第25話:奇岩海岸
「こんなとこ、良く見つけたわね」
眼下に広がる絶景を目に、わたしは、悠くんと美紀ちゃんに言う。
二人が連れて行ってくれた場所は、確かに穴場中の穴場だった。
その一帯は、かつて繰り返されたの噴火の際、溶岩が海に流れ込んだエリアだ。
島の中心の活火山から流れ出た溶岩は、様々なものを飲み込み、やがて海へと向かっていく。それが、海の水で急速に冷やされ、固まることで、起伏に富んだ、不思議な海岸線を描きだしている。
吸い込まれるような青空に、複雑な陰影を描く雲、そして目の前にそそりたつ無数の奇岩たちに、わたしたちは思わず目を奪われた。
「なんか、岩の一つ一つが彫刻みたい」
車椅子のエリーが、感激した表情でつぶやく。
「確かに、前衛的なアートのようだ」
とアレク。
「うちら狙撃手にとっては、戦いにくい地形だけどね」
とソジュンが、急に現実っぽいことを言う。
確かに、これだけ大小さまざまな岩があると、身をひそめる場所には事欠かない。
「そうね。確かに、いい練習場になりそう」とうなずき、誰かにメールで指示を出し始める十萌さん。相変わらず、ワーカホリックすぎる。
わたしは、サラに訊ねてみる。
「なんで、ソジュンやアレクって、遠くの標的をあんなに的確に撃ち抜けるの?」
剣道には、基本的に、竹刀の間合いの範囲外に対する有効打がない。
唯一、竹刀を投げるくらいだが、邪道なうえに、それを外した時点で完全に丸腰になる。
「たぶん、アレクやソジュンは、突出した空間把握能力を持っているんだと思う」
とサラ。
「空間把握能力って?」
「相手や物体の位置、距離、方向を正確に理解する能力だよ。その能力が高ければ高いほど、射程が広範囲になるんだ」
わたしはアレクとの第一戦を思い出す。
振り向きざまの第一射、そして跳躍しながらの第二射。
いずれも寸分の狂いもなくわたしの両肩を撃ち抜いた。
それは空間把握能力のなせる業なんだろう。
「リンちゃん、ありがとう。こんなに早く夢を叶えてくれて」
車椅子で近づいてきたエリーが、感慨深げに話しかけくる。
――そう。エリーと再会したあの晩。
夜更けまで二人だけの会話に盛り上がったときに聞いたのだ。
「わたし、海で泳いだことがないの」
「え、そうなの?」
「うん。お父様から危険だって、ずっと止められていて。リハビリ用のプールには何回も入っているんだけどね」
「そっか……」
――気持ちは分からないでもない。
波の高い海では、成人でも溺れる可能性はある。
「でも、もう18歳になるんだし、一度でいいから泳いでみたいの。せっかくこんな美しい島にいるんだから」
「そうだよね」
「でも、この島に来て、ほとんど毎日実験でそんな暇なんてなかったけどね。そもそもカイさんが許してくれなさそうだし」
……と、少し寂しそうに笑う。
あのカイに、そんな気遣いができるわけもない。
わたしは心に誓った。
カイと戦ってでも、海水浴を勝ち取ってやると。
「リンねえちゃーん。こっちこっち」
下の方から悠くんと美紀ちゃんの声が聞こえてくる。
そう、海辺までたどり着くには、まるで迷路のような岩と岩との間を抜けなければならない。だからこそ、こんなに美しいにもかかわらず、観光客が近寄らないのだろう。
悠くんたちは、時に巨岩をすり抜けたり、岩と岩の間をジャンプしたりし、スイスイと海岸まで下りていく。
エリーが困った顔で言う。
「わたし、どうやって下まで行けばいいのかしら」
たしかに、どう考えても車椅子では進めない。
すかさずアレクが言う。
「抱いていってあげようか?」
いつも胸元を開けているアレクだが、今は既に上半身裸モードだ。
こんなやつに大切なエリーを渡すわけにはいかない。
「平気よ。わたしだって鍛えてるんだからね」
そういうと、わたしはさっそうとエリーをお姫様だっこの形で抱え上げた。
「リ、リンちゃん!?」
エリーの少し戸惑った声。
――う。
どうみてもやせ型なので大丈夫かと思ったけど……。
意外に重い。
そして、何より、人生で一度も取ったことのない体勢のせいか、意外にバランスを取るのが難しい。
「ご、ごめん。わたし、重いよね」
ふらつく私の腕の中から、心配顔で見上げるエリー。
「大丈夫、慣れればこれくらい……」
と言った瞬間、足場がぬるっとし、つまづきそうになる。
足元に、打ち捨てられた海藻か何かがあったようだ。
――危なっ!
と思った瞬間、わたしとエリーの二人を、抱きかかえるように誰かが支えた。
アレク?
……と、思いきや、意外にもそれはカイだった。
彼の体温がわたしにも伝わってくる。
……な!
言葉を失っているわたしに、カイはいつもの口調で、
「気をつけろよ」
とだけいい、わたしの腕からエリーを奪う。
「俺が連れていく」
と、今度はカイがお姫様抱っこする。
それを横から見ていたアレクが
「いや、それは始めに言った私の役目だろう」
と立ちはだかる。
ミゲーラがポンと手を叩く。
「Oh 、これ、漫画で見たことある。なんて言ったっけ……?あ、そうそう、サンガクカンケイね」
――三角関係でしょ。
とわたしは心の中で突っ込む。
まだ中学生のソジュンと、彼よりも10歳は年上なはずの夢華は、なぜか顔を赤らめつつ、事の成り行きを見守っている。
「はいはい、そこまでそこまで!」
と十萌さんが間に入ってくる。
「展開としては面白いけど、大事な体なんだから、あとは彼にまかせてね」
十萌さんの後ろから、見覚えのない長身の男性が現れる。
錬司さんよりさらに大きく、筋肉質なその背中には、キャリーのようなものを背負っている。
「あ、ジェラルド!」
エリーが言う。
「ジェラルドは、エリーの家に代々使える執事の一族なの」
――執事って、漫画では見たことあったけど、実際にお目にかかるのは初めてだ。
忘れてたけど、エリーは500以上年続く貴族の末裔なんだ。そんな人がいてもおかしくない。
何がすごいって、この灼熱の夏日に白Yシャツに手袋をしているのに、汗一つかいていない。
「Pleased to meet all of you(お会いできて光栄です)」
と紳士風に挨拶すると、慣れた手つきで、背負っていたキャリーにエリーを乗せる。
どうやら、そのキャリーは、山道などの不整地で、けが人などを背負って運ぶ専門の器具らしい。
エリーが、わたしたちに向かって、申し訳なさそうに、でも天使の笑顔で言う。
「ごめんなさい、わたしのために。でも、みんな有難う。嬉しかったわ」
「All set. Let's go!(準備完了。行きましょう)」
ジェラルドは優雅にそう言うと、エリーを背負ったまま、岩と岩の間を苦も無く進んでいく。
さすが、専門家だ。
「みんなー、遅いよー!早くー!」
かなり前の方から、悠くんの声が聞こえてくる。
謎の対抗意識を燃やしていたのが馬鹿らしくなって、わたしたちは誰からともなく笑い出す。
――さあ、合宿の本番はこれからだ。




