢に、日本人が入り込むこと自体は、決して悪い話じゃない」
わたしはチラリとアレクを見る。
星のわたしへの告白のことは、あえて隠しておいた。
了解した――というように、アレクは軽く頷く。
「あ、そういえば……」
十萌さんが言う。
「一昨日、中国からのニュースが入ってきたの。夢華が脳波操作したアバターが、ついにエベレスト山頂に到達したって」
「え、エベレスト? それって、何メートルでしたっけ?」
「8848メートル。名実ともに、世界最高峰よ」
今のわたしには、1500メートルが限界だ。
――わたしなりには必死に努力してきたつもりなのに、夢華は既に、5倍もの距離に到達しているなんて……。
わたしは、三式島で夢華に一度も勝てなかった。
その時より更に実力の差が広がった事実を前に、無力感がわたしを襲う。
そんなわたしの気持ちを察したのだろうか。
十萌さんがこう言った。
「どう、一度、夢華のところに行ってみない?壁を超えるための、ヒントが得られるかもしれないわ」




